部屋の中にひとり。静かな夜。
もう家の中に私を怒鳴ったり威圧したりする人はいない。私は、もう夫の声色に、足音に、表情に怯える必要はない。私はもうテレビの大音響に神経を逆撫でされることもない。お風呂に入っているとき、突然侵入される恐れもない。
私は静寂の中、ゆったりと座っていた。
荷物を片付けながら、どんな部屋にしようかと考えるのは楽しかった。電化製品一切は前の家に置いてきたので、まず大型電気店に行き、自分用の電化製品を購入した。それから家具屋さんをあちこち見て、テーブルと椅子、そして小さな食器棚を買った。実は、テーブルや食器棚を自分で選び、買うのは初めてだった。若かりし頃のひとり暮らしでは、実家にあった棚や、買い換えるからもっていきなさい、と言われたものを運び、それを使い続けた。結婚した時には、すでに夫の趣味の暗い重厚感のある家具がそろえられていた。今回、初めて自分の好みの色や形のものを買うことができたのだ。上等ではないが、自分の気に入ったものを買え、こんなことですら自分の生活を築くささやかな喜びを感じた。(それは、およそ夫が選びそうもないものだったので余計に!。)
こうして少しずつ、時間をかけて部屋の中を整えていった。
そして悩んだのが、この別居について職場の人に伝えるかどうかだった。職場には転居届けと、通勤路変更届を提出しなければならなかった。単に引越しをしました、と言いたかった。プライベートなことは職場の人たちにはあまり詮索されたくないし、触れられたくなかった。もともと夫の扶養にも入ってはいなかったので、扶養からはずれる等の手続きも必要なかった。
しかし私は、引越し当初は何よりも夫の突発的な行動を恐れていた。夫も納得したかのように別居できたが、今までのことを考えると突然夫が職場に電話してくるかもしれない。訪ねてくるかもしれない。そんな時変な騒ぎになっても嫌だ。そして、もし私に何かがあったときの連絡はどうなるのか。もし私が家の中でぎっくり腰にでもなって、動けなくなったら(実際友人がそうだった)。もし通勤の途中で事故に遭い、職場に連絡がとれずにいたら上司は夫に連絡をとろうとするだろう。何かあったときの緊急連絡先も、夫の職場ではなく実家の電話番号に変更しないとややこしいことになる。
私は同じ課の上司と同僚にだけは別居したことを話すことにした。そして、夫から何らかの働きかけがあったらすぐ知らせてもらうことと、私に何かあったら実家に連絡してくれるようお願いした。幸いにも皆神妙な顔をしてうなずいてくれた。これでだいぶほっとした。何せ、今の私がほぼ毎日会うのは職場の人だけである。親やそれぞれの友人とも連絡(電話やメールなど)するのは多くて一週間に一度くらいなものだ。その点では、緊急なときの対処として同じ課の数人に最低限の事情を説明し、理解を求めることが最善ではないかと思えたのだ。
そう考えた背景には、やはり夫への恐れがあった。夫は一緒に暮らしていたときも、私のいうことに納得したかのような態度をとっても、だいぶ後になってから「あのときは…よくもあんなこと言ったな」と罵倒されたことがよくあったからだ。
夫が怒りを募らせ、嫌がらせをするのではないか…家に押しかけてくるのではないか…電話でまた責められたらどうしよう…。そんな不安も強かったのだ。DV夫が自分から逃げていった妻や、妻をかくまっていた友人を殺害、といった事件も後を絶たない。私は仕事帰りの道すがらも、いきなり夫が出てきやしないかと不安だった。駅の改札周辺に夫が立っていないかと、辺りを見回した。自分の家に入ったら、鍵をしっかりかけた。
幸いにも別居後、今まで夫がうちを訪ねてきたことはない。職場に連絡が来ることもなかった。モラ夫はええ格好しいで、世間体を守る気持ちが強いから、離れてもストーカーや嫌がらせなどはしないパターンも多いらしい。夫はこのタイプだったようだ。
ただ、何回か事務連絡的に、電話や郵便物が届いた。一回だけ、物を取りに行くために会いもした。しかしやはり妙に事務的でよそよそしくもったいぶった、おかしなムカツク行動だった。
嬉しかったことは、夫の大変さについて(モラハラの詳細は恥ずかしくて言えなかったが)、聴いてくれていた友人の何人かに「夫と別居したよ~」と報告したら、「やったじゃん!」と喜んでくれたり、「じゃあ引越祝いしよう!」と懐石料理をご馳走してくれたり、引越祝いのプレゼントをもらったことだった。親しい友人は誰も心配したり咎めたりしなかった。むしろ喜び祝ってくれたのだ。これがどんなに心強く励まされたことか。それにしてもなんだか不思議な感覚だった。結婚、そして別居。どちらも祝われる不思議。
そして、やっぱり自分はモラ夫以外となら、信頼できる関係がたくさんあったんだ、と改めて思うことができたのだ。
モラワールドの中にいたら、私はいつまでもバカでろくなことができない最低最悪人間でしか見られなかった。
ひとり暮らしも落ち着いてきた頃、私はいろいろな感情の波を体験することになる。次回はイカリ編です。
もう家の中に私を怒鳴ったり威圧したりする人はいない。私は、もう夫の声色に、足音に、表情に怯える必要はない。私はもうテレビの大音響に神経を逆撫でされることもない。お風呂に入っているとき、突然侵入される恐れもない。
私は静寂の中、ゆったりと座っていた。
