飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その19

2009-04-16 15:05:42 | 物語

イエス、エルサレムの大祭礼に行く!!


 イエス、初めて最高法院(サンヘドリン)との出合い。その聡明さを発揮する。当時のユダヤ教はバビロンの偶像崇拝を取り入れており、盛んに燔祭(はんさい)に動物の犠牲(いけにえ)が用いられていた窺える。これは史実と一致する。それを目の当たりにして、イエスの驚きが窺える。


 現代において、あるいは当時からも極端な例は、人間をも生け贄に供える悪魔教の萌芽が想像される。

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<遅ればせながら、つながっているこころ様より拝借させて頂いた>

 イエスはその必要性を鋭く衝いている。祭司は応えられない。神を見失っているからである。罪を外に求め、贖いを自らの責めとせず、犠牲(いけにえ)によってあがなえると他力信仰が巣くっていることが分かる。本来の宗教が堕落している姿である。


 最高法院(サンヘドリン)のヒレルは、良い奴である。迫害をした首長とは違い、イエスの鋭い質問にたじろきながらも、非凡なイエスの聖の姿に驚く。サンヘドリンに留まり、教学を受ける。イエスがどのようにして確かな情報を得て成長していったかが、初めてよく理解出来る。


 ユダヤ人の大祭が行われた。イエス、ヨセフ、マリヤ、その他多数の親族がエルサレムにのぼった。時にイエス十歳。


 そしてイエスは者が小羊や鳥をほふって、これを神の名に於いて祭壇に焼くのを気をつけて見守っていた。彼のやさしい心はこの残酷なしぐさを見ていたく驚いた。彼は祭司に尋ねた。「このように鳥獣を屠(ほふ)るのは何のためですか。なぜ神の前にその肉を焼くのですか。」


 祭司は答えた、「これはわれわれの罪に対する犠牲であって、神はこれをなすようにわれらに命じ、この犠牲によってわれわれの罪が消えると言われた。」


 イエス、「神はいつ罪が何かの犠牲によって消えると言われたか教えて下さい。ダビデは神が罪をあがなう犠牲を要しないこと、寧ろ罪に対する供物(そなえもの)として燔祭(はんさい)をその顔の前に供えるのが罪なりと言って居りませんか(詩四〇.六)。イザヤもそれと同じことを一言って居りませんか。」


 祭司、「君はどうかしてるよ。君はイスラエルのすべての祭司以上に神の律法を知っているのか。ここは子供がえらそうなことをしゃべるところじゃない。」


 しかし、イエスはこの叱責を気に止めず、最高法院(サンヘドリン)の首長ヒレルに行って言った、 「先生(ラボニ)、お話したいことがあります、わたしは、過越(すぎこし)の祭礼の行事について気が気でありません。わたしは神の宮は愛と親切のやどるところと思っていました。あなたや、彼処(かしこ)で人々が殺している小羊の鳴き声や鳩の悲鳴をお聞きになりませんか、あなたは焼肉から来るいやらしい臭気を嗅(か)ぎませんか。人間はやさしく正しい筈(はず)なのに、どうしてこんなに残酷なのですか。



 血と焼肉の犠牲を喜ぶような神は、わたしの父神てはない。わたしは愛の神を見出したい。先生、あなたは賢明です、屹度(きっと)どこで愛の神を見出せるか、話して下さることが出来る筈です。」


 しかし、ヒレルは子供に答えられなかった。心は同情にかき乱された。彼は子供をひき寄せ、その頭に手を置いて泣いた。彼は言う、「愛の神がいますから、一緒に行こう。共に手をつないで行って愛の神をさがそう。」


 イエス、「なぜ行くのですか。わたしは神がどこにでもお出でになると思っていました。わたしどもは心を清め無慈悲(むじひ)とすべての悪念をのぞき去り、そして心のなかを愛の神の住み給う宮とすることが出来ませんか。」


 堂々たる最高法院(サンヘドリソ)の先生は自分が全く子供で、自分の前に一層高き律法のラボニが居るような気がした。彼は心中密か思った、「この子こそ確かに神の送り給うた予言者だ。」


 それからヒレルは子供の両親をたずね、イエスが自分と一緒にいて、律法の教訓や宮の祭司のすべての課業を学ぶようにさせたいがどうかと尋ねた。両親は承諾した。そしてイエスはエルサレムの聖き宮のなかに留まり、ヒレルは毎日彼を教えた。

