乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

京劇への招待

2007-03-31 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は雲南省、大理)

 

 記録だけ 2007年 41冊目

 

 

 京劇への招待

                

        

 著者 魯大鳴(ルー・グーミン)北京・1958生

 丸善ライブラリー 139 

 2002年2月10日

 127ページ 1600円+税

 

 

 3/30、三冊目は『京劇への招待』

 面白かった。

 この作者、魯大鳴(ルー・グーミン)も1958年生まれ。

『平成のカブキ』の作者と同学年らしい。

 やはり京劇にオモダカ屋のエンノスケの写真と説明を加えている。

 この作者が高校・大学時代のこと。日本では、古典歌舞伎を守る一方、エンノスケの功績でカブキが広がりつつあったことは、『平成のカブキ』でも記した。

 

 この本は京劇全体を冷静にとらえ、楽しく読むことができた。

 

 

 

 中国の色の感覚は日本とは違うことは以前にも書いたが、この本にも詳しくに載っていた。

 紅=正義感、

    気骨のある人物で忠臣

 

 紫=謹厳実直

    温和な人物で忠臣

 

 黒=謹厳実直で勇猛な人物

    マジメで正義感にあふれているが、情け容赦しない

 

 白=姦悪で危険な人物

 

 黄=策略をめぐらす性質、

    凶悪さ

 

 青・藍=短期で気質の激しい人

 

 赭(かっしょく)=年をとった人

 

 緑=凶暴さや邪悪さ

 

 金・銀=神や仏、妖怪など

      人間に持ってないと殻を表す

 

 以上色に関して、『京劇への招待』野9ページ参考。

 

 

 

 

 

 

 

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平成のカブキ

2007-03-31 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は京都の舞妓はん。美しい彼女は、祇園歌舞練所から八坂神社へ向かわれた。)

 

 記録だけ 2007年 40冊目

 

 

 平成のカブキ

                

        

 著者 野原明

 丸善ライブラリー 139 

 平成6年10月30日

 207ページ 640円+税

 

 

 3月30日、二冊目は、『平成のカブキ』

 結構今までに言われていたり、自分で感じていることの寄せ集めてきな内容。

 悪く言えばレポートと自分の好みや趣味の公開要素が強く、納得できない部分も感じられる。

 冷静に書かれている部分はよいが、自分の好みが少々で過ぎている部分もあるように感じるのは、私だけだけだろうか・・・

 やはり『カブキ全般』を本にする場合は私のように素人ではないのだから、偏りといったことは許されたことでない。

 冷静な目を持って、新しい感覚でカブキを解説する必要性を感じる。

 

 全体には先ほど書いたように、カブキを長年見ている人間であれば、結構今までに皆が感じて言っていることのまとめ。

 だが、第一章の二項目目の『エ○ノスケ云々』は納得できない。

 要するに作者 野原明氏はエンノ○ケが好みらしいが・・・

 

 この作者は京大経済を出て、頭は良いらしいが本質をわかってない。

 1958年生まれなので、ちょうど高校、大学時代は『ジーパンでどうぞ・・・』といった時代で、エン○スケもアクロバットのような手法で舞台に立っていた。

 確かにカブキを一般観客まで広げたという功績は認めるが、カブキそのものを好きな人間にとっては、宙づりやアクロバットばかりでは満足感に欠ける。

 私はいまだにオ○ダカ屋や、エンノス○劇団の芝居は退屈で、観ることができない。

 

 

 作者はどうも演技の品位に対しては重きを置いてないようだ・・・

 

 

 今日は辛口で申し訳ないとは感じるのですが、あくまでも私の好みの問題です。

 オモ○カ屋や、○ンノスケ劇団をお好きな方も多く申し訳ないとは思いますが、作者があまりにも腹立たしい為に、このような記録になってしまいました。

 ○モダカ屋ファンの方には、この場を借りて、お詫び申し上げます。

 

 

 

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コウシロウの見果てぬ夢

2007-03-31 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は雲南省大理壁の民家の飾り画。一家の繁栄を願った絵らしい。大理石も美しい。)

 

 記録だけ 2007年 39冊目

 

 

 コウシロウの見果てぬ夢

                

        

 著者 マツモトコウシロウ

     水落潔

 毎日新聞社 

 1996年9月15日

 230ページ 1600円+税

 

 

 3月30日、本を三冊読む。

 一冊目は、『コウシロウの見果てぬ夢』

 この本を読んで、楽しい時間を過ごすことができた。

                           記録だけ・・・

 

