今年はいろいろな会社から出ている複数種類のミニトマトを植えている。
ところが一番実がよくつくには安く購入した苗。
不思議だな。お味が違うのだろうか。
ミニトマトは今のところ20個くらいの収穫したよ。
皮が少し堅いのが気になるが、お弁当の彩りに重宝している。
実ものができると嬉しいな。
トマトは水少なに育てると甘くなるという。
畝を高くしてやると水きれがよいそうだ。
私の育て方はいい加減だが、まぁ、良しとするか。
今年は初めて一本だてにしなかったよ。
すると脇目にもいっぱい実を付けた。
気を付けなければいけないのはこれかららしい。
風通しを良くして、実に光をいっぱい浴びさせないと病気にかかったりおいしくないんだって。
京都の郊外にいた頃、子どものお遊びの一環として 家庭菜園を借りていたよ。
まわりに田畑があったんで、田舎に慣れてなかった私は嬉しくて嬉しくて、毎日が光り輝いていたな。
だってね、マンションすぐ側には西瓜やナスができてるんだものね。
感激の連続だったな。
ピーナツなんかもつくったけど、虫空きだらけで実がつかなかった。
トウモロコシなんかもスカスカ。
でも、楽しかったな。
子どもに、少し早い目だけど 幼稚園の頃から成規学園の通信教育をさせていた。
そのテキストで大人の私が覚えたことがあった。
さつまいもの「つる返し」
葉の裏を太陽に光に当てるとお芋が大きく育つそうだ。
「つる返し」って言う響きってかっこいいじゃない!
家庭菜園の時、私は知っていますって感じでいちびってつる返ししてたけど、まわりに人はみんな知っていたよ。
昔から、アホだな。
あの頃、野菜の育て方をいろいろな人に教わったな。
奈良にも貸し農園ってあるんだろうか?
家庭菜園でお野菜を育てるのは随分と割高だけど、子どもが大きくなった今、もう一度遊びたいなと思う。
今度は私たち夫婦のために、そして 自分のために鍬を持って へたれたいな。
あじさい
昨日記録したアジサイだが、5月から7月の花ということで、写真加工して遊んでみた。
今は庭の花が少ないが、トマトやプリンスメロンやゴーヤの花が次々に咲いている。ただし、
瓜開く 咲いても咲いても 雄花かな 乱
アジサイ(紫陽花、英名・学名:Hydrangea)
アジサイ科アジサイ属の植物の総称。
学名は「水の容器」という意味(「ヒドランジア」「ハイドランジア」とも呼ぶ)
イジュ
真っ白い砂糖菓子のような蕾がつきました。丸くてころころしています。
イジュの蕾です。
おそらく多くの男性がかわいいなと感じる女性の姿に似ているのかもしれません。
蕾に多少ですが嫉妬心を抱く私ってどうしたものでしょうか?多分、おばかです。
花言葉は 熱愛・情熱の恋。可憐な蕾ですのに、激しいです。(笑)
去年は全く咲いてくれませんでしたイジュ。今年は初めての蕾とご対面。あれこれ言っても、幸せ感を味わっています。
イジュは南方の植物です。
『講談社 園芸大百科辞典』には載っていませんから、まだまだ一般的には知名度は低いのでしょうか。
台湾、中国南部、インドシナなど東南アジアに広く分付し、日本では奄美大島、徳之島、沖縄本島、久米島、石垣島、西表島に多くみられるそうです。
イジュの歴史は思いのほか古く、色々ないい伝えがあるようです。
イジュの幹の生皮を削ってみずに投げ入れると、魚が浮かび上がってくるそうです。
是はイジュのの持つ毒性の効用でしょう。
イジュの語源は、琉球語の魚と関係があると考えられているようです。
魚は琉球語でイユ。
是を考えると、古くから魚を獲る際に利用されていたのではと思うのです。
今ついているかわいらしい蕾が開くと5弁の花びらのようです。
後に実が成るそうですが、利用法は私はまだわかっていません。
いずれにせよ引き続き7月を楽しみに見守りたいと思います。
イジュ Schima liukiuensis Nakai
ツバキ科 ヒメツバキ属
大島から全琉球にかけて分布し、とくに古生層粘岩地帯に多い。
材質が堅く、現地では用材として利用され、樹皮からはタンニン。
山法師 (月光)
一週間ほど前から山法師が咲いています。