 毎日教師は却ってイエスから多くの人生の責き教訓を学んだ。


 子供は一年間ヒレルと共に宮に残り、それからナザレのわが家に帰り、そこで大工となって父ヨセフと共に働いた。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第五部 イエスの幼少時代と初期の教育

第十八章 イエス、エルサレムの大祭礼に行く。犠牲(いけにえ)を供える人の残酷なるを見て悲しむ。ヒレルに訴え同情される。一年間宮に留まる。

1)ユダヤ人の大祭が行われた。イエス、ヨセフ、マリヤ、その他多数の親族がエルサレムにのぼった。時にイエス十歳。

2)そしてイエスは者が小羊や鳥をほふって、これを神の名に於いて祭壇に焼くのを気をつけて見守っていた。

3)彼のやさしい心はこの残酷なしぐさを見ていたく驚いた。彼は祭司に尋ねた。「このように鳥獣を屠(ほふ)るのは何のためですか。なぜ神の前にその肉を焼くのですか。

4)祭司は答えた、「これはわれわれの罪に対する犠牲であって、神はこれをなすようにわれらに命じ、この犠牲によってわれわれの罪が消えると言われた。」

5)イエス、「神はいつ罪が何かの犠牲によって消えると言われたか教えて下さい。

6)ダビデは神が罪をあがなう犠牲を要しないこと、寧ろ罪に対する供物(そなえもの)として燔祭(はんさい)をその顔の前に供えるのが罪なりと言って居りませんか(詩四〇.六)。イザヤもそれと同じことを一言って居りませんか。」

7)祭司、「君はどうかしてるよ。君はイスラエルのすべての祭司以上に神の律法を知っているのか。ここは子供がえらそうなことをしゃべるところじゃない。」

8)しかし、イエスはこの叱責を気に止めず、最高法院(サンヘドリン)の首長ヒレルに行って言った、

9)「先生(ラボニ)、お話したいことがあります、わたしは、過越(すぎこし)の祭礼の行事について気が気でありません。わたしは神の宮は愛と親切のやどるところと思っていました。

10)あなたや、彼処(かしこ)で人々が殺している小羊の鳴き声や鳩の悲鳴をお聞きになりませんか、あなたは焼肉から来るいやらしい臭気を嗅(か)ぎませんか。

11)人間はやさしく正しい筈(はず)なのに、どうしてこんなに残酷なのですか。

12)血と焼肉の犠牲を喜ぶような神は、わたしの父神てはない。

13)わたしは愛の神を見出したい。先生、あなたは賢明です、屹度(きっと)どこで愛の神を見出せるか、話して下さることが出来る筈です。」

14)しかし、ヒレルは子供に答えられなかった。心は同情にかき乱された。彼は子供をひき寄せ、その頭に手を置いて泣いた。

15)彼は言う、「愛の神がいますから、一緒に行こう。共に手をつないで行って愛の神をさがそう。」

16)イエス、「なぜ行くのですか。わたしは神がどこにでもお出でになると思っていました。わたしどもは心を清め無慈悲(むじひ)とすべての悪念をのぞき去り、そして心のなかを愛の神の住み給う宮とすることが出来ませんか。」

17)堂々たる最高法院(サンヘドリソ)の先生は自分が全く子供で、自分の前に一層高き律法のラボニが居るような気がした。

18)彼は心中密か思った、「この子こそ確かに神の送り給うた予言者だ。」

19)それからヒレルは子供の両親をたずね、イエスが自分と一緒にいて、律法の教訓や宮の祭司のすべての課業を学ぶようにさせたいがどうかと尋ねた。

20)両親は承諾した。そしてイエスはエルサレムの聖き宮のなかに留まり、ヒレルは毎日彼を教えた。

21)毎日教師は却ってイエスから多くの人生の責き教訓を学んだ。

22)子供は一年間ヒレルと共に宮に残り、それからナザレのわが家に帰り、そこで大工となって父ヨセフと共に働いた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION V<o:p></o:p>

