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デジカメを持って歩こう

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

東海道を歩く (東海道五十三次) -Top頁-

2020-12-31 23:59:59 | 東海道

東海道を歩くという校友会の企画に誘われました。 日本橋から京都三条大橋まで旧東海道を可能な限り忠実に歩くという企画です。 【江戸時代の東海道は、江戸日本橋から京都三条大橋までの百二十六里六町一間。一里を3900mとして計算して、約493Kmになる。】  女性を含めての歩きなので1回の走行距離を20Kmとした場合でも25日かかります。実際は1回15Km前後になるので33日、月1回の歩きで酷暑・酷寒の中を歩いても順調にいって3年以上かかる企画です。  2015年1月から歩き始め箱根越えまでがまずは一区切りです。  2015年末までに箱根を越え、三島宿~沼津宿まで歩くことができました。2016年からは勝・薩睡嶺のある油比宿を経て浜松へ行くまでが再度の区切りとなります。 

外部ブログ  東海道五十三次ウォーク   旧東海道徒歩旅行Google Map  歌川広重東海道浮世絵    

全行程Map1        全行程Map2

               

12回目)静岡【】-【江尻宿】清水&<静岡観光> / 11回目)清水【江尻宿】-【興津宿】-【由比宿】由比10回目)由比【由比宿】-【蒲原宿】-【吉原宿】富士  9回目)富士【吉原宿】-【原宿】原 / 8回目)原【原宿】-【沼津宿】-【三島宿】三島  7回目)三島【三島宿】-【箱根宿】-【小田原宿】風祭 / 6回目)風祭【小田原宿】-【大磯宿】二宮 / 5回目)二宮【大磯宿】-【平塚宿】-茅ヶ崎  / 4回目)茅ヶ崎-【藤沢宿】-【戸塚宿】戸塚 / 3回目)戸塚【戸塚宿】-【保土ヶ谷宿】-【神奈川宿】-横浜 / 2回目)京急・神奈川【神奈川宿】-【川崎宿】-蒲田 / 1回目)蒲田-【品川宿】-【日本橋 

--2018.8.16---------------------------------------------------

【近江路】  

 

・18.09.27
18.05.29-31
18.04.11-13
【伊勢路】  

 

18.03.18-19

18.02.14-16

17.12.6-8

.11.28-29
.10.17-18

【尾張路】
【三河路】     17.08.29-30
.07.24-25
    17.04.18-19
【遠州路】
遠州國    
【駿河路】 駿河國    

 伊豆國

   
【相模路】

相模國

 

 

 

 

 

【武蔵路】
武蔵國

②京急・神奈川【神奈川宿】-【川崎宿】-蒲田

蒲田-【品川宿】-【日本橋

 

 

 

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江戸幕府の道路政策<東海道> [by wikipedia]


・東海道を歩く(9) 原<原宿>ー<吉原宿>富士

2016-02-12 11:48:34 | 東海道

2016年2月11日 東海道のてくてく歩き、9回目は原から富士まで約16Kmを歩きます。6名の参加です。   今回のルートは常に富士山を仰ぎ見ながら歩くという絶好のビューコースです。   国道1号線は殆ど通らず裏道となる生活道路を歩くのでお店が少なく食事場所に苦労しそうです。ですが天気も良いので富士山を見ながら歩けると思います。

原駅に9時過ぎに集合、富士の霊水が湧き出る高嶋酒造の前を通り右手に雪を冠った富士山を見ながら歩きます。史跡としてはあまり見るべきものはありませんがJR東田子の浦駅近くから街道を離れ海岸に出て松林と「田子の浦」の駿河湾の景色を楽しみました。  JR吉原駅手前にある毘沙門天妙法寺はさらりと見ただけですが立派なお寺です。今度の日曜日から祭礼という事で屋台の準備で大忙しという雰囲気です。 製紙工場団地の中を通り「左富士」が見える場所では確かに道が北東に曲り富士山が左手に見えます。その先の平家越えには源平合戦で平家の大軍が水鳥の羽音を源氏の襲来と間違え敗走したといわれる碑があります。   岳南鉄道の踏切を渡ると江戸末期の吉原宿の中心で大きなアーケードがある商店街になりますが、余り人がおらずシャッターが閉まっている店が多いです。富士市街はずれの三度橋を渡り市街を通って富士駅に到着です。     終日雪を冠った雄大な富士山を見ながら歩くことができ満足して今回の街道歩き終了です。

<原宿> … 東海道第十三宿、日本橋から三十二里(124.2km) この一帯は富士の白雪が融け、地下水となって湧き出す浮島ケ原という湿地帯であった 富士山は原から次の吉原にかけて最も近くなる

原…[朝之富士] 無骨に描いた愛鷹山、その向こうに朝焼けにほんのり染まる富士を広重は枠の外に描きその大きさと優美さを表した 供を従えた女連れは、忠臣蔵八段目「道行旅路の嫁入」に見立てたものという 

 

原駅出発        / 高嶋酒造前の湧水

      

富士山がいつも傍に / 原一本松の一里塚碑

      