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ドラマ 復讐するは我にあり

2007-03-29 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

(写真は中国、雲南省の麗江の自由市場。猪八戒のようにも見える猪(豚)の骸骨は抜かれ、平らにされているが目玉はついたままのものも多い。『哀れ、猪八戒。復讐した気は人間也。』てなところだろうか・・・)

 

 

    復讐するは我にあり

 

 

 28日、緒方拳出演の映画『復讐するは我にあり』http://homepage2.nifty.com/kiriko/movies/fukushu_suruha_ware_ni_ari.htmgagaが好きだった理由から、ドラマの『復讐するは我にあり』 http://www.tv-tokyo.co.jp/fukusyu/ をみた。

 このドラマは三時間近くの大作。

 ドラマを見るのは、今年初めて。

 楽しめた・・・

 

 しっかりと作品として描かれた中、警察が動く部分が少しサスペンスぽくって、惜しい感じはする。全体を通しては良く練り上げられており、楽しめた。

 映画とはまったく別の仕立てで、表現も違う。

 

 どちらが良かったかという野暮なことは、ここでは控えさせていただきたい。

 ただ、私、学生時代に観た『鬼畜』以来、根っからの緒方ファンとなる。

 彼のひょうひょうとした表情が急変する奥底から示す怖さは、どうしようもなく好きだ。

 

 ドラマで一番印象的なのは子ども。

 小さな女の子の表情と台詞が、今も脳裏に焼きつく。

 

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麗江の町で出会ったイー族の御婦人

2007-03-28 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

 

  麗江の町で出会ったイー族の御婦人

  

 

 ここは雲南省麗江市大研鎮香格里拉大道という場所のスーパー付近。この美しい女性は、そこで見かけた方です。

 私たちはお菓子や水などを購入し、スーパーから出て来ると、こちらに向かって、上品な歩き方で近づいてこられます。

 彼女はニッコリと会釈され、こちらが写真の撮影をお願いすると、ニッコリと笑顔でこたえてくださいました。

 彼女は言葉の通じない私たちに、握手で答え、優雅な仕草で接してくださいました。

 

 この方は観光地の方ではなく、実際にイー族の衣装を見にまとった方だそうです。

 頭にかぶられた五角の被り物とスカートが特徴的で、色彩も美しい。

 国には銀細工の豪華絢爛名細やかなデザインの首飾り。

 腕にも凝った細工の銀のブレスレットをいくつかつけておられます。

 私は見せていただきたいとお願いすると、彼女は快く、自分の身に付けた宝飾類を披露してくださいました。

 

  麗江市大研鎮香格里拉大道付近の歩道では、店や職業のためではなく、こういった素敵な衣装を着こなされている方はこのか対外には見かけませんでした。

 

 このイー族の方が歩いておられると、商店の中国人も店前まで出て、観ておられる方がおられました。

 しばらくして美人の彼女と、外国人である私たち夫婦とが楽しそうに挨拶をしていたものですから、中国人の方はにこにこ顔でこちらを眺めておられました。

 

 後でミスター雲南総括ガイドに写真を見せて尋ねてみると、やはりこの場所ではこういったことは珍しいとのこと。

 衣装の着こなしから考えても一般のイー族の方だったそうです。

 一ヶ月半以上たった今となっても素敵な思い出の一つです。

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イチカワソメゴロウとカブキへ行こう!

2007-03-26 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は 『イチカワソメゴロウとカブキへ行こう!』本書の一部です。)

 記録だけ 2007年 38冊目

 

 

 旬報社まんぼうシリーズ

    イチカワソメゴロウと

         カブキへ行こう!

                

        

 著者 イチカワソメゴロウ

 株 旬報社 

 2000年1月25日

 143ページ 1600円+税

 

 

 写真は『カンジンチョウ』のトガシ(ソメゴロウさん)。

 そういうと、名古屋のミゾノ座で父、コウシロウ(ベンケイ)でトガシ演ずるソメゴロウさんをみたことがある。

 

 子どもが帰国した直後、オペラ座でナリタ屋さんが『カンジンチョウ』を公演された。

 子供が訪れた時にはこの『カンジンチョウ』チケが完全に売り切れていたらしい。パリではカブキもナリタ屋さんも、大変な人気だとのこと。

 本人曰く、

「カブキは好きだけど、訪れた時、オペラ座がカブキでなくて助かった。」

 

 ムーランルージュではバレエの前にはジャズを聴きながらお食事を楽しんだらしい。 

 隣席の英人と超美人・米人カップルが和やかに話しかけてくれたとのこと・・・

 

 ドイツでは立見席で同劇場を三回通い、違うものを観たんだってさ。

 ふーん、馬鹿が・・・

 四サイクルで演目が変わるらしく、『マノン』『オネーギン』『白鳥の湖』などのおなじみのオペラやバレエを見たんだとさ・・・グググッ・・・

 

