乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

ナクシェロスタムで出会ったかわいい女の子  2009年イラン(写真3枚)

2009年10月31日 | イラン2007~2010(6回)

 
  ナクシェロスタムで出会ったかわいい女の子

     

       2009年9月 イラン

 

 

 


 走り回っている女の子。まるでおとぎの国から出てきたような子だった。

 彼女は末っ子。四番目にできた家族の待望の女の子。

 彼女の一番上のお兄ちゃまは大学生。将来コンピュータープログラム関係の仕事に就きたいという。

 お兄ちゃまに自慢はお父様と末っ子の彼女。

 お父様は医者だと誇らしげに教えてくれた。

 イランで自らの職業を教えてくれる人たち全員が医者であった事に驚く。

 イランでは特に特別の意味を持つ職業なのだろうか・・・。


 はにかみ屋さんのかわいい二人の女の子。

 お揃いのお洋服はオレンジ色を取り入れ、同化した色彩が照りつけられた砂地によく似合う。

 彼女達のお父様が、
「うちの子もとってくれ。」
とにこやかに近づいてこられた。

 中国とは逆で、イランでは自分の子どもの写真を撮られる事を好まれる場合が多い。

「うちの子もとってくれ。」
と歩み寄る陽気なイランの父母の多さは私たちの予想を遥かに超える。

 こども 万歳! 親ばか 万歳!

 こどもたちとほわんとしたひとときを過ごすのは好き。

 こどもたちを見て、我が子の幼い頃を思い浮かべる私のイランでの楽しみの一つかもしれない。
 

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映画『心の日月』 原作 菊池寛 大映映画 若尾文子  船越英二 菅原謙二(記録のみ)

2009年10月31日 | 映画



      映画『心の日月』




★★★★★ ★★★★☆

日本 大映映画 1954 白黒

原作 菊池寛

キャスト

 若尾文子

 菅原謙二

 立山美雪

 船越英二

 村田知栄子



 悲しいほどのすれ違い。そしてじれったいまでもの時間をへての再開。

 白黒の画面と、当時の服装や髪型や話し方の品の良さは、まるで良質のフランス映画を眺めているように感じる。

 たいへん楽しめる素晴らしい作品だと私は思う。


 今回も映画記録のみにて失礼申し上げます。


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映画『女系家族』 原作 山崎豊子  中村鴈治郎(出演映画記録あり) 浪花千栄子 他

2009年10月30日 | 映画



    『女 系 家 族』 



 ★★★★★ ★★★★☆

 1963年 日本 大映映画


監督 三隅研次

原作 山崎豊子


キャスト

中村鴈治郎

若尾文子

高田美和

鳳八千代

京マチ子

田宮二郎

浪花千栄子

北林谷栄

 中村鴈治郎と浪花千栄子がぐいぐいとみんなを引っ張り、迫力のある秀作。

 私の好気な映画だった。

 今日は記録のみにて失礼致します。



  二代目 中村鴈治郎 出演映画

1941.02.09 芸道一代男  特作プロ  ... 中村鴈治郎
1956.11.28 新平家物語 静と義経  大映京都  ... 麻鳥
1957.03.06 大阪物語  大映京都  ... 仁兵衛(近江屋の主人)
1957.04.30 源氏物語 浮舟  大映京都  ... 帝
1957.07.13 「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」より 琴の爪  東宝  ... 堀内伝右衛門(細川家家来)
1957.09.17 どん底  東宝  ... 六兵衛(大家)
1957.11.15 女殺し油地獄  東宝  ... 父 徳兵衛
1958.01.09 月姫系図  大映京都  ... 水町三郎太
1958.02.12 江戸っ子祭  大映京都
1958.03.25 ふり袖纏  大映京都  ... 荻江露友
1958.04.01 忠臣蔵  大映京都  ... 垣見五郎兵衛
1958.05.25 大阪の女  大映東京
1958.06.15 暖簾  宝塚映画  ... 浪花屋利兵衛
1958.08.19 炎上  大映京都  ... 田山道詮老師
1958.09.02 鰯雲  東宝  ... 本家の当主・和助
1958.10.01 日蓮と蒙古大襲来  大映京都  ... 道善(日蓮の老師)
1958.11.01 娘の冒険  大映東京
1958.11.15 伊賀の水月  大映京都
1958.11.29 弁天小僧  大映京都  ... 松平左近持監
1958.12.21 大映の水戸黄門漫遊記  大映京都  ... 水戸黄門光圀
1959.01.28 かげろう笠  大映京都  ... 荻須湍庵
1959.06.23 鍵  大映東京  ... 剣持
1959.08.29 お役者鮫  大映京都
1959.10.25 日本誕生  東宝  ... 景行天皇
1959.11.17 浮草  大映東京  ... 嵐駒十郎
1959.12.27 初春狸御殿  大映京都  ... 家老狸右衛門
1960.01.03 二人の武蔵  大映京都
1960.01.14 千姫御殿  大映京都  ... 徳川家康
1960.01.14 女経 第三話 恋を忘れていた女  大映東京  ... 五助
1960.01.15 女が階段を上る時  東宝  ... 実業主・郷田
1960.04.13 ぼんち  大映京都  ... 春団子
1960.04.27 大江山酒天童子  大映京都  ... 大和守一正
1960.06.26 怪談累が淵  大映京都  ... 皆川宗悦
1960.08.09 夜は嘘つき  大映東京
1960.09.09 白子屋駒子  大映京都  ... 白子屋庄三郎
1960.09.28 気まぐれ鴉  大映京都
1960.11.22 忠直卿行状記  大映京都  ... 徳川家康
1961.03.15 天下あやつり組  大映京都
1961.03.21 好色一代男  大映東京  ... 夢介
1961.04.05 おけさ唄えば  大映京都
1961.05.17 桜田門  大映京都
1961.05.24 東京おにぎり娘  大映東京
1961.10.11 色の道教えます 夢三夜  大映京都
1961.10.29 小早川家の秋  宝塚映画  ... 小早川万兵衛
1961.11.01 釈迦  大映京都  ... アショカ王
1961.12.17 続悪名  大映京都  ... 松島一家の元締
1962.01.21 雁の寺  大映京都  ... 岸本南嶽
1962.04.06 破戒  大映京都  ... 蓮華寺住職
1962.05.12 仲よし音頭 日本一だよ  大映東京  ... 父源太郎
1962.06.03 お吟さま  にんじんくらぶ  ... 千利休
1962.06.24 怪談夜泣き燈籠  大映京都  ... 留蔵
1962.06.28 夜の傾斜  宝塚映画  ... 市原多聞
1962.07.29 江戸へ百七十里  大映京都  ... 塚越助左衛門
1962.08.12 長脇差忠臣蔵  大映京都
1962.09.30 殺陣師段平  大映京都  ... 市川段平
1962.11.01 秦・始皇帝  大映東京  ... 徐福(方士)
1963.01.13 雪之丞変化  大映京都  ... 土部三斎
1963.02.07 破れ傘長庵  大映京都
1963.02.07 温泉芸者  大映東京
1963.03.31 女系家族  大映京都  ... 宇市
1963.05.15 残酷の河  松竹京都
1963.07.27 ぐれん隊純情派  大映東京  ... 雁右衛門
1963.09.14 丼池  宝塚映画
1963.10.05 越前竹人形  大映京都  ... 船頭
1963.11.24 われらサラリーマン  宝塚映画  ... 小室清造
1964.01.09 温泉女医  大映東京
1964.07.11 忍びの者 霧隠才蔵  大映京都  ... 徳川家康
1965.01.06 怪談  文芸プロ=にんじんくらぶ  ... 出版元
1966.03.12 エロ事師たちより 人類学入門  今村プロ
1966.11.13 湖の琴  東映京都
1974.04.24 悪名 縄張荒らし  勝プロ  ... 長政の元締
1975.05.24 ある映画監督の生涯 溝口健二の記録  近代映画協会
1980.05.24 徳川一族の崩壊  東映京都  ... 中山忠能

