チーママの庭とウサギたち

チーちゃんのママことチーママです。植物とウサギと戯れ、マイペースでハンドメイドをしています。

昇華

2012-07-20 20:25:46 | 生活
15日 日が変わろうという深夜に、父は旅立ちました。

(15日夕暮れ)


その日は、ひよこ家がお見舞いに行く予定でした。
おっきいおじーちゃんが、だいぶ前に王子と姫におもちゃを用意していたのです。
おっきいおじーちゃんから、もらわなくちゃね~♪

そんな朝、状態が悪いと連絡がありました。
あわてていたら、持ち直したと。
全員病院に集合して、枕元に並べたおもちゃを王子と姫は「ありがとう♪」と言っていただきましたよ(^^)
病院からは、今夜は大丈夫だろうから、明日朝早くおいでくださいということで、いったんみんな帰りました。
でもその晩遅く スッと出かけていきました。
きっと最後の気がかりであったろう、ひ孫たちにおもちゃを渡せたし、「じゃあ 行くか」と思ったに違いありません。


(16日早朝)




生前の功があったのでしょう。
おそらくご先祖様が勢ぞろいで、お迎えに来たのではないでしょうか。

お前はおっちょこちょいだから 盆なら命日も忘れないだろう(^^)

そんな声が聞こえてきます。

まぁ ね(^^;;;


夏のお盆と言うのもありだけど、きっとママちんが8月はイベントだらけで稼ぎ時なのも、きっと知っていて7月を選んだかな?
本当に家族周囲のことを、さりげなくも最優先に考える人でしたから。


(葬儀は田園調布の密蔵院にて)


圓明院崇山敏信清居士

田舎の菩提寺から、お添えを連れてご住職が来てくださいました。
ご住職が小さな頃から、父は見守ってきました。
「いらっしゃる時には、いつも私にもお土産を持ってきてくださったのですが、成長に合わせた仏様の逸話などの本をくださいました。」
崇山の字は今まで永きに渡ってお寺に尽くしてくださったのでと、最高位の戒名をつけてくださいました。
仏様たちに、父の生前の功績を報告なさっているのを聞いて、さすがに涙が出てきました。
お二人の読経の声は、深く響き渡って、本当に見事に立派でした。
よかったねー。



戦友会も、会社のOB会も、父の姉妹(4人の姉と妹一人の長男)も、すでにほとんどが鬼籍に入っています。
だからさほどの会葬者もないだろうと思っていましたが、予想より多くの方がいらしてくださいました。

昔の部下の方がお二人、まだお元気で精進落しまで付き合ってくださいました。
「会うのは、40年ぶりですよ。」
でも、私のことはすぐに分かったと。

父の頃は、良い時代でしたよね。
戦後の急成長の時期で、終戦後はまだ小さな会社だったのが、みんな一丸になってがんばった。
がんばればかんばるほど成果があって。
尾道だ 藤沢だと、次々工場ができて、色々な部門が増えて、働き甲斐がありましたよね。
なんだか、その当時の人たちが全員でスクラム組んで、こう どんどんと上にあがっていった気がします。
本当に、良い時代でしたよね。


そうそう ○○さんには、本当にたくさんのことを教えてもらいました。
この年で働いていられるのも、○○さんのおかげなんです。
儲かったのを上手に繰り入れるのも、経理の腕だと言ってね(^^;;
(今で言う 粉飾決算?笑)
細かいばかりじゃだめだと。
要所をきちんと押さえながら、どんぶり勘定的なところもありましたね。


私はその部分だけ受け継いで、どんぶり勘定どころか、ザル勘定。
もっとも、すでにザルの底が抜けて枠だけですけど(^^;;


アハハハ
でも 怖かったんですよー。


えーーー? そうなんですか?

でも 今でも○○さんの時のメンバーだと言うのが、僕たち何よりも誇りなんです。

そうなんですか。
そんなに言っていただけるのは、本当にうれしいです。
あの当時、経理部はみな仲が良かったですよね。
大島に旅行に行ったり、中津川にバーベキューに行ったり。


ええ、良く行きましたよね。

お正月には、うちに皆さん集まってくださったでしょう?
あの時は、普段の父の顔じゃないので、子供心に父の違う一面を見た思いがあります。
何しろ お酒は家では一滴も飲まない人ですから。
お酒は好きではなかったですね。


えー!!(@@) そうなんですか?
ご一緒の時は、かなり飲んで、強かったですよー!
数年前も、ご一緒に飲んだ時、帰りを心配したら「年寄り扱いするな!」って怒られましたっけ。



