乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。

2019-07-17 | 本 /乱鳥乱読

 写真は、『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』(片岡仁左衛門様)(真山青果作)    2018年7月 松竹座
 




 
 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 財団法人徳川黎明会
 徳川政史研究所
 東京出版社。
 2004年




 
 
 八代将軍徳川吉宗について 1

    綱豊卿は後の家宣
          ↓
 家光ー家綱=綱吉ー家宣ー家継ー吉宗 
   ー宗部          ↑
   ー宗伊          ↑
                ↑
(紀伊の)           ↑
 頼宣ーーーーーーーーーーーーー吉宗





      『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏
      綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。
      吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。





『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」(太田尚宏著)を楽しむ。

 吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入したという。

 桜を植えたり象を輸入したり、大層精力的な方だ。

 吉宗は直接の血は繋がってない様だが、紀伊の頼宣を貰い受けた。

 お爺様は、綱豊卿だという。

 真山青果の話とはいえ、綱豊卿といえば『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』を思い浮かべ、綱豊卿といえばまさに能楽を舞いに行こうとされる場面の片岡仁左衛門丈を思い浮かべてしまう。


 ところで、吉宗が輸入したという象を長崎から運ぶにあたり、宿場や街道で象を見た民衆や川渡りなど、大層大変であった。

 また、象を運び終えた後の飼育にあたり、餌の多さや手間に相当な金額と時間を費やしたことが、「享保の渡来象始末記」や太田尚宏氏の記述で想像できる。

 あまりにも大変であったが、象は芝の浜御殿で飼育されることになる。(綱豊卿も、まっちゃお! 綱豊卿の想像だに、しなかったことであろろう)

 それが、想像をはるかに超えた大変さ。面白すぎる内容を太田尚宏氏は紹介されているところが心憎い。洒落た学者である。


 想像を絶する像の飼育であり浪費であるので、吉宗は民衆の誰かに飼育をは払い下げたく考えていあたが、なかなか、うまくいかない。

 そのうちに、当時も流行ったとされる疱瘡や麻疹に効くという薬を造るため、象を譲り受けたいという人物が現れ、芝の浜御殿を後にした。


 象小屋を新たに造るのに大変な動力と金額が膨れ上がった。

 象の小屋を建てるにあたっては幕府が金を出したという。


 上にも書いた通り象は疱瘡や麻疹に効くという薬を造るために譲受けられた。

 私は赤鍾馗様や薮薬師の『竹斎』を思い浮かべて想像して、ほくそ笑んでいた。


「享保の渡来象始末記」には「象洞(ぞうほら)」という長何度も繰り返されたが、疱瘡や麻疹に効くという薬のこと。


 象洞とは、何からできているのか?私だけが知らないのかしらん?と心配になっていたが、太田尚宏氏の解説を読んで爆笑した。

 象洞という薬は、像の大便で造られていた。

          オヨヨ、赤鍾馗様や『竹斎』と思いうかべても、遠からずであった^^



 疱瘡、麻疹の薬
 象洞 (ぞうほら)

 像の飼育 飼料代(年間200両以上)
 象洞代金 (ぞうほら)

   像の便を黒焼きにして用いる。(黒焼御薬)
    3匁目(11g)  銭10文
   像の便を焼数粉末      (黒焼不仕粉末)
    5匁目(19g)  銭10文
    

 


「享保の渡来象始末記」及び解説は、大変楽しく笑いまで起こる内容であった。

 次は「徳川宗春の実像と治政」を読む予定。

 また同時進行で、『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』の「享保の改革と江戸」と「享保の渡来象始末記」は面白すぎるくらい興味深い話であったので、本文を筆ペンまたは毛筆で書き写したい。

 

 


 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏  綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。






 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 目次   
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革
     
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革   
     公園政策

 享保の改革と江戸
     渡来象の道中
 享保の渡来象始末記
     尾張藩主徳川宗春の動静
 徳川宗春の実像と治政
     御庭番の職務などに関する史料を読む。
 御庭番の隠密活動
     八代将軍徳川吉宗の時代の雰囲気と種々の改革の実際
 付録

     印のついた上の五項目を古文書で読む。
     今回は青色の文字

        八代将軍徳川吉宗と享保の改革
        八代将軍徳川吉宗と享保の改革

              を楽しむ。



        
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『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠

2019-07-17 | 本 /乱鳥乱読



      『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠
      農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。
      水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。




