ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.45 岡崎城

2010年10月10日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月10日(日)


長篠城の後、日本100名城のひとつ「岡崎城」を訪れた。


岡崎城は、家康の祖父・松平清康が現在地に築城し、桶狭間の戦い後、家康が入城した。
家康が関東に移封された後、天正十九年(1591年)、秀吉配下の田中吉政が近世城郭に改修した。
吉政は、東海道を城下に引き入れ、道を屈曲させた。
これは、岡崎城下を知る家康の上洛に備えた防衛策で、二十七曲りと呼ばれる。

       復元された、岡崎城の大手門
       岡崎公園の入口になっている。
       
              内側から見た大手門
              
                     徳川家康公の銅像
                     昭和40年に、家康公没後350年を記念して建立された。
                     逆光のため、顔は影になってはっきり見えない。
                     

天守閣へ通じる二の丸付近の石垣

       空堀と石垣
       
              巽閣
              和の雰囲気を生かした催しや舞台を使ったお稽古、
              宴会、集会などに使うことができる。
              
                     龍城神社
                     
                            ちょうど結婚の儀式が執り行われていて、
                            巫女さんが舞を舞っている最中だった。
                            

岡崎城天守閣
明治6,7年に城郭の大部分は取り壊されてしまったが、
昭和34年に天守閣は昔どおりに3層5階に復元されている。

       天守閣の前に徳川家康公の遺言の碑が建てられている。
       
              遺言の碑の隣に家康公の人生訓の碑が
              建てられている。
              


天守閣内部は撮影禁止となっている。
せめて天守閣からの眺望は撮っておこう。
天守閣からの眺望(その1)

       眺望(その2)
       
              眺望(その3)
              
                     眺望(その4)
                     


天守閣拝観後、巽閣横のお茶屋で、八兆味噌おでん(400円)を注文した。
缶入りのお茶がサービスで付いてきた。
味噌カツと同じ味噌? 甘辛くて美味しかった。


旧岡崎藩主としてこの地を治めた本多家の祖で、
徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝公の銅像。

       三河武士のやかた家康館
       徳川家康公と三河武士たちに関する数々の資料が展示されている。
       
              ちょうど本多家の遺宝展が開催されていた。
              100名城スタンプは、館内にあるので、入らない訳にはいかない。
              (家紋は徳川家のもので、本多家のものではない)
              
              なお、内部は撮影禁止となっている。
              (いつも思うのだが、フラッシュ禁止のみにして欲しいが、無理か?)


岡崎城を観終えたところで、16時半を過ぎていた。これ以上は無理である。
結局この日回ったのは、掛川城、長篠城、そして岡崎城の3城だが、今日はこれが精一杯。
100名城巡りのスタンプラリーは大変なことだ、とあらためて思った。
しかし、ここで止める訳にはいかない。
これからも機会を見つけては城巡りを続けることにしたい。
              


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日本100名城巡り No.46 長篠城

2010年10月10日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月10日(日)


日本100名城のひとつ「長篠城」を訪れた。


長篠城跡に到着すると、先ず目に付くのが、「長篠城史跡保存館」だ。
史跡保存館は、後でゆっくりと見学することにして、本丸跡地に向かった。

       本丸跡地入口
       
              本丸跡地前の長篠城縄張り概図
              本丸後ろは左を三輪川(現宇連川)、右側を寒狭川(現豊川)が
              流れており、天然の要害となっているのが分かる。
              

本丸入口の左側に本丸を囲む土塁が保存されている。

       土塁を上がると、長篠城址の碑が建てられていた。
       
              さらに進むと稲荷神社の鳥居があった。
              
                     土塁の突き当たりに稲荷神社跡があった。
                     長篠城が文化財に指定されたことから、稲荷神社を
                     別の場所に移設した、とある。
                     つい最近までここに稲荷神社があったのだ。
                     
                            土塁のすぐ脇をJR飯田線が通っていて、ちょうど電車が
                            通過するところであった。
                            


本丸跡は広い公園のようになっている。



JR飯田線の後方の山には、武田軍の5つの砦があり、武田軍本隊が設楽原へ進出した後、
長篠城の押さえとして、部隊が陣を敷いて残っていた。
しかし、徳川軍の酒井忠次が東三河の軍勢を率いて裏山に回り、夜明けを待って砦を奇襲しが。
武田軍も激しく応戦したが、多数が討ち死にした。
背後の砦から火の手が上がるのを見た武田勝頼は、冷静さを失い、本隊に総攻撃を指令し、
無謀にも設楽原で馬防柵を組んで鉄砲を構える織田・徳川軍に突入していったのである。


史跡保存館に寄ってみた。
史跡保存館入口でいきなり写真のようなものが目に入った。
鳥居強右衛門(すねえもん)は、長篠城が武田軍に取り囲まれた際、
城を抜け出し、織田・徳川に援軍派遣要請の使者を申し出た人物で、
長篠の合戦では欠かせない烈士である。
城を抜け出た強右衛門は、家康・信長援軍の約束を得て城に戻る途中に、
武田軍に捕らえられてしまう。
武田軍から、城に向かって「援軍は来ないから降伏せよ」と呼ぶことを
強いられたが、強右衛門は「援軍既に本野ケ原に到着」と叫び、武田軍を
激怒させ、磔にされ殺されてしまった、という絵物語である。