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ゾロアスター教の墓地  イラン・ヤズドの沈黙の塔・すぐ側 (写真6枚)

2009年10月30日 | イラン2007~2010(6回)
 

 

 

 

 

  


       ゾロアスター教の墓地  (ヤズドの沈黙の塔 すぐ側)


 ヤズドでは沈黙の塔に行く。

 地球の歩き方によると管理者も無く好きに入れるという。

 タクシーで着いたところは緑の門構え。

 初めはだめだともったいぶった管理者は、支部鮪といった態度で門を通してくれる。

 だが それは、墓地の門であった。

 墓地の門の管理人はチップが目当てであり、タクシーの運転手は墓地近くの多少できた塀の影が目的であった。

 皆が自分の都合で動いている事がわかる。


 イランでは生活の厳しい方もおられる。

 また、地球の歩き方の載っている方向には影一つない砂漠の荒野。

 これを考えると、管理人とて生活がかかっているし、運転手にしてもさすほどにひどいヤズドの9月の太陽を思うと,私たちも多少の出費や遠くなる労力は納得がいくというものだ。

 彼らにはこれっぽっちっも悪意のかけらは無い。


 ヤズドの沈黙の塔には二日間行く事になる。

 初めの日は高い塔を登る。

 だが、上まで登った私は高い沈黙の塔の中に入り込めない。

 足場が悪く、到底登れないと断念。

 夫のみが中に入る。

 待たされる事半時間。

 照りつける太陽。暑い。砂漠の日差しは私の肌のみならず、心まで突き刺した。

 暑くてつらい時間だった。

 だが、上から見る景色はすこぶる良い。この景色に、私の不毛な感覚は救われた。

 ここで鳥葬が行われていたのかと思うと不思議な感じがするくらいに明るい見晴らし。


 私は疲れていた。

 暑くて疲労した私はその日はタクシーで他にも2ヶ所見る予定だったため、とりあえず沈黙の塔を後にした。

 悶々とした気分。

 私は沈黙の塔の中を見てないのだ。



 翌日、夫にたのんで懲りずに沈黙の塔に行く。

 彼も低い塔が気になっていたようで、快く引き受けてくれた。

 私は低い塔に登り、こちらは幸運にも難なく中まで入ることができた。

 満足である。

 
 上のような経過で、私は二度も墓地の門をくぐる事となる。


 墓地はゾロアスター教のものであった。

 ゾロアスター教で有名なアフラマズダ(ゾロアスター教の最高神=鳥のようなマーク)は塔や墓に記されている。

 アフラマズダはナクシェロスタムの浮き彫りやチャクチャクの中やチャクチャクの管理人の帽子や拝火殿や その他 多くの所で見た事がある。


 ゾロアスター教の墓地は静かだった。

 塔?を中心として、墓は整って広がっていた。

 塔の側には木も植えられている。

 だが、基本は土と砂と小石。

 時折羽ばたくカラス。

 供え物は無い。

 ただ読めないペルシャ文字とアフラマズダの描かれた美しい墓だけが目に映る。


 ゾロアスター教の墓地について家族に問うてみた。

 話が長い。

 なんだか難しいので、ウィキペディアでゾロアスター教について調べてみたが、深すぎて理解できない。


 今回はゾロアスター教の墓地の写真だけを載せる事にした。

 近日中に沈黙の塔などの写真もUPする予定。懲りずに見ていただけましたら、嬉しいです。



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テレビをみて芝居を思う【くまもとの“風”-ふるさとからあなたへ▽本日旗揚げ!玄海劇団~産山村の段】

