飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その101

2011-06-27 15:59:45 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す!! 


 いわゆる、黄金律というものがある。『人にしてもらいたいように、他人に為せ。』と言うものである。これは、己の欲せざる事を他に為すな! の逆転語でもある。

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 <無題・・・・・・。

 

 意味は同じ、黄金律である。しかし、少し趣が違うであろう。黄金律自体が良くないとは言わない。だが、それが違うのは、十二弟子に対する教訓だからであろう。


 仏弟子には、仏弟子としての厳しい条件が求められる。十二弟子には同じように厳しさを求めている。世の賢者とは違うのであろう。何故か? 指導者であることが求められている 


 山上の垂訓が、一般に次元が高い教訓である意味がそこにある


 かつて、『目には目を、歯には歯を』と言われていた。これは法則である。しかし、それを越えられなくては、意味がない。それは肉の法則である。つまり、物理法則である。作用と反作用の法則である。 


 それを越える法則とは、愛の法則である。


 『なんじの右の頬を打つものあれば、左の頬をも出せ。』とか、『なんじの敵を愛せよ』とかは、それを越える法則である。これは仲々理解されない。到底、諒解されない。しかし、永い時と、カルマの法則を考慮するなら、少しは分かる。



 つまり、その要諦は、『あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。』という問いにある。又、『聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。』という、大愛を大愛と感じ取れば、自ずと見えてくる。



 人間は、無限の進化の過程にある。


 

山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す。


 肉の人が造った掟(おきて)がある。人々はこれを厳重に守っている。即ち、人にされたいように人にせよ。人が裁くように裁き、人が与えるように与えよとある。しかし、あなたがたが人として人と共に歩む時、裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれない。


 これは、人を裁くように裁かれ、与えるように与えられるからである。、また、とがめるようにとがめられる。あわれみを示せば、あわれみ受け、肉の人があなたがたの愛を知り得るように愛すれば、十分に愛される。


 それ故、世の賢き人は自分にしてほしいように他の人々にも行う。


 肉なる人々は利己的利益のために、他人によいことする。これは自分の祝福が倍増して返されることを期待するからである。彼は留まって最後まで見届けようとしない。


 人自身は畠である。その行為は種子であって、他人に行ったことは勢いよく育ち、収穫の時は確かにやって来る。収穫を見よ。若し風を播けば風を刈り込め、醜聞、窃盗、憎悪、淫蕩、罪悪のような有毒な種子をまけば、その収穫は確かで、まいたものを刈りとらねばならない。それのみか、種子は百倍にもなる。


 正義、平和、愛、歓喜という果実は決して有毒の種子からみのらない。果実は種子にひとしい。播く時は正義の種子を播くがよい。これは正しいことであるから播くのであって、多くの報酬を期待してはならない。


 肉の人は霊の律法を憎む。これは罪に生活する自由を取り去るからである。その光のもとでは、情欲や願望を満足させることが出来ない。彼は聖気に歩む人と反目する。肉の人はむかし聖者、予言者、先覚者を殺した。


 彼はあなたがたを打ち、いつわってとがめ、苦しめ、牢獄に入れ、また町であなたがたを殺すことが、神の御意(みこころ)をなすと思っている。


 しかし、あなたがたを苦しめる者をそこない非難してはならない。人にはめいめい解決すべき問題がある。これは自分自身で解決せねばならない。あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。


 聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。


 あなたがたが自分の目に棒切れがあるのに、どうして兄弟の目の木切れが見えるか。まずあなたがたの目から棒切れを取り、それから兄弟の目の木切れを見て、これを取るように手伝うがよい。自分の目に異物が一杯ある間は、盲人であるから道は分からない。


 盲人が盲人を案内すれば、ともに道に迷って泥濘(ぬかるみ)にはまってしまう。神に行く道を案内しようと思うなら、心は清く目がはっきりしなければならない。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百章 山上の垂訓(続き)。イエス精神的倫理の実際的法典(おきて)を公式化してこれを十二弟子に示す。

1)肉の人が造った掟(おきて)がある。人々はこれを厳重に守っている。即ち、

2)人にされたいように人にせよ。人が裁くように裁き、人が与えるように与えよとある。

3)しかし、あなたがたが人として人と共に歩む時、裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれない。