 他にもウイーンでオペラ、イギリスではコメディなど、今回の旅行だけで、合計八舞台を観たとか・・・グググッ・・・グヤシイ・・・

 

 オペラ座は自分で手配しても少し高かったらしいが、それ以外は全部立ち見などを利用したらしく、日本では考えられない安価。3、5ユーロや2ユーローといったお手軽さらしい。但し2,3時間はざらというほどに、かなり並んだのはいうまでも無い。途中で食べた洋梨やチョコが美味かったとのこと。

 一ヶ月の間、美術館と演劇を中心に、昼はカフェーでのんびりしていただって・・・シクシクシク・・・私もいきたいよ~~~

 

 気を取り直して・・・

 子の経験は嬉しいとはいえ、羨ましさも感じる私。

 ここのところ演劇関係の本とカブキチャンネルで気分を紛らわしているが、これがまた楽しい。ところが、目を輝かせて話してくれる子どもの話は、もっと楽しい。

 舞台の話はいくら聞いても飽きない私でごじゃりまする。

 

 

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京劇の世界  見て読む中国

2007-03-25 | 読書全般(古典など以外の一般書)

  記録だけ 2007年 37冊目

 

 

     京劇の世界  見て読む中国

                

        

 著者 施陳徐

     殿栄城

     文祥北

 東方書店 

 2006年6月20日

 134ページ 2400円+税

 

 今日二冊目は、京劇の世界 見て読む中国。

 

 京劇をはじめてみたのは会社からのプレゼントor仕事・・・。

 新入社員の何十人か(かなり大人数)の女子が招待されました。

 その日は仕事を少し早く切り上げ、京都会館に直行。

 仕事はさぼれて(失礼)、舞台を観られるというので興奮気味だったことを覚えています。

 

 

 初めてみた京劇は中国版オペラと言った感じで、とても楽しい。

 音楽も声色も、台詞も抑揚も面白い。

 化粧や衣装、みえや形も興味深かった。

 十代から観ていた歌舞伎との共通点も多い。

 まだ二十二,三歳だった私は、初めての京劇に興奮気味だったが、ほとんどの同期の女の子たちはみんな、

「仕事している方がいいね。」

「これも仕事だから・・・」

と、口々につぶやいていたのが、とても印象的。

 人はそれぞれ好みがあるのだと、この時再度感じた。

 

 私は今もって色々な舞台を楽しめることに、満足感を感じる。

 

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隈取り THE KUMADORI

2007-03-25 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

  記録だけ 2007年 36冊目

 

 

 THE  KUMADORI  隈取  カブキの化粧

                

        

 著者 伊藤信夫

 岩崎書店 

 2003年11月25日

 191ページ 2700円+税

 

 隈取を見ながらうっとりとした時間を過ごす。

 色々な隈取を見ながらの、演目を思い浮かべるのは至福の喜び・・・

 隈取に思惑の役者さんの顔を重ね合わせる。なんて、しあわせ名時間だこと。

 隈取を見ていると、どうしてこんなにワクワクするのでしょうか・・・

 

 

 写真はベンケイの隈取、四種。

  右上 現代ベンケイ

  右下 中車

  左上 シンジュウロウ

  左下 ショウロク

 

 

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大エルミタージュ美術館展

2007-03-24 | 美術・文様・展示物

 

   大エルミタージュ美術館展

          京都市美術館 2007,3/14~5/13

 

 

 エルミタージュ美術館展に行く。

 三大美術館としては、エルミタージュ美術館、大英博物館、ルーブル美術館が知られている。私はいまだロシアのエルミタージュ美術館には行ったことが無い。私にとってはそういう意味でも、今回の美術展は興味深い。最もエルミタージュ美術館展は日本では何度か開催されている。私も、国内では複数回観たことがある。

 

 エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブルク)はエカテリーナ2世が美術品コレクションや、100年にわたる欧州各国、各時代(16世紀~20世紀)の美術品、調度品を集められている。

 エルミタージュ美術館の『エルミタージュ』の語源(フランス語)は、『隠れ家』。エカテリーナ2世にとって居心地の良い空間がもたらせた由縁であろう。

 エルミタージュ美術館は、ルネサンス期の休息の場所として作られ、その後100年をかけて完成。

 エルミタージュ美術館も他の美術館と同様に収集といった点では博物館・美術館とは性質が違っています。第一に、エルミタージュ美術館のあるロシア・サンクトペテルブルクが居住地でもあったということです。

 

 今回の『大エルミタージュ美術館展』は絵画のみ、七~八十点展示。

 興味深い作品も何点かあった。

 

