飄(つむじ風)

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不思議な少年!! その98

2011-06-17 13:24:37 | 物語

山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす!! 


 いきなり、山上の垂訓とは・・・・。驚く方も居られる様だから、少し説明を加える。この稿は、『不思議な少年』と題して、連載している。タグは『物語』である。宝瓶宮福音書:栗原 基訳』、座右の書だが、絶版で久しい。で、全転載している。

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<無題・・・・・・。

 

 ところが、世が騒がしくなったものだから、休んでいた。また、復活しようと思う。やっと半ばまで来たが、残り半分ある。最後まで続ける所存だ。内容は『不思議な少年!!その①』に書き始めたが、何の事やら分からない方々も多かろう。


 しかし、読み進める内に心に沁みた一冊だ。お裾分けしたい。タグは『物語』だ。 


 山上の垂訓は、新約聖書に於いてもハイライト中のハイライトだ。これさえ腑に落ちれば、他はどうでも良いくらいだと思っている。人は知らないが、下手な小理屈を並べ立てるより、聖書の中で、この事を実践できる人は全く立派だとさえ思っている


 コメント氏がいみじくも書いておられたが、日本では『敗けるが勝ち』という。この精神は間違いがない。世に敗けると言うことは、精神に於いて勝ると言うことだ。同感だ。


 講釈は必要ないと想う。是非、心に受け止めてほしい。別名、黄金律とも言う。


 

山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす。


 神は単に力(フォース)だけでなく、智恵はその一部である。


 天人ケルビムが人に智恵の道を授けた時、力(フォース)が人類の父であるから、智恵は人類の母であると言った。全智全能の神をあがめる者は祝福される。律法の箇条を読めばかく記してある、


 『なんじの父母をうやまえ、これは彼らがなんじに与えた地にて生命の長からんためなり』(出エジプトニ○二一)とある。律法(おきて)の文字は命じている、『なんじ殺すなかれ。殺す者は裁判の座に立たねばならぬ。』


 ある人は殺したいと思うかも知れない。しかし殺さねば律法によって裁かれない。


 しかし律法の精神は、殺すことを欲し、復讐を求め、十分な理由なくして人を怒る者は、裁判官に申し開きをせねばならぬと主張する。


 また兄弟を無気力なやくざ者と呼ぶ者は、正しい人々の会議で弁解せねばならぬ。また兄弟をすれ者、犬と呼ぶ者は、自分の心のなかに地獄の火を盛んに燃やしている。


 一段高い律法(おきて)には、若しあなたの兄弟が何かあなたのやったことで悩まされているならば、『神に供えものを捧げる前に、先ず行ってその兄弟をさがして、仲なおりしなければならぬ』と記してある。


 あなたが怒っているままで、日が没することはよろしくない。


 もしあなたがすべての利己的弁解を棄て、すべて利己的な権利を棄てでも、相手の兄弟が和解しない時は、あなたは神の前には罪がない。その時行って神にあなたの供えものを捧げるがよい。


 あなたが誰かに負債があって払うことが出来なかったり、或は人が当然以上の金銭を要求するなら、その要求で争うのはよろしくない。反抗は怒りの親である。ひどく怒つている人にはなさけも容赦もない。


 あなたがたに言う、律法(おきて)に訴えたり、人々の法廷にたのんで是非を判断してもらうよりは、損失を堪え忍ぶ方が遙かにまさっていると。肉の人の律法は、『目にて目、歯にて歯、なんじの権利の侵害を拒め』とある。


 しかし、これは神の律法ではない。聖気はあなたがたの所有物を奪う者を拒むなかれと言うだろう。無理にあなたがたの上衣を取ろうとする者は、やはりあなたがたの兄弟なれば、その心をかちとらねばならぬ。これは反抗では出来ないことである。


 彼にあなたがたの上衣を取らせ、それ以上もっとほかのものも差し出すがよい。そうすればやがてその人は野獣よりはまさった者となり、これであなたがたは彼を救ったことになろう。


 援助を求むるる人を拒まず、何か借りたいと求むる人に与えるがよい。


 もし人が気まぐれに、或は腹を立てて、あなたを打つなら、これにしかえしをするのはよくない。人々は争って自分の権利を守らない者を臆病者呼ばわりするだろうが、攻撃されたり打たれても、打ち返ししない者、また中傷されても答えない者は、打った者を打ち返し、ののしる者をののしるよりも、遥かにすぐれた人である。