2009年10月30日 | 舞台・音楽 雑感メモ


   くまもとの“風”-ふるさとからあなたへ▽本日旗揚げ!玄海劇団~産山村の段




 昨日、興味深いテレビを見た。

 人口1700人の村、産山村の人たちがこの夏、「玄海劇団」を結成したという。

 ◯衆演劇役者である玄海竜二が 演劇経験の無い熊本の産山村民13人を集め、産山村で芝居をやってのけるといった試みの番組であった。

 玄海竜二という役者は5、6年前にもテレビで芝居を見た事があった。

 妻子をうまく芝居に入れた結構技術の高い演技力の旅役者に感心し、名だけは覚えていた。


 玄海竜二の指導のもと、一ヶ月の練習は行われた。

 初めての演技とあって、村人は真剣な面持ち。それにも増して座長を務める玄海竜二の額の汗は真剣そのものだった。


 玄海竜二は色々な事柄を短い番組の中で語られていた。

 演じるといった姿勢の、根本的に大切な事柄を話されていたように感じる。

 大きな舞台とはまた違った小芝居における肌で感じた感覚と理念は、彼の旅役者としての指針なのかもしれない。


 以前、年老いた旅役者から,芝居の稽古について詳しくお聴きした事がある。

  練習はすわったまま

  小1時間もかからない

  台本はない

  口伝えで教え,覚える。

  見よう見まねで覚えている

  芝居が始まると体が覚えていて次々と台詞が出てくる

 (他、多くの練習風景についてお聴きしたが、ここでは省かせていただきます)

などであった。

 同じ◯衆演劇という芝居であったも、劇団や座長の取り組みにより色々な練習法はあるのだろうとは思う。


 今回のくまもとの“風”-ふるさとからあなたへ▽本日旗揚げ!玄海劇団~産山村の段の映像でも、練習風景は30分。

 筋書きを持った指導者のような人がおおむねの話の展開を話す。

 玄海劇団はそれを理解し、後はアドリブに任せるという。

 ただ、映像では玄海劇団を村人が熊本のどこかのセンターに見に行くという設定。

 村人が楽屋を訪れ、練習風景を見ている。

 テレビでは指導者のような人が玄海劇団だけに稽古を付けるといった場面を村人たちが見ていた。

 そこには他の座員の姿はなかった。

 これがテレビの問題点だ。あり得ない事をまことしやかに放映。

 玄海劇団と村人の真剣さまでもが色あせてしまう。

 
 演劇は無事終了。

 2、3の玄海劇団員に支えられ、村人は真剣な面持ちで演じたれていた。

 観客の涙のこぼれる目。私は、村人の演じ手に関わる まわりの人々の感無量な表情に心うたれた。


 玄海劇団の最後の言葉、
「芝居はここまでにして下さいよ。また、明日から 生キャラメルを作って下さい。」
に暖かさと愛情を感じ、また重く感じた。

 玄海劇団は村人の今後の行く末を案じ、いち早く的確な言葉をのべたのだろう。

 流石、プロの旅役者座長だと感じた。


 そう、芝居は難しい。

 難しい芝居を芝居4倍で演じる舞台を、私はこれからも愛し続けるだろう。


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坂田藤十郎さま  平成21年度の文化勲章受章、おめでとうございます。

2009年10月29日 | 舞台・音楽 雑感メモ




 私の好きな役者さんの一人の坂田藤十郎さま*^^*

 平成21年度の文化勲章受章,おめでとうございます。

 新春歌舞伎の昼夜を楽しみにしております。

 
 中村勘太郎さんのご結婚も重なり、わたくし 嬉しい思いでごじゃりまする。はい!#^^#




 (写真は京都の八坂神社の大型絵馬

  坂田藤十郎襲名披露の絵や名前もかけられている。

  幸運な事に襲名の京都顔見せは昼夜楽しませていただきました。@^^@)





  【松竹株式会社ネット配信 歌舞伎美人より転載させていただきました事を、御断りさせていただきます。▼】

 
     藤十郎、文化勲章の喜びを語る


 10月27日、平成21年度の文化勲章受章者が発表され、その一人として選ばれた坂田藤十郎が、受章の喜びやこれからの目標について語りました。



 受章のお話を聞いた時はびっくりしたと同時に、若い頃お稽古していただいた先生方の顔が頭に浮かんで参りまして、心から御礼を申しました。また、10月の「歌舞伎座さよなら公演 芸術祭十月大歌舞伎」では、『河庄』の治兵衛を勤めさせていただきましたが、祖父や父からも「しっかりやれよ」と励まされたような気持ちになりました。

 肉体の滅びるまでやり続けなければいけないという決意、また生まれ変わらせていただいたような気持ちも、新たに湧いて参ります。幸いなことに現在歌舞伎は世代ごとに充実しバランスも良く、とても良い状態ではないでしょうか。皆が一生懸命に歌舞伎を愛していけば、今以上に歌舞伎が栄える事になると思います。これからは文化がさらに大切にされる時代になると思います。400年続いている歌舞伎の持つ伝統の良さを皆で大事に守っていきたいと思っております。