 中でも一番心引かれたのは、『廃墟の中の洗濯女』(ユベール・ロベール作、1760年)

 この絵はロシア的な重厚感と重々しさが私の心をとらえて離さない。

 『品良く描かれた建築物』と中の『生き生きとした女たち』が美しい。

 また『逆光』、『色彩』にも細やかな配慮があり、好みの作品の一つだった。

 まるでロシアオペラ映画を品質良く絵で表現した感じがする。

 

 他にもいくつか心惹かれた作品があった。

『オランダの室内』A(ピーテル・ヤンセンス・エリンハ)と『18世紀の女官の水浴』B(フランソワ・フラマン)

 Aは1.5メートル以内では『絵の具』、それ以上はなれた時点で『光』に変化。

 Bは2、5メートル離れた時点で『池に人が映し出される』

 しかし上はあくまでも私の目の状態によるもの。人によって距離は違うので、是非試していただきたい。

 ちなみにBはペルシャジュータンのような絵柄と色彩が美しい。

 

『ルーブル美術館の若い水彩画家』(パスカル=アドルフ=ジャン=ブーフレ、1881)は古いキャンバスの古生地(キャンバス布)の色のにじみ具合が好きだ。

 

『オダリスク』(フェルディナン・ロワベ、1880)は斬新な色彩、構図、テーマが目をひく。

 

『池のある風景』(フランソア・プーシェ、1840)や『森の風景』(ジュール・デュプレ、1840)などは三点並べて森の絵が描かれていた。

 

『春』(キース・ヴァン・ドンゲン、1908)は色彩の単純化、『都市風景』(シャルル・レイケイト、1856)は存在しない風景が描かれ、川の反射が美しく、色彩豊か。

 

 モネの作品としては今回の干草をテーマにした『ジェルニーの干草』 (1866)が展示されていた。

 

 最後に、『廃墟の中の洗濯女』同様に私の心を魅了したテーマの作品、『風景』(レオポルト・シュルヴァージュ)があった。

 この絵はキュービズムの特徴が認められたものだが、『舞台風景』を題材としている為、私としては興味深い。

 ロシアだけにエカテリーナ2世と言う人物の、絵画や舞台芸術に対する興味深さを考えると楽しい。

 また集められた作品群を考えると都市と田舎、文化と自然と手広く興味をもたれているところに、この人物の広い知識を感じる。

 この人物は世俗を逃れ、ひと時をエルミタージュ(隠れ家)ですごしたのかと思うと、なんともいえようの無い羨ましさを覚える。

 

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東寺 五重塔  

2007-03-23 | お出かけ

 

    東寺 五重塔  

 

 

 東寺の五重塔は、おいては京都のシンボルのひとつと言える。

 東寺は毎月21日、弘法さんとして知られる。

 

 ここの五重塔は大変美しい形と角度、色彩で、私の心を魅了する。

 金堂の東側、境内の東南隅に位置し、弘法大師が創建(天長3年=826年)に着手したと伝えられる。

 度々火災に遭い焼失、との数四回。その後再建を繰り返し、今に至る。

 

 2007年4月某日。

 日頃非公開の一階(初重)内部が公開。

 この五重塔は宇宙、しいては曼荼羅を表すと言う。

 心柱を大日如来に見立て、壁には真言八祖像(第八祖が空海)の絵。

 柱や天井は極彩色の絵で描かれている。

 

 五重塔や心柱はもともともっと高かったと言う。

 塔の高さは現在約57m。

 現存する木造の古塔では日本一高さとのこと。  

 

 心柱は幾本かの部分に分かれていると東寺の係員(?=或いは、ボランティア)が説明。

 地震で五重塔そのものが沈下したらしい。

 

 心柱は幾本かの部分に分かれていたため、結果、地震対策隣、柱はその姿を保っていたとのこと。

 ただ、柱の周りの五重塔だけが沈下。柱は屋根上から突き出していたらしい。

 

 その証拠となるのが心柱の蓮の絵。

 もともとは一階の見えるところに描かれた蓮の絵が、今は中心の象の地下に見ることができる。

 これは突き出た柱を、地下から切り倒し、短くした由縁だとのこと。

 係員は、

「達磨落としの対策・・・」

と笑って説明されていた。

 

 電柱で照らされた象の下を除くと、蓮の絵が認められる。

 蓮の絵は心柱下だけではなく、壁面四方の下のほうにも、かすかに彩られていた。

 

 四方の柱には、勢いのよう墨の龍が描かれていた。

 ところどころ はげたり、色落ちしてはいるが、非常に保存状態が良い。

 