              / 三社宮・浅間神社                  / JR東海道線を渡る

         

              / 富士市に入る

         

六王子神社         / 東田子の浦駅

      

田子の浦松林      /  田子の浦海岸                  / 原の「浮島ケ原」成因説明

         

      

 手指し道標       / 淡島神社       / 愛鷹神社

         

 

<吉原宿> … 東海道第十四宿、日本橋から三十五里(135.9km) 吉原宿は高潮で宿場を二度も移転させられたうえ、川の氾濫に悩まされ続けた しかし水に恵まれた吉原は現在、江戸時代の「駿河半紙」をもとに、明治以降製紙業が地場産業として発展した 

吉原…[左富士] 西に向かっていた東海道が一瞬、北東へ向かうため、常に右手にあった富士が左側になりこの様な珍しい風景が生まれた 松並木を行く馬に乗る三人の少年 これは三宝荒神という乗り方 画面を縦に分割する松の木と道の斜線がダイナミックな構図となっている 

毘沙門天妙法寺

      

日本製紙工場前

    ●●この間、うどん屋さんで昼食●●  

左富士神社前     / 左富士神社      / 名勝 左富士

        

平家越え … 平家軍が水鳥の羽音に驚き遁走した

         

                     / 岳南鉄道・吉原本町駅

         

吉原宿・西木戸跡   / 青嶋八幡宮神社 参道               / 三度橋へ向かう

         

本市場の一里塚(日本橋から三十五里目)

   

 =おわり=


・東海道を歩く(8) 三島<三島宿>ー<沼津宿>ー<原宿>原

2015-12-12 23:59:59 | 東海道

2015年12月12日 東海道のてくてく歩き、8回目は9月に歩いたり箱根越えに続き三島から東田子の浦まで約15Kmを歩きます。今回は三島大社や柿田川湧水群、沼津の千本松原と寄る場所が多く 全部歩けるか未定です。天気は雲が多いながら晴、グループ全員8名の歩きです。

三島駅に9時30分集合ですが1時間前に行き三島大社を見てから全員が来るのを待ちます。  結婚式がいくつも行われている三島大社を再度見てから国道1号線沿いの柿田川湧水群を見に行きます。 12月・冬至も近いのに20度近くなるとうことで暑く、歩き出すとみな上着を脱ぎます。 湧水口を公園の展望台から見ますがこんこんときれいな水が湧き出ていて透明感が美しいです。 三島の町はずれから雪をまとった富士山が家々の間から見える様になります。  沼津宿は狩野川沿いの道を通って入りますが堰堤が立っていて川は見ることは出来ません。  沼津市内で長い昼食後千本松原を見に行きます。砂浜でなく砂利浜と松原を隔てる防潮堤の上を暫く散歩し、海岸歩き(?)を楽しみます。旧道に戻り原宿・東田子の浦を目指しますが食事でだいぶ時間ロスしたためJR原駅で今回は断念しました。

三島駅      / 桜川沿いの      三島水辺の文学碑             / 正岡子規  / 若山牧水    / 井上靖

    

楽寿園        / ノーエ節 … 「富士の白雪ノーエ…… 三島女郎衆はノーエ……」 

  

 <三島宿> … 東海道第十一宿、日本橋から二十八里(112.4km) 三島は古は国府が置かれ、伊豆地方の政治・文化の中心であった 宿駅となってからは箱根越え前後の人、三島大社詣で客で賑う

三島…朝霧 手前の人物は三島大社前を朝一番で発って箱根へ向かうところ  左の人物は沼津宿へ目指して歩いていく  手前から奥に進むに従ってシルエットの濃さを抑えてゆき、遠近感を表現する  

三島大社   

      

          

      

 世古本陣跡碑                   / 境川 : 伊豆と駿府の国境

    

 <沼津宿> … 東海道第十二宿、日本橋から三十里(118.3km) 沼津・千本松原 見渡す限り続く松原の向こうに望む富士の眺め(見れれば)に若山牧水でなくても魅了される

沼津…黄昏図 日はとっぷり暮れた黄瀬川沿いの街道 木々の向こうに満月が輝き、宿場の土蔵が浮かび上がる 巡礼の母子、そして後ろに猿田彦の面を背負った讃岐の金毘羅宮詣でが続く しみじみとした感情を表現する月夜の景、広重得意である

常夜燈脇から富士山  / 玉井寺一里塚  /伏見の一里塚

   

 柿田川湧水群

     

  柿田川湧水前の国道から見る富士山(修正)

 少し残る松並木    / 智方神社    / 黄瀬川からの富士山    

     

是西沼津領の榜示石   /沼津日枝の一里塚碑 / 三枚橋…三枚橋城があり、後に沼津城と改称 

      

 川廓(川曲輪)

     ●●●●● 市内で1時間の昼食 ●●●●●

真楽寺

  

千本松原 … 若山牧水は生涯の後半を沼津で過ごし千本松原をこよなく愛した 当時は防潮堤がなく砂浜と松が一体だった  「聞きいつつたのしくもあるか松風の今は夢ともうつつともきこゆ」

     