昨年は満開だった山法師ですが、今年は華の月が悪く、木の上の方に申し訳程度に白く開いています。
茶花にも使われる山法師。わびさび要らないから、もっと満開になって欲しかったかなと思うのでした。
ところで山法師。結構変わった赤い実がなります。
その姿が桑の実に多少似ていることから、別名 山桑と呼ばれるそうです。
共知ったばかりなのですが、山法師の実はジャムになるそうです。
去年はいっぱいなった実。そのまま放っておいて、惜しいことをしました。
花びらの四方を照らす姿は中国では「四照花」と呼ばれ、日本では種類によっては「山法師 月光」と見立てられる。
花言葉は「友情」
純粋なイメージの山法師の花びら。偽りにない友情を思ってやみません。
山法師 (月光)(別名「山桑」、中国名「四照花」)
学名 Cornus kousa
Cornus : ミズキ属
Cornus(コーナス)は ラテン語の「cornu(角)」が語源。(木が堅いため)
kousa : 昔の箱根の方言で、 ヤマボウシを「クサ」という
「山法師」の名前
中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て手見る。
→比叡山延暦寺の「山法師」
6月29日 自宅庭にて
1
1は5月、紫陽花が咲いているようすです。
初めは鮮やかな青い紫陽花でした。
夕日があたり、若々しい赤みをあびる紫陽花。時間の流れにしばし見とれておりました。
(5/24 写す)
2
3
4
5
そして2から5は本日の紫陽花。
わが家の紫陽花の色が随分こなれてきたと、喜んでいます。
紫陽花は年間を通して美しいですが、花芽と大きさを考えるとそろそろ切らねばなりません。
冬まで残すかどうか、まだ迷っています。
枯れてこそ あじさう 冬の賑わい 乱
日本の紫陽花は額紫陽花で、写真のは西洋紫陽花です。
日本では梅桜と同様、古来紫陽花も好まれて来ました。
万葉集にも残されている紫陽花の歌。
鎌倉時代にはこんな和歌が残されています。
夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり 藤原俊成
美しいですね。
言葉遊びに少し興味のある私は、「よひら」の面白みに心惹かれています。
そして無理矢理ではありますが 広義で考えるならば、
「夏」を「枯れゆく花」に置き換えても楽しんじゃっても面白いんじゃないか
と、そんな阿呆なことを思いつつ、色の変わりゆくわが家の紫陽花に見とれていました。
文中の「あじさう」という動詞は実際にはないことを付け加えておきます。
四天王寺の支院 真光院 2
先日記録した四天王寺の支院 真光院 1、今回は六地蔵尊の写真を記録したい。
この寺は新しいものが多いが、六地蔵全てに名が付けてありわかりやすい。
【生前の行いによって死後に下記のお地蔵さまにお世話になり善い人間の心に引き戻してもらい極楽浄土へと旅立つ】
という意味もあるらしいが、詳しくは知らない。できれば、このお地蔵さまのもとで修行して、直ちに極楽浄土に行きたいものと、くくられている。
Netでみていると六地蔵には次のような名付け方があった。
禅林地蔵尊(地獄担当) 何でも悪いことは、みんな他人のせいにして、他人を責めてきた人が、このお地蔵さまのもので修行して善い人間の心に引き戻してもらうのです。
無二地蔵尊(餓鬼担当) この世にいる間に、貪りの心から他の人に施しをしなかった者「欲張りの者が落ちる餓鬼の世界です。極端なまでに餓鬼、飢渇に苦しむとされています。
護讃地蔵尊(畜生担当) 自分が得をするなら、人がどんなに迷惑をしようと平気(自己中汚染に染まっている人)と言う「強いもの勝ち」の心を持っている人が落ちる畜生の世界です。
諸龍地蔵尊(修羅担当) 争いごとを好んで、他人を傷つけた者、誹謗中傷を好んでした者が死後にお世話になるお地蔵様です。
伏勝地蔵尊(人間担当) この世で、人畜無害で一生を終えた人がお世話になるお地蔵さまです。
伏息地蔵尊(天上担当) 十善戒をよく守り、世のため、人のために尽くした人、陰徳(無償の行為)を惜しまず積んだ人が死後にお世話になるお地蔵様です。