 むかしは、『おのが友を愛しおのが敵を憎め』と言われていた。しかし、見よ、わたしは言う、


 あなたがたの敵をあわれみ、あなたがたを罵る人々を祝福し、あなたがたをそこなう人々に親切にし、あなたがたの権利をふみにじる人々のために祈れと。


 記憶せよ、あなたがたは太陽が悪人と善人をひとしく照らし、不正な者と正しき者に雨をふらせ給う神の子らである。もし人があなたがたにするように他人にするなら、あなたがたは奴隷に過ぎないから、死に行く道を辿るばかりだ。


 しかし、あなたがたは光の子として道を案内しなければならない。あなたがたは人にされたいように、人にするがよい。


 あなたがたが自分に善いことをした者に善いことをするをら、他人と同様であって、取税人(みつぎとり)もそれをする。もしあなたがたが友人に挨拶し、敵に挨拶しなければ、他人と同様であって、これは取税人と歩調を共にするのである。


 天にいますあなたがたの父のように完くなるがよい。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第九十七章 山上の垂訓(続き)。イエス第五誠第六誠の精神的意義を十二人に明らかにす。


1)神は単に力(フォース)だけでなく、智恵はその一部である。

2)天人ケルビムが人に智恵の道を授けた時、力(フォース)が人類の父であるから、智恵は人類の母であると言った。

3)全智全能の神をあがめる者は祝福される。律法の箇条を読めばかく記してある、

4)『なんじの父母をうやまえ、これは彼らがなんじに与えた地にて生命の長からんためなり』(出エジプトニ○二一)とある。

5)律法(おきて)の文字は命じている、『なんじ殺すなかれ。殺す者は裁判の座に立たねばならぬ。』

6)ある人は殺したいと思うかも知れない。しかし殺さねば律法によって裁かれない。

7)しかし律法の精神は、殺すことを欲し、復讐を求め、十分な理由なくして人を怒る者は、裁判官に申し開きをせねばならぬと主張する。

8)また兄弟を無気力なやくざ者と呼ぶ者は、正しい人々の会議で弁解せねばならぬ。

9)また兄弟をすれ者、犬と呼ぶ者は、自分の心のなかに地獄の火を盛んに燃やしている。

10)一段高い律法(おきて)には、若しあなたの兄弟が何かあなたのやったことで悩まされているならば、『神に供えものを捧げる前に、先ず行ってその兄弟をさがして、仲なおりしなければならぬ』と記してある。

11)あなたが怒っているままで、日が没することはよろしくない。

12)もしあなたがすべての利己的弁解を棄て、すべて利己的な権利を棄てでも、相手の兄弟が和解しない時は、あなたは神の前には罪がない。その時行って神にあなたの供えものを捧げるがよい。

13)あなたが誰かに負債があって払うことが出来なかったり、或は人が当然以上の金銭を要求するなら、その要求で争うのはよろしくない。

14)反抗は怒りの親である。ひどく怒つている人にはなさけも容赦もない。

15)あなたがたに言う、律法(おきて)に訴えたり、人々の法廷にたのんで是非を判断してもらうよりは、損失を堪え忍ぶ方が遙かにまさっていると。

16)肉の人の律法は、『目にて目、歯にて歯、なんじの権利の侵害を拒め』とある。

17)しかし、これは神の律法ではない。聖気はあなたがたの所有物を奪う者を拒むなかれと言うだろう。

18)無理にあなたがたの上衣を取ろうとする者は、やはりあなたがたの兄弟なれば、その心をかちとらねばならぬ。これは反抗では出来ないことである。

19)彼にあなたがたの上衣を取らせ、それ以上もっとほかのものも差し出すがよい。そうすればやがてその人は野獣よりはまさった者となり、これであなたがたは彼を救ったことになろう。