小さな頃の父との写真を持っていました。


これ 東門前の社宅ですよね?
私の一番好きな写真なんです。


(@@) こんな顔 見たことないですよ!!
こんな顔するんだぁ~。
ギロってにらまれるとね、すくみ上がるほど怖かったんですよ(^^;;
いやー 意外な面を知りました。


私たちには、いつもこの笑顔ですよ。
本当に子煩悩でした。
私たちはそれぞれ年が離れていますから、全員父の懐で育ったんです。
寝るのも一緒で、こう 懐に抱え込んで、冬は父の足の間に足を突っ込んでね。
子供が本当に好きでしたから、ひ孫ができて喜んでいました。


へぇ~~~(@@)
まったく想像もできませんよ。


どうやら、会社ではかなり怖い存在だったようで(笑)
その割りに、皆さんいつも一緒に遊びに行ったし、家にも集まったし。
私の母が亡くなった時も、皆さん全員ですべてやってくださった。
日本の高度成長期の第一線にいた人たちですから、本当に仕事が面白くて遣り甲斐あったことでしょう。
だからこそ、団結力も強かった。
本当に良い人生を送ったものだと、つくづく思います。

当時の方たちも、ほとんどおられないでしょう?

そうですねー。
Oさんも Kさんも Yさんも、確か社長のYさんも亡くなられていますよね。
(当時の父の同僚、来てくださった方の上役の人たち)
Oさんは、ご存知だったんですか?


Oさんは、第二の父でしたから(^^)
よくお風呂屋さんに連れて行ってもらいました。
実は、Oさんも母が好きだったんですが、結局父と結婚して(笑)
社内結婚第一号だったんですよね。


え?そうだったんですか?
知らなかったなぁ(笑)


父の亡くなる時の話をして

お盆に行ったと言うのも、父らしいかなって。
お前はおっちょこちょいだから、お盆なら忘れないだろうって。
いかにも言いそうだと思いません?


確かに、言いそうですねぇ!(爆)

本当に久しぶりに、昔の部下の方たちにお会いして、お互い父の知らない一面を知ったりして、とても楽しかったです。


こういう時、昔の写真があると、話が盛り上がりますよ。
いとこたちには、父が持っていた昔の写真を見せて、それぞれの両親の分は持っていってもらいました。
モノクロの写真は、それだけで昭和初期の香りがして、昔の家や場所、あんなことした、こんなだったよね、って話が盛り上がります。
一人なかなか美しい娘さんの写真がたくさん残っていたのですが、いったいおばたちの誰かが分からなかったものがありました。
一番上のいとこが「これ安子おばさん」と、教えてくれました。
安子おばは、東京大震災のときに祖父と一緒に亡くなった人です。
聡明で絵の上手な人だったと聞いてはいましたが、もっと若くして十代の頃に亡くなったのだと思っていました。
背が高く、着物をすらっと上品に着こなして、本当に美人さん。
実家の仏壇に位牌はありましたが、おかげでもっと身近になりました。
いとこたちとも、むかし田舎で法事をした時のあれやこれやで、話は盛り上がり。

あんなきれいな蛍は、なかったね。

田んぼがとても美しかった。

ヒルに吸われながら、用水路で魚を取ったよね。

あの時、ドジョウをさばいて、うなぎだって言って食べさせたでしょう!

アハハ そうだっけ(^^;;;

ホタテを沢山持ってきてくれたことがあったでしょ?

ああ あの時は沢山集まるからって、漁師に言ってバケツ一杯もって行ったんだよ。
(この話は後日談がありまして、以降30年近く「ホタテはもう沢山!」状態になったかーさんです:笑)


以上は父方のいとこ達と。
実は、私の父方と母方のいとこ同士が結婚したカップルがいるので、母方の話も出ます。

ほら これ十和田の家。


あらぁ そうだわ。 あそこのソファに、熊の毛皮があったのよね。

知ってた? 実はあれ、一匹は白熊で、もう一匹はツキノワグマ。私のお友達だったの。
他に、襟巻きの狸がお頭手足つきであってね、それがぬいぐるみ代わりだったの♪


えーーー 私は頭も手足もあって、気持ち悪かったわ。
あの裏に奥入瀬の支流があったじゃない? この胡桃の木の後ろ。
池も二つあって。


うん この胡桃の横に、シバグリの木があったの。
その手前にアスパラがあってね、その前にりんごと洋ナシの木。
裏の川から、水路を引いて、台所の下を通って表の池につながっていたでしょ?
そこから道路側の小川につながっていた。
トトロのね 映画を見た時に、出てきた家の様子があまりにも十和田の家に似ていて、本当にびっくりした。


