2015年5月4日 東海道のてくてく歩き、3回目はJR横浜駅から歩き始め京急神奈川駅・神奈川宿から保土ヶ谷宿を経て戸塚宿のJR戸塚駅まで15Kmを歩きます。 今回はグループでのイベント時、別の行事と重なり参加できなかったので一人で同じコースを歩きます。
11時前に横浜駅に着き、京急神奈川駅を通り【神奈川宿】から街道歩き開始です。曇りがちの天気ながら晴れ間もあり暑くなりそうです。 神奈川宿はマンションが両側に林立する道ですが所どころに横浜開港に関わる遺跡が残ります。途中分かりずらい場所があり勘違いして違う道を歩いてしまいましたが戻り、事なきを得ました。 【保土ヶ谷宿】に入ると昔ながらの商店街で市の様なものをやっています。商店街を抜けると東海道本線を渡り、国道1号線に沿って歩きますが本陣・脇本陣・一里塚が残っています。国道1号を別れ有名な「権太坂」です。それ程急ではないですがだらだらと続きます。この辺りから果樹園があったりして暫くは郊外の趣です。一里塚が残っていたりして地名も江戸を思わせるものがあります。東戸塚駅近くから再度国道1号と一緒になりやがて【戸塚宿】に入ります。戸塚宿の入口はまだ見るべきものはありません。柏尾川を渡り、改築中のJR戸塚駅に着き、今回の一人での3回目の東海道歩きは終了です。 横浜からの歩行距離14.8KM・ 時間 5時間強 でした。
京急神奈川駅
<神奈川宿> …
神奈川…台之景 宿場の西はずれは神奈川台と呼ばれる断崖絶壁の高台 海の眺めとうまい料理が売物の茶屋が並ぶ 街道には客引きの留女
横浜港の変遷図 …
神奈川駅から国道1号越え、丘上の本覚寺…米国領事館として使われた跡地
大網金毘羅神社 / 広重 版画図紹介
田中屋(坂本竜馬の妻・おりょうが働いたという料亭)
神奈川の台と茶屋 ここ台町あたりは神奈川湊を見下ろす景勝の地であった 「東海道中膝栗毛」の図の「櫻屋」が田中家あたり
神奈川関門跡碑 / 勧行寺 / 浅間神社
大山道道標跡…八王子方面の「絹の道」追分 /江戸方見付跡…保土ヶ谷宿の出入口
<保土ヶ谷宿> … 新町橋(雉子橋と雉子川)
朝暗いうちに江戸を立ち、八里九丁(約32km)を歩いた旅人はこの保土ヶ谷か、あと二里九丁(約8.8km)を歩いて戸塚で泊まった 『東海道中膝栗毛』では旅人に留め女が群がる一幕に、弥次・喜多は「お泊りはよい程谷ととめ女戸塚前(とっつかまえて)てはなさざりけり」と一句しゃれる
保土ヶ谷…新町橋 橋を渡る駕籠と荷を担ぐ供の者 橋の向こう側では「二八そば」の行灯の前で客を呼び込むそば屋の女
橘樹神社…氏神様 / 旧帷子橋跡…相鉄「天王町」駅前の商店街にある / 旧 中橋跡…宿を横切っていた今井川跡
遍照寺 / 助郷会所跡…人馬の手配場所 / 高札場跡…規則を掲示した場所
金沢道道標…金沢、浦賀、鎌倉方面への分岐点を示す道標四基が立つ うち一基に“保土ヶ谷の枝道曲がれ梅の花”という句が刻まれ、南七キロの杉田の梅園を詠う
東海道線踏切を渡る…右方面が小田原
保土ヶ谷本陣刈部(軽部家)
脇本陣跡(水屋与兵衛門)
保土ヶ谷の一里塚跡…日本橋から八里目 上方見付跡…保土ヶ谷宿の京口
外川神社
樹源寺…明治の新史劇作者、山崎紫紅の墓 / 稲荷神社 / 道祖神
権太坂…昔から旅人泣かせで有名な坂であった 今では緩やかになったとはいえ、上り坂がだらだらと1.5kmも続き、うんざりさせられる 「箱根駅伝」の権太坂は国道1号の事でランナーは苦しいだろうが、本物の権太坂のほうがさらに急である
境木地蔵尊…武蔵と相模の国境 地蔵は峠の守り神だったという このあたり旅人が休憩する「立場」で富士山を眺め食する「ぼた餅」が名物
焼餅坂…
品濃一里塚…二つの両塚が現存する 日本橋から九里目
旧東海道(品濃坂)道標
●● 東戸塚駅近くの柏尾小あたりで遅い昼食を摂る ●●
戸塚宿入口 江戸方見付跡…
<戸塚宿> … 宿場入口の柏尾川の吉田橋
東海道第五宿、日本橋から十里十八町(41km) 江戸時代の旅人は普通1日でこの距離を歩き通した
戸塚…元町別道 橋のたもと「左りかまくら道」の道標 駄賃場から縁台に飛び降りる男と出迎えの茶屋女 杖を手に菅笠を外す旅の女 茶屋「こめや」の軒先に下がっているのは講中札
戸塚駅
=おわり=