乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『怪談実話集』 志村有弘 編集  河出文庫

2008年03月25日 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

(写真は奈良の山辺の道を歩く途中に見た、温室の苗作り。何か心惹かれるわたし・・・。どうです?苗が緑バージョンの モンドリアンに見えませんか・・・ね?え、見えない?失礼いたしました。

 

記録だけ  2008年度 25冊目   

  

   『怪談実話集』

                   

 志村有弘 編集

 河出文庫

 230ページ 660円

 2007年7月10日 第1版発行

 

 

『怪談実話集』を読む。

 この本には 次のような実話が集められていた。

   お絹の話

   血の窓

   いじめ殺された女

   女物乞い

   吉太郎の怨み

   緋縮緬の呪い

   血潮の飯

   死んだ僧

   樹の祟り

   勘次郎火

   殺した猫

   牛の怨霊

   狐の復讐

   蛇を殺した報い

   足のある蛇

   四つ池の怪

   人を殺す池の狸

   火の車と鬼

   斑猫の怪

   お春の幽霊

   訪ねてきた幽霊

   俥に乗った幽霊

   タクシーに乗った幽霊

   破れ障子に映る幽霊

   牧野信一の亡霊

   幽霊の写真

   合唱コンクールの怪

   幽霊布団

   幽霊現像事件

   船幽霊

   ポケットの中の指

   白木の位牌

   火の玉が出ると人が死ぬ

   死者からもらった夏ミカン

   西瓜の怪

   乙女塚縁起

   死霊の棲む家

   清水澄子の霊

   死人の首を売る老婆

   娘

 

 恐がりの私だが、読んでいて怖いという感覚は、『タクシーに乗った幽霊』以外はなかった。

 あくまでも実話を忠実に記し、編集された志村有弘氏のまじめな性格が顕著の現れた一冊。

 京都など なじみの地名も何話かあり、また知らない土地の話もイメージをふくらませながら目を通すと、興味を持って楽しめた。

 機会があれば、志村有弘氏の他の書物も選びたい。

 

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山辺の道

2008年03月25日 | お出かけ

 

   

 

   

 

   

 

 写真は3月16日。

 奈良の山辺の道。

 桜井駅から柳本駅までの間をゆっくりと時間をかけて歩く。

 桜は本格的ではなかったが、一部、山桜が咲いていた。

 10日たった今は、もう咲いているのだろうか・・・。

 

 蜜柑発祥に地ということで、歩いていると柑橘類などの無人販売が目につく。

 1袋10個以上も入って100円。

 歩きながら食べると、甘みと酸味が体に染み渡る。

 美味い・・・。

 

 山道や農道、コンクリート道を歩くと古墳やなにやら言い伝えられている地が多い。

 山辺の道は本当はこれだけの道のりではない。

 桜井駅から天理駅まで続いている。

 次回は天理駅から柳本駅まで歩こうと心に決めた、へたれの乱鳥といった具合。

 大いに笑われたし・・・。

 

 

 

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影絵 『西遊記』の舞台の裏側   中国・山西省 太原

2008年03月24日 | 舞台・芝居

 

 

   

 

 

   

 

 中国の山西省 太原の宝晋会館(QUAN JIN GUILD HALL)で、影絵をみた。

 ここは太原では五本の指に入るレストランらしい。

 影絵以外にも、何種類かの刀削麺の実演も見せてくださったが、こちらは何度もみている。

 殿方は皆 大いに喰らい、酒を飲む。

 私一人、麺削り(二種)を体験させていただいた。

 ラッキー!

 

 影絵は二演目。

 中国の古典で、今の中国人にも聞き取れない言葉のものと、なじみの『西遊記』。

 無理を承知で、影絵の舞台裏を見せていただくようにお願いすると、快く引き受けて下さった。

 

 舞台裏の演じ手はいずれも十代の若者。

 ガイドの説明によると、彼らは山間部から出稼ぎにきておられるとのこと。

 影絵の道具を持つ手にも、携帯電話を放さない 化粧気のない女の子が、今の中国の一部を現わしているのだろうか・・・。

 