 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』

 財団法人徳川黎明会
 徳川政史研究所
 東京出版社。
 2004年



 目次   
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革
     
 八代将軍徳川吉宗と享保の改革   
     公園政策

 享保の改革と江戸
     渡来象の道中
 享保の渡来象始末記
     尾張藩主徳川宗春の動静
 徳川宗春の実像と治政
     御庭番の職務などに関する史料を読む。
 御庭番の隠密活動
     八代将軍徳川吉宗の時代の雰囲気と種々の改革の実際
 付録

     印のついた上の五項目を古文書で読む。
     今回は青色の文字

        八代将軍徳川吉宗と享保の改革
        八代将軍徳川吉宗と享保の改革

              を楽しむ。
        
     



 今回は『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠を読む。

 江戸時代の吉宗における都市計画の中でも桜をはじめとした植樹における名称づくりなど、興味深い内容である。

 また、江戸時代の風習や人々の暮らしの様子、制作に携わった方々の行動など、興味は尽きない。

 中でも隅田川における桜の名所作りにおけるご苦労やほのぼのとした多くの話には和みを感じた。

 人々が静かに花見し、或いは花見でどんちゃん騒ぎをし、楽しむ。

 浮世絵には花見の様子を描いたものが残っているが、花見は芝居見物と同様、江戸の人々の心が浮き立っていたのであろう。

 
 花見でどんちゃん騒ぎをする民衆。

 かわらけでフィーバーする人々。

 酔った勢いでかわらけを飛ばし、おのず力が入ったかわらけは、近くの畑の中にとび入る。

 かわらけは素焼きのわっれて良いように作られた茶碗なので、田畑に入ったかけた茶碗はいつまでも固まりとなったま祭りの中で作物の邪魔をする。

 農業に支障をきたすと農民は訴える。

 そこで次に考え出されたのが、水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。

 江戸時代は優れた技術が考えられていたと、多くの先生方がおっしゃっていたが、まさしくその一例である。


 現代における我々のペットボトル問題は、解決の方向に向かえ様にと事を進められているという。

 子供の頃にはタケカワや紙類で代用されていたものが、今は何につけてもタッパー。

 それらは土に還らぬポリエチレンかプラスチックか塩化ビニルか何かである。

 日々買い物をしながら、上の様にす前に戻らない皿やタッパーの多さに、違和感を感じているのは私だけか…

 
 農民の邪魔にならぬ様、かわらけを土に返す。

 江戸時代は上の様なことにさで気遣っていた時代であったのだと、感心した。

 古文書とはこういった今まさに考えるべき内容も書かれていることに驚きを感じ、面白いものだなと思った。

 


 
 有徳院殿御実記付録(国会公文書内閣文庫所蔵) 

 
 有徳院殿御実記付録(国会公文書内閣文庫所蔵) 



 享保という時代  『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって

 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠  農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。


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享保という時代   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。

2019-07-16 | ことば
        京都の某大学の博物館にて




    享保という時代   『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。


 享保

 享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。
 正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。
 この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。
 江戸幕府将軍は徳川吉宗


 享保の改革(きょうほうのかいかく)
 享保の改革(きょうほうのかいかく)は、江戸時代中期に第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革。
 名称は吉宗が将軍位を継いだ時の年号である享保に由来する。
 開始に関しては享保元年(1716年)で一致しているが、終わりに関しては享保20年(1735年)や延享2年(1745年)とするなど複数説がある。
 主としては幕府財政の再建が目的であったが、先例格式に捉われない政策が行われ、文教政策の変更、法典の整備による司法改革、江戸市中の行政改革など、内容は多岐に渡る。
 江戸時代後期には享保の改革に倣って、寛政の改革や天保の改革が行われ、これら3つを指して「江戸時代の三大改革」と呼ぶのが史学上の慣例となっている。


 幕府権力の確立と都市政策
 徳川吉宗
 人事面では6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継時代に正徳の治を主導した新井白石や間部詮房らを解任し、紀州藩の人材を多く幕臣に登用
 本家ではない吉宗の指導力の確立を図り、紀州藩士による御庭番を創設し、江戸の都市政策を行う一方で庶民の要求や不満の声を直接訴願の形で募るための目安箱を設置。
 また、廃止されていた鷹狩を復活させる。
 江戸の都市政策は南町奉行の大岡忠相が主導し、町奉行所や町役人の機構改革を行う。
 火事対策は町火消し組合の創設に留まらず、防火建築の奨励や火除地の設定、町代の廃止や町名主の減員など、町政改革を伴うもので税金の収入などがあった。
 米価や物価の安定政策、貨幣政策も行った。
 下層民対策では、目安箱の投書から貧病民救済を目的とした小石川養生所を設置し、諸藩にも踏襲された。
 私娼や賭事、心中など風俗取締りや出版統制も行った。