私の生まれ育った京都には、伏見辺に六地蔵という地名がある。
先日『踊り念仏』 五来重著を読んだおり、京都や関西では念仏が盛んに唱えられ、或は踊られたという。
本書によると、念仏と六地蔵尊との関係は深いという。
800年ほど前には京の伝統行事として『京の六地蔵巡り』が行われたという。
(『京の六地蔵巡り』については別記録、下欄参考。)
京都府宇治市六地蔵以外、六地蔵という地名は次の通り。
千葉県長生郡長柄町六地蔵
愛知県一宮市今伊勢町馬寄字六地蔵
愛知県岡崎市六地蔵町
愛知県あま市七宝町桂六地蔵
滋賀県栗東市六地蔵
徳島県那賀郡那賀町木頭折宇字六地蔵
六地蔵尊駅(ろくじぞうそんえき)が福島県にある。
会津鉄道会津線の駅で、
会津若松市門田町大字一ノ堰字畑中
江戸時代後期に念仏が全国に広がりを見せた結果、上のような地名が付けられたのだろうか。
念仏講中は各地にみられ、六地蔵尊も広がったのか。
江戸時代に広がりを見せた念仏講は念仏を1万回唱え、修行成就の記念としてつくられたものもありそう。
境界の道標や墓地や墓石そのものとしても設置されたそうです。
おそらくこれも信仰の一つと考えられていたのかもしれませんね。
六地蔵に近い存在としては遅疑のようなものも考えられます。
子育て地蔵
厄除地蔵
とげ抜き地蔵 など
ここまで来て、最後の延命地蔵様のお姿(写真)となりました。
いろいろなところでお姿を拝見することのある六地蔵様ですが、今一度心の中で手を合わせておきましょう。合掌。
六地蔵様とお別れし後ろにまわるとすぐにお墓がありました。
普通なら境内のど真ん中。不思議なつくりです。
四天王寺の支院 真光院は新しいものが多いのですが、墓塚は年期が入っていました。
ぐるり塚をまわってみると、上のような墓石がありました。
穏やかないいお顔をされています。
所狭しと置かれた墓の間にはまり込んだようすで、目の前にも真新しい石が切り立っていましたが、平常心是道で拝んでおられるように感じました。
四天王寺の支院 真光院
大阪王寺区六法体町
2010年6月12日
京の六地蔵巡り
京都では、夏も終わりに近づいた8月22日、23日の両日、都の出入り口(街道沿い)六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝 して、罰障消滅、家内安全、無病息災、家運繁栄を祈願する「六地蔵巡り」がある。 これは、800年もの京の伝統行事。
さて、京の六ヶ所の出入り口(街道沿い)とは、
1.奈良街道・六地蔵の大善寺(伏見六地蔵)
2.西国街道・上鳥羽の浄禅寺(鳥羽地蔵)
3.丹波街道・桂の地蔵寺(桂地蔵)
4.周山街道・常盤の源光寺(常盤地蔵)
5.若狭街道・鞍馬口の上善寺(鞍馬口地蔵)
6.東海道・四ノ宮の徳林庵(山科地蔵)
これら寺院に安置された木像地蔵菩薩立像(重文)は、平安時代の初め小野篁(おのたかむら)が一度息絶え冥土へ行き、そこで生身の地蔵菩薩を拝して甦った後に、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から六体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(大善寺)に祀ったもの。
平安後期、都では疫病が流行していた。後白河天皇はこの地蔵尊像を深く信仰され皇位長久、王城守護を祈願。また、都を往来する旅人たちの路上安全・健康、さらに広く庶民に疫病退散、福徳招来をも願われて、保元2年(1157)都の出入り口に祀るよう平清盛に勅命。清盛は西光法師に命じ、街道の入口に六角堂を建て、一体づつ分置し「廻り地蔵」と名付けた。これにより庶民に地蔵信仰が広まり、六地蔵巡りの風習 が室町時代に始まったとされている。(なお、当初は木幡の里、四ノ宮河原、鳥羽の作り道、西七条 、蓮台野、深泥ヶ池、西坂本の7街道に六体の地蔵尊像を安置したとされ、現在の六地蔵の大善寺、四ノ宮の徳林庵、上鳥羽の浄禅寺、桂の地蔵寺、常盤の源光寺、鞍馬口の上善寺となったのは、江戸時代初期の寛文5年(1665)頃とか)