「食堂で働く人たちは、少ない収入なので、生活が難しいのですよ・・・。」

というガイドの言葉が、心に刺さる。

 それでも 二百元、三百元(現在一元 約十六円)の紹興酒を各グループが頼むような無神経な旅行者である私たちを、最後には笑顔で見送ってくれた。

 少し、心が痛む・・・。

 難しいことはよしとして、彼らにとっても、自然にほほえみがこぼれ落ちるような世の中になればいいなと感じた。

 

 

 

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♪ ご結婚、おめでとう~!♪  中国で

2008年03月23日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

   

 

 旅行先で結婚式を見る機会は多い。

 特に外国の場合、各国によって様子が違う。

 結婚式に出会うと、単純な私にとって、ラッキー感は大きい。

 幸せそうで、こちらまで微笑みを与えられる。 

 

 

 写真は 今年三月初旬、昼食をとるために 飯店を訪れた際、中国の山西省で見かけた結婚式。

 皆が大いに笑い、大声で歌い、ゲームをして楽しんでいる。

 にぎやかだ・・・。

 子どもは赤の風船をてに持って遊ぶ。

 

 赤、赤、赤・・・。

 中国の結婚式では、縁起が良いとされる赤色が目に付く。

 

 以前雲南省でガイドが言っておられた、

「中国の男性は、結婚することと 家を持つことが大きな目標です。」

という言葉を、思い出す。

 難しい中国の実情はさておき、心から祝いの言葉を送ろう・・・。

 

      ♪ ご結婚、おめでとう~!♪

 

 

 

 

 

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妖怪大戦争  水木しげる・荒俣宏氏・京極夏彦・宮部みゆき監修映画

2008年03月22日 | 映画

(写真は大阪の石切神社近くの水掛け不動。

 

 

記録だけ   2008年 映画ー14

 

   妖怪大戦争

 

 

 満足度 ★★★☆☆ ☆☆☆☆☆

 2005年 日本

 

 監督 三池崇史

 監修 水木しげる

     荒俣宏

     京極夏彦

     宮部みゆき

 

 キャスト

  神木隆之介 

  宮迫博之

  近藤正臣 

  阿部サダヲ 

  高橋真唯 

  栗山千明    

  菅原文太 

  豊川悦司 

  竹中直人   

 

 

 画面は日本の民間芸能から始まる。

 中国の麒麟舞に似た動き。

 ここはあえて獅子舞を表さず、民俗学的に深みを持たせようという目論見があらわだ。

 麒麟に頭を噛まれた子が、その年の麒麟送子として選ばれる。

 

 麒麟送子はもとは中国の 春秋の世に現れた中国最大の聖人・孔子誕生にまつわる麒麟出現の伝説による。

 また以前読んだ『麒麟とドラゴン』には、男児の成長と出世を願い毎年、麒麟舞が披露させると記されていたことを思い出す。

  他にも麒麟送子には、まだ子を持たぬ親の、男子赤子を願う意味合いもあるといわれている。

 

 さて、映画の話に戻るとしよう。

 ここのところ、少しだけだが 妖怪学や民俗学で遊んでいたため、この映画がどのように描かれているのかを知る意味合いで、眠けと戦いながら、ある意味必死の思いで見ていた。

 水木しげる氏をはじめ、荒俣宏氏、京極夏彦さん、宮部みゆきさんという豪華なメンバーの監修。

 これだけの方たちがそろえば、期待大だった、私。

 ところが 妖怪、幽霊、物の怪などの各分野を互いに知恵を絞りあい、出来上がった映画が、『妖怪大戦争』・・・・・・。

 つまりお互いが力を権勢し合うという現在日本の保守的体質が全面的にでた、映画内容とは別意で考えるならば、非常に日本らしさを感じる映画であり、そういう意味合いで おもしろく感じた。

 

    ま、いいんじゃないかぇ~~。

               どんとはらい

 

 

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『木々高太郎全集 3』  朝日新聞社

2008年03月21日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は能面です。)

 

 

記録だけ  2008年度 24冊目   

 

  

   木々高太郎全集 3

 

                   

 著者 木々高太郎

 朝日新聞社 

 上下有り・398ページ 980円

 昭和45年12月25日 第1版発行

 

 三月二十一日。

 先日から読み続けていた木々高太郎全集 3を読了。

 第1、第2にもまして第3も楽しめた。

 

 第3巻には次のような作品が載せられている。

  「風水渙」(1937)   

  「死人に口あり」(1937)   

  「秋夜鬼」(1937)   