20)援助を求むるる人を拒まず、何か借りたいと求むる人に与えるがよい。

21)もし人が気まぐれに、或は腹を立てて、あなたを打つなら、これにしかえしをするのはよくない。

22)人々は争って自分の権利を守らない者を臆病者呼ばわりするだろうが、攻撃されたり打たれても、打ち返ししない者、

23)また中傷されても答えない者は、打った者を打ち返し、ののしる者をののしるよりも、遥かにすぐれた人である。

24)むかしは、『おのが友を愛しおのが敵を憎め』と言われていた。しかし、見よ、わたしは言う、

25)あなたがたの敵をあわれみ、あなたがたを罵る人々を祝福し、あなたがたをそこなう人々に親切にし、あなたがたの権利をふみにじる人々のために祈れと。

26)記憶せよ、あなたがたは太陽が悪人と善人をひとしく照らし、不正な者と正しき者に雨をふらせ給う神の子らである。

27)もし人があなたがたにするように他人にするなら、あなたがたは奴隷に過ぎないから、死に行く道を辿るばかりだ。

28)しかし、あなたがたは光の子として道を案内しなければならない。

29)あなたがたは人にされたいように、人にするがよい。

30)あなたがたが自分に善いことをした者に善いことをするをら、他人と同様であって、取税人(みつぎとり)もそれをする。

31)もしあなたがたが友人に挨拶し、敵に挨拶しなければ、他人と同様であって、これは取税人と歩調を共にするのである。

32)天にいますあなたがたの父のように完くなるがよい。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 97

The Sermon on the Mount, continued. Jesus unfolds to the twelve
the spiritual aspects of the fifth and sixth Commandments.
 

GOD is not force alone; for wisdom is his counterpart.
2) When cherubim instructed man in wisdom's ways they said that wisdom is the Mother of the (human) race, as force is Father of the race.
3) The man who honors the almighty and omniscient God is blessed, and in the tables of the law we read,
4) Pay homage to your Father and your Mother of the race, that your days may be prolonged upon the land that they have given you.
5) The letter of the law commands; you shall not kill; and he who kills must stand before the judgment seat.
6) A person may desire to kill, yet if he does not kill he is not judged by law.
7) The spirit of the law avers that he who shall desire to kill, or seeks revenge, is angry with a man without sufficient cause, must answer to the judge;
8) And he who calls his brother soulless vagabond shall answer to the council of the just;
9) And he who calls his brother a degenerate, a dog, fans into life the burning fires of hell within himself.
10) Now, in the higher law we read that if your brother is aggrieved by something you have done, before you offer unto God your gifts, go forth and find your brother and be reconciled to him.
11) It is not well to let the sun go down upon your wrath.
12) If he will not be reconciled when you have laid aside all selfish pleas, have waived all selfish rights, you will be guiltless in the sight of God; then go and offer unto God your gifts.
13) If you owe aught to any man and cannot pay; or if a man shall claim a greater sum than is his due, it is not well that you dispute his claims.
14) Resistance is the sire of anger; there is no mercy and no reason in a wrathful man.
15) I tell you it is better far to suffer loss than go to law, or call upon the courts of men to judge of right and wrong.
16) The law of carnal man would say, Eye for eye and tooth for tooth; resist encroachment on your rights.
17) But this is not the law of God. The Holy Breath would say, Resist not him who would deprive you of your goods.
18) He who would take your coat by force is still a brother man and you should gain his heart, which by resistance cannot be done;
19) Give him your coat and offer him still more and more; in time the man will rise above the brute; you will have saved him from himself.
20) Refuse not him who calls for help and give to him who asks to borrow aught.
21) And if a man shall strike you in a fitful, or an angry way, it is not well to smite him in return.
22) Men call him coward who will not fight and thus defend his rights; but he is much the greater man who is assailed, is smitten and does not smite;
23) Who is maligned and answers not, than he who smites the smiter and reviles the one who slanders him.
24) It has been said in olden times that man shall love his friend and hate his foe; but, lo, I say,
25) Be merciful unto your foes; bless those who slander you; do good to those who do you harm and pray for those who trample on your rights.
26) Remember, you are children of the God who makes his sun to rise alike upon the evil and the good, who sends his rain upon the unjust and the just.
27) If you do unto other men as they do unto you, you are but slaves, but followers in the way to death.
28) But you, as children of the light, must lead the way.
29) Do unto others as you would have them do unto you.
30) When you do good to those who have done good to you, you do no more than other men; the publicans do that.
31) If you salute your friends and not your foes, you are like other men; the publicans have set the pace.
32) Be perfect as your Father-God in heaven is.

 【続く】