地蔵菩薩は、私たちに最も身近な仏さま。昔から京の町々では、8月22日、23日の両日、町内の地蔵さま近くに集まり「地蔵盆」が催される。この時ばかりは、子供達は夏休みの宿題を忘れて楽しむ。地蔵菩薩は、子供の無事安全成長を守ってくださる子供の仏さまでもあり、「地蔵盆」は子供の無事成長を願う親の気持ち。これは六地蔵信仰に起するといわれる。
地蔵巡りは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に迷い苦しむ全ての人々を救済するように願って祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝すること。六ヶ所の地蔵寺を巡り、それぞれのお寺でいただく(買い求める)幡をお守りとして玄関先に吊るすことで、疫病退散、福徳招来などのご利益があるとされ、家運繁栄など祈願 し参拝する。また、新しい精霊の初盆には水塔婆供養を3年間すれば 、その新しい仏様は六道の苦から免れるとされています。
下の写真は先日の記録写真です。▼
(写真は京都の南座)
南座、九月大歌舞伎の演目が発表された。
通し狂言 義経千本桜。
【市川海老蔵 忠信・知盛・権太三役相勤め申し候】とのこと。
決まっているのは玉三郎丈と市川海老蔵さん。
日替わりで 昼の部 忠信篇 あり。
人気がありますものね。男前で、オーラいっぱいの海老蔵さん。
満席でしょうね。
関西 特に南座は、最近こういったのが多いですね。
大海に 泳ぐ鯱 千両箱 尾鰭整う 焼き鱒が良し 乱
(しゃちほこ)(おびれ) (ます)
甘海老も 子を宿したるは 高貴かな 紫絹抱えて 「升」酒一献 乱
京都四條南座
九月大歌舞伎
通し狂言 義経千本桜
市川海老蔵 忠信・知盛・権太三役相勤め申し候
平成22年9月2日(木)~27日(月)
昼の部(午前11時開演)
序 幕 鳥居前
二幕目 渡海屋
大物浦
三幕目 道行初音旅
夜の部(午後4時15分開演)
四幕目 木の実
五幕目 すし屋
大 詰 川連法眼館
蔵王堂
忠信篇(午前11時開演)
(3、7、10、14、17、21、24日)
序 幕 鳥居前
三幕目 道行初音旅
大 詰 川連法眼館
蔵王堂
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ーーーーーーーーーーーー
九月大歌舞伎
通し狂言 義経千本桜
市川海老蔵 忠信・知盛・権太三役相勤め申し候
平成22年9月2日(木)~27日(月)
昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時15分~
忠信篇 午前11時~
(3、7、10、14、17、21、24日のみ)
(写真は京都 八坂さんにて 2009年)
6月29日
今日は「船乗り込み」の日です。
どの役者さんが乗られるのでしょうか。
7月も好きな役者さんがいっぱいです。
天気がもってくれるといいですね。
自宅にて
松竹株式会社 歌舞伎美人より ▼
7月大阪松竹座「船乗り込み」のご案内
大阪松竹座七月公演「 関西・歌舞伎を愛する会 結成三十周年記念公演 七月大歌舞伎」が、いよいよ7月3日に初日を迎えます。そして本年も、大阪の夏の風物詩である恒例の船乗り込みを、古式ゆかしくも賑々しく開催致します。
▼
日時:6月29日(火)
【船乗り込みスケジュール】
15:00 八軒家浜(京阪天満橋駅北側)にて式典開始
口上→祝辞(大阪府・大阪市代表ほか出席予定)→俳優挨拶
15:30 乗船→出航
16:20 戎橋東側にて船上より口上
↓(松竹座まで移動)
16:40 松竹座前にて式典(口上、ご挨拶、鏡開き、撒き手拭い、手締め)
17:10 終了 予定
※船着き場および15時よりの式典会場は、京阪天満橋駅北側の八軒家浜です。
※時間は多少前後する可能性がございます。
※当日は雨天決行、警報時のみ翌日に順延となります。
2010年度 106冊目
『冠婚葬祭のひみつ』
斎藤美奈子 著