  「柊雨堂夜話」(1938)   

  「永遠の女囚」(1938)   

  『笛吹 - 或るアナーキストの死』(1940)   

  「宝暦陪審」(1939)   

  「婚礼通夜」(1939)   

  「ベートーヴェン第十交響曲」(1940)   

  「ストリンドベルヒとの別離」(1940)   

  「東方光」(1941)   

  「葡萄」(1942)

 以上短編10と長篇1作品。

 短編においては「」、長篇は『』という形で今回も記録することにした。

 

 「秋夜鬼」は奥深く、じっくりと読み上げると、そうとうおもしろい。

 

 長篇の『笛吹 - 或るアナーキストの死』はかなりおもしろい。

 単行本にもなったこの作品は、春陽文庫版では「或るアナーキストの死」というサブタイトルが付けられたらしいが、果たしてそれだけとは言いがたい趣深い小説といえる。

 この作品も探偵小説というよりも、心情の揺れ動きが細やかに表現されており、純文学といって過言ではない。

 非常に出来のよい小説で、のめりこんで 楽しむことができる。

 

 「葡萄」の冒頭は良い。言葉の流れが美しい。

   「君は果物で何が好きかね」そうきかれれば、己(おれ)は躊躇なく答える。葡萄だ。あの粒々の、紫色の房だ。それが棚から垂れ下がっていれば、尚のこといい。葡萄だ。

 本書にしてこのたった三行だが、私の心をとらえる。

 読み進むにつれ、木々氏の内面的考えをかいま見ることが出来る。

 他の小説とはまた違った角度からとらえられた 特徴的な一作品と感じた。

 

 

 朝日新聞社 木々高太郎全集 全6巻(1970-1971)

1 「網膜脈視症」(1934)   

  「睡り人形」(1935)   

  「青色鞏膜」(1935)   

  「恋慕」(1935)   

  「就眠儀式」(1935)   

  「完全不在証明」(1935)   

  「医学生と首」(1935)   

  「幽霊水兵」(1935)   

  「決闘」(1936)   

  「胆嚢」(戯曲)(1935)   

  『人生の阿呆』(1936)   

  「印度大麻」(1936)

 

2 「女と瀕死者」(1936)   

  「無気味な老医]師」(1936)   

  「緑色の眼」(1936)    

  「盲いた月」(1936)    

  「死の乳母」(1936)    

  「夜の翼」(1937)    

  「ヴェニスの計算狂」(1937)    

  「大浦天主堂」(1937)    

  「女の政治」(1938)    

  「水車のある家」(1940)   

  「文学少女」(1936)   

  『折芦』(1937)   

  「女の復讐」(1937)  

  「蝸牛の足」(1937)   

  「封建性」(1937)

 

3 「風水渙」(1937)   

  「死人に口あり」(1937)   

  「秋夜鬼」(1937)   

  「柊雨堂夜話」(1938)   

  「永遠の女囚」(1938)   

  『笛吹-或るアナーキストの死』(1940)   

  「宝暦陪審」(1939)   

  「婚礼通夜」(1939)   

  「ベートーヴェン第十交響曲」(1940)   

  「ストリンドベルヒとの別離」(1940)   

  「東方光」(1941)   

  「葡萄」(1942)

 

4 「呪縛」(1946)   

  「新月」(1946)   

  「月蝕」(1946)   

  「無花果」(1947)   

  『彼の求める影』(1957)   

  「冬の月光」(1948)   

  「老人と看護の娘」(1949)   

  「人形師の幻想」(1949)   

  「少女の臀に礼する男」(1950)   

  「夜光」(1952)   

  「幻想曲」(1952)   

  「X重量」(1953)   

  「六条執念」(1954)

 

5 『わが女学生時代の罪』(1949)   

  「タンポポの生えた土蔵」(1954)   

  「千草の曲」(1955)   

  「バラのトゲ」(1955)   

  「オリムポスの山」(1956)   

  「異安心」(1957)   

  「細い眼の孫娘」(1958)   

  「悪い家系」(1959)   

  「銀の十字架」(1962)   

  「失踪」(1967)   

  「幻滅」(1968)

 

6 『随筆・詩・戯曲ほか』

 

 

 

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晋祠  中国・山西省・太原

2008年03月20日 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

 


 


   


 


   


 


   


 