八幡神社:是東沼津領の榜示石がある    / 大諏訪松長の一里塚跡碑

      

<原宿> …  東海道第十三宿、日本橋から三十二里(124.2km) 果てしない一本道のただなかの宿場・原 愛鷹山のふもとに広がる浮島ケ原の牧歌的な風景も、土地の人々には悩みの種であった

原…朝の富士 無骨に描いた愛鷹山、その向こうに朝焼けにほんのり染まる富士を広重は枠の外に描きその大きさと優美さを表した 供を従えた女連れは、忠臣蔵八段目「道行旅路の嫁入」に見立てたものという 

 

原宿 東見付跡碑  / 松陰寺 白隠禅師 が住職となった … 「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原の白隠」

            

高嶋酒造           / 原駅を地下鉄銀座線が貨車に引かれて走る

        

=おわり=


・東海道を歩く(6) 二宮ー<大磯宿>ー<小田原宿>ー風祭

2015-10-10 23:59:59 | 東海道

2015年10月10日 東海道のてくてく歩き、7回目は前回の箱根宿から遡って二宮駅から箱根登山鉄道風祭駅まで約13Kmを歩きます。  グループ全員8名の歩きです。今日の天気予報は午前中晴、午後から曇りです。

9時前に二宮駅に着き、後続メンバーを待ち9時半出発です。前回の箱根歩きの印象が強く、3ケ月前 7月に歩いた二宮駅の周りの事は全員が殆ど覚えていません。このブログを見て記憶を呼び覚ます程度です。曇り空のもと歩き始めると汗ばんできます。  国道1号線沿いの道を歩く事が多く旧道はあまり残っていません。 11時過ぎに国府津駅手前 老舗の鰻やで早めの昼食です。オーダーしてから鰻を焼き始めゆっくりと時間をとって昼食を摂りました。   今回のコースはあまり見るべき場所がなく、距離も短く天気もはっきりしないとあって比較的早く風祭駅に到着し、街道歩き終了です。

二宮駅前

   

梅澤立場 … 相模灘が一望の景勝地であった 本陣、宿やがあり賑わった   

         

藤巻寺 … 真言宗梅澤山藤巻寺等覺院 

         

            / 二宮の「一里塚」跡  / 松屋本陣      / ひと時小田原市に入り、また二宮

         

浅間神社                  / 車坂碑 … 源実朝、阿仏尼、太田道灌 の歌

      

大山道道標 …     ●●● … 国府津駅を過ぎ、老舗の鰻やで昼食

                  

曇空、箱根の山の肩にうっすらと富士山   / 十九里目 小八幡の一里塚跡標  / 松並木

                   

大見寺 …       / 旧川辺本陣跡?

   

酒匂川

 

 <小田原宿> …  酒匂川の川越し風景 川岸に立つと、川向うに小田原の市街と小田原城、その後ろに箱根の連山が望める

東海道第九宿、日本橋から二十里(81.1km)  箱根峠を控えている事から東海道有数の大宿小田原宿 江戸を発った旅人が初めて通る城下町である 

小田原…酒匂川 酒匂川では冬から春にかけては仮橋が架かり、夏から秋は川越人足による渡河となる 雨で川が増水のときは川止めとなり、渡河できない 

 

新田義貞首塚              /  宗福寺         / 小田原宿 江戸口見付跡

            

外郎 … ういろう 頭痛・胃痛に効く漢方薬 菓子のういろうは苦い薬の口直し / 居神神社

                               

香林寺 …                                  / 下水道の蓋

           

箱根登山鉄道 小田急ロマンスカー         /  風祭 道祖神

                 

=おわり= 


・東海道を歩く(7) 風祭<小田原宿>ー<箱根宿>ー<三島宿>三島

2015-09-14 23:59:59 | 東海道

2015年9月13日~14日 東海道のてくてく歩き、6回目は箱根登山鉄道風祭駅から歩き始め山間の石畳道を通り箱根宿で一泊、翌日 箱根峠を越え三島宿のJR三島駅まで約30Kmを2日かけて歩きます。  前回歩きはJR二宮駅まででしたので本来はそこから歩くのが良いのですが、箱根路歩きは以前から宿泊を予定していたのでスケジュールを優先し、順番を逆転させます。   グループ全員8名の歩きです。

【1日目】 9時過ぎに風祭駅に着き、出発です。今日の天気予報は曇りで午後に雨が降るかもしれません。箱根の山登りなのでかんかん照りより曇り勝ちの方が歩き易いと思われます。箱根湯元駅手前で早川を渡り須雲川沿いの旧東海道、箱根越えの坂道を歩き始めます。 途中小田原を繁栄させた北条氏五代の墓がある早雲寺の見学です。その先くらいから江戸時代に構築された石畳道が所どころ現れ、<畑宿>まで来るとその先は本格的な山道風の中の石畳道となります。  石畳道と言うとロマンチックな感じがしますが実際に歩いてみると石の間が凸凹とし、気を付けないと滑りやすく歩きずらい道です。また、江戸時代に作られた石畳が残っている場所では百年の間歩いた人によって石の角が丸くなりさらに滑りやすいです。   只、江戸時代の石畳構造の説明板を見ると良く考えて作られていて維持管理や排水対策等、し易い事がわかり興味深いです。   「七曲り」という場所は県道はヘアピンカーブで上っていくが人間はショートカットの胸突き八丁の階段を上り大汗をかかされます。  「甘酒茶屋」で甘酒を飲んで暫時休憩。その後も石畳旧道を歩き、芦ノ湖湖畔の元箱根に到着して平らな道にホットします。元箱根から関所先にあるホテルに向かって見事な杉並木の旧道を歩きます。箱根関所前で雨が降ってきたため中は通らずホテルに直行、1日目の街道歩き終了です。