荷物を片付けながら、どんな部屋にしようかと考えるのは楽しかった。電化製品一切は前の家に置いてきたので、まず大型電気店に行き、自分用の電化製品を購入した。それから家具屋さんをあちこち見て、テーブルと椅子、そして小さな食器棚を買った。実は、テーブルや食器棚を自分で選び、買うのは初めてだった。若かりし頃のひとり暮らしでは、実家にあった棚や、買い換えるからもっていきなさい、と言われたものを運び、それを使い続けた。結婚した時には、すでに夫の趣味の暗い重厚感のある家具がそろえられていた。今回、初めて自分の好みの色や形のものを買うことができたのだ。上等ではないが、自分の気に入ったものを買え、こんなことですら自分の生活を築くささやかな喜びを感じた。(それは、およそ夫が選びそうもないものだったので余計に!。)
こうして少しずつ、時間をかけて部屋の中を整えていった。
そして悩んだのが、この別居について職場の人に伝えるかどうかだった。職場には転居届けと、通勤路変更届を提出しなければならなかった。単に引越しをしました、と言いたかった。プライベートなことは職場の人たちにはあまり詮索されたくないし、触れられたくなかった。もともと夫の扶養にも入ってはいなかったので、扶養からはずれる等の手続きも必要なかった。
しかし私は、引越し当初は何よりも夫の突発的な行動を恐れていた。夫も納得したかのように別居できたが、今までのことを考えると突然夫が職場に電話してくるかもしれない。訪ねてくるかもしれない。そんな時変な騒ぎになっても嫌だ。そして、もし私に何かがあったときの連絡はどうなるのか。もし私が家の中でぎっくり腰にでもなって、動けなくなったら(実際友人がそうだった)。もし通勤の途中で事故に遭い、職場に連絡がとれずにいたら上司は夫に連絡をとろうとするだろう。何かあったときの緊急連絡先も、夫の職場ではなく実家の電話番号に変更しないとややこしいことになる。
私は同じ課の上司と同僚にだけは別居したことを話すことにした。そして、夫から何らかの働きかけがあったらすぐ知らせてもらうことと、私に何かあったら実家に連絡してくれるようお願いした。幸いにも皆神妙な顔をしてうなずいてくれた。これでだいぶほっとした。何せ、今の私がほぼ毎日会うのは職場の人だけである。親やそれぞれの友人とも連絡(電話やメールなど)するのは多くて一週間に一度くらいなものだ。その点では、緊急なときの対処として同じ課の数人に最低限の事情を説明し、理解を求めることが最善ではないかと思えたのだ。
そう考えた背景には、やはり夫への恐れがあった。夫は一緒に暮らしていたときも、私のいうことに納得したかのような態度をとっても、だいぶ後になってから「あのときは…よくもあんなこと言ったな」と罵倒されたことがよくあったからだ。
夫が怒りを募らせ、嫌がらせをするのではないか…家に押しかけてくるのではないか…電話でまた責められたらどうしよう…。そんな不安も強かったのだ。DV夫が自分から逃げていった妻や、妻をかくまっていた友人を殺害、といった事件も後を絶たない。私は仕事帰りの道すがらも、いきなり夫が出てきやしないかと不安だった。駅の改札周辺に夫が立っていないかと、辺りを見回した。自分の家に入ったら、鍵をしっかりかけた。
幸いにも別居後、今まで夫がうちを訪ねてきたことはない。職場に連絡が来ることもなかった。モラ夫はええ格好しいで、世間体を守る気持ちが強いから、離れてもストーカーや嫌がらせなどはしないパターンも多いらしい。夫はこのタイプだったようだ。
ただ、何回か事務連絡的に、電話や郵便物が届いた。一回だけ、物を取りに行くために会いもした。しかしやはり妙に事務的でよそよそしくもったいぶった、おかしなムカツク行動だった。
嬉しかったことは、夫の大変さについて(モラハラの詳細は恥ずかしくて言えなかったが)、聴いてくれていた友人の何人かに「夫と別居したよ~」と報告したら、「やったじゃん!」と喜んでくれたり、「じゃあ引越祝いしよう!」と懐石料理をご馳走してくれたり、引越祝いのプレゼントをもらったことだった。親しい友人は誰も心配したり咎めたりしなかった。むしろ喜び祝ってくれたのだ。これがどんなに心強く励まされたことか。それにしてもなんだか不思議な感覚だった。結婚、そして別居。どちらも祝われる不思議。
そして、やっぱり自分はモラ夫以外となら、信頼できる関係がたくさんあったんだ、と改めて思うことができたのだ。
モラワールドの中にいたら、私はいつまでもバカでろくなことができない最低最悪人間でしか見られなかった。
ひとり暮らしも落ち着いてきた頃、私はいろいろな感情の波を体験することになる。次回はイカリ編です。
かなり精神的に疲れてます。
が、ピークは過ぎたと思ってます(思いたいです)。
寝られないので、睡眠薬を医者から処方してもらいました。寝られなくて体調がドンドン悪くなっていくより、夜しっかり寝るほうが冷静な対策が立てやすいし、医者のアドバイスは正解だったと思ってます。
モラ攻撃に感情的に揺さぶられないよう、抗不安薬も処方してもらいました。
どんな結果が出るかわかりませんが、4月になれば何らかの方向性が見えてくるはずなので、今は睡眠を充分にとって気分を安定させることが何より大事だと思っています。
色々とお気遣いありがとうございます。
ウメさんのブログで、どれほど救われたかわかりません。何とか乗り切れているのは、ウメさんのブログの影響が大きいと感じています。
良かった!