   


 


   


 


   


 


 中国の山西省 太原にある晋祠(しんし)で、仁王を見た。


 三枚目は仁王の腹部分。


 腹部分の横顔は凛々しいが、真正面から見ると可愛らしい。


 


 腹部分の下写真は、晋祠の建築物。


 晋祠は周の武王の二男呉叔虞を祀っているとのこと。


 写真はその母を祀る聖母殿。


 柱部分には 宋代に造られた木彫りの八匹の龍がうごめく。


『呉叔虞の母は見得を切ったような仁王と龍に見守られて、安堵していることだろう・・・。』


と思いつつ 嫉妬を覚えた。


 


 たんじゅ~~ん!


 


 


 


 

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金屋の石仏 奈良・山の辺の道

2008年03月19日 | 美術・文様・展示物

 

 家族と山の辺の道を歩く。

 大神神社に向かう途中、『金屋の石仏』を見た。

 

   

 

 上は 金屋の石仏のお堂。

 中に石仏(重文)二体。

 平安時代。

 高さ2、2メートル。

 板石に立像が浮き彫りが、堂々と並べて立てられている。

 

 お堂前の説明文には、

 『この中におさめられた2体の石仏は、右が釈迦、左が弥勒と推定されています。高さ2.2メートル、幅約80センチの2枚の粘板岩に浮き彫りされたこの仏像は、古くは貞観(じょうかん)時代、新しくても鎌倉時代のものとされ、重要文化財の指定を受けています。右側の赤茶色の石は石棺の蓋であろうと思われます。』

と、記されていた。

 

 

   

 上写真は左側、弥勒菩薩の像

 

   

 そしてこちらは 右側。

 釈迦如来の像の部分写真。

 二体共に美しく穏やかな顔。

 

 

       

   A

 

      

   B

 

 A及びBは、お堂(収蔵庫)の床下に、無造作に置かれている。

 Aにいたっては、箒やちりとりが真横に収納されている。

 

 色彩から考えて、

   Aは 弥勒菩薩の像

   Bは 釈迦如来の像

に関係するのであろうか・・・。

 

 ただ、Aは 子どもを寝かすのがやっとといった奥行きの浅さであるし、また、Bには 明らかに柱の後のような四角形が認められる。

 よって、これらの形状から考えて 蓋の下の棺の部分とも一概には言いがたいと考えられる。

『台座か・・・?』

 一体何の部分なのだろうと考えると、瞬く間に時を刻む。

 

 私の場合の癖として、何をみても、美術的面白みとしてとらえる傾向にある。

 そして例に漏れず、今回見た金屋の石仏も私の心を魅了するべく石仏であった。

 少し調べてみると、棟方志功画伯も 良きと認めた金屋の石仏とのこと。

 充分に納得がいく。

          

          合掌

 

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平遥古城 (中国・山西省)

2008年03月17日 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

 

 

   

 

 

   

 

 

   

 

 

   

 

 

    

 

 

 平遥古城(へいようこじょう)の歴史は2700年前まで遡る。

 現在の平遥古城は14世紀(中国の明清時代)の建築様式と風貌をそのまま残す。

 古城内町は石炭やランプなども使われ、情緒あり。

 ロバでひいた荷車には石炭が詰まれ、各店や民家を回って売り歩く姿を見た。

 のどかだ・・・。

 

 古城の形は巨大な亀だと、ガイドブックにある。

   南の城門は亀の頭

   門外両側にある井戸は亀の目

   北の城門は亀の尻尾

   古城の東西二つの城は亀の足

だとのこと。

 

 ここ平遥古城は中国人観光客も多い。

 古城内に住んでいる方も、観光の方も 皆 喜々とした表情で、私の心を和ませた。

 

 

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『木々高太郎全集 2』 朝日新聞社

2008年03月16日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は先日、能楽講習で拝見させていただいた面です。)

 

 

記録だけ  2008年度 23冊目   

 

  

   木々高太郎全集 2

 

                   

 著者 木々高太郎

 朝日新聞社 

 上下あり・381ページ 980円

 昭和45年11月25日 第1版発行

 

 三月十五日 土曜日。

 先日から読み続けていた木々高太郎全集 2を読了。

 

 この本、近くの図書館で、蔵書無き本書を願いでて、借りていただいた三冊の内の二冊目。

 