HE<o:p></o:p>

Childhood and Early Education of Jesus<o:p></o:p>

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CHAPTER 18<o:p></o:p>

Jesus at a feast in Jerusalem. Is grieved by the cruelties of the sacrificers.
Appeals to Hillel, who sympathizes with him. He remains in the temple a year.
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THE great feast of the Jews was on, and Joseph, Mary and their son, and many of their kin, went to Jerusalem. The child was ten years old.
2) And Jesus watched the butchers kill the lambs and birds and burn them on the altar in the name of God.
3) His tender heart was shocked at this display of cruelty; he asked the serving priests,
What is the purpose of this slaughter of the beasts and birds? Why do you burn their flesh before the Lord?
4) The priest replied,
This is our sacrifice for sin. God has commanded us to do these things, and said that in these sacrifices all our sins are blotted out.
5) And Jesus said,
Will you be kind enough to tell when God proclaimed that sins are blotted out by sacrifice of any kind?
6) Did not David say that God requires not a sacrifice for sin? that it is a sin itself to bring before his face burnt offerings, as offerings for sin? Did not Isaiah say the same?
7) The priest replied,
My child you are beside yourself. Do you know more about the laws of God than all the priests of Israel? This is no place for boys to show their wit.
8) But Jesus heeded not his taunts; he went to Hillel, chief of the Sanhedrin, and he said to him,
9) Rabboni, I would like to talk with you; I am disturbed about this service of the pascal feast. I thought the temple was the house of God where love and kindness dwell.
10) Do you not hear the bleating of those lambs, the pleading of those doves that men are killing over there? Do you not smell that awful stench that comes from burning flesh?
11) Can man be kind and just, and still be filled with cruelty?
12) A God that takes delight in sacrifice, in blood and burning flesh, is not my Father-God.
13) I want to find a God of love, and you, my master, you are wise, and surely you can tell me where to find the God of love.
14) But Hillel could not give an answer to the child. His heart was stirred with sympathy. He called the child to him; he laid his hand upon his head and wept.
15) He said,
There is a God of love, and you shall come with me; and hand in hand we will go forth and find the God of love.
16) And Jesus said,
Why need we go? I thought that God is everywhere. Can we not purify our hearts and drive out cruelty, and every wicked thought, and make within, a temple where the God of love can dwell?
17) The master of the great Sanhedrin felt as though he was himself the child, and that before him stood Rabboni, master of the higher law.
18) He said within himself,
This child is surely a prophet sent from God.
19) Then Hillel sought the parents of the child, and asked that Jesus might abide with them, and learn the precepts of the law, and all the lessons of the temple priests.
20) His parents gave consent, and Jesus did abide within the holy temple in Jerusalem, and Hillel taught him every day.
21) And every day the master learned from Jesus many lessons of the higher life.
22) The child remained with Hillel in the temple for a year, and then returned unto his home in Nazareth; and there he wrought with Joseph as a carpenter.

【続く】


テスラの底力-自動車帝国アメリカの底力-

2009-04-16 09:37:57 | 新技術

GMが消えていくかも知れないが、
新たに勃興する新世代カー、
そして、Carメーカー!!
アメリカの正常の萌芽!!  


 知る人は知るが、アメリカで電気自動車がこれまで登場しなかった理由は、石油メジャーの悪質な妨害による。カリフォルニアでは数千台あるいは数万台が、店頭から消えてスクラップにされた。これは隠れた有名な話である。


 それも金融崩壊が、形勢を逆転させたケースであろう。


 強欲な勢力は自滅しかけている。新たな勢力が台頭する。自然は新陳代謝する。産業も同じである。この車ははっきり言って素晴らしい。少々高いが、台頭するだろう。杞憂することはない。古き、悪しきものは退場し、新たな萌芽を準備する。


 大きな歴史の大河は、人間の強欲を超えて滔々と流れる。


Photo

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【転載開始】トヨタ「プリウス」の未来の対抗馬?
電気自動車革命を牽引するテスラの底力

3月に発表された電気自動車「モデルS」は、テスラ・モーターズにとって初めての量産車。価格は日本円にして約574万円

http://diamond.jp/series/beyond_valley/10040/?page=3  

「発表から2週間で、すでに711台の注文を受けました」

 カリフォルニアの電気自動車メーカー、テスラ・モーターズのCEO(最高経営責任者)、イーロン・マスクは数日前、関係者へのメールにこう書いた。
 
 彼が指しているのは、テスラが3月末に発表した「モデルS」。初めての大量生産型で、高速道路も走行可能な電気自動車である。価格は5万7400ドル(約574万円)だが、電気自動車への税優遇措置で4万9900ドル(約499万円)になる。

 デトロイトの米自動車メーカーが軒並み存続の危機に直面している中、アメリカの期待を一身に受けている存在が、このテスラだ。創業したのは 2003年。ほんの6年前だが、すでにスポーツカータイプの「ロードスター」を生産。こちらは価格10万9000ドル(約1100万円)とかなり高価だ が、これまでに1200台以上の注文を受け、現在1週間25台のペースで生産している。すでに200台が路上を走り、予約は今年秋までいっぱいだ。

