霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

みずほ生活(10:通信)

2017-11-27 23:41:43 | 南極の思い出
今では南極もインターネットが整備され、個人ベースでのメールやLINEも国内と変わらないと聞いていますが、当時の通信は無線機なので、そんなに気軽なものではありませんでした。
例えば、私用の電報を日本に送るには、みずほ基地から昭和基地に無線電話で電報文を伝えます。それを1日1回昭和基地から銚子無線局に電信で電報が送られます。電波状況が悪いと届かず、最大5日間遅延になったこともあつたとのことです。
また通信回線確保のため、日本から電報出来るのは各隊員一人につき3人までとの制限もありました。もちろん有料です。
そんなことで、大きなニュース以外は伝わってこなくなり、社会からどんどん隔離されていきました。ただ、日本にいると南極は遥か遠くに思いますが、南極からは日本はそう遠くに感じませんでした。

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