                  2009年10月28日
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映画『長い散歩』 緒形拳 津川雅彦 高岡早紀 松田翔太 (記録だけ)

2009年10月29日 | 映画



     映画『長い散歩』



 ★★★★★ ★★★☆☆

日本

監督・企画・原案: 奥田瑛二

 キャスト
緒形拳
高岡早紀
杉浦花菜
松田翔太
原田貴和子
木内みどり
津川雅彦
奥田瑛二


 緒形拳さん最後の映画があると言うので、家族三人でテレビに向う。

 細やかな難点やくどい説明が気になったものの、緒形拳さんが出ているとだけあって面白く感じた。

 短いですが、今日は記録のみにて失礼致します。



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『報恩講』&『お伊勢講』&『富士講』から、ふと京都を思う

2009年10月28日 | 民俗考・伝承・講演


       『報恩講』&『お伊勢講』&『富士講』から ふと京都を思う




『富士講』や『お伊勢講』については宮田登先生や他の先生方の本にも度々出てくる。

 今回、 奈良の佐味田教行寺近くの電信柱に 浄土真宗の『報恩講』の案内が張られていた。

 浄土真宗の『報恩講』は奈良ならず京都でも張り紙を見たような気がする。


 奈良の保存地区である今井町は江戸時代からの家ものこされている。

 歴史の息吹が感じとれる今井町では『報恩講』以外にも何種類かの◯◯講の張り紙や案内があった。

 ◯◯講とは地域に根づいたものなのだろうか?或は檀家等が集まるのだろうか?

 いずれにせよ、宮座(山坊を例に挙げると、文級4年以前に住んでいた人。宮座は各地に残るらしい)や村祭とともにわたしには縁のない未知の世界である。

 奈良ではたとえ旧村に住んでいたとて、宮座以外の家をよそ者と呼び、祭や他の行事に参加できないという。

 新興住宅のベッドタウンに住み、また宮座の文級4年などから考えると、私などはピチピチのよそ者である。

 したがって、祭や地蔵盆は参加する場所はない。

 おそらく次の土日は奈良のどこかしこで祭が行われるだろう。

 近くに住む旧村の方に誘われはしたが、到底祭に参加できるものではない。

 地蔵盆の盛んだった京都になれ親しんだ夫や私にとっては、寂しいものである。


 夫も私も奈良生まれではなく、生粋の京都生まれの京都育ち。

 奈良は好きだが、100%の奈良人に慣れないのはよそ者である引け目の由縁であろうか・・・。

 月に1度は京都に足を運ぶのはそのせいかもしれない。

 

 子どもが京都の大学を選び、今春卒業した時の寂しさは身につまされた思いがしたものである。

 来年は京都に縁あって、行く機会も増える事であろう。

 私の心は奈良と京都を行き来する思いをぬぐい去れない。



 12月は南座の顔見せがある。

 そして毎年この時期になると、京都を思い浮かべる。

 先日参加したフィールドワークのお話の中で宮座なども話さた。

 歩く途中に『報恩講』の張り紙を見つけ、昨日行ったMOTOISE(大江山近く)から『報恩講』&『お伊勢講』&『富士講』を思い浮かべ、ふと京都を懐かしむ心が生じた私なのだろう。
 

  

▼ 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、『報恩講』&『お伊勢講』&『富士講』を転載させていただきました。(2009年10月28日現在) ▼

  

     報恩講

報恩講(ほうおんこう)とは、浄土真宗の開祖(宗祖)である親鸞(1173~1262) の祥月命日の前後に、宗祖に対する報恩謝徳のために営まれる法要のこと。 本願寺三世覚如が、親鸞の三十三回忌に『報恩講私記(式)』を撰述した事が起源であるとされる。 浄土真宗の僧侶・門徒にとっては、年中行事の中でも最も重要な法要である。なお、荘厳も、最も重い形式となる。
本山で営まれる法要は、「御正忌報恩講」と呼ばれ、祥月命日を結願(最終日)として一週間に渡り営まれる。(日程は後述。)
別院・各末寺においては、「お取越」もしくは「お引上」と呼ばれ、「御正忌報恩講」とは日付を前後にずらして1~3日間、ないし5日間営まれる。
門徒のお内仏(仏壇)の前においても、所属寺院(お手次寺)の住職を招いて「お取越」・「お引上」にて営まれる。「門徒報恩講」とも。
日付をずらす理由は、すべての僧侶・門徒は御正忌報恩講期間中に上山する(本山に参拝する)のが、慣わしとされるためである。
目次 [非表示]
1 宗派別の御正忌報恩講の日程
1.1 各派によって日程が異なる理由
2 遠忌法要
3 外部リンク
4 関連項目
宗派別の御正忌報恩講の日程 [編集]

1月9日~16日…浄土真宗本願寺派(お西)・真宗高田派
10月25日~28日…真宗浄興寺派
11月21日~28日…真宗大谷派(お東)・真宗佛光寺派・真宗興正派・真宗木辺派・真宗誠照寺派・真宗三門徒派・真宗山元派
11月23日~28日…浄土真宗東本願寺派
12月21日~28日…真宗出雲路派

各派によって日程が異なる理由 [編集]
親鸞聖人が入滅された日は、弘長2年(1262年)11月28日(グレゴリオ暦…1263年1月16日)である。宗派により、旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合(11月28日)と新暦に換算した1月16日に営まれる場合があるからである。(真宗出雲路派は、月遅れの形をとる。)

  