そうそう 池に大きな鯉が沢山いたわよね。

もうひとつは、養殖池よ。
私が遊びに行くと、おじーちゃんがヒメマスの稚魚を放してくれて、それを世話したの。
白色レグホンをこうずらっと並べてね、毎朝卵をとるの。
あそこは、私の聖地なの。
今でもあそこの敷地の見取り図が描けるのよ。
お盆に父が迎えに来ても、「おとーちゃまもおかーちゃまも帰っていいよ。私は帰らない」って駄々をこねたもの(笑)



父のおかげで、昔の思い出話を沢山することができました。
弟たちは、当時の様子を小さすぎて覚えていないか、まったく知らないかで、ちょっとかわいそう。
でもそれぞれにも、父の思い出は沢山あるはず。
一人一人が、父の思いが沢山胸に詰まっています。
私は父の子に生まれてよかったと思い、また父の子に生まれようと思っていますが、きっと弟たちも同じ。

もっとも 父は「何で金魚の糞みたいにくっついてくるんだ」って、言いそうですけどね(^^;;

昨年来、徐々に食欲が減って、食べなくなり。
その姿に、正直「ああ もう体が店じまいしているんだな」と思っていました。
今まで身内との別れをいくつか経験し、動物たちと数多くの別れを経験していると、なんとなく気配が分かります。
死に慣れることはありませんが、いたずらに追うこともありません。
ですから、別れの覚悟も、納得もしていたので、お式の時にはすでに心の中で昇華できていました。
ましてや、ご先祖様が迎えにきたのでしょうから、「さて そろそろ行くか」と思い切りよく出かけたと思っています。
そのあたり、下町っ子ですから潔い。
私も、きっとノンやウサギたちが迎えに来るでしょうから、潔くかるーく出かけて行きたいものだと思いますよ。
だから、旅立った父にかける言葉は一つ。

おとうちゃま ありがとう またね♪♪

(多摩川六郷土手にて。毎週日曜はハゼ釣り。帰りは釣具屋さんで竿鑑賞で、夕食はてんぷらが定番:笑)


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しばらくお休み?

2012-07-16 11:21:32 | 生活
昨晩父が亡くなりました。
留守がちになりますので、ブログ更新が滞るかもしれません。

3月ごろからわずらっておりましたが、最後は大変潔い旅立ちでした。
きっとご先祖様が、長年の功労に報いるためにお迎えに来てくれたのだと思っています。
本当に一家の大黒柱らしい、頼もしい存在でした。
ひたすら ありがとう の言葉しかありません。
父の子供として生まれて、本当に幸せなことでした。


ママちん手作り 枕花
今 持っていきますからね。


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生きております(^^;;

2012-07-13 23:24:57 | 生活
なんだかお疲れなもので、ちょいと一休みしております。

日曜に加え、水曜退社後も父の病院へ行くようになったものですから、気力はともかく体力が・・・
加えて本日は、なんだか蒸し暑い横浜で、あれこれお買い物をして帰宅したら、食欲もないくらいになっております。

ママちんも「疲れたから、おかずだけでいい」
おとーさんも「納豆ある? 納豆くらいでいいや」

どうも 全員暑さ負けしているようです。
かーさんも チーズトーストとコーヒーで、もういいや ですし。
夕食だというのに、なんというメニューでしょうか(^^;;

明日は、口当たりの良い物を用意しましょうか。
それとも味の濃いもの?
冷やし中華にするか、とんかつにするか?
ま、明日二人に聞いてみましょう。

相変わらず また雨が降り出しております。
南の方は大変なことになっているようで、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災した方々に心からお見舞い申し上げます。
これで梅雨だというのですから、いい加減梅雨明けしてほしいものです。
かんかん照りの方が、なんぼかマシでしょう。
少なくとも熱中症と脱水症に気をつければ、命の危険はありませんもの。
早く雨上がるように、照る照る坊主でも並べたいものです。

明日も雨かな?
雨の合間があれば、下の庭に夏苗を植えようと思っているのですが。
すっかり放置になっている下の庭。
いい加減に手入れしないと、他の方々の目にも見苦しくて、毎朝うんざりしていますので。

ということで、本日は(も!) これにて失礼でございます。


梅花つつじ


ママちんが「珍しかったから」と持ち込んだ切花です。
どうやら挿し木が出来そうですが、この時期はどうかしらね?
地味ですが、それなりに趣があるかと。
ひょっとしたら照り葉(お茶花で、紅葉した葉のこと)で、使えるかもしれません。

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天皇さまお脈拝見

2012-07-10 20:19:18 | 生活
ここで言う天皇というのは、昭和天皇のこと。
戦争を知る世代の方はどう思われるかわかりませんが、かーさんはあの朴訥なお姿が大好きだったのです。
どことなく、亡くなった母方の祖父に通ずるものがある気がします。