4)これは、人を裁くように裁かれ、与えるように与えられるからである。、また、とがめるようにとがめられる。

5)あわれみを示せば、あわれみ受け、肉の人があなたがたの愛を知り得るように愛すれば、十分に愛される。

6)それ故、世の賢き人は自分にしてほしいように他の人々にも行う。

7)肉なる人々は利己的利益のために、他人によいことする。これは自分の祝福が倍増して返されることを期待するからである。彼は留まって最後まで見届けようとしない。

8)人自身は畠である。その行為は種子であって、他人に行ったことは勢いよく育ち、収穫の時は確かにやって来る。

9)収穫を見よ。若し風を播けば風を刈り込め、醜聞、窃盗、憎悪、淫蕩、罪悪のような有毒な種子をまけば、

10)その収穫は確かで、まいたものを刈りとらねばならない。それのみか、種子は百倍にもなる。

11)正義、平和、愛、歓喜という果実は決して有毒の種子からみのらない。果実は種子にひとしい。

12)播く時は正義の種子を播くがよい。これは正しいことであるから播くのであって、多くの報酬を期待してはならない。

13)肉の人は霊の律法を憎む。これは罪に生活する自由を取り去るからである。その光のもとでは、情欲や願望を満足させることが出来ない。

14)彼は聖気に歩む人と反目する。肉の人はむかし聖者、予言者、先覚者を殺した。

15)彼はあなたがたを打ち、いつわってとがめ、苦しめ、牢獄に入れ、また町であなたがたを殺すことが、神の御意(みこころ)をなすと思っている。

16)しかし、あなたがたを苦しめる者をそこない非難してはならない。

17)人にはめいめい解決すべき問題がある。これは自分自身で解決せねばならない。

18)あなたがたをむちうつ者は、自分で担うべき罪の重荷があろう。しかしあなたがたはどうか。

19)聖気に歩む者の微罪は、神の目から見れば全く道を知らない人の巨大な罪よりも大きい。2

20)あなたがたが自分の目に棒切れがあるのに、どうして兄弟の目の木切れが見えるか。

21)まずあなたがたの目から棒切れを取り、それから兄弟の目の木切れを見て、これを取るように手伝うがよい。

22)自分の目に異物が一杯ある間は、盲人であるから道は分からない。

23)盲人が盲人を案内すれば、ともに道に迷って泥濘(ぬかるみ)にはまってしまう。

24)神に行く道を案内しようと思うなら、心は清く目がはっきりしなければならない。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 100

The Sermon on the Mount, continued. Jesus formulates and presents
to the twelve a practical code of spiritual ethics.

THERE is a rule that carnal man has made, and which he rigidly observes:
2) Do unto other men as they do unto you. As others judge, they judge; as others give, they give.
3) Now, while you walk with men as men, judge not, and you shall not be judged.
4) For as you judge you shall be judged, and as you give it shall be given to you. If you condemn, you are condemned.
5) When you show mercy, men are merciful to you, and if you love in such a way that carnal man can comprehend your love, you will be well beloved.
6) And so the wise man of this world does unto other men as he would have them do to him.
7) The carnal man does good to other men for selfish gain, for he expects to have his blessings multiplied and then returned; he does not stop to note the end.
8) Man is himself the field; his deeds are seeds, and what he does to others grows apace; the harvest time is sure.
9) Behold the yield! If he has sown the wind, he reaps the wind; if he has sown the noxious seeds of scandal, theft and hate; of sensuality and crime,
10) The harvest is assured and he must reap what he has sown; yea, more; the seeds produce an hundred fold.
11) The fruit of righteousness and peace and love and joy can never spring from noxious seeds; the fruit is like the seed.
12) And when you sow, sow seeds of right, because it is the right, and not in the way of trade, expecting rich rewards.
13) The carnal man abhors the spirit law, because it takes away his liberty to live in sin; beneath its light he cannot satisfy his passions and desires.
14) He is at enmity with him who walks in Holy Breath. The carnal man has killed the holy men of old, the prophets and the seers.
15) And he will buffet you; will charge you falsely, scourge you and imprison you, and think he does the will of God to slay you in the streets.
16) But you may not prejudge nor censure him who does you wrong.
17) Each one has problems to be solved, and he must solve them for himself.
18) The man who scourges you may have a load of sin to bear; but how about your own?
19) A little sin in one who walks in Holy Breath is greater in the sight of God than monster sins in him who never knew the way.
20) How can you see the splinter in your brother's eye while you have chunks within your own?
21) First take the chunks from out your eye and then you may behold the splinter in your brother's eye and help him take it out,
22) And while your eyes are full of foreign things you cannot see the way, for you are blind,
23) And when the blind lead forth the blind, both lose the way and fall into the slough.
24) If you would lead the way to God you must be clear in sight, as well as pure in heart.

 【続く】