     お伊勢講

当時の庶民にとって伊勢までの旅費は、相当な負担であった。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難である。そこで生み出されたのが「お伊勢講」と言う仕組みである。「講」の所属者はそれぞれお金を出し合い、それを合わせて旅行費に充当する。積立金から「講」に所属する農地や財産を置く場合があった。誰が行くかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、「講」の全員がいつかは当たるよう配慮されていた様である。くじ引きの結果、選ばれた者は、「講」の代表として伊勢へ旅立つ、旅の期間は農閑期が利用される。
出発にあたっては盛大な見送りの儀式が行われる。また地元においても道中の安全が祈願される。参拝者は道中観光しつつ、伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓いや新品種の農作物の種子、松阪や京都の織物などの伊勢近隣や道中の名産品や最新の物産(軽くてかさばらず、壊れないものがよく買われた)を購入する。無事帰ると、帰還の祝いが行われる。江戸の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによるところが大きいだろう。
またこの「お伊勢講」は平時においては神社の氏子の協同体としても作用していた。「お伊勢講」は畿内では室町中期から見られた現象だが、全国的になったのは江戸以降である。江戸時代が過ぎてもこの仕組みは残った。なお戦後は講を賭博行為とみなしたGHQにより解散させられた(無尽講を参照)。しかし、地域によっては現在でも活動を続けている伊勢講もある。
伊勢講が無かった地域では、餞別が旅費の大半を占めていた。

  

     富士講

東口本宮冨士浅間神社(静岡県小山町須走)にある富士講の記念碑。元々は江戸・麻布の富士塚に富士登山を記念して建てられていたが、講の解散時に須走へ移された。
富士講(ふじこう)は、富士山とそこに住まう神への信仰を行うための集団である。浅間講(せんげんこう)ともよばれる。広義には富士信仰に基づく講集団一般を指し、狭義には江戸を中心とした関東で流行したある富士信仰の一派によるものを言う。
目次 [非表示]
1 歴史
2 活動
3 人穴
4 八海めぐり
4.1 内八海
4.2 外八海
5 関連項目
6 参考文献
歴史 [編集]

狭義の富士講は、戦国時代から江戸時代初期(16世紀後半から17世紀前半)に富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)で修行した角行藤仏(天文10年(1541)-正保3年(1646)。後世、長谷川角行・藤原武邦とも)という行者によって創唱された富士信仰の一派に由来する。享保期以降、村上光清や食行身禄(寛文11年(1671)-享保18年(1733))によって発展した。身禄は角行から五代目(立場によっては六代目とする)の弟子で、富士山中において入定したことを機に、遺された弟子たちが江戸を中心に富士講を広めた。角行の信仰は富士山の神への信仰であるが、それ自体は既存の宗教勢力に属さず、従って食行身禄没後に作られた講集団も単独の宗教勢力である。
一般に地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っており、富士山への各登山口には御師の集落がつくられ、関東を中心に各地に布教活動を行い、富士山へ多くの参拝者を引きつけた。特に甲斐国(現山梨県)の富士吉田は北口本宮冨士浅間神社とその登山口(現:吉田口遊歩道)があり、江戸・関東からの多くの参拝者でにぎわい、御師の屋敷が軒を連ねていた(最盛期で百軒近く)。富士講は江戸幕府の宗教政策にとって歓迎された存在ではなく、しばしば禁じられたが、死者が出るほど厳しい弾圧を受けたことはなかったようである。
明治以後、富士講の一派不二道による実行教、苦行者だった伊藤六郎兵衛による丸山教、更に平田門下にして富士信仰の諸勢力を結集して国家神道に動員しようとした宍野半による扶桑教など、その一部が教派神道と化した。
また、明治以後、特に戦後、富士山や周辺の観光地化と登山自体がレジャーと認識されるようになったため、富士登山の動機を信仰に求める必要がなくなり、富士講は大きく衰退した。平成18年現在 、十数講が活動し、三軒の御師の家(宿坊)がそれを受入れている。
活動 [編集]

富士講の活動は、定期的に行われる「オガミ(拝み)」とよばれる行事と富士登山(富士詣)から成っている。オガミにおいて、彼らは勤行教典「オツタエ(お伝え)」を読み、「オガミダンス(拝み箪笥)」とよばれる組み立て式の祭壇を用いて「オタキアゲ(お焚き上げ)」をする。また信仰の拠りどころとして富士塚という、石や土を盛って富士山の神を祀った塚(自然の山を代用することもある)を築く。現在、江古田(東京都練馬区)、豊島長崎(同豊島区)、下谷坂本(同台東区)、木曽呂(埼玉県川口市)の4基の富士塚が重要有形民俗文化財に指定されている。富士詣は彼らの衰退とともにほとんど行われなくなったが、現在でも彼らを富士山で見ることができる。
上に述べたものとは別に、修験道に由来する富士信仰の講集団があり、彼らも富士講(浅間講)と名乗っている。中部・近畿地方に分布しているが、実態は上で述べたようなものと大きく異なり、富士垢離とよばれる初夏に水辺で行われる水行を特徴とする。また、富士山への登山も行うが大峰山への登山を隔年で交互で行うなど、関東のものには見られない行動をとる。
人穴 [編集]

角行が修行した地である人穴(静岡県富士宮市)は、富士講の人々にとっては浄土であり、富士講信者は富士参詣(登山)をすませると人穴にやって来たとされている。 後に富士講の人々は人穴に墓を建てたいと願い、仲間の協力を得て碑塔を建てた。それが現在、人穴周辺に見られる200基にも及ぶ碑塔群である。
八海めぐり [編集]