風祭駅                    / 無賃乗車防止用のとげ?  / 風祭の一里塚

          

狭軌と標準軌が一緒になった三線軌条箱根登山鉄道(入生田駅-箱根湯本間) /小田急ロマンスカーが往く

                  

箱根湯本駅を望む

早雲寺                                / 北条五代の墓

       

 

正眼寺 … 曽我兄弟ゆかりの寺

      

最初の石畳道

女転坂 … 旅の女が落馬して死亡した坂        / 割石坂 … 曽我兄弟仇討途中に試し切り  

        

石畳構造

  

畑宿

      

畑宿一里塚(復元)

●●● 予定の畑宿での昼食ができず、「七曲り」手前の県道脇道の蕎麦やで摂る ●●● 

七曲りの階段を上る … 畑宿から甘酒茶屋の間がもっとも苦しい「天下の険」

      

甘酒茶屋 … 甘酒を飲んで暫時休憩    石畳路を暫く上ると下り坂に変わるる                         

         

箱根馬子唄の碑… 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」   / 芦ノ湖から旧街道への入口

                          

芦ノ湖畔にある賽の河原

                             

箱根杉並木

 

[箱根路の石畳]  … 石畳以前は雨時のぬかるみ・凸凹対策に毎年ハコネダケを敷いており、これでは地元農民の負担が大変なため石畳道の普請が行われた。石畳道は美しいが歩きやすいものではなく、「箱根八里は馬でも越すが……」というが、実際は滑って転んで馬が即死することもしばしばだった。  人間のケガ人も絶えなかった。   幕府は箱根路を江戸防衛の要害とし、東坂は敵勢を迎撃しやすい谷道とし、西坂は逆に発見を容易にする尾根道とした。    

●東坂~小田原側のふもとから箱根峠まで

<箱根宿> … 東海道第十宿、日本橋から二十四里(97.6km) 箱根の山は天下の険  東海道随一の難所であり、頂上には取り調べの厳しい関所も待っていた

箱根…湖水図 大井川と並ぶ難所 天に向かってそそり立つ岩山の向こうに開ける視界 芦ノ湖と白雪の富士が美しい 山あいの街道を大名行列が通っている 手前の大きなものを通して遠くを描く遠近の表現がダイナミック   

 

●西坂~峠から三島側ふもとまで

 

 

<2日目> 芦ノ湖湖畔から箱根峠を越え、三島に向けて歩きます。今日は朝から晴れていて絶好の街道歩き日和です。ですが山には雲がかかり富士山は見えません。  湖畔を外れると観光用の建物もなくなり静かな街道歩き道となります。 箱根峠に向かい最後の急坂の石畳道を歩きます。国道1号と箱根新道が合流し、やがて箱根峠。ここは神奈川県と静岡県の境です。   三島に下る路も所どころ石畳になっています。こちらの道は小田原側と違い広く明るい雰囲気で、坂の勾配も緩やかです。路の両側から竹が覆いかぶさりますが広いのでそれ程気にはなりません。 富士山は見えませんが途中まで下ると沼津アルプスや駿河灘が見えてきて開放的です。    緩やかですが長い長い路、食事をする場所も街中に入るまでなさそうで途中の寂びれたドライブインで摂ります。   いい加減疲れたところで三島大社前を通り三島駅に着きました。

箱根駅伝広場       / 道標

    

駒形神社 … ここから旧道の石畳路が始まる / アケビが実っている              

       

芦川の石仏群・旧道入口

石畳路 … 箱根峠に向けて最後の上り坂

   

箱根峠             / 現代の峠の地蔵

        

接待茶屋先のかぶと岩   / 函南の街と駿河灘を望む

     

石畳の杉並木 小枯木坂

 

山中城 本丸跡   / 山中茶屋・竹屋    / 芝切地蔵堂

        バイパスを造るためここまで石畳路が通れない

富士見平 芭蕉句碑 … 「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ面白き」    ●●● ここのドライブインで昼食 ●●●  

 

 

道祖神・馬頭観音   / こわめし坂手前の畑から沼津アルプス

      

松雲寺 … 

階段の「題目坂」脇 曼珠沙華

普門庵の石塔群

      

初音ケ原の松並木の中にある 錦田の一里塚 … 両側に榎塚が残っている

   

<三島宿> … 東海道第十一宿、日本橋から二十八里(112.4km) 箱根峠を過ぎれば、風景は一変して明るくなる 長い長いだらだら坂を下れば、三島大社で名高い三島宿である