 国家政策・公共政策
 倹約と増税による財政再建を目指し、農政の安定政策として年貢を強化して五公五民に引き上げて、検見法に代わり豊凶に関わらず一定の額を徴収する定免法を採用して財政の安定化を図る。
 治水や、越後紫雲寺潟新田や淀川河口の新田などの新田開発、助郷制度の整備を行う。
 米価の調整は不振に終わった。
 青木昆陽に飢饉対策作物としての甘藷(サツマイモ)栽培研究を命じ、朝鮮人参やなたね油などの商品作物を奨励、薬草の栽培も行った。
 日本絵図作製、人口調査。国民教育、孝行者や善行者に対する褒章政策。サクラやモモなどの植林。

 (朝鮮人参は薬用人参として、『江戸時代の小文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)に載っていた。)


 足高の制
 各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給された。

 公事方御定書
 松平乗邑を主任に寺社奉行、町奉行、勘定奉行を中心に編纂させた幕府の基本法典。
 判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集。

 目安箱の設置
 堂島米市場の公認
 キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和

 上米の制
 諸藩に1万石につき100石の割合で一時的に課した献上米。代償に参勤交代の際の江戸在府期間を1年から半年に緩和する。

 相対済令
 金銭貸借についての訴訟(金公事)を認めず当事者間の話し合い(相対)による解決を命じた(ただし、金利の付かない貸借や同法を利用した踏み倒し行為は例外とされた)。
 これには、金銭絡みの訴訟の急増によって、他の訴訟や刑事裁判までが停滞したことによる。

 元文の改鋳
 新田開発の奨励




 略年譜
 享保2年(1717年) - 新金銀交換を強制(享保小判金)
 享保4年(1719年) - 相対済令(11年後に実質廃止)
 享保5年(1720年)
 江戸大火を受け、江戸町火消しいろは四十八組(翌年、深川に十六組)を設置
 キリスト教に関係のない洋書輸入を解禁
 享保6年(1721年)
 目安箱を設置
 享保7年(1722年)
 足高の制を導入
 小石川養生所設置
 上米の制(9年後廃止)
 三分一米納令
 定免法を導入
 江戸町方公役銀納令
 江戸の六上水のうち本所上水、青山上水、三田上水、千川上水を廃止。
 新田開発奨励の高札を日本橋に掲げる。
 流地禁止令(翌年廃止)
 享保10年(1725年) - 口米永代蔵令
 享保13年(1728年) - 「五公五民制」を導入(幕府創設以来の「四公六民制」の放棄)
 享保15年(1730年) - 諸大名に対して買米令を出す(翌年には大坂商人達にも同様の命令を出す)
 享保20年(1735年) - 田方勝手作仕法(田畑勝手作禁止令の事実上の見直し)
 元文元年(1736年) - 再度の改鋳(元文改鋳、享保の改鋳政策の放棄)
 寛保2年(1742年) - 公事方御定書制定
 延享元年(1744年) - 神田に天文台設置



 8代将軍徳川吉宗による享保の改革。
 7年 : 12月21日 - 目安箱の投書をきっかけとして、徳川吉宗の命により小石川養生所を開設。
 9年 : 4月14日 - 享保の大火(妙知焼け)、大坂。
 15年 : 8月3日 - 享保の大火(西陣焼け)、京都。
 17年 : 享保の大飢饉


 誕生
 4年 : 田沼意次(側用人・老中 遠江国相良藩初代藩主)
 8年 : 池大雅(絵師)
 13年 : 平賀源内
 15年 : 本居宣長(医師)    
    『玉あられ』本居宣長著 5巻 『玉あられ』寛政四年壬子春発行 勢州書林 京都書林(資料1枚 + 『玉あられ』表紙 + 他) 写真全十六枚


 死去
 4年 : 安藤東野(享年37)
 5年 : 間部詮房(享年53)
 9年 : 近松門左衛門(享年72)
 10年 : 新井白石(享年69)
 13年 : 荻生徂徠(享年62)
 15年 : 徳川継友(尾張藩主 享年39)
 19年 : 紀伊国屋文左衛門(享年66)

 




Comments (2)