 パンフレットには『初重内部の色彩も落ち着いて・・・』と記されている。

 しかし、内部の柱や天井など一面に彩色はほぼ褪色。

 仏教から考え、かつての東大寺屋多くの寺同様、鮮やかな彩色が施されていたに違いない。

 

 天井は多くの寺に共通する色彩と組み方。

 あまりの美しさに、三、四十分は五重塔の内部から外にでることはできなかった。 

 宇宙を表していると言う五重塔の内部はあまりにも居心地が良く、心が落ち着く。

 よくはわからないが、胎児が母の胎内にいるような感じなのでは…といった、妙な懐かしさの感じる空間をかもし出していた。

 

 四方から龍に見守られ、中心と四方は安堵感を感じるの蓮の絵。

 中心の像は自分と一体となり、『生』を感じる。

 自分にとって、こういった感覚を味われる空間は消して多くないと考える私は、いい時間を過ごすことができたことに感謝している。

 

 

 最後に・・・

 五重塔内部ではスケッチ禁止でしたので、間違った記憶を記述している可能性があります。

 もしお気づきの点がございましたら、お教え下されば、幸いです。

 どうぞ宜しくお願いいたします。 

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京都・瑞巌山 圓光寺の水琴窟

2007-03-21 | お出かけ

 

 京都 洛北

    瑞巌山 圓光寺の水琴窟

 

 

 子どもが留守の間に、下宿の掃除をせんと、七日ばかり京都に居座る。

 生まれ育った町並みが心地よい。

 布団干しや掃除の合間を楽しむべく、バイクにまたがる。

 まだ、風は冷たい。

 

 

 下宿付近を行ったり来たりするだけで心はきらめく。

 学生が多い・・・

 古いものと新しいものが同居し、老人と若人が笑っている。

 京言葉も懐かしい・・・

 

 

 出町商店街にも立ち寄る。

 入り口の『ふたば』は長蛇の列だ。

 前日、観劇がてら かしわ餅を食べていた私。好物の『豆もち』は、今回は買わなかった。

 

 商店街をはいると、スーパーやすし屋、饅頭屋にうどん屋。

 気の早いミナミ座横の饅頭屋ではあった『かしわ餅味噌餡』も、ここの饅頭屋では、まだ店頭に並んでない。

 商店街のどんつきには蕎麦屋が在る。

 好物の『鯖寿司』を売る店が、三軒。

 

 

 気分良く十五から二十分ばかりバイクを滑らせ、詩仙堂まで足を伸ばす。

 この辺りは静寂を保ち、落ち着いたところ。

 桜はまだ咲かず。

 

 とりあえずバイクを置いて、かなりの裏道や小山の上まで散策。

 あまり遠いところは、その都度バイク使用。

 かれこれ五時間は楽しんだだろうか・・・

 色々なえらを門前で楽しむが、『家康公の現存する 日本最古の木活字』(1955)と『水琴窟』が気になり、圓光寺だけ拝観する事にした。

 

 

 人当たりの良さそうな 小顔の御住職が、門前の植木を手入れされていた。

 丁重なご挨拶を頂き、案内される。

 

 石段を少し上がると、美しい庭に通じる。

 入ってすぐ右には宝物殿。

 期待の『家康公の現存する 日本最古の木活字』は素晴らしく重々しかった。

 木の色も美しく、ことの外きれいな保存で驚きを隠しえない。

 観ているだけで、わくわくしてしまう・・・素晴らしい・・・

 

 渡部始興筆の『寿老人図』や『中峯和尚船居図』(作者、忘れる)、伝西金居土筆の『羅漢像』など多くの絵図が興味をそそる。これらの絵は好きだ。

 

 玄関の襖絵。

 墨一色で勢い良く左上から一気に書かれた丸。

 丸の中には重厚な松。

  この屏風も私の好み。

 

 玄関右横を過ぎると、庭園。

 庭園を眺める一室にある襖絵の『米鮎山水図』も好きだ。

 

 本堂前には水琴窟。

 竹筒に耳を傾けると、澄んだ涼しげな、片思いのような感覚をもたらす琴の音が奏でられる。

 その音は私たち世俗の垢を落としてくれるほどに、美しい。

 柄杓で水を落さずとも、水面を撫で付ける風の揺らぎだけで確立される旋律・・・切なささえも感じさせるのは、何故だろうか・・・

 私はこの心地の良い音色に、その場を離れることができなかった・・・

 世にこのような美しい音があったのかと自分の耳を疑う。

 小一時間この音色を楽しんだが、季節柄、私以外に拝観する客は無かった。

 鳥のさえずりも虫の音色も無く、だた冷風にささやく笹の葉と、琴より自然な美しい音色だけが、私の心に響く。

 季節や時間、天気や湿度や温度。全てが恵まれたのだろうか・・・。それとも、常時、このような美しい音色なのか・・・このような経験を味わえた私は、なんて幸せな人間なのかと自然の全てに感謝する。そんな素直な感覚にさせられる『宝の音』