三島…朝霧 早朝、三島大社前を旅人を乗せて箱根へ向かう駕籠と馬  西の彼方へ巡礼が三人、霧の中へ消えていく  背景のぼかしを用いたシルエットのみの表現が見事    

三島駅

   

=おわり=


・東海道を歩く(5) 茅ヶ崎ー<平塚宿>ー<大磯宿>ー二宮

2015-07-11 23:59:59 | 東海道

2015年7月11日 東海道のてくてく歩き、5回目はJR茅ヶ崎駅から歩き始め平崎宿から大磯宿のJR二宮駅まで16Kmを歩きます。   グループ7名の歩きです。

9時前に茅ヶ崎駅に着き、メンバーが到着してから街道歩き開始です。7月に入ってから曇りまたは雨空が続きましたが、暫らくぶりの晴天で梅雨が明けたような暑さです。歩きだすと背中から汗が出てきますが日陰で風があると爽やかです。海岸に近いせいか家の近くと比較して気温が2~3度低い様です。  街道から離れている様な史跡は今回も見学割愛です。 途中、大磯では海岸に出て砂浜を歩きました。台風11号の影響かうねりが高く波が砕ける音も凄いです。 午後になり汗だくになった身体で、早く終わりにならないかと思いつつやっと二宮駅に到着し街道歩き終了です。

茅ヶ崎駅

茅ヶ崎市役所前広場にある上野寛永寺から移設した灯篭四基

 鶴嶺八幡宮 …                        / 妙厳山 信隆寺 … 

              / 旧相模川橋脚…鎌倉時代に掛っていた橋脚が近くの池に残っている 

                 

相模川・馬入橋 を渡る … 源頼朝が橋を渡ろうとした時、馬が暴れ 落馬 その怪我が元で亡くなったという伝説がある その為馬入川ともいった

        

 <平塚宿> …  平塚を抜け、大磯へ向かう街道

東海道第七宿、日本橋から十六里(62.6km) ひょっこりとぬきんでた高麗山の姿は、今も昔も平塚を歩く人びとの目印である

平塚…縄手道 縄手道とは田んぼの間の道の事 椀を伏せたような高麗山 その横から富士、となりにごつごつした大山  夕暮れの藍と鼠の色調が江戸へと急ぐ飛脚、カラ篭をかついで帰る篭かき二人、そして曲折した道の彼方に見えて旅僧と百姓の遠い姿、この五人の添景人物を生かしている 湘南の明るさが画面から感じられる

    MAP

平塚見付跡(江戸方)碑 … 

脇本陣跡 …      / 高札場 …                    / 本陣旧跡碑

         

西組問屋場跡碑 … ここを北に行くと桓武天皇の曾孫、平真佐子の柩の塚があり「平氏の塚」で平塚と呼ぶ様になったという

  

歩道橋上から高麗山を望む

 京方見付跡碑

花水橋を渡る手前、広重浮世絵の場所から見る高麗(こうらい・こま)山 … 高句麗の王族の一人が大磯に上陸、ふもとに住み着いた故の名

 善福寺 … 曽我兄弟十郎と虎御前の子供が出家して庵を結んだ寺と伝える

                  

高麗山の麓の来(たかく・こうらい)神社 … 夏祭りの準備をしている

                       

 

<大磯宿> …  暗く沈む大磯宿の入口から旅籠が並ぶ宿場を眺める構図 右手奥に見える山影は平塚宿図で中央に大きく描かれた高麗山 

東海道第八宿、日本橋から十六里二七町(65.5km) 海水浴場と別荘地で知られる大磯の海は、歌枕の地「小淘綾(こゆるぎ)の浜」である

大磯…虎ケ雨 暗く沈む大磯宿の入口 月二十八日に降る雨は曽我兄弟の兄十郎の恋人・大磯の虎御前の悲嘆の雨とされ、虎ケ雨と呼ばれる     どんより曇った空から落ちてくる大粒の雨 旅人たちは笠や合羽で雨をよけながら先を急ぐ

       東海道中膝栗毛

化粧坂(けわいざか) … 鎌倉時代には多くの遊女屋が並び、当時は遊女を白拍子(しらびょうし)と呼んだ 虎御前もその一人で頼朝に認められるほど舞に長じていたという

           ●● ここで昼食です ●●   

               / 化粧坂一里塚     / 大磯八景碑 

            

江戸見付碑

神明神社 … 大磯駅入口にある  / 大磯宿 本陣跡碑   / 大磯 MAP

                  

地福時 … 島崎藤村が眠るお寺                       /  大磯 高札場跡

                     

鴫立庵(しぎたつあん) … 西行法師ゆかり ”心なき身にもあはれはしられけり 鴫立沢の秋の夕ぐれ”と詠む

                                                    / 島崎藤村住宅…藤村最晩年逝去するまで二年半住んだ貸別荘

               

小余綾(こゆるぎ)の磯 … 大磯海岸  

 

吉田茂 別荘        / 国府本郷の一里塚     /  二宮駅

            