乱鳥徒然   一仕事を終え、只今、コーヒーを飲んでいます。ブラックではなく、久しぶりにミルク入りの甘いコーヒー。これも又美味しいですね。

2019-07-16 | 乱鳥

 みなさま、おはようございます。

 今日も早朝に起き、一時間半もタンスの整理に費やしました。

 おからとお野菜と豚肉のおやき と 果物 を朝食とし、食後のコーヒーを飲んでいるところです。


 一仕事を終えた後のコーヒーは美味しいですね。

 庭を見下ろしながら、パソコンで遊ぶ。

 只今、本日一度目の休憩です。


 昨日はぼんやりとしたいちにちを過ごしてしまいました。

 庭の整理はやり遂げたものの、机に向かうことなく時間は過ぎてゆきました。

 そんな火も又良し。本日は昨日のぶんまで取り戻し、愉快に過ごす予定です。


 予定は未定。計画は心構え。

 あれやらこれやらと考えてはいますが、平々凡々。

 お気楽にマイペースで過ごしましょうと思っています。


 みなさまもお健やかな一日をお過ごしくださいませ。

 


 


 

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乱鳥徒然  今日も朝から、時間が美味い。

2019-07-15 | 乱鳥
  大神神社(三輪神社)にて   『天鼓』(てんこ)







 掃除完了。

 庭の手入れ完了。

 夕食の下準備は未だ手付かず。

 ワンコとの戯れ、続行。


 バラやゼラニュームに、大量のゲジゲジが発生。

 こりゃりゃ、困った。

 百匹ほどは退治したが、残りがきになる。

 夫にお願いして消毒してもらった。

 成敗覿面。これでよし。これで良いとも。

 今日は雨が降らないように祈っておこう。


 時間を見ればもう十時半。

 思いの外時間がかかっているなと苦笑する。

 
 今からワンコとの戯れの続きを楽しみ、その後、机に向かおう。

 本日は読書よりもまず、資料と格闘。

 時間は自分で見つけ、充実させるべし。

 遊ぶための努力は、思いの外楽しい時を過ごせるものだ。

 今日も朝から、時間が美味い。







 


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乱鳥徒然   まずはコーヒーを飲んで参りまする。

2019-07-15 | 乱鳥

 かれこれ半時間前に目が覚めた。

 最近は相当眠いと感じる子(?)なので、もう一度、床につこうかとも思ったが、

 思い切って起きることにした。

 欠伸が出る。

 お、欠伸とは、「伸びが欠ける」と書くのだったな。

 確かに、伸びをして体を伸ばすと、欠伸以上の効果が期待できるというものだと、早朝から阿呆なことを考える。



 今はちょうど5時。

 just 5 オフクロック の私である。


 オフクロックはなんとしょう。

 スイングしながら掃除しょう。

 そのあとバラの花がらを摘もぅ。

 それよろ何より、コーヒー飲もう。

 朝だ、夜明けだ、コーヒーがうまい。

 ワンコも夫も眠ってる。


 さてさて今日は掃除の日。

 それから料理の仕込みして、散歩だ散歩。ワンコの散歩。

 ワンコ起こして眠い子の散歩。

 遠くでスズメが鳴いている。

 空飛ぶカラスもアホウと鳴いて、乱鳥ここで席を立つ。

       ちーーん



 
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 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」

2019-07-14 | 本 /乱鳥乱読

 

    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」 
     花田富二夫編 
    (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)
     歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きが多い。
     衣装であったり、鬢であったり、亡くなった方の運び方まで、江戸時代の芝居的な風習風内容が面白おかしく描かれている。
     ただし、あまりにも芝居掛かっているので、真実かどうかは私にはわからない。
   



 

 

 

 

 




 一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」 


 諸々の話(古典)を思い浮かべる。
 未だ読んでない古典は多くあるので、わからないパロディも多いのであろうが、知っているものはニタリと笑う。
 知らない話でも、これもパロディであろうと予測するのも楽しいものだ。

 これまでに見た芝居の数々を思い起こし、ここはあそ芝居のあの場面とほくそ笑む。
 古典はこれだから、やめられない。
 歌舞伎が先か読み物が先か。
 江戸時代の物書きは博学で、感心することしきりなし。
『西鶴俗つれづれ』の巻の二の一まで読んだが、古典などの元本は多く描かれているが、この作品に関して、ここまでは能楽に関連した内容は少ない。
 ただし「井筒」などの「伊勢物語」とも能楽の「井筒」とも関連した、そういった単語は多用されている。
 とはいえ、能楽も「伊勢物語」を元にして作られているのだが。