 この至福の喜びを夫と分かちあいたかった・・・もう一度 是非家族と来てみようと心に誓う。

 

 

 庭全体もかなり手入れされており、庭のつくりの上品で美しい。

 一日いても飽きない寺だ。

 庭園にある栖龍池(せいりゅうち)は、洛北一の古い池といわれている。

 

 

 池と池の間を潜り抜け、竹やぶを右手に 少し登っていくと、墓。

 墓の後ろには名の書かれたような 竹板が立ててあり、風でカタコトと鳴る。

 私はその微妙な音に、少し肩を萎める・・・ちょっと怖い・・・

 儒学者の中村斎(てきさい)と井伊直弼に仕えた密偵・村山たかの墓があると言われても、怖いものは怖い。

 

 小山を登っていくと徳川家康を祀る「東照宮」、そして家康の墓。

 墓の前には京都の景色が広がる。

 

 私は一通り寺を嘗め回した後、縁側の腰をすえる。庭を堪能した後、もう一度 『水琴窟』の音のハーモニーを楽しみ、この寺を後にした。

 

 

圓光寺の HP ↓

http://www.mudo.jp/e_top.htm

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通し狂言『キリタロウ天狗のサカモリ』 三月花形カブキ

2007-03-21 | 歌舞伎

 

三月花形カブキ

   通し狂言『キリタロウ天狗のサカモリ』

 

 

 

 役者 

ハシノスケ

ヤジュウロウ

    アイノスケ

     シンシャ

     キカク

     カンタロウ

     シチノスケ  他

     

 

 百十一年ぶりに復活通し狂言ということで、ミナミ座に行ってまいりました。

 この狂言、廻り舞台を発明した名作者・並木正三が書き上げたスケールの大きな作品といううたい文句だけあって、歌舞伎の醍醐味が濃縮され、荒事風味を堪能できる一演目。

  形

  宙吊り

  六法

  みえ

  衣装

  舞台

  曲

  化粧やカツラ

  男前

    ・・・どれをとっても面白い。

 

 しっとりとした上方歌舞伎ではないが、もう一度観たくなる格好の良さで、胸がすく思い。

 

 話はいたって単純で明快。

 天狗の妖術使うは源氏の宝を奪う大盗賊のキリタロウ。

 このキリタロウに扮するは、ハシノスケ。

 上にも書いたが、衣装も化粧もみえも形も素敵。

 ハシノスケさんが今回の役が男前で、かっこよすぎなのだ。

 高校時代にひとりカブキに通った時のコウシロウ(当時ソメゴロウ)とニザエモン(当時タカオ)への思いに似ている。

 久しぶりにドキドキワクワク…

 この気持ちは去年の新春カブキのニザエモンを観るがために、昼夜4回ショウチク座に行った気持ちに近い…阿呆な私…

 

 

 喜之平(アイノスケ)は薬売りで、まるで『ウイロウウリ』を思わせる台詞や風貌。ちなみに、早口言葉は無い。

『マツリ』や『ドンツク』をも感じさせる、当時の人々の息吹が感じられるワンシーンだ。

 薬でたちまち何にでも効くといった場面では、癪やおでこの大きなおできをもたちまちに治してしまう。

 このでこのおできは『スパッ!』と切り取り、膏薬を貼るとたちまち治るとのこと。

 アイノスケさんの手元が少しずれ、眉毛の上に貼り付けてしまったから、さぁ大変と思いきや…とっさのアドリブで、

「ひゃぁあ~、治りました。治りました。でも、ちと位置が違いまする…」

 上手い、でも、これにわ笑った…

 

 

 薬売りの喜之平(アイノスケ)が以前仕えていた天狗と現在自分の置かれた源氏への忠義ノ板ばさみになる。

 喜之平は天狗は白旗と宝、源氏側には天狗の妖術をなくす術を教え、自害。

 

 

 この喜之平が自害し、花道方向を見つめるその上では、キリタロウが桜木(シチノスケ)を連れ去る宙づり場面。

 桜木(シチノスケ)が花道せり上がりの場所で、黒衣に背中部分にチェーン取り付けられている間、アイノスケさんは静かながらも死に絶える名演技。

 花道に気を取られていた方も多いようだが、このアイノスケサン、しっかりと自分の役割を果たしておられた。

 さ~すが、マツシマ屋。

 