富士講では、富士登山の際に、富士周辺の霊地を巡ることになっている。特に「八海」と呼ばれる湖や池沼をめぐり水行(水垢離)を行うことは重要な修行とされた。八海には富士山周辺の「内八海」・「元(小)八海」(現忍野八海)と関東~近畿地方に広がる「外八海」とがある。
内八海 [編集]
泉水湖(せんづのうみ)泉端・富士吉田市
山中湖・山中湖村
明見湖(あすみのうみ)・富士吉田市
河口湖・富士河口湖町
西湖・富士河口湖町
精進湖・富士河口湖町
本栖湖・富士河口湖町
志比礼湖(しびれのうみ)四尾連湖・市川三郷町
昔は泉水湖の替わりに須戸湖(沼津市・富士市)を八海に数えていた。須戸湖(須津湖)は浮島沼とも呼ばれ、須戸湖は江戸時代から陸化され、現在では住宅地が広がっている。
外八海 [編集]
二見海(二見浦)・三重県
竹生島(琵琶湖)・滋賀県
諏訪湖・長野県
榛名湖・群馬県
日光湖(中禅寺湖)・栃木県
佐倉湖(桜ヶ池)・静岡県
鹿島湖(霞ヶ浦)・茨城県
箱根湖(芦ノ湖)・神奈川県
関連項目 [編集]

富士塚
参考文献 [編集]

岩科小一郎 『富士講の歴史』(名著出版、1983)
井野辺茂雄 『富士の信仰』(『富士の研究』3、古今書院、1928。名著出版によって1973と1983に復刻)
平野栄次  『富士浅間信仰』(雄山閣、1987)
宮田 登  『すくいの神とお富士さん』(吉川弘文館、2006)


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奈良の佐味田教行寺から佐味田古墳群『馬見二ノ谷遺跡』を歩く途中で見つけた地蔵と空

2009年10月28日 | お出かけ


    フィールドワークの合間に

      奈良の佐味田教行寺から佐味田古墳群『馬見二ノ谷遺跡』を歩く途中で見つけた地蔵と空





 10月中旬の事です。

 奈良の佐味田教行寺から佐味田古墳群『馬見二ノ谷遺跡』を歩く途中、お地蔵様を見ました。

 石で囲いのついたものがありましたが、どうよぶべきものかは、わたしにはわかりません。

 講義の話とは無関係でしたが、心惹かれました。


 奈良の山坊や佐味周辺はわたしははじめて歩いたところです。

 田土地感のないわたしには、情けない事に、この地蔵がどこの場所にあるか、はっきりとはわかりません。

 もう一度ミニバイクで行って確かめる必要があります。

 


 今回これらの場所は某フィールドワークの講義の一環として連れていただいたところです。

 以前にも何度か講義を聴いた事がある、古文書で有名な先生のお話です。

 この先生は民俗学的なお話も多く盛り込まれ、たいへん貴重なお話を聞かせて下さいます。

 また赤坂憲男先生ともお会いになった事があるともおっしゃっていました。

『東北学』に◯号にも論文を載せられているこの先生のお話は、書物ではなく 実際にお聴ききすることのできる授業で、興味深いのです。

 私の知らない事を何層にも教えて下さいます 奈良の生んだ素晴らしい先生のお一人です。

 


 空の写真は奈良の馬見ヶ丘丘陵公園の正面から見て、裏側に当たる道から見た景色と思います。

 10月下旬の雑草が広がり、曇り空とマッチしていて心惹かれました。

 日本はどこかしこを歩いていても美しいと感じます。

 美しい土地を支える歴史が各地に伝承され受け継がれる事の重要性を、この日のフィールドワークでの講義を聴きながら感じていたような次第です。 

 



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映画『暖簾』 原作山崎豊子 監督川島雄三 森繁久彌 先代中村鴈治郎 頭師孝雄 乙羽信子 山田五十鈴

2009年10月26日 | 映画





   映画『暖簾』



 日本 宝塚映画 123分 白黒

 ★★★★★ ★★★★☆

 監督  川島雄三

 原作 山崎豊子

キャスト

 森繁久彌

 頭師孝雄

 山田五十鈴

 乙羽信子

 先代中村鴈治郎

 扇千景

 中村メイコ

 浪花千栄子       

 環三千世

 万代峯子

 汐風享子

 夏目俊二

 山茶花究

 小原新二

 田武謙三



 面白かった。

 森繁久彌という役者は子どもの悪露ドラマでさらっと見た程度で余り知らないが、この映画においてはかなり声色や言い回しや仕草に惹かれる部分があった。

 この映画も 乙羽信子といい山田五十鈴と言い、好きな女中が出ているので、安心してみる事ができた。

 映画のしょっぱなから 先代中村鴈治郎が出てきて、興味深く見た。

 中村鴈治郎の妻役の女優は子どもの頃に浪花の根性もので見た感じがする。

 あの頃の独特の節回しは、長い月日が経った今も覚えている。

 そもそも私は幼稚園に入る前からこういった根性ものが好きだったような気がする。

 小さいながらも「ごりょんはん」「いとはん」「丁稚」「奉公」「船場」なんていう言葉の響きに憧れたものである。

 今はこういったドラマや映画は時代遅れなんだろうな。

 そういうと『ぼてじゃこ』(ドラマ)や『てなもんや三度笠』(舞台テレビ)と言ったものもあったが、中味はずいぶんと違うな。



 この映画には先代の中村鴈治郎と扇千景が共演されていた。

 ふふ。

 こういったところにも藤十郎の父と妻つながりがあったのかと、嬉しくなる。

 藤十郎も好きなわたしにとって、この配役はたまらない。


 
 映画に室戸台風が出てきた。

 その凄まじさは映像でさえも伝わる。


 戦争時代や終戦後の商い、商人の心意気、主人と使用人との関係、読め選び、夫婦関係、親子関係、暖簾分けそして 東京を中心と考える新しい時代の商い。

 何もかもが興味深く、あっという間に2時間映画は幕を閉じた。

 