文芸評論家。1956年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒。文芸作品から社会事象までを対象に幅広い評論活動を展開中。
『文章読本さん江』(筑摩書房)で、第1回小林秀雄賞受賞(2002年)。
他の著書に『妊娠小説』『紅一点論』(以上、ちくま文庫)、『男性誌探訪』『誤読日記』(朝日新聞社)、『読者は踊る』『モダンガール論』『あほらし屋の鐘が鳴る』(以上、文春文庫)、『文壇アイドル論』 『戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る』(以上、岩波書店)、『趣味は読書。』『物は言いよう』(以上、平凡社)『文学的商品学』(紀伊國屋書店)など。
岩波書店
岩波新書 新赤版1004
2005年
224ページ 740 円+税
今日の一冊は岩波新書の『冠婚葬祭のひみつ』
開けてすぐに宮田登先生の名が出ていた。
お!こりゃいけるか。
読み進むと期待していた内容とは違ったが、とにかく面白い。
1/3くらい読んだところで著者が気にかかり裏表紙を開けてみる。
やはりわたしよりいくつか上。第三者やある時代の方々に結構手厳しい。
【作法にうるさい人が本質的なこういったことには無頓着な場合が多い】
等の記述が多区、より後のまれが激しいのだろうと感じる。
結構入り口は鋭いが、この人かなりの神経質とみた。本当はやさしい方ではないのだろうか。
たの作品を調べてみる。
単著 [編集]
『妊娠小説』(筑摩書房 1994年 / ちくま文庫 1997年)
『紅一点論 - アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』(ビレッジセンター出版局 1998年 / ちくま文庫 2001年)
『読者は踊る - タレント本から聖書まで。話題の本253冊の読み方』(マガジンハウス 1998年 / 文春文庫 2003年)
『あほらし屋の鐘が鳴る』(朝日新聞社 1999年 / 文春文庫 2006年)
『モダンガール論 - 女の子には出世の道が二つある』(マガジンハウス 2000年 / 文春文庫 2003年)
『文章読本さん江』(筑摩書房 2002年 / ちくま文庫 2007年)
『文壇アイドル論』(岩波書店 2002年 / 文春文庫 2006年)
『戦下のレシピ - 太平洋戦争下の食を知る』(岩波アクティブ新書 2002年)
『趣味は読書。』(平凡社 2003年 / ちくま文庫 2007年)
『実録・男性誌探訪』(朝日新聞社 2003年 / 改題『麗しき男性誌』文春文庫 2007年)
『文学的商品学』(紀伊國屋書店 2004年 / 文春文庫 2008年)
『物は言いよう』(平凡社 2004年)
『誤読日記』(朝日新聞社 2005年)のち文春文庫
『冠婚葬祭のひみつ』(岩波新書 2006年)
『たまには、時事ネタ』(中央公論新社 2007年)
『それってどうなの主義』(白水社 2007年)
『本の本 1994-2007』(筑摩書房 2008年)
『文芸誤報』(朝日新聞出版 2008年)
『ふたたび、時事ネタ』(中央公論新社、2010年)
編著 [編集]
『21世紀文学の創造(7)男女という制度』(岩波書店 2001年)
『21世紀文学の創造(4)脱文学と超文学』(岩波書店 2002年)
『L文学完全読本』(マガジンハウス 2002年)
ほほう。やはりぶった切っているな。
『趣味は読書。』の『。』がついているところなどは鋭い。
ちなみに岩波新書案内では『趣味は読書.』は「.」という具合。
これって、すごいな。いずれ楽しもう。
他にも『実録・男性誌探訪』『文学的商品学』『誤読日記』が気にかかる。
しかし著者は茶目っ気がある。
現在ではなかなか手に入れがたい徳川尚之の『媒妁に全書』(1961)のとある部分ににおいて、
【もったい内から教えてあげない】(56ページ)
ときたもんだから読者はたまらない。
後々までひいちゃうんだよね。恨んじゃいますよ、斎藤美奈子様。(笑)
この人、読者のひきつけ方上手すぎなんじゃない?
