もぉ~っ!!!なのであります。
何が原因なのか教えてくれぃ!
ネットに繋がらないと精神衛生上とってもよくありませぬ。
…今、だから、またしても朝なのであります。
でも。
少し賢くなりました。
…昨晩、ワードに日記を書いておきました。(繋がらないだけで、パソコンは勿論使えます)
ということで。
そのまま、コピー・貼り付け、であります。
以下、昨日の日記。。。
勤めていた会社が大好きで愛社精神(と出世意欲?)に満ち溢れ誠心誠意尽くしてきたものの、ひょんなことから退職したお話は、以前にブログにも書きました。
そして。
それは、本当に急な思いつきだったわけで、辞めて何かこれをやろう、と思った訳では全然なかった…。
1年間の充電期間(←そのつもりだった)に何をやろう?
いろいろ考えた末に、これまたほんの出来心でフランス語を始めた、ということも、綴ったような気がします。
で。
そんな時期(=つまり6年前かな?)、日本でフランス語学校に通っていた時のこと。
母が一通の手紙を読んで、ふ~っとため息をつきました。
「どうしたの?」
「○○オバサマが具合悪くなって介護状態なんですって。で、△△さん(そのオバサマの義理の妹)がとりあえず、近くに住んでいるから面倒を見ているものの。もう限界だから、って、彼らの遺産は面倒を見てくれた人にあげるということで、誰かやってくれないか?というお手紙なのよ…」
○○オバサマとは、父の姉。
旦那様は私が物心についたときから失明していました…
つまり、○○オバサマというヒトが、その旦那様の面倒をみてきたのですが。
彼女がダウン。
=失明のオジサマとあわせて二人の老人の面倒をみなくてはいけない…。(○○夫婦には子供がいないのです。)
で。
育ち盛りの子供が3人もいる、○○オバサマの弟(=父の弟)のお嫁さん・△△さんは、とても面倒は見きれない、限界だ!と。
お金のことより(←○○夫妻は結構な財産家。面倒を見てくれた人に財産は全て譲るという条件だったそうです)、これ以上は耐え切れない、と。
それを聞いて。
「誰もいないんだったら、私お世話するよ~!」と言ってみた私。
というのは、父方の兄弟姉妹の中で一番、しかもとりわけ好きだったのが○○夫妻なんです。
滅多に会う機会もなかったけど(←実は父方の出身は博多なのです。でも私の家はずっと東京…だから、小学校の夏休みとかくらいでしたね、会ったりしたのは)、いつ会ってもとても優しく、お話ししていても楽しかったから、遊びに行くのも好きだった家の1つでした。
だから。
会わなくなって何年も経つけど、彼らの面倒なら見られるだろう、と思ったわけです。
それに。
会社でちょっとした介護方法とか習ったことがあったし、体力的に見て私は結構向いているんじゃないか、くらいに考えたりもして。
が。
父も母も猛反対。
「あなたが考えているほど介護は簡単じゃない!その一方で、人間かなり弱ったからといって、いつ死ぬかは神のみぞ知るわけでしょう?例え彼らが今よりもっと大変な状態になって何十年も命だけ永らえる可能性もあるのよ。その時になってこんなはずじゃなかった、もう嫌だからやめます!とは決して言えないのだから。自分の人生、全て棒に振ってしまうことになる!」と。
…親、なら、ではの愛情と思いやり、だったのでしょう。
そのとき、私はそうかなぁ…これも1つの職業だと思えば、別に人生棒に振るってわけじゃないよなぁ~。
くらいに思っていました。
ま、でも、そこまで反対されて押し通すほどの意欲があったわけでもなく。
そうだよね、そんな状態での初めての博多一人暮らしは寂しいかもね、とあっさり諦めました。
…結局。
何方も手を挙げる人がなく、外部機関に頼りながら、△△さんが面倒を見続けたような気がします。
そして。それから2~3年でお二人相次いで亡くなりました。
ぶっちゃけた話。惜しかったなぁ…と少し思わないでもありませんでした。
だって。
後は、例え仕事がみつからなくても自分の将来の心配は(少なくともお金の面で)はなかったわけだし。
でも。現実的に言って、そんなことに関わっていたなら、私はフランス語とは全く関わりのない世界にいて、今の私は絶対なかったって思えるから、ま、それはそれでよかったんだ、と十分悟っています。
でも。
なんでまた何の脈絡もなく、そんなことを書き始めたかって言うと。
そういった健全でない、似たような思いが、今日また脳裏を掠めたから、であります。
…お金持ちで、でも確実にもう1~2年で死ぬようなオジイサマに愛されて結婚しよう、とかって言われないかしらん?(←とっても非現実的だ。。。)
1~2年だったらどんな人でも大抵我慢できるだろうし(←それにしても、ヒドイ考えですね。。。)、その後お金に困らなかったら勉強が続けられる。。。。。
そうなんです、今日思ったのは、やっぱり今の勉強をもっともっとずっと続けたい…というとても現実的に叶わない自分の思いを改めて感じたからなのです。
今やっている勉強は、はっきり言って、仕事には何にも繋がらないのが現実です。
もし私がもっと若かったなら、研究室に残って助教授の道を探りながら、とか、或いはアルバイトしながら、という少しは現実的で、夢を叶えるための選択もあったのでしょうが。
如何せん、もうそんな夢は追えない、現実の厳しさだけが刻々と迫っている状況…。
勉強は、何があってもこの秋まで。と、自分の中で線は引いてきたつもりなのだけど。
…ムクムクと「もっとやりたい!トコトンやってみたい!」という思いに改めて捕らわれてしまったのでした。
仕事には繋がらない、と書きましたが↑。
長い目で見れば、いつか絶対繋がる内容だと思っているんだけど。
でもねぇ…現実は厳しい。。。。。
何が原因なのか教えてくれぃ!