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楽経

2009年10月26日 | ことのは


     
      
      楽経

  

 辣韮の空虚 身を剥ぎて中味なし

 辣韮の御経 薄衣まといしこの上は

 玉葱よりも 身は軽し


コメント (2)
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たわいない時の流れの中で  Uriah Heep 『I WANNA BE FREE 』

2009年10月25日 | 舞台・音楽 雑感メモ




 10月は何をしていたのだろう。

 25日までの私は

  教室関係では 古典教室、歴史関係の講義一つと歴史関係のフールドワーク二つの四講座

  郡山と斑鳩散策

  王寺散策

  京都でアンコールワット展

  四季の舞台と能楽と小芝居 各一回

  映画数本

  テレビニュースと漠然とつけたテレビ

  たった一冊のみの読書

  庭の手入れ

  部屋の整理

  料理遊び

  ピグとの遊び

 講座以外、とりたてていうほどのものは無い。


 
 最近読書欲が無い。帰国後のわたしは、読書に対する情熱が今は少し薄れている。

 舞台においては以前と同様のガンミの私だが、前はほとんど見なかったテレビを見る事が多い。



 気晴らしに歌を口ずさむ。

 こういった時の流れも、わたしにとっては大切なひととき・・・・・・

  
 ・・・と言う訳で、今夜最後に口ずさんでいたUriah Heep の『I WANNA BE FREE 』を書き留めておこう。

 

 

   『I WANNA BE FREE 』
              Uriah Heep



As I wake up everyday
With no new songs to play
Feeling like I ought to
Pack my bag and run
My imagination flies
To some other sunny skies
Where I felt so good
And everything was done
And my time was my own
And my heart felt so free
I don't mind a little rain
But it doesn't seem the same
When the clouds shut out
Your beauty from my eyes
There's a storm inside my head
And I know it doesn't lead
To a clearer day
When nobody will cry
I can't stand here alone
And I need to be free
So bring fire and bring steel
For you know the way I feel
Bring a silver horse
To carry me away
I'm no stranger, I'm a friend
And my pain will never end
Till the world will let us
Live our lives as one
And our time is our own
And our hearts can be free
I wanna be free ...


 う~ん、懐かしい曲。

 この記録を書き終えて、Queen の『 I want to break free Songtext』をユーチューブで見たよ。

 懐かしいな。楽しいな。




『 I want to break free Songtext』
Queen


I Want to Break Free Songtext
I want to break free
I want to break free
I want to break free from your lies
You're so self-satisfied I don't need you
I got to to break free
God knows, God knows I want to break free

I've fallen in love
I've fallen in love for the first time
And this time I know it's for real
I've fallen in love, yeah
God knows, God knows I've fallen in love

It's strange but it's true (hey yea)
I can't get over the way you love me like you do
But I have to be sure
When I walk out that door
Oh how I want to be free, (oh yea)
Oh how I want to be free
Oh how I want to break free



But life still goes on
I can't get used to living without, living without, living without you
by my side
I don't want to live alone, hey
God knows got to make it on my own
So baby can't you see
I've got to break free

I've got to break free
I want to break free, yeah

I want I want I want I want to break free …


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映画『不毛地帯』 1976年 原作山崎豊子 監督山本薩夫 仲代達矢 丹波哲郎 井川比佐志 八千草薫