=おわり=


・東海道を歩く(4) <戸塚宿>ー<藤沢宿>ー茅ヶ崎

2015-06-14 23:59:59 | 東海道

2015年6月14日 東海道のてくてく歩き、4回目はJR戸塚駅から歩き始め戸塚宿から藤沢宿のJR茅ヶ崎駅まで15Kmを歩きます。   今回はグループ7名での歩きです。

9時前に戸塚駅に着き、他のメンバーが到着してから街道歩き開始です。当初の天気予報と違い朝 家を出る時は小雨が降っていて、歩き始めの時は曇りがち かんかん照りでなく調度良いかなという天気です。    東海道はJRを通り越しているので前回来た戸塚方面と逆方向に歩き出します。戸塚宿に二つある本陣のうち沢邊本陣跡道標をみてから八坂神社、「戸塚」地名発祥の伝承がある冨塚八幡と歩き、『仮名手本忠臣蔵』のお軽・勘平の戸塚山中道行きの碑と歩きます。この辺りから国道1号沿いにちらほらと松並木見られ始めます。   藤沢宿は旧街道の遊行寺坂から始まります。箱根駅伝の遊行寺坂で知られている遊行寺ですが広い境内と立派な正殿で素晴らしいお寺です。境内にある銀杏の大木にはリスが棲んでいて眼の前まで出てきて逃げない様な自然が残り、近所の人たちから愛されているお寺である事が分かります。途中、小田急江ノ島線の駅前で昼食を摂ってから、色々な伝承が残っている旧道沿いの藤沢の町を歩きます。立派な松並木が結構残っている国道1号線を歩きJR茅ヶ崎駅に着いて街道歩き終了です。

JR戸塚駅からStart

<戸塚宿> …  宿場入口の柏尾川の吉田橋 (前回渡りました)

東海道第五宿、日本橋から十里十八町(41km) 

戸塚…元町別道 橋のたもと「左りかまくら道」の道標 駄賃場から縁台に飛び降りる男と出迎えの茶屋女 杖を手に菅笠を外す旅の女 茶屋「こめや」の軒先に下がっているのは講中札

澤邊本陣跡標        / 八坂神社

      

冨塚八幡宮 … 境内裏山の前方後円墳が冨塚とも呼ばれ、祭神の一人・富属彦命(とつきひこのみこと)の「富塚」が戸塚になったという地名伝承がある …

         / 「鎌倉を いきて出けむ はつ松魚(かつお)」芭蕉句碑 /… / 変わった狛牛?

                           

上方見付跡    / 庚申塔群    / お軽・勘平道行碑  / 原宿一里塚跡標 /諏訪神社

            

<藤沢宿> …  手前の江の島道 一の鳥居の内側から東海道と遊行寺方面を望む

東海道第六宿、日本橋から十二里十八町(48.9km) 藤沢宿は時宗総本山・遊行寺の門前町として、また江の島、鎌倉詣での参道として栄えた宿場 

藤沢…遊行寺 丘の上に遊行寺が見える 開祖一遍上人が全国を遊行したので遊行寺と呼ばれた

隷書版東海道 藤沢 … 夕闇迫る藤沢宿の賑わい 中央には江の島道入口を示す追分灯篭

遊行寺坂        / 遊行寺の一里塚

   

遊行寺 … 身にぼろをまとって、「南無阿弥陀仏」を唱えながら津々浦々をめぐった(遊行)一遍上人の寺らしく、枯淡ではあるが威厳のある寺  遊行上人の諸国行脚で世に広まった「小栗判官・照手姫」の墓がある

     

大イチョウの木に棲むリス                       

          

江の島道方面からの遊行寺正門 

遊行寺界隈の昔地図               / 広重浮世絵の遊行寺橋

         

藤沢宿の絵図                     / 義経首塚

         

●●●   この後、藤沢本町駅前で昼食  ●●●  

上正寺 … 境内東屋で暫時休憩

 

        

東海道の松並木碑

 

茅ヶ崎の一里塚 … 日本橋から十四番目の一里塚

JR茅ヶ崎駅

=おわり=

 


・東海道を歩く(3) 横浜ー<神奈川宿>ー<保土ヶ谷宿>ー<戸塚宿>

2015-05-04 23:59:59 | 東海道

2015年5月4日 東海道のてくてく歩き、3回目はJR横浜駅から歩き始め京急神奈川駅・神奈川宿から保土ヶ谷宿を経て戸塚宿のJR戸塚駅まで15Kmを歩きます。   今回はグループでのイベント時、別の行事と重なり参加できなかったので一人で同じコースを歩きます。