 本書には業平を思わせる内容も複数回出てくる。
 江戸時代の物書きは西鶴にせよ誰にせよ、業平には一目置いていたようだと駄想する。

『西鶴俗つれづれ』では芝居掛かった江戸時代の風習が多く出てくる。

 衣装であったり、鬢であったり、亡くなった方の運び方まで、江戸時代の芝居的な風習が面白おかしく描かれている。
 ただし、上にも書いたが、あまりにも芝居掛かっているので、真実かどうかは私にはわからない。




     『西鶴俗つれづれ』(底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

 伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)

 『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかだる)」 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書き。

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻二-一「只取毛のハ沢桔梗銀で取物ハけいせい)(ただ取ものは沢桔梗(さはききょう)銀で取物はけいせい)」江戸時代の芝居的な風習風内容が面白おかしく描かれている。



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『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』「於毛ハくちがひ農酒樽」 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

2019-07-14 | 本 /乱鳥乱読


    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかたる)」 
     花田富二夫編 
    (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)
     上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きだ。



 

 

 

 




 「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかたる)」



 「大阪の問屋より進物なるべし(云々)」


  蓋を開ければ さのみ形かはらず

  うまい酒が送られてきたと思いきや、息子の死体がさかだるに酒塩漬(さかしほづけ)にしてつけ届けられた。

    さかやきをすりすまして跡下りのあとさがり
    紋羅(もんら 文様を織りだした薄絹)に紅裏付(もみうらづけ)
    女郎と若衆との二つ紋に、鹿の子の紫帯

    木工之介(もくのすけ)
    美男
    廿一(歳)
    妻あり

  やつして、朝から酒を飲み、遊びすぎていたようだ。


  上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書きだ。
    



 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

 伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)

 『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…

 『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』巻四-二「於毛ハくちがひ農酒樽(おもわくちがいのさかだる)」 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本)上方歌舞伎を見ているような錯覚にとらわれる筋書き。




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痛い痛いと云うことなかれ!と、自戒の乱鳥。だが、痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。

2019-07-14 | 乱鳥


   痛い痛いと云うことなかれ!と、自戒の乱鳥
   だが、痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。
   これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。
  「心に太陽を」と痛みを笑いでごまかす。




 先日から左肩に激痛が走る。

 キリで突き刺したような痛みではない。

 火箸で突き刺したようなそんな痛み。


 昨年の暮れにバイクでこけた際に痛めた右肩と首がまだ治らないと云うのに。

 左肩までとはこれいかに。

 そう言えば左足のふくらはぎは治ったようだ。よしよし、これで良い。


 それにしても左肩の痛み方は尋常ではない。

 肩のみでなく、肘と指先複数本まで痺れをきたしている。

 家族は、病院に行きなさいと言う。


 この痛みはいつぞ始まる?この痛みは九日の夜ぞ知る。

 冷えからか寝違いかか、はたまた五十肩か。

 重要な見当違いならば、いかにせむ。


 温めようが、マッサージをかけようが、激痛は止まぬ。

 痛み止め膏薬は日に日に量をます。

 いよいよ痛み止め服用の出番かと一層肩を落とす。


 痛い!すこぶる痛いとは言えぬほどに痛い。

 これも、「生きている証拠」と こうせつくんは歌う。

「心に太陽を」と痛みを笑いでごまかす。

 

 

 

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『徒然草』序段と、『西鶴俗つれづれ』序文 一部。藤原実方は吉田兼好の「男子」とされているらしい…。

2019-07-13 | ことば
『西鶴俗つれづれ』  絵図の男性は吉田兼好であり、西鶴ともされている。






  『徒然草』序段
  つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。


  『西鶴俗つれづれ』
  つれ/\なるまゝに日暮らし。さかづきにむかひて。心のうつるまゝに。よくなし(ママ)。酒をそこはかとなくのみつくせば。あやしふこそ物くるおしけれ。
(寛文七年刊)
  『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編

     



 海北友雪の「徒然草絵巻」(サントリー美術館蔵、全20巻)は、『徒然草』のほぼ全ての章段を絵画化


『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと評価されている。

 しかし、吉田兼好は時代方考えてずれが生じているため、実在人物ではないと云う学者もいらっしゃるようだ。



 父:藤原師尹
 母:藤原定方の娘

 兄弟
 弟:済時
 弟:定昭
 女:藤原芳子
 妻:源雅信の娘
 男子:実方
      藤原実方  伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)
 男子:実光
 女子:鈴木重実室
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伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)