ところでこの本の内容は面白かった。
プラス、プラス(*+.+*)になりましたじゃ。
岩波新書編集部より ▼
こんな本です
しきたり、作法、正式――冠婚葬祭マニュアルにはこんな言葉が溢れている。だがこの百年の間にも儀礼の姿は時代とともに大激変を遂げてきた。「少婚多死」時代を迎え、家族の形が多様化した今、冠婚葬祭文化はいったいどこへ向かうのか。現在の結婚と葬送をめぐる膨大な情報を整理し、「これから」にふさわしい儀礼の形を具体的に考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■目次
はじめに
第1章
冠婚葬祭の百年
1 明治の家と冠婚葬祭
2 昭和の結婚と優生思想
3 『冠婚葬祭入門』とその時代
4 少婚多死の時代を迎えて
第2章
いまどきの結婚
1 今日的ウェディング狂想曲
2 結婚式に招待されたら
3 多様化する結婚の形
4 変容する通過儀礼
第3章
葬送のこれから
1 現代葬儀の基礎知識
2 死の準備はどこまで必要か
3 身近な人の死に際して
4 遺骨のゆくえ、墓のゆくえ
◆もっと知りたい人のためのブックガイド
◆主な参考文献
あとがき
四天王寺の支院 真光院 1
四天王寺の支院 真光院。
聖徳太子自作の阿弥陀如来がご本尊らしい。
真新しい朱塗りの門。
信者は多く、この日もイヤホンからロックのリズムがガンガン漏れた男性が門前に出てこられ、タバコをすっておられた。
続いて別の落ち着いた男性。
部外者のわたしをふせ目がちに見ておられる。
『まさか、ここは女人禁制か?ここはひとまず空気読めないウーマンになっておこう。』
と決め込む。
男性二人は、同じ法被のような上着を着ておられた。
家族の顔を見ると、
『早く行こう。』
といった表情が見え隠れ。
『ごめんね、おとなげなくって。』
の意味も含めて微笑むが、家族苦笑い。
六法体地蔵尊と書かれている。
この寺には六地蔵があったので六法体地蔵尊なのかと一瞬ももうが、すぐに間違いだと気づく。
ここは天王寺区六法体町。六法体町の云々かと一応納得。
だが、そもそもなぜ六法体町という名がついたのかはわからない。
フィールドワークの折 古文書専門の吉田先生が地名の重要性を力説なさっていた。
そういうと、今年は吉田先生の講義はないのだろうか。
奈良に移り住んできて、こういった先生のお話が聞けると喜んでいたのだが。
上を見ると、鐘。
紐をひいて音を鳴らす形。
そういうと徳島の箸蔵寺の鐘もこの形。
櫓風で小さな梯子があったので、わたしのこと、もちろん登って見てみたな。
まるで煙のような@^^@って、◯◯と煙だな。
一回一誦(一回転させる事でお経を一回読誦した事になる)
木魚
おみくじくくり
門をくぐりここまでの間、目映いばかりの新しさ。
おみくじくくりのすぐ右横には六地蔵様がおられる。
さてさてどんなお顔でしょうか。
つづく
四天王寺の支院 真光院
大阪王寺区六法体町
2010年6月12日
映画52本目
『ヴァン・ヘルシング~VAN HELSING~』
映像の美しさ ★★★★★ ★★★★★
全体 ★★★★★ ★★☆☆☆
満足度 ★★★★★ ★★★★☆
製作・監督・脚本 スティーヴン・ソマーズ
監督は、『ハムナプトラ』シリーズのスティーブン・ソマーズ。
伝説の怪物たちをスクリーンに集合させ、1000名以上のスタッフ、大規模なセット、膨大な時間をかけて一大ゴシック・アクションを作り上げた。
荘厳な舞踏会シーンやモンスターへの変身シーンなど、満点のスリル感を味わえる。
キャスト
ヒュー・ジャックマン
ケイト・ベッキンセール
ウィル・ケンプ
リチャード・ロクスバーグ
デヴィッド・ウェンハム
2004年 アメリカ 133分
映像の美しさは抜群で、途中名画を見ている塔な場面もある。
二ヶ所、エッシャーの細密描写風表現あり。
光と影が美しい。
あらすじは短銃んで、決めポーズや映像美を考えると、つくりは洋風歌舞伎のよう。
バンパイヤ系の映画は男前が多く出てくる傾向にあるので、以前から好き。
テレビで放送されたものはほとんど見ているかも知れない。
女性のブラウスの赤い刺繍が印象的。
きりりとした女性を表現しているが、かわいらしさが見え隠れする。
素敵なファッションだった。
漫画的なcomputer graphicsが目だつ部分は惜しいと感じるが、全体構成は美しい表現だったので、あえて好きな映画にした。
今回は記録のみにて失礼申し上げます。
2010年度 105册目
『蛇儀礼』
原書名:SCHLANGENRITUAL EIN REISEBERICHT(Warburg,Aby M.)