って思ったら・・・うんうん分かります。
次は感情の津波が大変なんですよね(--)
・・・・しかし、ホンマに引き込まれる文章です。
尊敬
別居後のこの爽やかさ、私も今、かみしめています。
家族や友達の優しさ、気遣いも、心にしみて…。
モラと暮らしていた時、いかに自分の感情にふたをして暮らしていたか、ということなのでしょうね。
まだ、イカリはあまり来ず不思議に思っていましたが、これからが本格的なジェットコースターなのですね‥‥、覚悟して次回を待ちます。
ウメさんの冷静ながら、強い心の内があふれる文章。
感情丸出しより、迫ってくるものがありますよ。スゴイのひとこと!
共感しながら、まるで自分自身が開放されていくような「癒し」に似たものを感じています。
思い出しました!
その昔、「お前を逃がさん~追いかける~」と目の前で「水ごり(頭から冷水ザバザバかぶるやつ!)」をやられて、逃亡、新居作りに励んだ日々を。無論怖いのだけど、具体策を練るうちに、なぜか自信もついてきたっけ。
次回の怒り編、と~っても楽しみにしてます。
いよかんさんは、在る程度目処がたったのですね。
心身共に、まずは疲れを取るために
睡眠はゆっくりとったほうがいいと思いますよ。
とにかく焦らずご自身を労ってくださいね。
きっといい方向に行くものと願っています。
ウメより
花粉症などはないですか。
私はその影響で、ただいま巨大マスクを愛用中です(^^;)
脱出した後は、宇砂子さんのブログにあるように
いろんな○○期が訪れるのでありました。
まるで大波小波を乗り越えるサーファー気分!?
それにしても、私はいつも宇砂子さんの
お笑いセンスには脱帽しておりますよ~(^^)
『笑う門には福来たる』です!
また福もらいにお邪魔しますね~♪
ウメより
ほんとに、自分自身の生活を楽しむってこと、
モラと離れてから身にしみて実感します。
自分の好きな物を見たり選んだり、
ぶらぶら歩きながら、季節を感じること、
ささやかなことに幸せを感じますね。
平凡な生活を送ることの幸せを…!
そんなことを感じつつ、夫への怒りの感情が
突然噴火しそうになるときもあったのですよ~。
もちろん、人によってそれぞれの想いは
違うとも思うのですが。
それにしても、もう少しでお花見ですね。
美しい桜の季節、モラ抜きで味わえる幸せを
お互いに楽しみましょうね~♪
ウメより
ブログの更新を待っていてくださる方がいると思うと
何だか嬉しいです。
実はこのブログを更新するときには、
ちょっぴり原稿をあげるような気持ちで
こんな出来事を、こんな自分の心情を
どんな表現にしたら伝わりやすいかな、と考えています。
なので、時間とエネルギーのあるときにやっと更新できる感じです。
そして私も他の方のサイトやブログに共感することで
自分自身がとっても癒されました。
少しでも私の体験がお役に立てると嬉しいです(^^)
あかねさんもここでよかったら、何でも言ってくださいね。
ありがとうございます!
ウメより
もうすぐ桜の季節、お酒の季節ですね!
なんて、私はいつも関係なくお酒好きですが(笑)。
そうなんですよ。
モラの趣味を排除した?自分の好みのものだけを
選ぶって、楽しいですね。ほっとします。
今もちょっとした雑貨屋さんを見るのが楽しみで。
しかし酒蔵さん、「水ごり(っていうんですか?)」、
怖いですね~!!
そして、実際に行動することが一番ですね。
行動しながら自分を実感する、というか。
自分もこうやってできるんだな、って思えるのが
何よりの力になるかもしれませんね。
次回もぜひいらしてくださいね♪
ウメより