2019-07-13 | ことば




 伊吹山
 伊吹山 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一/小倉百人一首 51)



  藤原実方  女にはじめてつかはしける 後拾遺集・恋一

  かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを



  小倉百人一首 51 藤原実方朝臣

  かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを


  wikipediaより ▼

 藤原 実方(ふじわら の さねかた)は、平安時代中期の貴族・歌人。左大臣・藤原師尹の孫、侍従・藤原定時の子。官位は正四位下・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。

 藤原公任・源重之・藤原道信等と親しかった。
 風流才子としての説話が残り、清少納言と交際関係があったとも伝えられる。
 他にも20人以上の女性との交際があったと言われ、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされる事もある。
『拾遺和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集に64首が入集。
 家集に『実方朝臣集』がある。

 逸話
 当時、五月の節句には菖蒲を葺く風習があった。実方が陸奥守として下向した際、人々が節句にも関わらず菖蒲を葺かないのを見て、国府の役人に理由を尋ねたところ、陸奥にはそのような習慣はなく、菖蒲も生えていないとの事であった。すると実方は、浅香の沼の花かつみというものがあるのでそれを葺くように命じた事から、陸奥では節句に菰を葺くようになったという[。
 死後、賀茂川の橋の下に実方の亡霊が出没するとの噂が流れたとされる。また、死後、蔵人頭になれないまま陸奥守として亡くなった怨念により雀へ転生し、殿上の間に置いてある台盤の上の物を食べたという(入内雀)。


 滋賀県の最高峰(標高約1377m)。
 日本百名山のひとつ。
 岐阜県との境界。
 山頂からは眼下に琵琶湖、比良、比叡の山々や日本アルプス、伊勢湾まで一望の大パノラマが広がる。

 古くは『古事記』や『日本書記』に。
 日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説にも登場する歴史的な山。

 古来より著名な薬草や亜高山植物、野鳥、昆虫の宝庫。
 山頂のお花畑は、国の天然記念物。

 山頂までは、登山、またドライブウェイで。

 伊吹山は、近畿、北陸、東海、北陸のすべての地域に交通の便が良く、軍事的においても都合の良かったため、戦国大名・京極氏が伊吹山中に山城が建てられた。

 霊峰として名高い。
 平安時代に修験道における日本七名山のひとつ。多くの修行者が訪れた。
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『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)

2019-07-12 | 本 /乱鳥乱読




    『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』 
     花田富二夫編 (底本:大阪府立中之島図書館所蔵本) おうふう(桜楓社)
     この二冊を照らし合わせながら、読み始める。


  
 つれ/\なるまゝに日暮らし。さかづきにむかひて。心のうつるまゝに。よくなし(ママ)。酒をそこはかとなくのみつくせば。あやしふこそ物くるおしけれ。いでやこの世に生(むま)れては。下戸(げこ)ならぬこそ。おのこはよけれと。吉田の兼好がいひおきし。とかくのむほどに。上戸(ご)の名は。たつた川。(寛文七年刊)

 上の『徒然草』の序文のパロディには笑ってしまう。下戸でたつた川とはこれいかに。腹を抱えて笑いたい。

『伊勢物語』のパロディである『仁勢物語』にせよ、今回読み始めようとしている西鶴の『西鶴俗つれづれ』にせよ才覚ありの天才的笑いを表現されているなと感じる。


 今回読もうとしている『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』には『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』というありがたい解説書が出版されている。

 中味もつれづれで読みやすく、『徒然草』を思い浮かべながら読むとますますタノ吸うことができると思う。

 二冊合わせて読むと一層読みやすい本なので、これは良い本を見つけたなとニンマリ笑う。


『徒然草』と云えば、光田 和伸先生の面白い講座を思い出す。

 朝日カルチャーセンターで光田先生の講義が聴けるということなので問い合わせてみたのだが、連歌を詠むといった敷居の高い講座であったので断念した。

 自己流で短歌と戯れるならいざ知らず、連歌作りは無理でしょうと、諦めた苦い経験であった。夫はそれを聞いて、ただただひたすら笑うのみ^^


 話は『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 影印』『【西鶴選集】西鶴俗つれづれ 翻刻』に戻る。

 この本は大変面白く読みやすいので、出だし好調。

 このまま楽しみたいと思う。

 

 「筆を取れば物書かれ。楽器をとれば音をたてんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ」 (『徒然草』一五七)


 
 (画に描かれる男性は吉田兼好でもあり西鶴自身でもある。)

 

 一 過ぎて克(よき)は親の異見(いけん)悪式(あしき)は酒(さ)




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お茶、そして、祇園祭。祇園祭が近づくと、毎年心が騒ぐ。 そうだ! 圓徳院に行こう!