 おもしろかった。

 結構読み応えがあり、一日のうちかなりの時間を読書でつぶし楽しんだが、それでも数日かかる。

 

 第2巻には次のような作品が載せられている。

   「女と瀕死者」(1936)   

  「無気味な老医師」(1936)   

  「緑色の眼」(1936)    

  「盲いた月」(1936)    

  「死の乳母」(1936)    

  「夜の翼」(1937)    

  「ヴェニスの計算狂」(1937)    

  「大浦天主堂」(1937)    

  「女の政治」(1938)    

  「水車のある家」(1940)   

  「文学少女」(1936)   

  『折芦』(1937)   

  「女の復讐」(1937)  

  「蝸牛の足」(1937)   

  「封建性」(1937)

 など、短編十四編と長篇一作品。

 短編においては「」、長篇は『』という形で今回も記録することにした。

 

『折芦』は単行本一冊の長さ程度。

「文学少女」にいたっては、私 いたって感激。涙しての感情移入。この作品、推理小説というより、純文学に近い。

 彼の感性は、やはり私の肌に合う。

 他にも意味深き「無気味な老医師」や印象的な「女の復讐」など、女にまつわる作品に心魅かれる。

 最後の「封建性」などは忠義を扱った作品で、強いては数十年前の現代社会にも通じる作品であったが、

『そうくるか・・・・・。』

と、木々氏の潔さに納得した。

 この「封建性」、また別の見方をするならば、文楽や歌舞伎の忠義を扱った主な演目を木々氏作風に変えるとどうなるか・・・と一人物思いにふけり、楽しむこと小一時間。

 それでも飽き足らず、今後も癖になりそうな予感がする。

 

 今回も、木々氏の感覚の切れのよさが、私をひきつけ、魅せられた。

 

 「あっぱれじゃぁ~~。」 

 

 

 朝日新聞社 木々高太郎全集 全6巻(1970-1971)

1 「網膜脈視症」(1934)   

  「睡り人形」(1935)   

  「青色鞏膜」(1935)   

  「恋慕」(1935)   

  「就眠儀式」(1935)   

  「完全不在証明」(1935)   

  「医学生と首」(1935)   

  「幽霊水兵」(1935)   

  「決闘」(1936)   

  「胆嚢」(戯曲)(1935)   

  『人生の阿呆』(1936)   

  「印度大麻」(1936)

 

2 「女と瀕死者」(1936)   

  「無気味な老医師」(1936)   

  「緑色の眼」(1936)    

  「盲いた月」(1936)    

  「死の乳母」(1936)    

  「夜の翼」(1937)    

  「ヴェニスの計算狂」(1937)    

  「大浦天主堂」(1937)    

  「女の政治」(1938)    

  「水車のある家」(1940)   

  「文学少女」(1936)   

  『折芦』(1937)   

  「女の復讐」(1937)  

  「蝸牛の足」(1937)   

  「封建性」(1937)

 

3 「風水渙」(1937)   

  「死人に口あり」(1937)   

  「秋夜鬼」(1937)   

  「柊雨堂夜話」(1938)   

  「永遠の女囚」(1938)   

  『笛吹-或るアナーキストの死』(1940)   

  「宝暦陪審」(1939)   

  「婚礼通夜」(1939)   

  「ベートーヴェン第十交響曲」(1940)   

  「ストリンドベルヒとの別離」(1940)   

  「東方光」(1941)   

  「葡萄」(1942)

 

4 「呪縛」(1946)   

  「新月」(1946)   

  「月蝕」(1946)   

  「無花果」(1947)   

  『彼の求める影』(1957)   

  「冬の月光」(1948)   

  「老人と看護の娘」(1949)   

  「人形師の幻想」(1949)   

  「少女の臀に礼する男」(1950)   

  「夜光」(1952)   

  「幻想曲」(1952)   

  「X重量」(1953)   

  「六条執念」(1954)

 

5 『わが女学生時代の罪』(1949)   

  「タンポポの生えた土蔵」(1954)   

  「千草の曲」(1955)   

  「バラのトゲ」(1955)   

  「オリムポスの山」(1956)   

  「異安心」(1957)   

  「細い眼の孫娘」(1958)   

  「悪い家系」(1959)   

  「銀の十字架」(1962)   

  「失踪」(1967)   