ヴァールブルク 著
三島憲一 訳
岩波文庫
岩波書店
2008年11月14日 204ページ 588円
岩波文庫『蛇儀礼』を読む。
『蛇儀礼』、題名を見ただけでもわくわくする。
本書はヴァールブルクが重度精神病で、スイスのクロイツリンゲンにある病院に入院した時に院内で講演したものを収録し文字におこしたという。こんなものは特定の人以外には絶対に目にさらさないでといった内容が印象的。
『蛇儀礼』は五穀豊穣に関連しているようだ。
その方法は特殊で、絵や砂絵に薬酒の頭を浸した蛇を投げつけ、雨を起こす。
踊りの際の赤い毛皮を方からかけるのは雨が降るようす
人間を超えた神の力に与ろうという魔術儀礼的 恐ろしい秘技
40日間女を神と崇拝した後生け贄(60)
上に記した踊りの際の赤い毛皮を方からかけるのは雨が降るようすは日本の虫送りの時期に行われる神事や祭を思い出す。
傘にまつわる田植え頃の祭は天との交信といった意味もあると何かに書かれていたが、上を考えると、雨乞いの意味も大きいと気づいた。
直接日本に当てはまるとは言わないが、比較顕彰する価値は大いにあるのだろう。
階段
女性の髪のくくりは蛇の頭を思い浮かべる
蛇の象徴的な描き方
蛇の象徴的な描き方はメキシコは上からぶら下がったよう。頭は三角で雷 或は雨が降っているようにあらわされている。
蛇を描く方法は各国色々あるが、ナスカ尚蛇の描き方は面白いので心に残っている。
世界的に考えても人の脇から蛇が出ている絵が多い。
これはどういった意味があるのかとかねてから疑問に思っているが、未だ、解決の糸口を持たない。
ドイツの美術史家ヴァールブルク(1866-1929)が目撃した世紀末(ファン・ド・シエクル)アメリカの宗教儀礼.蛇は恐怖の源か,不死の象徴か.新興国に息づく動物崇拝は,やがてギリシア・ローマやキリスト教の蛇のイメージとも交錯し,合理と非合理の彼方を暗示.ユダヤとヨーロッパの伝統の相克に苦しんだ巨大な知の,精神の病からの生還儀礼としても著名な講演.