2019-07-12 | 京都


 京都 高台寺 圓徳院の茶室 【にじり口から入り、お茶をいただく】(6景)





   お茶、そして、祇園祭。祇園祭が近づくと、毎年心が騒ぐ。 そうだ! 圓徳院に行こう!


 かれこれ十年近く前のことになるが、京都の高台寺の 圓徳院でお茶をいただいたことがある。

 お茶は気が向いた時にはいただくことにしているが、圓徳院のにじり口から茶室に入らせていただき楽しませていただく抹茶はひときわ印象に残る。

 
 とある話をお偉い先生にお尋ねしていた時のこと。

 ちょうど茶筅の話が出た。

 茶筅は諸説多く伝えられているが、帰宅後、某論文3ページをネットで読み終え、一服いただきたくなった。

 そうだ! 圓徳院に行こう!とばかりに、心は浮き立つ。

 幸い一ヶ月間に及ぶ祇園祭も始まっている。


 祇園祭とお抹茶といえば今は亡き父を思い出す。

 父は煎茶と抹茶と和菓子が好きで、子供の頃から度々お茶屋さんに玉露や抹茶を買いに行かされた。

 お茶店のご主人はまだ小学生の私にも奥の丸缶からお茶っぱを何種類か出してくださって、お茶の歯を口に含ませ食べさせてくださった。

 度々行くのでお茶のみならず、お菓子まで頂戴したこともあった。

 京都のお茶専門の個人店はそんな感じである。(デパートでも、お茶入れてくださいますが^^)


 お抹茶のいただき方は、父直伝。

 裏千家で、袱紗の所作なども父から教わった。

 なので小学生の低学年から毎年連れてもらった京をどりや都おどりでお茶を頂くのは嬉しかった。

 祇園祭もまた然り。

 毎年、裏道のしっかい屋さんに連れてもらい、青畳の薫表玄関で煎茶をいただき喜びは格別であった。

 お茶、そして、祇園祭。祇園祭が近づくと、毎年心が騒ぐ。


 そうだ! 圓徳院に行こう!


 



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『奉納百景 神様にどうしても伝えたい願い』小嶋独観著 2018年 駒草出版 著者である小嶋独観さんが心から興味を持って記された本であることがひしひしと伝る。

2019-07-12 | 本 /乱鳥乱読
   『海の見える杜美術館 舞の本』「冨樫」   弁慶か勧進帳を空で読み上げている場面。




 『奉納百景 神様にどうしても伝えたい願い』小嶋独観著 2018年 駒草出版 (DANK Groop)



 某講座の二時間半弱を終えた後、予め見定めておいた『奉納百景 神様にどうしても伝えたい願い』に直行。

『奉納百景 神様にどうしても伝えたい願い』をブロック斜め読み、一時間半猛ダッシュで読了。

 絵馬の話や生贄の話など、多くの民族学者が紐解いておられる内容をインパクトのある写真を通して、読者興味よろしくとばかりに描かれた書物。

 著者である小嶋独観さんが心から興味を持って記された本であることがひしひしと伝る。

 人はこれを、マニアックという呼び名をつけるのかもしれない。


 それにしても浮気封じのくぎうちモニュメント(笑)には驚いた。

 気分転換に楽しむことのできる、写真が充実した一冊。


 


 以下、朝日新聞の書評 ▼

 過剰で珍奇、すがる思いが集積

 いろいろなものが奉納される。その写真がほぼ全ページにあり、つい説明の言葉を読む前に写真だけを見てしまう。そしてしばしばただ絶句する。しかし、それはいくつもの言葉が自分の中に湧き起こりせめぎあった上での絶句である。


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松竹座 七月大歌舞伎 昼の部  『義経千本桜 渡海屋・大物浦』仁左衛門 孝太郎 菊之助 猿弥 彌十郎 鴈治郎   2019年

2019-07-11 | 歌舞伎





    松竹座 七月大歌舞伎 昼の部  『義経千本桜 渡海屋・大物浦』仁左衛門 孝太郎 菊之助 猿弥 彌十郎 鴈治郎   2019年




 

 

 

 

 

 

