霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

十字軍の騎士道

2020-02-25 14:53:31 | サピエンス全史

新年早々アメリカとイランで緊張が高まりました。中世の十字軍を現在も引きずっているようです。

ハラリ氏は「自由」と「平等」は元々矛盾なのだと述べてます。同じように十字軍も最初から「神の教え」と「騎士道」との矛盾を含んでおり、例えとして誇り高い貴族に育った若者が十字軍に参加する時に、その折り合いをどのようにつけたのかを興味深く説明し、時を経ればいかに価値観が変わるものかを述べて歴史の見方を教えてくれます。

若者は前回の十字軍に参加し戦死した祖父の剣を前に我が家の英雄談を聞かされて育ち、教会からは天国に暮らせるということで十字軍に参加し、親戚や街の娘さん達に派手に見送られ意気揚々とイスラム遠征に出発するのですが、戦場で背後から斧で頭をぶち割られて戦死する話です。

そして幾世紀が経ち、いまではイスラム圏の内戦の避難民にキリスト教圏の若者や娘達がボランティア支援をしている現在を眺め価値観の変遷を解説し、宗教はホモ・サピエンスが作り上げた虚構だと結論しています。


これを読んで、先の太平洋戦争で召集されて戦地に行った兵隊さん達、特に若き特攻隊員の事を思い浮かべました。こちらは敗戦と同時に昨日まで軍神と崇められる存在から特攻隊員の身分を隠すようになる社会の価値観の変化をどのように受け止めたらよいのでしょうか。


宗教は天国とか極楽という死後の世界を語り、十字軍も戦争もテロもそれを信じさせて死に向かわせるのは共通しています。筆者の言う日本は神国との当時の教育もまた宗教であるとの説明に納得させられました。