 天狗は白旗と宝を手に入れ、鎌倉を倒そうとするが、和田新左衛門(ヤジュウロウ)などの活躍により、天狗妖術を失い、野望は断たれる。

 演技と台詞の大好きなヤジュウロウさんは今回出番が非常に多い。嬉しい~。

 義時に代わり、悪を追い詰める男前役。

 化粧も心なしか、いつもよりは念入り。

 一度目の花道からの出で、少し台詞を感でしまわれましたが、こんなことは初めてで、こういった違ったヤジュウロウさんも素敵かな~~と感じました。

 演技の上手さは渋い役柄がぴったりで、義時の立場が本当にないんですよね。

 ここでカブキらしく形を大切にした だんまり。

 最後は全員が『つらね』で、全員形を大切にして、みえをきる。

 カッコイイ~~!

 

 

 今回夫は仕事で海外出張でアメリカ。ふたりの子どもはそれぞれ中近東とヨーロッパ。

 ひとり家に取り残された私を気遣って、夫がチケットを取ってくれました。

 

 

 今までは三~六列目の花道側が好きだったのですが、今回初めて花道側のかぶりつき。 

 周りはたいそうなご贔屓筋の方たちばかりだったようで、少々場違いな思いもしましたが、とにかく役者さんがよく見える。

 表情や視線まで尾にわたり細にわたり分かるものだから、恥ずかしいやら勘違いするやら…

 かぶりつきに抵抗力のない私には、相当な嬉しさと感動も大きい。

 

 

 ヤジュウロウさんが好きだったのに、帰るころにはもともと少し好きだったハシノスケさんのファンになっている始末。

 もともと シカンさん(ハシノスケさんの父)も大好きな私。

 以前にも書きましたが、私の場合、上手い役者さんや素敵な役者さんなど、好きな役者さんが多すぎて困ってしまいます。

 

 今までかぶりつきはポリシーとして避けていたのですが、夫が、『そういった経験も良いだろう』と気遣って撮ってくれたチケット。

「宙吊りがあるのに~~」なんて間違っても言えやしない。

 こうして初かぶりつき経験をした私ですが、当の芝居はといえば 私にとっては慣れている、三列目以降の方が観やすいというのが実感。

 最前列の花道近くは舞台の左1/5が全く見えない。

 時々左を見ては、右の舞台と頭の中で合成させるといった余分な作業が生じてしまう。

 ゆえに舞台の全体の雰囲気は私には楽しめないのかも知れない。

 また私的には、『ウメガワチュウベイ』のように雪の降る演目は避けたい。

 『ウメガワチュウベイ』は何といっても六、七列目以降が雪が美しく、幻想的に感じるのだが、実際にはどうなのだろうか。

 

 今回かぶりつきのせいか、私の理解力のなさのせいかは定かではないが、舞台の細部をことごとく舐め回すように観ることはできなかった。

 ただただ役者さんのかっこよさに見とれていた私…

 芝居とは、こんな素敵な楽しみ方もあるのかと、改めて実感。

 こんなに心ときめくのならば、席さえ取れる場合は、時々ならかぶりつきもいいなと痛感した『三月花形カブキ』であった。

 特に『もえぇ~』って感じの役者さんが出演なさるときに…本当に私って、馬鹿だな。

 もちろん今後はハシノスケさんもシカンさん同様にチェックしなくては…

 

 

 台詞としては『・・・・し』『・・・・し』『・・・・し』『・・・・し』

と『し』で韻を踏んだり、ノウガク的な口調や声色、曲の部分が楽しめた。但し『ウメチュウ』の八平衛のような怖い言い方ではない。

 また、

「落ちたところが、鶴岡天神」

といった台詞は『ゴトサンバソウ』の「くるりと回って鶴の間」を思い浮かべ、ほくそ笑む。

 

 紅・白の梅ノ木を持ってきて、

「一枝(いっし)を切りし者は、一指(いっし =クマガイでは 一子)を切る」

って、『クマガイ陣屋』にでてくる台詞そのまま(漢字、意味違い)。

 但し、『クマガイ陣屋』では

「一枝(いっし)を切りし者は、一子(いっし)を切る」、

にもじり、『キリタロウ天狗のサカモリ』 では

「一枝(いっし)を切りし者は、一指(いっし)を切る」

と言ったパロディの形をとっている。

 劇中でも『クマガイ陣屋にちなんで(或いは・・・・見立てて)「一枝(いっし)を切りし者は、一指(いっし)を切る」』

と言った場面がある。

 