11時前に横浜駅に着き、京急神奈川駅を通り【神奈川宿】から街道歩き開始です。曇りがちの天気ながら晴れ間もあり暑くなりそうです。   神奈川宿はマンションが両側に林立する道ですが所どころに横浜開港に関わる遺跡が残ります。途中分かりずらい場所があり勘違いして違う道を歩いてしまいましたが戻り、事なきを得ました。     【保土ヶ谷宿】に入ると昔ながらの商店街で市の様なものをやっています。商店街を抜けると東海道本線を渡り、国道1号線に沿って歩きますが本陣・脇本陣・一里塚が残っています。国道1号を別れ有名な「権太坂」です。それ程急ではないですがだらだらと続きます。この辺りから果樹園があったりして暫くは郊外の趣です。一里塚が残っていたりして地名も江戸を思わせるものがあります。東戸塚駅近くから再度国道1号と一緒になりやがて【戸塚宿】に入ります。戸塚宿の入口はまだ見るべきものはありません。柏尾川を渡り、改築中のJR戸塚駅に着き、今回の一人での3回目の東海道歩きは終了です。    横浜からの歩行距離14.8KM・ 時間 5時間強 でした。

 京急神奈川駅

       

<神奈川宿>     …

神奈川…台之景  宿場の西はずれは神奈川台と呼ばれる断崖絶壁の高台 海の眺めとうまい料理が売物の茶屋が並ぶ 街道には客引きの留女 

横浜港の変遷図 …

 神奈川駅から国道1号越え、丘上の本覚寺…米国領事館として使われた跡地

       

大網金毘羅神社                              / 広重 版画図紹介

                

田中屋(坂本竜馬の妻・おりょうが働いたという料亭)

   

 神奈川の台と茶屋 ここ台町あたりは神奈川湊を見下ろす景勝の地であった 「東海道中膝栗毛」の図の「櫻屋」が田中家あたり

神奈川関門跡碑   / 勧行寺                   / 浅間神社

              

大山道道標跡…八王子方面の「絹の道」追分        /江戸方見付跡…保土ヶ谷宿の出入口

                  

<保土ヶ谷宿> … 新町橋(雉子橋と雉子川)

朝暗いうちに江戸を立ち、八里九丁(約32km)を歩いた旅人はこの保土ヶ谷か、あと二里九丁(約8.8km)を歩いて戸塚で泊まった  『東海道中膝栗毛』では旅人に留め女が群がる一幕に、弥次・喜多は「お泊りはよい程谷ととめ女戸塚前(とっつかまえて)てはなさざりけり」と一句しゃれる

保土ヶ谷…新町橋  橋を渡る駕籠と荷を担ぐ供の者 橋の向こう側では「二八そば」の行灯の前で客を呼び込むそば屋の女

 橘樹神社…氏神様  / 旧帷子橋跡…相鉄「天王町」駅前の商店街にある / 旧 中橋跡…宿を横切っていた今井川跡

             

遍照寺        / 助郷会所跡…人馬の手配場所    / 高札場跡…規則を掲示した場所

                   

金沢道道標…金沢、浦賀、鎌倉方面への分岐点を示す道標四基が立つ  うち一基に“保土ヶ谷の枝道曲がれ梅の花”という句が刻まれ、南七キロの杉田の梅園を詠う

東海道線踏切を渡る…右方面が小田原

保土ヶ谷本陣刈部(軽部家)

               脇本陣跡(水屋与兵衛門)

保土ヶ谷の一里塚跡…日本橋から八里目  上方見付跡…保土ヶ谷宿の京口

     外川神社      

樹源寺…明治の新史劇作者、山崎紫紅の墓 / 稲荷神社         / 道祖神

                 

権太坂…昔から旅人泣かせで有名な坂であった 今では緩やかになったとはいえ、上り坂がだらだらと1.5kmも続き、うんざりさせられる   「箱根駅伝」の権太坂は国道1号の事でランナーは苦しいだろうが、本物の権太坂のほうがさらに急である

         

       

境木地蔵尊…武蔵と相模の国境 地蔵は峠の守り神だったという このあたり旅人が休憩する「立場」で富士山を眺め食する「ぼた餅」が名物

          

焼餅坂…

          

品濃一里塚…二つの両塚が現存する 日本橋から九里目

 

 

旧東海道(品濃坂)道標

    

●●  東戸塚駅近くの柏尾小あたりで遅い昼食を摂る  ●●

戸塚宿入口 江戸方見付跡…

<戸塚宿> …  宿場入口の柏尾川の吉田橋

東海道第五宿、日本橋から十里十八町(41km) 江戸時代の旅人は普通1日でこの距離を歩き通した 

戸塚…元町別道 橋のたもと「左りかまくら道」の道標 駄賃場から縁台に飛び降りる男と出迎えの茶屋女 杖を手に菅笠を外す旅の女 茶屋「こめや」の軒先に下がっているのは講中札