  「幻滅」(1968)

 

6 『随筆・詩・戯曲ほか』

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万里の長城  北京~山西省 (車窓から)

2008年03月15日 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

 

 北京に着いた二月下旬は、気温18度だった。

 寒いとふんで、コートを着ていた私たちは暑さに萎えた。

 

 北京から山西省に向かう途中、左は日本人、右が韓国人用のマンションの群れがクッキリと住み分けされている風で、印象深い。

 ガイドによると、意図的だという。

 

 北京から山西省・大同へ行く道、バスの窓から万里の長城がくっきりと見えた。

 やたら長く、宇宙から認められる道が納得できる。

 息子が、一人でぶらりと中国を訪れた際、万里の長城もよかったといっていたことを思い出す。

 但し、私、バスの中より眺めるばかりなり・・・一人旅の好きな息子には、いつも頭が上がらない・・・。

 

   

  

 

 万里の長城は 北京側は新しく作り直されたそうだが、山西省側は当時のまま残っている部分があると、ガイドの説明。

 

 古代中国では、外敵や異民族の侵入から国を防御するために万里の長城を作ったと、ガイドブックに説明がある。

 約3,000kmもある万里の長城、個々に作られたが、秦の始皇帝によって、統一整備してつなげられた。

 泥縄で調べた知識だが、わかったようなつもりになるから不思議だ。

 

   

 

 

 山西省では少数民族の衣装を着た人を見る機会には、あまり恵まれなかった。

 それでも二、三回は内蒙古自治区の人たち特有の衣装の方たちを見かけた。

 万里の長城を隔てて内蒙古自治区があることを考え、以前見た映画『MUSA』

http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/5afc87451d01629c1d10c5236d9d14c5

を思い浮かべて、物思いにふけっていた。

 バスの旅もなかなかいいものである。

 

 万里の長城は驚くばかりの長さだった。

 世界遺産に別れを告げた夕刻、山西省は肌寒い。

 日も暮れたころは寒く、一旦脱いだセーターや上着を再び着た。

 それでもとのがたは寒いらしく、ガイドに、暖房を入れるように願い出ておられた。

 この日、万里の長城の長さと温度差によって、中国は広いと再度感じた次第である。

 

 

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再び ジョニー・デップの 『エド・ウッド』   Ed Wood

2008年03月15日 | 映画
 
 

(写真はイランのエスファハーンで見た景色です。 

                    2007/9/19)

 

 

記録だけ   2008年 映画ー13

 

   エド・ウッド   Ed Wood

 

 

 満足度 ★★★★★ ★★★★★

 感動度 ★★★★★ ★★★☆☆

 お勧め度 ★★★★★ ★★★★☆

 1994年 アメリカ 

 

 監督 ティム・バートン

 原作 Rudolph Grey

 脚本 スコット・アレクサンダー

 

 キャスト

  ジョニー・デップ

  マーティン・ランドー

  サラ・ジェシカ・パーカー

  パトリシア・アークェット

  ジェフリー・ジョーンズ  他

 

 前回二人で見た『エド・ウッド』。

 今回は家族三人で、ジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』を再び見る。

 面白い。

 げらげらと笑い転げていた。

 映画のパロディーと、詩のように韻を踏んだ台詞がたまらなく魅力的。 

 重厚で丁寧なつくりは、二度みても、たまらなく楽しい映画といえよう。

 

 

 

ちなみに前回の乱鳥のエド・ウッド 記録(2008-10)です ↓

http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c2fd4df4f3bd3ea019eba141d310adae 

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諧調

2008年03月13日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 三月十三日。

 子どもたち二人がそれぞれ土産を持ち帰る。

 一人はミニ薔薇の鉢植え。こちらはどうやらどこぞやで、もらったとのこと。

 蕾つきたる黄色き薔薇は理知的で、よどんだ空気を引き締める。

 また一人は京都三条の明治屋で、ブラン(ふすま)二袋とライ麦粉を購入。

 ブランを加えたパンは我が家の好み。

 早速合計一㌔の粉を受け取り、HBとオーブンを使って、パンを焼く。

 がたごと と部屋中鳴り響くが、これもまた良し。

 我が家の諧調也と、ほくそ笑む。

 

 写真は加工無し。中国の山西省の とある道。

 平遥古城の近くで見た景色。

 