 松竹座の今年度の七月大歌舞伎は昼夜み終えた。

 昼の部、片岡我當様のお舞台の『厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)』は歌舞伎を長年にわたり見てきた私としては、感無量のお舞台であったことを書き記した。
        ▼
     大阪松竹座「七月大歌舞伎」2019年 昼の部より『厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)』片岡我當様のお舞台で、心を動かされる。役者魂を見せていただいた。

 

 昼の部で、心に残る、何度でも見たくなる演目があった。

 仁左衛門丈の『義経千本桜 渡海屋・大物浦』であった。

 私が見た日の仁左衛門丈は、感情移入よろしくの細部にわたる細やかな表情作りであった。

 私は仁左衛門丈の仕草や表情や声色を少しも見逃さぬようにと、私なりに凝視した。

 おそらく側から見れば、怖い!危ない人に見えたのではないかと少し心配。

 

 また、先日楽しんだ大和絵と文字で描かれた『舞の本』には『義経千本桜 渡海屋・大物浦』に関連性の高い冨樫や弁慶などの話が多々乗っており、それたも心の中で順序立てながら楽しんでいた。
        ▼
   
    『海の見える杜 舞の本を読む  微笑が愛した舞の世界の物語』石川透 星瑞穂編 (三十四話掲載)  舞の本「冨樫」を能楽、歌舞伎と比較しながら記録。

    『乱鳥徒然 湿気た土から息吹きを吸い取り、庭の花々は嬉々としている。弁慶は『舞の本』「冨樫」では子供に扇を与え、子供から冨樫状の関の様子を詳しく聞く。


 

 今回の仁左衛門丈の『義経千本桜 渡海屋・大物浦』は阿呆な言い方に変えれば、超男前で美しい。おまけに、相当の威厳と気品を感じさせてくださる。

 こんなに美しい役者さん。孝夫さん時代から四十数年来の美しさで、その魅力は私が高校生の頃も相当可愛いお年頃に変身(メタモルフォーゼ。いや、メタボルフォーゼ、ですわ^^)したおばちゃんですら、その魅力の虜である。
 
 
 
 仁左衛門丈の今回の芝居での気品、これは見た方なら皆感じ取っておられるのではないでしょうか?!

 夜の部で、隣席させていただいた殿方の話によれば。
「あの表情、見られましたか?」
「気品があるましたね。」
「あれはもう見られませんよ。」
「何回も見たくなるでしょう。」
「最高の舞台でしたね。」
など次々に話され、私の気持ちを代弁して下さり、二人の話に熱が入っておりました。

 

 仁左衛門丈の『義経千本桜 渡海屋・大物浦』をみ終えて、悲しい気持ちはずっと尾を引いていた。

 子供は義経に引き取られ安堵感はあるであろうが、それにしても悲しい結末。

 私は涙がなかなか止まらす、エスカレーターも踏み外しそうになった。

 
 一階に降りると仁左衛門夫人が例のごとく番頭さんのあたりに立っておられた。

 全く面識はないが、涙でくしゃくしゃのなった顔で、遠くから御夫人に頭を下げて松竹座を後にした。

 感動するような舞台をは楽しませていただたせめてものご挨拶であった。

 

 仁左衛門丈のお舞台は印象に残るものが多く、また、感動しすぎで二度ばかり腰を抜かしてしまったこともある。

 幸い夫と一緒で、数分ほど座っていれば歩けるようになったので良かったが、芝居で腰を抜かしたのは仁左衛門丈のみ。

 私にとって、嬉しい失態である。

 

 仁左衛門丈といい、片岡我當様の熱い思いのお舞台といい、大好きな秀太郎様の揚巻(『助六』曽我五郎の相手役))の台詞のパロディといい、今回の昼の部は大変満足の行くお舞台でした。

 まさしく歌舞伎を愛する会にふさわしく松嶋屋さん三兄弟  が揃って出演して下さり、感無量のお舞台でございました。

 これで先代の仁左衛門はんがいらっしゃったならと思うと胸が熱くなり、こみ上げて来るものがございます。


 お三方皆々様にはいついつまでもお元気で素晴らしいお舞台を披露していただきたい。

 心に残る素晴らしいお舞台をありがとうございました。

 感謝申し上げます。




 三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)


  仁左衛門
  孝太郎
  菊之助
  猿弥
  彌十郎
  鴈治郎





 『色気噺お伊勢帰り(いろけばなしおいせがえり)』及び 夜の部の記録は後日を予定しています。
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