       保存館の入口はあまり広くはない。
       右側の窓口で入館料210円を払って中に入る。
       100名城のスタンプもここの窓口に置いてある。
       
              正面長椅子の右側で織田・徳川軍の鉄砲隊の射撃を再現した様子が
              VTRで放映されている。
              

30人ほどが一つの隊を組み、馬防柵を挟んで3班に分かれて交代で射撃した。
これでは、最強と言われた武田騎馬武者もたまったものではない。


内部には長篠の合戦にまつわる資料等が陳列されている。
鳥居強右衛門の磔の様子

       長篠篭城のときに使った血染めの陣太鼓
       奥平家の第一の家宝であった。
       
              長篠の合戦で使われた鉄砲
              
                     設楽原決戦の織田・徳川軍と武田軍の布陣
                     
                            鎧兜甲冑
                            


武田軍の5つの砦が、徳川軍東三河の軍勢に夜明けに急襲され、多数の武将が討ち死にしたのに始まり、
当時敵なしと言われた武田軍騎馬武者が、設楽原における織田・徳川軍との決戦で敗れるという結果に至る
までには、時間にして半日程度であった。
武田軍の油断と過信の結果だと思われる。
この戦さによって、その後、武田家は衰退・没落していき、織田・徳川の世の中になっていった。
日本の歴史上重大な意味を持つ戦いであった。
もし違った結果になっていれば・・・・そんなことを考えながら次の目的地、岡崎城へ向かった。


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日本100名城巡り No.42 掛川城

2010年10月10日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月10日(日)


3連休を利用して、東海道沿いにある100名城を巡ることにした。
2日目の10月10日、 日本100名城のひとつ「掛川城」を訪れた。


この日は出来るだけ城巡りをするつもりで8時30分には掛川城に近い市街地に入った。
しかし、この日は掛川市の祭りと重なっていたため、駅前のほとんどの駐車場で断られ、
代わりに城から少し離れたJAの駐車場を案内された。やむを得ない。

JA近辺から掛川城が見える。

       5分ほど歩くと、城に通じる柱が4本の四足門に着いた。
       
              四足門は、掛川城本丸に通じる重要な門である。
              城の調査では門の跡は見つかっていないが、正保城絵図を元に復元された。
              
                     四足門をくぐると掛川城天守閣が目に入る。
                     
              
天守閣の開場は9時。少し早く着き過ぎたので、近くを散策してみた。
大手門は、当時より城に60mほど近くに平成7年に復元された。
掛川城の表玄関に相応しい本格的な櫓門である。

       大手門から天守閣を望む。
       途中にある火の見櫓がやや目障りではある。
       
              逆川に架かる大手橋から天守閣を望む。
              


城を撮影していると、山車が動き出した。



祭りの始まりだ。


9時を回ったので、城内に入った。
やはり目の前で天守閣を見上げると迫力が違う。
天守への階段は急である。足元には気をつけたい。

       天守台の脇に”霧吹井戸”が現存する。
       西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河の今川氏真は、
       重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込んだ。
       この城を落とそうと家康が攻撃を仕掛けた際、井戸から立ちこめた霧が
       城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったと言う。
       以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになった。
       


いやぁ~、素晴らしい眺めだ。
新幹線からは時々天守閣を眺めていたが、天守閣から見るのは初めてである。
町の動きが手に取るように分かる。




町のあちこちの橋の上で山車がすれ違うのが見える。

       しばらくは対峙しているが、特に揉めたりせずすれ違っている。 
       
              太鼓櫓
              城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった。
              
                     御殿
                     城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された。
                     国の重要文化財に指定されている。
                     

掛川城天守閣に据付られている原寸大の
青銅製で重量は200Kgとのこと。

       城の展示品としてはお馴染の鎧甲冑
       
              山内一豊の騎馬像
              

天守台の脇に御殿への通用口がある。

       御殿の庭から天守閣を見上げる。
       なかなか絵になる。
       

御殿の玄関

       御殿の玄関を入ると、目の前に黒漆塗りの甲冑が。
       
              部屋は用途に応じ約20部屋に分かれている。
              対面儀式が行われる書院棟は、御書院上の間と、
              謁見者の控える次の間、三の間から成る。
              
                     御書院上の間
                     御書院は城主の対面所で上の間はその主室にあたる。
                     
                            小書院は御書院上の間の奥にあり、城主が政務を離れて
                            くつろぐ私的な部屋である。
                            
                                   天守閣側の廊下部分。
                                   

竹の丸」は掛川城の出入口の一つ。
掛川城の北郭にあることから、本来「北の丸」と称すところ、
竹林が生い茂っていたことから「竹の丸」と呼ばれるようになった。

       掛川特産の「葛布」を扱った松本家が、明治36年に建てた豪邸。
       
              市内を練り歩いてきたと思われる山車とばったり。
              掛川の山車は、笛・鐘・太鼓の他、三味線があるのが特徴だ。
              


祭りの真っ最中である掛川市内をもう少し観て行きたかったが、
時間が無いので次の目的地、長篠城に向かった。


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