 

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『木々高太郎全集 1』  朝日新聞社

2008年03月12日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(写真は先日、能楽講習で拝見させていただいた、貴重な翁の面です。悪戯するとは不謹慎ですね。申し訳ございません・・・。)

 

 

記録だけ  2008年度 22冊目   

 

  

   木々高太郎全集 1

 

                   

 著者 木々高太郎

 朝日新聞社 

 上下・398ページ 980円

 昭和45年10月25日 題1版発行

 

 三月十二日、先日から読み続けていた木々高太郎全集 1を読了。

木々高太郎全集 全6巻は近隣の図書館三館には蔵書がない。

 申し訳ないと思いつつも、図書館にお願いし、他図書館から全集を借りていただく。

 親切が身に染み入る。

 

 さてとりあえず3巻お借りしたが、398ページといった暑さで、おまけに上下に分かれている。

 結構読み応えがあり、時間を使って楽しめた。

 

 第1巻には次のような作品が載せられている。

  「網膜脈視症」(1934)   

  「睡り人形」(1935)   

  「青色鞏膜」(1935)   

  「恋慕」(1935)   

  「就眠儀式」(1935)   

  「完全不在証明」(1935)   

  「医学生と首」(1935)   

  「幽霊水兵」(1935)   

  「決闘」(1936)   

  「胆嚢」(戯曲)(1935)   

  『人生の阿呆』(1936)   

  「印度大麻」(1936)

 以上短編10と長篇1作品。

 短編においては「」、長篇は『』という形で今回記録することにした。

 

『人生の阿呆』は単行本一冊の長さ程度。

 もとはといえば、木々高太郎作品は ちくま文学の森の『恐ろしい話』の中に含まれていた「網膜脈視症」http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/d2cc0ab074848e4117525df0a87f4d30に心を奪われ、読みたくなった作家。

 日本のコナン・ドイルとも言われていたらしい。

 それはさておき、彼の感性は私の肌に合う。

 推理小説のはずだが、なんだか見逃せない。

 内容は全く違う方向から表現されているのだが、なんだか若干、私の好きな安部公房氏と共通するようにも感じる。

 感覚の切れのよさが、私をひきつける。

 

 二週間で 木々云々全集を3巻全て読めるかどうかは自信はない。

 が、まぁ、このままマイペースで読み進めて楽しいひと時を過ごすとしよう・・・。

 

 

 

 朝日新聞社 木々高太郎全集 全6巻(1970-1971)

1 「網膜脈視症」(1934)   

  「睡り人形」(1935)   

  「青色鞏膜」(1935)   

  「恋慕」(1935)   

  「就眠儀式」(1935)   

  「完全不在証明」(1935)   

  「医学生と首」(1935)   

  「幽霊水兵」(1935)   

  「決闘」(1936)   

  「胆嚢」(戯曲)(1935)   

  『人生の阿呆』(1936)   

  「印度大麻」(1936)

 

2 「女と瀕死者」(1936)   

  「無気味な老医]師」(1936)   

  「緑色の眼」(1936)    

  「盲いた月」(1936)    

  「死の乳母」(1936)    

  「夜の翼」(1937)    

  「ヴェニスの計算狂」(1937)    

  「大浦天主堂」(1937)    

  「女の政治」(1938)    

  「水車のある家」(1940)   

  「文学少女」(1936)   

  『折芦』(1937)   

  「女の復讐」(1937)  

  「蝸牛の足」(1937)   

  「封建性」(1937)

 

3 「風水渙」(1937)   

  「死人に口あり」(1937)   

  「秋夜鬼」(1937)   

  「柊雨堂夜話」(1938)   

  「永遠の女囚」(1938)   

  『笛吹-或るアナーキストの死』(1940)   

  「宝暦陪審」(1939)   

  「婚礼通夜」(1939)   

  「ベートーヴェン第十交響曲」(1940)   

  「ストリンドベルヒとの別離」(1940)   

  「東方光」(1941)   

  「葡萄」(1942)

 

4 「呪縛」(1946)   

  「新月」(1946)   

  「月蝕」(1946)   

  「無花果」(1947)   

  『彼の求める影』(1957)   

  「冬の月光」(1948)   

  「老人と看護の娘」(1949)   

  「人形師の幻想」(1949)   

  「少女の臀に礼する男」(1950)   