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ウィキペディアより▼ (2010、06、27)
アビ・ヴァールブルク
アビ・ヴァールブルク(1900年ごろ)
アビ・モーリッツ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg, 1866年6月13日 - 1929年10月26日)はドイツの美術史家。
ハンブルクの富裕なユダヤ人銀行家の家庭に生まれ育つ。祖先はイタリアからドイツに移住したセファルディム。ボンとミュンヘンとストラスブールで考古学と美術史のほか、医学、心理学、宗教史を学ぶ。博士論文のテーマはボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『プリマヴェーラ』だった。
長男だったが家業の相続を嫌い、家督を弟に譲る代わりに、生家の経済的援助で好きな学問を生涯追究し続けた。フィレンツェで美術を研究する一方、1896年には米国に旅して、ホピ族に関する人類学的研究をおこなう。「蛇儀礼」がその論考である。
ヨーロッパに戻り、個人的蒐集物の保存と公教育に資することを意図し、ヴァールブルク文化学図書館(Kulturwissenschaftliche Bibliothek Warburg)を設立。
鬱病と統合失調症を患い、1921年、スイスのクロイツリンゲンにあったルートヴィヒ・ビンスヴァンガーの神経科医院に入院。1924年、医師や患者仲間たちの前で高度な学術的講義をおこなうことで正気を証し、退院を許される。
晩年の5年間は、ヴァールブルク文化学図書館で研究生活に没頭。精神病の再発を気遣いつつも、未完に終わった「ムネモシュネ・アラス」への主要論文を執筆。ハンブルクで心臓病のため死去。
ヴァールブルクの死後、ヴァールブルク文化学図書館は国家社会主義ドイツ労働者党の台頭を避けてイギリスロンドンに移転し、ロンドン大学附属のウォーバーグ研究所 (Warburg Institute)となった。
邦訳著作 [編集]
『ヴァールブルク著作集』全7巻 伊藤博明・岡田温司ほか訳、ありな書房、2003~06年
1. サンドロ・ボッティチェッリの「ウェヌスの誕生」と「春」
イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究
2. フィレンツェ市民文化における古典世界
3. フィレンツェ文化とフランドル文化の交流
4. ルネサンスの祝祭的生における古代と近代
5. デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術―付:図(1枚)
6. ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言
7. 蛇儀礼 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ
『異教的ルネサンス』 進藤英樹訳、ちくま学芸文庫 2004年
「デューラーの・・・」と「ルターの・・・」の一部を所収
『蛇儀礼』 三島憲一訳 、岩波文庫 2008年
ナンパ取り締まりで論争=改革派の若者、不満蓄積―イラン
6月26日6時29分配信 時事通信
あらあら! ナンパ取り締まりですか?
ナンパ、ナンパ、ナンパ
ナンパの前に、痴漢をなんとかしてよね、痴漢を。
イランでは未婚の男性が多い。逆に既婚者は自慢らしく、奥さんと子ども自慢はうんざりするほど聞かされる。
イラン人女性は美しい方が多いので素直な気分で聞いているが、中には多くから人並みはずれた奥様も。
年甲斐も恥ずかしさもなく写真を取り出して自慢されるのに心底困った経験が一度。青虫を知らずにキャベツの口にほおばったような苦々しさ。日本ではありえない。
私はこれまでにイランを何度か訪れたが、痴漢に遭わなかったのはアーシューラーの期間だけ。
アーシューラー時は至る所に警官やパトカーが待機されていたし、数多くの私服の方もいらっしゃったので、実際には痴漢行為は無理だったのであろう。
また、神聖なるフセインの行事中、痴漢という女性に触れる行いはタブーだったこともあるのかも知れない。
いずれにせよ昨年の12月の旅は痴漢だけの点で考えるとまともだった。
6月26日6時29分配信 時事通信 ▼
ナンパ取り締まりで論争=改革派の若者、不満蓄積―イラン
6月26日6時29分配信 時事通信
【カイロ時事】シーア派イスラム教を国教とし、婚外の男女関係に厳格なイランで、警察が「ナンパ」への取り締まりを強化し、その是非をめぐって論争が起きている。
ディスコやナイトクラブといった男女の出会いの場が少ないイランでは、首都テヘラン北部の世俗的な住民の多い地域を中心に、幾つかの「ナンパ・スポット」がある。
イランのメディアによれば、警察は最近、高級車で同じ地域を巡回して女性を「物色」する若者の乗った車のナンバーを調べて事情聴取。同乗している男女の関係を問いただしたり、車を押収したりするなど、締め付けを強めている。
こうした動きに対し、改革派の若者を中心に体制への不満が蓄積。アハマディネジャド大統領は「男女に彼らの関係を質問することは侮辱に値する」と若者の不満に一定の理解を示したが、保守派は「イスラム的価値観を脅かす」と大統領の発言に反発している。