 この狂言『キリタロウ天狗のサカモリ』 が百十一年演じられなかったのは、こういったB級台本の由縁かもしれない。それだけに、寄せ集めてきな要素が、役者によっては面白みを増すともいえよう。たんきり芝居ではないが、カブキとしての醍醐味を充分味わえる、良いとこ取りの濃縮版。まさにポンキッキ型芝居といえる。

 

 

 さてこの演目にも『カゴノツルベ』のように『名剣オニキリマル』という刀が出てくるが、カブキには一体どれくらい名剣のでてくる演目があるのだろうか…

 

 

『シラナミ五人オトコ』ほどではないが、今も余韻に浸ることのできるスカッとカッコイイ演目の一つ。

 あぁ~、楽しい芝居だった。

 

 

 

 

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中国文章家列伝 井波律子著 岩波文庫

2007-03-20 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は京都・島原の、舞妓や芸妓が生活する場である『置屋』であった『輪違屋』。東寺を拝観した後、あちらこちらをのんびりと散歩しました。

島原にはここ『輪違屋』の他に、置屋当初からの建物、『角屋』もある。

『快楽を求める文人』にちなんで、この写真をのせました。)

 

 

記録だけ 2007年 35冊目

 

 

 

 中国文章家列伝

        

 著者  井波律子

 岩波文庫  新赤版 662

 2000年3月17日

 243ページ 700円+税

 

 

 

 第二章『快楽を求める文人』は面白かった。

 

   食を乞う 山僧の廟

   衣を縫う 歌妓の家

   年年 江上の客

   只だ是れ 看花を為(な)すのみ

 

 女の私が読んでも小気味がよく、味わい深い。

 

 

 鄭板橋(ていはんきょう)(1693~1765)は遊郭とは縁深きひとで、遊女にもてたとのこと。

 文人ではないが、少し芝居に興味を持つ私は、『花川戸スケロク』や『(ウメガワ)チュウベイ』を思い浮かべる。

 

 この板橋って人は美少年も好きだったとのこと。

 ここで芝居の二人とは大きく食い違うが、鄭板橋がどのような人だったかは興味深い。

 

 

 鄭板橋について書かれたHP ↓

http://www.rankado.co.jp/data-base/0000/03-1.html

http://www.chuka-shoten.co.jp/new/110020.html

コメント (9)
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安楽死のできる国 新潮文庫

2007-03-20 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は京都の舞妓はん。京都東山灯火路にて・3/10~3/21)

 

 

記録だけ 2007年 34冊目

 

 

 安楽死のできる国

        

 

 著者  三井美奈

 新潮文庫

 2003年7月20日

 189ページ 680円+税

 

 

『赤ちゃんの安楽死』は興味深く読んだ。心にずしりとのしかかる。

 人はそれぞれの自分の器の中で、己の良心を信じ、行動するものなり。

 そして記録している私も同様。

 何が良いかは、見る角度や立場によって、白にも黒にも,赤にも変わる。

 人の意見とは、よほどの強固な考えを持たない場合は、流動的である。

 私は人の考える思いを無下に否定も肯定をもしたくは無い。

 ただ、その人の考えや意見を少しでも理解できるような心のゆとりを持ちたいものだ。

 そして残念ながら、『赤ちゃんの安楽死』については私自身の考えを持たないというほうが、正しいかもしれない。

 ただ一昔に比べ、幸か不幸か、医療が進みすぎて、苦しむ親も多くなったのだろう…

 赤ちゃんちうにんにとっては、安楽死がどういった意味合いを示すのかは、私には定かではない…

 

 

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現代中国 グローバル化のなかで 興梠一郎 岩波新書

2007-03-13 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は昆明の早朝。バス停付近を掃除する人。すっぽりとかおお隠しておられ、何となく興味をそそる女性でした。)

 記録だけ 2007年 33冊目

 

 

 現代中国 グローバル化のなかで

        

 

 著者  興梠 一郎(こおろぎ いちろう)

 岩波新書(新赤本)797

 2002年8月20日

 186ページ 700円+税

 

 

 

 本日の読書二冊目は『現代中国 グローバル化のなかで』を選ぶ。

 この本は地元図書館でお借りした内の一冊。

 

 興梠一郎さんの岩波新書はこれで二冊目。

 今までに読んだ何冊かの岩波新書とかぶっていたが、面白かった。

 中国の教育問題では、具体的な数字がかかれており、その金額の大きさに驚いた。

 

 数年後には穀物が・・・とか書れていたが、何とか今のところ農作物も収穫が続いている。

 これを書き上げられたのは2002年。楽観はできないだろうが、カーブは緩やかだったと、ひとまずは安心。

                ・・・すこーん、すこーん、米団子・・・

 

 

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