お宮参りに行ってきました。
天気も良く暖かく、桜もまだまだ咲いていて、繰り延べにして本当に良かったと思いました。
場所は伊勢山皇大神宮。
20数年前に、おばーちゃんとママちんのお宮参りに来たところ。
当時の嫁がおばーちゃんになって、今また宮参りの出来るありがたさをつくづく思いました。
(おじいちゃん:笑・おばーちゃん・ママと)
厳かに奏上した詔の要約はこうです。
「○○のところに住む父××と母△△の間に子が出来、無事安産することが出来ました。
名を○○と申す子は、30日無事に過ごすことが出来たので、本日ご挨拶に参りました。
願わくは無事健康に育ちよい民人となりますよう、ここに謹んでお願い申し上げます」
1ヶ月生き延びたので、きっとこの子は育つに違いないので、ご挨拶に参りました。
どうかすくすくと育つようお守り下さい。と言うことです。
その昔、お産も新生児の生存も、なかなかに危険が伴うものであったことがしのばれます。
子が親になる姿には、なかなか感慨深いものがあります。
ひょっとして、孫が生まれるよりうれしいことかもしれません。
こうして連綿と家々の歴史が積み重なって、国の歴史となるのですね。
山の端の一滴が集まって、やがて大河になって海に注いでいくような、そんなイメージを持ちました。
フト振り返ると都市の中の神社らしい光景が。
ランドマークタワーと日の丸と社務所の屋根に桜。
過去と現在が混じりあった、いかにも都心らしい不思議な光景ですね。
(パパになったおにいちゃんとチビさん)
拝殿に続く階段はきれいに掃き清められていて、まだまだ満開の桜の元、時折舞う桜の花びらが何ともうれしいことでした。
この大鳥居の下を、今までどれだけの人々が通って行ったのでしょうか。
そしてこれから、どれだけの人々を見つめて行くのでしょうか。
拝殿前のハナカイドウがそれはそれはにぎやかに、愛らしく咲いていました。
その色合いは赤ちゃんの命にも似て、これからこの花を見るたびに、今日の日を思い出すことでしょう。
天気も良く暖かく、桜もまだまだ咲いていて、繰り延べにして本当に良かったと思いました。
場所は伊勢山皇大神宮。
20数年前に、おばーちゃんとママちんのお宮参りに来たところ。
当時の嫁がおばーちゃんになって、今また宮参りの出来るありがたさをつくづく思いました。
(おじいちゃん:笑・おばーちゃん・ママと)
厳かに奏上した詔の要約はこうです。
「○○のところに住む父××と母△△の間に子が出来、無事安産することが出来ました。
名を○○と申す子は、30日無事に過ごすことが出来たので、本日ご挨拶に参りました。
願わくは無事健康に育ちよい民人となりますよう、ここに謹んでお願い申し上げます」
1ヶ月生き延びたので、きっとこの子は育つに違いないので、ご挨拶に参りました。
どうかすくすくと育つようお守り下さい。と言うことです。
その昔、お産も新生児の生存も、なかなかに危険が伴うものであったことがしのばれます。
子が親になる姿には、なかなか感慨深いものがあります。
ひょっとして、孫が生まれるよりうれしいことかもしれません。
こうして連綿と家々の歴史が積み重なって、国の歴史となるのですね。
山の端の一滴が集まって、やがて大河になって海に注いでいくような、そんなイメージを持ちました。
フト振り返ると都市の中の神社らしい光景が。
ランドマークタワーと日の丸と社務所の屋根に桜。
過去と現在が混じりあった、いかにも都心らしい不思議な光景ですね。
(パパになったおにいちゃんとチビさん)
拝殿に続く階段はきれいに掃き清められていて、まだまだ満開の桜の元、時折舞う桜の花びらが何ともうれしいことでした。
この大鳥居の下を、今までどれだけの人々が通って行ったのでしょうか。
そしてこれから、どれだけの人々を見つめて行くのでしょうか。
拝殿前のハナカイドウがそれはそれはにぎやかに、愛らしく咲いていました。
その色合いは赤ちゃんの命にも似て、これからこの花を見るたびに、今日の日を思い出すことでしょう。