ネットに繋がらないと精神衛生上とってもよくありませぬ。
…今、だから、またしても朝なのであります。
でも。
少し賢くなりました。
…昨晩、ワードに日記を書いておきました。(繋がらないだけで、パソコンは勿論使えます)
ということで。
そのまま、コピー・貼り付け、であります。
以下、昨日の日記。。。
勤めていた会社が大好きで愛社精神(と出世意欲?)に満ち溢れ誠心誠意尽くしてきたものの、ひょんなことから退職したお話は、以前にブログにも書きました。
そして。
それは、本当に急な思いつきだったわけで、辞めて何かこれをやろう、と思った訳では全然なかった…。
1年間の充電期間(←そのつもりだった)に何をやろう?
いろいろ考えた末に、これまたほんの出来心でフランス語を始めた、ということも、綴ったような気がします。
で。
そんな時期(=つまり6年前かな?)、日本でフランス語学校に通っていた時のこと。
母が一通の手紙を読んで、ふ~っとため息をつきました。
「どうしたの?」
「○○オバサマが具合悪くなって介護状態なんですって。で、△△さん(そのオバサマの義理の妹)がとりあえず、近くに住んでいるから面倒を見ているものの。もう限界だから、って、彼らの遺産は面倒を見てくれた人にあげるということで、誰かやってくれないか?というお手紙なのよ…」
○○オバサマとは、父の姉。
旦那様は私が物心についたときから失明していました…
つまり、○○オバサマというヒトが、その旦那様の面倒をみてきたのですが。
彼女がダウン。
=失明のオジサマとあわせて二人の老人の面倒をみなくてはいけない…。(○○夫婦には子供がいないのです。)
で。
育ち盛りの子供が3人もいる、○○オバサマの弟(=父の弟)のお嫁さん・△△さんは、とても面倒は見きれない、限界だ!と。
お金のことより(←○○夫妻は結構な財産家。面倒を見てくれた人に財産は全て譲るという条件だったそうです)、これ以上は耐え切れない、と。
それを聞いて。
「誰もいないんだったら、私お世話するよ~!」と言ってみた私。
というのは、父方の兄弟姉妹の中で一番、しかもとりわけ好きだったのが○○夫妻なんです。
滅多に会う機会もなかったけど(←実は父方の出身は博多なのです。でも私の家はずっと東京…だから、小学校の夏休みとかくらいでしたね、会ったりしたのは)、いつ会ってもとても優しく、お話ししていても楽しかったから、遊びに行くのも好きだった家の1つでした。
だから。
会わなくなって何年も経つけど、彼らの面倒なら見られるだろう、と思ったわけです。
それに。
会社でちょっとした介護方法とか習ったことがあったし、体力的に見て私は結構向いているんじゃないか、くらいに考えたりもして。
が。
父も母も猛反対。
「あなたが考えているほど介護は簡単じゃない!その一方で、人間かなり弱ったからといって、いつ死ぬかは神のみぞ知るわけでしょう?例え彼らが今よりもっと大変な状態になって何十年も命だけ永らえる可能性もあるのよ。その時になってこんなはずじゃなかった、もう嫌だからやめます!とは決して言えないのだから。自分の人生、全て棒に振ってしまうことになる!」と。
…親、なら、ではの愛情と思いやり、だったのでしょう。
そのとき、私はそうかなぁ…これも1つの職業だと思えば、別に人生棒に振るってわけじゃないよなぁ~。
くらいに思っていました。
ま、でも、そこまで反対されて押し通すほどの意欲があったわけでもなく。
そうだよね、そんな状態での初めての博多一人暮らしは寂しいかもね、とあっさり諦めました。
…結局。
何方も手を挙げる人がなく、外部機関に頼りながら、△△さんが面倒を見続けたような気がします。
そして。それから2~3年でお二人相次いで亡くなりました。
ぶっちゃけた話。惜しかったなぁ…と少し思わないでもありませんでした。
だって。
後は、例え仕事がみつからなくても自分の将来の心配は(少なくともお金の面で)はなかったわけだし。
でも。現実的に言って、そんなことに関わっていたなら、私はフランス語とは全く関わりのない世界にいて、今の私は絶対なかったって思えるから、ま、それはそれでよかったんだ、と十分悟っています。
でも。
なんでまた何の脈絡もなく、そんなことを書き始めたかって言うと。
そういった健全でない、似たような思いが、今日また脳裏を掠めたから、であります。
…お金持ちで、でも確実にもう1~2年で死ぬようなオジイサマに愛されて結婚しよう、とかって言われないかしらん?(←とっても非現実的だ。。。)
1~2年だったらどんな人でも大抵我慢できるだろうし(←それにしても、ヒドイ考えですね。。。)、その後お金に困らなかったら勉強が続けられる。。。。。
そうなんです、今日思ったのは、やっぱり今の勉強をもっともっとずっと続けたい…というとても現実的に叶わない自分の思いを改めて感じたからなのです。
今やっている勉強は、はっきり言って、仕事には何にも繋がらないのが現実です。
もし私がもっと若かったなら、研究室に残って助教授の道を探りながら、とか、或いはアルバイトしながら、という少しは現実的で、夢を叶えるための選択もあったのでしょうが。
如何せん、もうそんな夢は追えない、現実の厳しさだけが刻々と迫っている状況…。
勉強は、何があってもこの秋まで。と、自分の中で線は引いてきたつもりなのだけど。
…ムクムクと「もっとやりたい!トコトンやってみたい!」という思いに改めて捕らわれてしまったのでした。
仕事には繋がらない、と書きましたが↑。
長い目で見れば、いつか絶対繋がる内容だと思っているんだけど。
でもねぇ…現実は厳しい。。。。。