謀略権力行使に堕した検察・警察!!
と言うことは、
革命前夜を察知した、権力団の怖れを如実に物語る!!
もう既に、正義は権力団にはない。
謀略団と化した末期的症状!!
民衆の声は、必ず、打倒へと沸き上がる!!
正義を失った政権は、民衆の支持を失う。これは歴史的真実だ。正義を重んじる人間には品格が伴う。メディアに登場する御用論客は、いずれもその品格がない。それは正義が廃れているからである。言うことが、迎合的で真がない。真がないから、言うこと為すことコロコロ変わる。矛盾が出る。論理に欠ける。ウソ偽りが馬脚を顕す。
ついに盗人までしてしまう。それを取り締まるべき警察・検察は無罪放免する。それで民衆が見過ごすはずがない。必ず、その悪の魂胆を見抜いて、一時は良いかも知れないが、糾弾する。真理は常に変わらない。偽善は、一時の繕いに過ぎないから、必ず、綻びが出る。
その時刷新される。必ず、刷新される。
心ある人間は、必ずいる。そして、それは多数である。少数である間は、偽善に翻弄されているからであって、綻びが出ると多数化する。それが天地の理法である。その時、気づいても遅い。常に、正義と共にあるものは、幸いである。自らの裡に恥じるものがないからである。
必ず刷新される時、刷新される側に立つか、それとも刷新を歓ぶ側に立つかは、その差は大きい。今、知っていながら、偽善の側に立つ者、立たざるを得ない者達よ、自らの心の裡に問え。正義が何処にあるか。それを誤ると、一時は重宝されるかも知れないが、刷新された時は、惨めな思いを余儀なくされるであろう。有為は転変して、やがて真理の大河に合流する。これを見失ってはならぬ。
有意の優秀な日本の官僚諸君!!日本は未曾有の危機にある。それは何より正義が廃れることである。謀略が巷に氾濫して、日本の背骨が曲がっている。その事は誰に問うこともなく、己の心が一番よく知っているはずである。悔い改め、立ち上がれ!
大多数の日本男児(大和撫子も同じ)は、今こそ、それに気づくべき時なのだ。
【転載開始】高橋洋一元教授を起訴猶予 竹中平蔵元総務相のブレーン
http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042701000859.html 東京地検は27日までに、東京都練馬区にある温泉施設の脱衣所ロッカーから高級腕時計などを盗んだとして、窃盗容疑で警視庁練馬署から書類送検された高橋洋一元東洋大教授(53)を起訴猶予処分にした。 処分は24日付。東京地検は被害品の返却や、勤務先を免職され社会的制裁を受けたことを理由としている。 高橋元教授は元財務官僚で、竹中平蔵元総務相のブレーンとして小泉内閣の構造改革を推進。2008年3月に退官して東洋大教授となったが、同大は事件発覚後に「教育に携わる者として許し難い行為」として免職処分にした。 高橋元教授は今年3月24日午後8時ごろ、無施錠のロッカーから男性会社員の財布や高級腕時計など計約30万円相当を盗んだとして、同30日に窃盗容疑で書類送検された。
【転載開始】
2009年4月28日 (火)
窃盗現行犯高橋洋一氏無罪放免の背景
2004年9月に私が巻き込まれた冤罪事件。
エスカレーターに普通に立っていた私は、下から駆けあがってきた警官に呼び止められた。警官は「携帯電話による盗撮」だと確信して駆けあがったと公判で述べた。
エ スカレーターを降りた後、警官はポケットのなかの持ち物を確認して、直ちに携帯電話を出すように私に指示した。携帯電話での盗撮を疑っていたのである。し かし、携帯電話はアッシュケースの中にあった。そのまま、駅の交番に行ったが、弁護士の検証によれば、行動の様式は紛れもなく「任意同行」だった。警察で 容疑事実が変更された。
「現行犯人逮捕手続き書」には「現行犯逮捕である旨を告げて逮捕した」との記述があるが、この書類は、事後的に、事務的な目的によりねつ造されたものであることを、書類を作成した警官が公判で証言した。
私 は駅の防犯カメラ映像が私の無実を確実に証明する決定的証拠であることから、防犯カメラ映像の確認とその保全を要求し続けたが、警察は防犯カメラ映像の保 全を行なわずに、10日以上放置し、その後、「防犯カメラ映像を確認したが、時間が経過して映像が消去された」と回答し、決定的な証拠が消滅された。
警察は防犯カメラ映像を確認し、私の無実を確認したために、防犯カメラ映像を消滅させたのだと考えられる。
被害者とされる女性サイドからは、「被害届を出した覚えもない。起訴して裁判にしないでほしい」との上申書が東京地検に提出された。しかし、私は起訴され、有罪判決を受けた。
元財務省職員の高橋洋一氏は、3月24日、東京都豊島区の温泉施設で数十万円の金品を窃盗した現行犯で捕らえられたが、逮捕されず、身柄が釈放され、書類送検された。
東京地検は4月24日、高橋洋一氏を起訴猶予処分とした。東京地検は被害品の返却や、勤務先を免職され社会的制裁を受けたことを理由としているとのことだ。検察審査会がどのように判断するか注目される。
「罪刑法定主義」、「法の下の平等」が日本国憲法で定められている以上、こうした事案についての実態がすべて明らかにされる必要がある。刑法の規定を覆す「裁量権」が警察や検察に付与されているとなると、刑事問題の運用はまさに「霧の中」、あるいは「闇の中」ということになる。
これらが、「天下り」を中心とする警察・検察利権、政治目的、官僚機構の身内対応によって、歪められているとすれば、重大な問題だ。何ともやりきれない思いがする。
日本国憲法は第31条に「罪刑法定主義」、第14条に「法の下の平等」を定めている。この規定の原典になっているのがフランス人権宣言であると考えられる。フランス人権宣言の第6条から第9条を以下に転載する。
第6条(一般意思の表明としての法律、市民の立法参加権)
法律は、一般意思の表明である。すべての市民は、みずから、またはその代表者によって、その形成に参与する権利をもつ。法律は、保護を与える場合にも、処罰を加える場合にも、すべての者に対して同一でなければならない。すべての市民は、法律の前に平等であるから、その能力にしたがって、かつ、その徳行と才能以外の差別なしに、等しく、すべての位階、地位および公職に就くことができる。
第7条(適法手続きと身体の安全)
何人も、法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。恣意的(しいてき)な命令を要請し、発令し、執行し、または執行させた者は、処罰されなければならない。ただし、法律によって召喚され、または逮捕されたすべての市民は、直ちに服従しなければならない。その者は、抵抗によって有罪となる。
第8条(罪刑法定主義)
法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。
第9条(無罪の推定)
何人も、有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。
昨年10月26日の「麻生邸見学ツアー」の不当逮捕、小沢氏秘書の不当逮捕、私が巻き込まれた冤罪事件、高橋洋一氏の無罪放免、など、警察、検察行政に対する不信感は強まるばかりである。【転載終了】