 3.9秒で時速60マイル(96.6キロ)まで加速するロードスターは、グーグルの創設者らシリコンバレーの億万長者起業家やハリウッドのセレブの間で、新しい「グリーン・ステータス」車として人気を集めている。

 だが、テスラが電気自動車戦争のメジャーなプレーヤーとして位置づけられたのは、何よりもこの「モデルS」の発表があったからに他ならない。モデ ルSは将来、トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」のライバルとなるポテンシャルすら備えていると一部業界関係者は評価している。

 では、モデルSとはどんな車か。

心臓部の電池技術はラインセンス販売していく。大元のリチウム電池自体は日本製だという。

 スポーツカーのロードスターとは趣を異にして、モデルSは「ファミリー・セダン」だ。大人5人と、後部のハッチバック部分に子供2人が座ることが できる。大きなトランクルームは前部にある。時速60マイルへの加速にかかるのは6秒。ごく普通の家庭用コンセントから充電可能で、一度の充電にかかる時 間は45分。これで最高300マイル(約483キロ)の走行が可能だ。

 ファミリー・セダンで500万円という価格は確かに高いが、CEOのマスクが強調するのはその燃費の良さだ。プリウスのおよそ2倍。370キロを 走っても電気代が500円程度で済むと言い、これを加味するとさらにお得感は増し、レクサスやメルセデス、アウディといった高級車を買う客の目を必ずやひ くことができると自信を見せている。

 3Gネットワークに接続し、車内には大小のスクリーンが備え付けられ、地図やメールを確認できる。2011年後半に生産を開始するが、レンタカーにも対応したいとしている。

ダイムラーへの
技術供与も決定

 テスラの強みは、その電池技術である。ラップトップ・コンピュータや携帯電話などに使われるごく普通のリチウム電池セルを約8000個用いて、効 率性、冷却化、安全性などの点で優れた設計を施すことで、価格を抑え、エネルギー保存を高める。汎用化された技術を利用して高性能を実現するのは、「グー グルのサーバー技術と同じ」とマスクは説明する。ちなみに、使われているリチウム電池のメーカー名は明かされていないが、日本製だという。

 テスラは、この電池技術をライセンス化して他の自動車メーカーに供給することもビジネスモデルとしており、すでにドイツのダイムラー社の小型電気自動車スマートカーへ提供することが決まっている。

 ただ、明るい話ばかりではない。テスラは実は昨年、破産の危機に見舞われた。価格10万9000ドルのロードスターの製造のために14万ドルのコ ストがかかり財政難に陥り、セダンの生産開始を1年以上遅らせた上、デトロイトの事務所を閉じた。全従業員の4分の1にあたる90人近くを解雇した後、私 財7000万ドルを同社に投資してきたイーロン・マスクがCEOに就任した。

 マスクは、今年半ばには黒字に転じる見通しと語っている。モデルSを予約した電気自動車ファンが先払いに応じている模様だが、現在エネルギー省に 申請した3億5000万ドルの公的融資の“合否”の返事を待っている状態だ。業界では、モデルSの製造開始はこの融資が受けられるか否かにかかっていると 見られており、万が一、“否”ともなれば、経営危機に再び陥らないとも限らない。

 また、ごく普通の家族カーにしては高い値札のつくモデルSが期待ほどに売れるかどうかは、誰にも予想がつかない。電気自動車は、日本だけでなく、ヨーロッパからも大手メーカー各社が進出を狙う熾烈な市場だ。

 とはいえ、テスラは電気自動車のパイオニアとしての道を突き進むしかない。すでにロサンゼルスとシリコンバレーにショールームをオープン。今年中 にシカゴとロンドンにも進出を計画している。マスクによると、すでに日本でも個人輸入されたロードスターが数台走っている。日本にも来年進出する計画だ。

 ちなみに、マスクは、電子支払い技術ペイパルを共同創業した後、同社をイーベイに売却して巨万の富を得た。電気自動車や宇宙技術に以前から関心を 持ち、テスラに加えて、一般人の宇宙旅行を実現する「スペースX」を創業、同社のCEOにも就いている。アメリカの電気自動車競争を牽引するのは、実はこ うした異才たちだ。ビッグスリーの凋落にだけ目を奪われていると、米国自動車産業の地殻変動を見逃すことになる。【転載終了】