 戸塚駅

=おわり=


・東海道を歩く(2) 蒲田ー<川崎宿>ー<神奈川宿>

2015-02-15 23:59:59 | 東海道

2015年2月15日 東海道のてくてく歩き、2回目は京急蒲田から川崎宿を経て神奈川宿の京急神奈川まで15Kmを歩きます。   メンバー全員8名の参加です。

10時に品川駅に集合し、京急蒲田へ移動。 写真を撮って出発です。風がない晴れの天気で歩き出すと暖かくなります。    京浜急行線沿いの第一京浜国道と裏道の旧街道を歩き六郷川を渡り【川崎宿】に入ってから、国道を離れ市街地の中を通る旧道を歩きます。川崎駅沿いの市街地ですが建物は残っていませんが「石標」や「本陣跡」の標識があります。また、街中ですがお寺は結構あります。芭蕉が見送りの門人と別れ「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句を残し、そして五か月後に大阪で没したという句碑があります。その後鶴見川を渡り鶴見駅で昼食です。     暫くすると国道を横切り旧道で「生麦事件」発生現場や事件の碑が書かれている場所を見ながら歩き、再度国道に合流して国道沿いを行き【神奈川宿】に入ります。  国道沿いの道ですが併行して通る京浜急行寄りの裏道には由緒あるお寺がたくさんあります。そして、京急神奈川駅に着き2回めの東海道歩きは終了です。 蒲田からの歩行距離12KM・ 時間 6時間強 でした。

京急蒲田駅前から出発      / 六郷の渡し碑          /     六郷川

                        

<川崎宿>   六郷の渡し   …

川崎…六郷渡舟  中央に描かれた舟が画面に動きを与える

 六郷川川崎宿側の碑        /  川崎宿の旅籠街の図         / 田中本陣の碑          / 川崎宿由来

                            

松尾芭蕉 別れの句碑

          

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

川崎宿の説明板

京急八丁畷駅前の京急線

 

熊野神社

       

日本橋より五里目「武州橘樹郡市場村一里塚」の碑           /  光明山 金剛寺

                     

 

    ●●●   鶴見川を渡り 鶴見駅前で昼食  ●●●

慶岸寺

道念稲荷 … 「蛇も蚊も祭事」が有名

生麦事件発生現場の説明板  /  碑

       

<神奈川宿>     …

神奈川…台之景  宿場の西はずれは神奈川台と呼ばれる断崖絶壁の高台 後、中央に見える岬に横浜が開港 遠景の半島は本牧

編照院 … 参道を京急線の踏切が横切っている

笠のぎ稲荷

               

能満寺

                                

熊野神社

=おわり=


・東海道を歩く(1) 日本橋ー<品川宿>ー蒲田

2015-01-24 23:59:59 | 東海道

2015年1月24日 東海道のてくてく歩き、初回の街道歩きは日本橋から品川宿を経て京急蒲田まで15Kmを歩きました。   企画メンバー全員の女性4名、男性4名の8名での歩きです。全員がハイキングクラブのメンバーなので山歩きは得意でも平地のコンクーリート歩きはどうかです。

9時半に神田駅に集合し、日本橋へ移動。 記念写真を撮った後で出発です。曇りがちの天気で空気が冷たいです。    日本橋近くでは「白水の名水」と「歌川広重住居跡」の史跡等を若干みてから銀座・新橋と歩きました。高輪の先では「泉岳寺」を覗いて一休み。  品川から「御殿山」前の八ツ山橋を渡り「品川宿」に入り北品川で昼食です。  品川宿は昔通りの道並にお店が並んでいますが建物は全て新しくなっています。それでも何故かホンワカした気持ちにさせる通りです。 ただ、結構車が多く通るのが玉に傷です。本陣跡は碑が残っているだけで建物の片鱗もありません。  品川宿の中ほど品川寺(ほんせんじ)を見、そしておまけの様な立会川駅近くにある坂本竜馬の銅像?を覘き見てから宿のはずれにある鈴ヶ森刑場跡です。もう少し風情(厳粛?)のある場所にあるかと思っていたら第一京浜国道と旧道が交じり合う三叉路の突端にあり明るい雰囲気でした。 その後は第一京浜を歩き京急蒲田駅で1回めの東海道歩きは終了です。   日本橋からの歩行距離14KM・ 時間 6時間16分 でした。

日本橋の前 日本銀行

日本橋・・朝之景 開かれた大木戸を通して朝日のあたる日本橋を真正面に見据えた大胆なアングル

      

現代の日本橋> 

    

名水 白木の名水                /日本橋にも下町の   / 歌川広重住居跡の碑    / 京橋に残る

… 江戸詰めの大名が茶の湯とした      雰囲気の店が残る                          江戸歌舞伎発祥之碑

  将軍は「御茶ノ水」を用いたとか                                             初代中村(猿若)勘三郎が興業した 

                                  

銀座・新橋を通り越して高輪 「泉岳寺」を見学・一休み

<品川宿> に入る … 日本橋から7.8km 川崎宿まで二里十八町(9.8km)

品川・・日之出 品川宿は花見の名所・御殿山の下 高輪から品川は海が開けて、日の出と月の名所でもある

MAP

品川宿の街並み

本陣跡の碑

目黒川を渡る品川橋の説明板                  /荏原神社…南品川宿の鎮守   / 目黒川

                    

品川寺(ほんせんじ)

            

江戸六地蔵 洋行帰りの鐘

東海七福神Map      / 京急立会川駅前の坂本竜馬の銅像

       

鈴ヶ森刑場跡  … 慶安4年(1651)に設けられ、丸橋忠也、八百屋お七らがここで処刑された

磔台跡             / 火炙台跡

           

京急蒲田駅近くの変わったビル(傾いて見える)

=おわり=