  「夜光」(1952)   

  「幻想曲」(1952)   

  「X重量」(1953)   

  「六条執念」(1954)

 

5 『わが女学生時代の罪』(1949)   

  「タンポポの生えた土蔵」(1954)   

  「千草の曲」(1955)   

  「バラのトゲ」(1955)   

  「オリムポスの山」(1956)   

  「異安心」(1957)   

  「細い眼の孫娘」(1958)   

  「悪い家系」(1959)   

  「銀の十字架」(1962)   

  「失踪」(1967)   

  「幻滅」(1968)

 

6 『随筆・詩・戯曲ほか』

 

 

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雲崗石窟  中国 山西省・大同

2008年03月12日 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

 

    雲崗石窟

    (中国 山西省・大同)

 

 北京から西にバスを走らせると、右手には、万里の長城が続く。

 驚くばかりの長さと立派さ。

 宇宙ロケットから万里の長城が認められることにも、納得がいく。

 

 北京近くは修復された万里の長城も、山西省付近では昔のままの姿が残されているという。

 

 最も大きな石仏は、17メートル。

 奈良の大仏が14,7メートルであることを考えると、相当でかい。

 

   

 

 雲崗石窟の岩には、写真のような穴が多く開けられており、中には仏像などが細やかな細工で彫られている。

 仏像は平面的なものや立体的なもの、彩色したもの、きれいな姿で残っているものや 形をとどめないような風化したものなど、各種残っている。

 

   

 

 ツアーではきれいな形で残された重要な部分とされる題一窟から二十窟までを案内される。

 

   

 

 六窟の釈迦の一生を描いた石窟や、写真上(十二窟)の音楽を奏でる石窟は物語性を感じた。

 

   

 

 雲崗石窟は、北魏仏教文化の隆盛を今に伝える貴重な文化遺産だという。

 敦煌の莫高窟、洛陽の龍門石窟とともに中国三大石窟のひとつに数えられ、今や世界に輝く貴重な文化遺産とされる。

 結構近い龍門石窟を訪れる旅を選ぶべきだったと後悔している。

 

 写真のような素晴らしい浮き彫りがどこの石窟を除いても、姿を現す。

 雲崗石窟もイランの浮き彫りとはまた違った面白みがあった。

 

   

 

 ツアーでご一緒させていただいた知性的な殿方が、大きな仏像の両側左右の小さな仏像を比較して、

「どうして、右側が風化が強く、左がきれいな形でのこっているのでしょうか・・・。」

と質問される。私は、

「風向きの関係でしょう・・・。」

と、その場を取り繕ったが、正しいかどうか、その時点では確信は持てずにいた。

 メインの石窟前は強風と黄砂が吹く。

 

   

 

 20窟までを一通り見た後、短いが自由行動が与えられる。

 洞窟は全部で53窟とも言われている。

 

 私はみんなから離れ、一人持ち前の好奇心で なんとか西のはずれまで ダッシュ。

 西部窟群を楽しむ。

 そこは細かな洞窟が掘られ、風化したものも多い、細かな仏像の浮き彫りが認められた。

 道は至って細い。

 急な小さな崖を西側から恐ろしい強風が吹きつけ、吹き荒れる。

 

『右壁面仏像の風化の原因は、この風によるものか・・・。』

と、とりあえず一人納得。

 わかったような錯覚に陥り、夫に知らせる。

 彼は足早に写真下の小道を途中まで行き、自分の目でも確認。

 

   

 

 あわただしく走り回り、私たち家族は雲崗石窟の偉大さと素晴らしさに、後ろ髪を引っ張られる思いで、その場を離れた。

 

 西部窟群を含めて 雲崗石窟をしっかりと見たいならば、最低二日間は欲しいと、痛感。

 雲崗石窟も素晴らしい遺跡のひとつだと感じる。

 飛鳥文化の源流ともいわれる雲崗後期の諸仏像を今のままの保存状態で後世にも残すことが出来るならば、どれだけ素晴らしいことだろうか。

 雲崗石窟の潔いほどの立派さを感じると共に、何かてを打たねばならないのではないかと考えさせられる、今回の遺跡見学であったことを付け加えておく。

 

  

中国文化というHPに、雲崗石窟説明のページがありました。http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter22/chapter220103.htm

 

 

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