tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

個人事業の限界点

2005年07月16日 23時07分14秒 | DTP/Web
個人で有限会社などを起こし、事業主とする動きが活発になっているが、そのすべてが成功する訳でもない。堀江さんや三木谷さんのようになれる人はほんのわずかだ。
堀江さんはよく個人起業を促す人として知られている。「新しい技術のアイデアがなくて、起業するにも少し不安だという人は、既存の技術で業務請け負いをやってみたらどうでしょうか。」とも言っていた。確かに、デザインの世界ではSOHOというくくりで仕事を行う人も多い。しかし、それは既存の技術で人よりも優れた腕があってはじめて仕事が回ってくるということ。
言い直せば、下請けに仕事を発注するのは、納期や技術的に困難な問題があって、それをクリアすべく、早く正確に仕事をしてくれるところへ回すというのがふつうだ。

大阪の個人ベースでWebデザインを行っている会社は、薄利多売をモットーとしている。その社長が書いたブログでは、休日が少なくなり、睡眠時間が減ったとか。こうなるのも安い価格設定で行うからだが、そうしないと新参者には仕事が回ってこないというのである。すでにその方法で会社を拡大する方向に流れてきたが、まだまだ追求すべきことがあって、この方法を変えないらしい。

たしかに仕事は増える。しかし、こういった手法を長期的なタイムスパンで見る限り、妥当な方法なのかとも思う。というのも、制作という点における薄利多売の方法は、一定の利益を出すために、多くの仕事を行わなければならないことが挙げられる。したがって、その納期のために、多くの時間を割かなければならないが、長時間労働や休日出勤、徹夜仕事が長い人生の中で、どの程度出来るのかを考えなければならない。こうした体力を基準とする仕事になると、若いうちはそれでも構わないが、年齢を重ねる事によって、無理の利かない体になった時、その仕事から離れなければならないという結末が待っている。

歳を取る頃には、会社としての評価が定まり、仕事も安定し、定収も安定し、増加するであろうと考える向きもあるが、それは間違いであろう。それは、「更なる新参者」と「市場の慣れ」という時系列的な変化の関数を無視した考え方である。すなわち仕事を始めた頃の状況は既に存在しない。

「更なる新参者」とは、かつて自分が他者を脅かす存在であったように、他者が更にクオリティの高い仕事を安い料金で行うという提案を行ってくると、そこへ市場が移動するというリスクが存在する。「市場の慣れ」とは、「更なる新参者」の概念も含むのだが、価格破壊によって、発注者側が安いものだけを求めるようになってくる事を意味する。そもそもWebとは、どんなクオリティのものでも安いものという発想に傾き、自分たちの仕事の利点(アドバンテージ)と高価値を提案できなくなる事を意味するのである。

つまるところ、価格破壊とは発注者側の価値判断概念を破壊する事でもある。そのような事態になった時、既に会社としての年齢とともに、自らの年齢も上がっているが、若い頃のように無理が利くかという判断にもなる。

しかし、市場の健全性を保つために最低価格を定めるような行為は、談合でもあり、独占禁止法の禁止条項に反するであろう。従って、従来の方法論(ここでは単にWebを制作するだけという行為)を守るならば、他者の動きを見守りながらただ価格を下げることしかできない。
しかし、何度も繰り返すが、これはただの緩慢な自殺行為である。

故に、本当に起業を考えるならば、人とは違う発想の元に仕事を作り上げていく事が、起こした会社を長く続けるポイントとなるであろう。それは、とりあえず今までの仕事を続ける形で起業する事は出来るが、長くは続かないことでもある。