2009年10月25日 | 映画



  映画『不毛地帯』




 ★★★★★ ★★☆☆☆

 1976年 日本映画 3 <時間1分


 監督 山本薩夫

 原作 山崎豊子


キャスト
 仲代達矢

 丹波哲郎

 井川比佐志

 小沢栄太郎

 大滝秀治

 山形勲

 内田朝雄

 田宮二郎

 小沢栄太郎

 小松方正

 八千草薫

 藤村志保

 秋吉久美子




 24日

 映画『花のれん』に加えて半端に『白い虚塔』を見,続けて 映画『不毛地帯』を観る。

『不毛地帯』と言えば先日から唐沢寿明のドラマが始まっている。

 初回二時間余りは観たが、第二話は見そびれた。

 何の事は無い。

 久しぶりにドラマ見るぞムードの私は、横道にそれ、嵐とさんまのバラエティに羽を伸ばしていた。

 ジャニーズの嵐の桜井や大野や二宮や他のメンバーが余りにも面白い。

 子ども(といっても息子は嵐のメンバーよりも若く、雰囲気も違う)を見ているようでほくそ笑んでしまう。

 息子は今、関西にはいない。


 ドラマの『不毛地帯』が始まる十時に少し悩んだ。

 ほとんどドラマを見ないわたしだが、『不毛地帯』は押さえておきたかった。

 だが、出演者の一部がわたしにはつらいものがあった。

 唐沢等は見たかった。

 出演者の紹介の要素が大きく、話のテンポも遅い。

 ドラマとあって、テーマがロシア、戦争、ロッキード事件、夫婦・親子の関係、女性二人など分散。

 時間の引き延ばしの感が拭えない。

 一例を挙げるとロシアの厳冬中での重労働などの氏に対する危機感などは、伝わってきない。

 唐沢は見たかったものの、私は意味なくバラエティを見続ける事にした。

 
 話を映画『不毛地帯』に戻そう。

 三時間と少しに凝縮され、テーマをぴちっと切り出した映画は面白かった。

 仲代達矢の淡々とした無表情な台詞が心に響く。


「私は知りません。」
「知りません。」
「わかりません。」
の繰り返しは、ロッキード事件の
「記憶にございません。」
の名台詞を思い出す。

 ロッキード事件はそれくらいに衝撃的で記憶のひだにはまり込んだ事件であった。


 途中の挿入音楽(効果音程度)で、Queenの『ボヘミアン・ラプソディ』( Bohemian Rhapsody)のイントロ 5音に似た音が入った。

 私と娘はその場で、
「似てたね。」
と、顔を見合わせた。

 夫だけは、何の事か分からない様子。

 すまん事です。


 山本圭が真っ黒なサングラス姿で出てきた。思わず、

「頭の形とあごで、山本圭とわかるネ。」
というと、家人が一言、
「そうか・・・。」
だって(爆)


 秋吉久美子は今も美しいが 若い頃、めっちゃかわいい。

 こんな風に生まれたかったな。

 八千草薫も美しくてかわいらしい。

 今も昔も美しい。

 藤村志保の個性的な美しさも良い。

 三人とも個性的で気品のある言い回しが好き。


 男性俳優は顔は知っているが名前を知らない人も多い。

 子どもの頃何となく見た顔は多い。

 安部公房の贔屓の井川比佐志も出演。

 丹波哲郎も重厚な演技を見せてくれていた。


 後ろ姿が二回しか出ない役者がいた。

 声からして三国連太郎かと思ったが、名前が出てこない。

 一体あれは誰なのだろう。

 わたしにはわからない。



 

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映画『花のれん』 東宝 1959年 山崎豊子原作 監督 豊田四郎 淡島千景 森繁久彌 花菱アチャコ

2009年10月25日 | 映画




   映画『花のれん』


 ★★★★★ ★★☆☆☆

 日本 東宝 1959年 131分★


 監督 豊田四郎

 原作 山崎豊子


キャスト 淡島千景

     森繁久彌

     花菱アチャコ

     石浜朗



 スカパーで日本映画チャンネルを見た。

 大坂の芝居小屋経営を舞台に繰り広げる大坂船場の女(後家)商人の生き様を描いた力作。

 舞台の好きな私は当時の小屋のようすを一部とはあれ描いた当映画に興味を持つ。

 大坂のなじみ深い場所もいくつか出てきて、わたしにとっては楽しいものであった。



 写真は法善寺横町の中にある小説『夫婦善哉』

 映画ではここの店の看板的存在の土でつくられたお多福がうつっていた。

 写真の『夫婦善哉』は三年以上前に撮ったもの。

 今は店も改装され、写真のようなこじんまりとした感じではない。



『夫婦善哉』のすぐ横には水掛不動さん。

 こちらは映画の途中に何度の出てきた。

 

 
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映画『雪之丞変化』 1963年市川崑監督 先代中村鴈治郎 長谷川一夫 市川雷蔵 山本富士子

2009年10月24日 | 映画



       映画『雪之丞変化』



 ★★★★★ ★☆☆☆☆

1963年  日本 カラー

監督   市川崑

キャスト 

     先代中村鴈治郎

     長谷川一夫(中村雪之丞、闇太郎の二役)

     市川雷蔵

     山本富士子

     若尾文子

     



 歌舞伎の好きなわたしは長谷川一夫演じる映画『雪之丞変化』の劇中劇、歌舞伎の女形を興味深く見た。
 
 長谷川一夫をほとんどしらないわたしは長谷川一夫の方の下がらぬおやま役と小芝居並みの濃いアイラインをひいたあくのきついメークに、逆に興味を覚える。

 この映画は一人で見ていたので、夜家族に色々と尋ねてみた。

 長谷川一夫はその昔かなりの人気ぶりだったらしい。

 昔は石原裕次郎といい長谷川一夫といい、こういった顔立ちに人気があったのか・・・。



 この映画の筋書きは結構半端な感じがする。

 おそらく役者を楽しむための映画なのだろう。

 どうりで闇太郎といった無くてもいいような役で、長谷川一夫が男役でも出てきたはずと、ほくそ笑む。



 芝居の座長?役は市川雷蔵か?

 もしかして昼太郎という盗人も市川雷蔵の二役なのか?

 わたしにはわからないが、昼太郎の演じぶりは好きだった。



 長谷川一夫の女役に対して、先代の中村鴈治郎が悪役で出られていた。

 先代の中村鴈治郎は男役になると、とたんに迫力満点。

 声色がほんに怖く、驚く。

 高校時代に見た先代中村鴈治郎は後ろ姿だけ見ていても存在感のある女形であった事が心に残っている。



 先代中村鴈治郎はこの映画では九州出身で江戸の住んでいると言った設定であった。

 ところが節々に関西弁の言い回しが出てきて、ほくそ笑んだ。

 もしあれが無ければ、子どもならあの言い回しはリアルすぎて泣き出すかもしれない。(笑み)

 嬉しかった。

 私は先代中村鴈治郎も藤十郎丈も勘雀丈も好きだ。



 山本富士子が女白波役で出ておられた。

 顔は美しいのは知っていた。

 しかし山本富士子がこんなにかっこいいとは知らなかった。

 きりっとしまった女が見ても素敵なきっぷの良さである。


 
 勝新太郎がいい役でちょろっと出ておられた。

 短い時間だが、かなり印象深い。

 インパクトの強い役者なんだなぁと、改めて感じた。



 面白かった。

 もし好きな役者が主役だったら、この映画はのめり込む事 間違いないなと感じた。


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