青森の祖父母は教師でした。
祖父か校長で、祖母は国語の先生とか聞いております。
私が行っていた頃には、すでに引退しておりましたが、そのせいか とても穏やかでやさしい祖父母でした。
十和田町の一角で、自分たちが食べる分の野菜などを作って暮らしておりました。
あの家は、私にとっては聖地。
今で言うなら、ターシャの庭のように、子供の私にはとても魅力あふれる魔法の園で、一人でいくらでも遊んでいられました。
いつも夏になると2週間ほどは滞在したのですが、そのたびに祖父は遊び仲間を用意してくれました。
ケージに入った白色レグホン。毎朝卵を産みます。
遊び相手のチャボの雛。
養殖池にはヒメマスの稚魚。
それらのお世話をするのが、私の役目。
あとは一日 花つみしたり、胡桃を拾ったり、ドジョウをとったり、野いちご摘んだり。
今でも、今は無きあの家の庭の見取り図が書ける位です。
顔・手足つきの(!)狸の襟巻き2匹が、ぬいぐるみ代わり。
ソファには、これまた頭つきのシロクマとツキノワグマ(@@)
そんなのがお友達で、ひたすら遊んでおりました。
自然という懐深い友達がいたので、一人でもまったく寂しくないのです。
東京に帰るのが嫌で、「ここにのこる!」って言ったことを覚えています。
自然のことを教えてくれたのは、祖父でした。
おしゃべりな人ではありませんでしたが、何かあるたびにとつとつと教えてくれたものです。

そんな人柄 風貌が、なんとなく昭和天皇とダブって見えるのかもしれません。
なので、かーさんは、昭和天皇のことは学者天皇として好きでした。
那須の地が南限と北限の植物が交じり合った土地柄というのも、雑草という名の植物はいないということも、昭和天皇から知りました。皇居の自然を作り出したのも、昭和天皇です。
「天皇様お脈拝見」というのは、そんな昭和天皇のお姿を、侍医として24年間おそばに仕えた杉村氏が書き留めたものです。
文体も堅苦しくなく、どこか飄々として、とても温かい目で昭和天皇を見つめています。
昭和天皇の人としての暖かさ(純粋培養なのかもしれませんが)が、静かに心に広がってきて、私の好きな本のひとつです。

もう廃版になっているのかもしれませんが、検索すると結構ヒットします。
アマゾンでは1円(^^;;
送料出しても251円ですから、心和みたい方にはお勧めです。
分厚い本ではなく、200ページほどのかるーい読み物ですが、よく考えるとなかなか中身の濃い一冊です。

「天皇さまお脈拝見」 杉村 昌雄著




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まーたん バイバイ

2012-07-09 19:47:28 | ウサギ
ちゅんちきさんが記事をアップしたので。

実は土曜日、ちゅんちきさんが連れてきたのは、亡くなったまい君だったのです。
あと1週間ほどで、10歳だったのにね。
とてもそんな高齢には見えない、とてもきれいな姿でした。
毛並みも良くて、ふっかふっか。

思えば、引き取ったライオンズが不正咬合みたいということで、それならきち先生ということになって、初めて連れて来た時にかーさんご一緒しました。
ちゅんちきさんとは、ライオンズがご縁でお友達になったんですよね。
かーさんが依頼されて大変な思いをしていると、ちゅんちきさんが手を上げてくださったのです。
それも3匹も引き取ってくださった。
ライオンズにすれば、とても幸せなちゅんちきさんとの出会いでした。
ちゅんちき家に行ってから、無表情だった3匹が、だんだん目が輝いて、表情が出て、おしゃべりしだして。
ああ やっぱりウサギって賢いんだ。
そう改めて確信した かーさんでした。

あい君の最後には会えなかったけど、まーたんは土曜日を選んで来てくれたみたい。
本当にびっくり。
でもね、お話を聞いたら団子の会をした後というではありませんか。

ああ まーたん みんなにちゃんとご挨拶して、楽しく遊んで出かけたんだな。

そう思ったら、なんて素敵なゴールだったんだろうって、素直に天寿を全うしたのだと納得できました。

残ったはる君が、さみしがらないといいな。
だって生まれてから、3匹はずーっと一緒だったのですもの。
あい君 まい君の分もがんばって、素敵な10歳ウサギさんになってほしいな♪

まーたん 君に会えて おばさん本当にうれしかったよ。
最後に沢山なでて、お話できて、うれしかったよ。
虹の橋の向こうで、あい君とけんかしちゃだめだよ(^^;;
ヤッピーさんとも、仲良くしてね。


まーたん 最後の団子の会
みんな寄り添っている姿を、よろしかったらご覧くださいね。
犬並みに賢いウサギたちは、お互いをいたわることも知っているんですよ。
最後の団子
まーたん、バイバイ

コメント (3)
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