飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

戦前型警察国家の謀略官僚人脈

2009-03-15 13:10:33 | 日本

やっぱりな!!
CIAが当然後ろで糸を引いているには確実!!
『西松建設=小沢献金事件』は謀られた!!
その為の人事が、すでに図られていたのだ!!


 《外務省、警察庁のエリート幹部は、全員CIAに留学し、そこで「下級工作員」として洗脳教育を受けて帰国してくる。CIAの洗脳教育を受けて来ないと、日本の外務省、警察庁では「出世」出来ない。日本の外務省、警察庁がCIAの下部機関であるという理由はそこにある。http://alternativereport1.seesaa.net/article/51490118.html


20090310124537


 この事は、常識である。しかも、漆間官房副長官は、陸上自衛隊幕僚監部調査部調査第2課調査別室、通称「調別」の室長を経歴していると言うから、生粋の情報部員であることは明らかだ。漆間官房副長官は、件の『政府高官』である。


 失言だとか、どうとか言われているが、サインである。スパイ王国『日本』に最も多くの諜報部員を擁しているのは、言うまでもなくCIAであろう。その子飼いが、外務省、警察庁のエリート幹部というから、どうにも始末が悪い。おそらく、法務官僚に多くいるはずだ。

 大林宏東京高検検事長は、検察官僚のNO2というから、当然、気脈は通じている。その大林検事長は、

《Subject:[toukai:01178] サンデープロジェクトに登場した大林刑事局長の
「過去」
From:T.
Date:Sun, 14 May 2006 13:02:03 +0900
To:<labor-members at labornetjp.org>, "viewer of kokuro story"
<hito-net at list.jca.apc.org>, <icti-ml at freeml.com>,
<toukai at ml-c2.infoseek.co.jp>

「サンデープロジェクト」の共謀罪特集、見ました。
おおむね私たちの主張を反映する内容だったと思います。
共謀罪に無関心だったメディアが、運動側の力によって変わってきたと思います。


ただひとつ、「国際的犯罪集団」に限る、とした民主党の修正案を番組が評価
したところは納得いきませんが。
なぜなら運動の側も「国際連帯」を模索しており、国内的な視点だけでは運動
そのものが成立しにくい状況になっている現在、海外にいる私たちの「連帯相
手」が「国際的犯罪集団」と認定されてしまう恐れが消えないからです。

ところで、この問題には私はあまり詳しくないので、あとは詳しい方におまか
せしますが、番組の中で、官僚の裏金作りの謀議には共謀罪が「成立しない」
と、自分勝手な答弁を繰り返していた大林・法務省刑事局長という人物が2度
にわたり登場しました。
どこかで聞き覚えがある名前だなぁと思っていたら、思い出しました。
この人は大林宏という検察官で、1980年、中国に極秘渡航したまま27年
間、幽閉状態にあった元日本共産党政治局員・伊藤律氏(故人)が中国当局の
幽閉から解かれて帰国した際、出入国管理法違反容疑で伊藤氏を取り調べた人
物です。

『午後三時過ぎに迎賓館に着いた。…(中略)日本大使館の当局者はすでに来
ていた。大使代理(?)の一等書記官大林宏、一等書記官渡辺、二等書記官某
の三人。質問は大林が行い、渡辺が筆記して私に示し、答えさせる。…(中
略)大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べ
ないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使
う。少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだ
が、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時「外務省出仕」となっていたの
である。つまり本物の公安検察官だったのだ』
(『伊藤律 回想録~北京幽閉二七年』文藝春秋社、1993年、325ページ)

『私はいっさい黙秘した。大林は隔離査問の場所が不明では帰国許可に必要な
経歴書が成立しないと恫喝し、さらに「あなたは党から除名されたのだから、
今さら党に義理を尽くさなくてもいいでしょう。もう話してくださいよ」と
言った』(前掲書328ページ)

『この日はなぜか大林ら三人は定刻より少し遅れてやって来た。では経歴書に
取りかかろうと切り出した時、大林は目玉を剥いて私を睨みつけた。まるで昔
の思想検事そっくりで、これで大林は外交官ではないとはっきりわかった。…
(中略)とにかく中国に来てからの経歴書を書け、と大林は命じた。その態度
は昔特高が手記を書かせたのと同じやり方である。私の胸に憤怒が湧き、目が
悪いので書けないと拒否した』(前掲書328~329ページ)

『私はなるべく早く帰国手続きをして旅券を出してほしいと要求したが、大林
は、大使館としてできるだけ努力するが、何分本国政府の決定を待たねば、と
言外に威嚇を含めた言い方をした。そして、そのあと言葉を改めて、現在は共
産党をどう思っているかと訊ねてきた。いよいよ切り出してきたなと感じた。
帰国許可を餌に「転向」を表明させようとする謀略にちがいない』(前掲書、
329ページ)

…共謀罪を推進しているのは、はっきり言えばこういう連中です。
他人の弱みにつけ込み、国民の心の中にズカズカと泥靴で入り込んで踏みにじ
るような連中に共謀罪法を与えれば、日本のあちこちで毎日こういうことが繰
り返されるようになるでしょう。
大林に限らず、いかに上手く国民の心をコントロールするか。
その術に長けている人間ほど昇進していくのが「特高警察」以来連綿と続く法
務・警察当局の伝統だということがよくわかる記述だと思います。
彼らがいかに「市民団体には適用しない」といっても信用できないことは、番
組中の「国会答弁している検察官僚」から実際に取り調べを受けた人の叫びを
聞けば、明らかではないでしょうか。

共謀罪法案は、やはり廃案以外にありません。》

というから、公安畑のこれまた、生粋の謀略検事であることが分かる。


 これらの人脈を配置し、発足した麻生政権は、もとより、早期解散は眼中になかった。本人はさておき、麻生政権を容認した官僚勢力には、それを拒むどころか、虎視眈々と政権交代を阻む謀略が進められていたのである。


 それは、小沢潰しがその標的であった。


 一体、どこまでその熾烈な戦いの深淵があるのであろうか。
 一つは、謀略官僚の存在である。その糸を引くのは、先のCIA人脈である。そして、日本のFEMAと言われる通称「調別」がある。通称「調別」では、クーデターまで画策されていると見て、間違いがない。田母神幕僚長は、その矛先を米国に向けたから更迭されたが、底流では繋がっている。


 特高警察と特高検事。そして、警察国家。それを操るCIA。いやな構図である。温存するのは官僚機構と癒着利権構造。そして、故意に創られる政治不信。

 結局、国民から真実を覆い隠し、これまでの権益の中にどっぷり浸かっていたい連中が実在すると言うことだ。



【転載開始】戦前型警察国家の謀略官僚人脈 - 漆間巌、大林宏、田母神俊雄

戦前型警察国家_1http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-40.html

麻 生首相は漆間巌を更迭せず、問題の発言については「記憶にない」の一点張りで逃げ切らせようとしている。先週末、騒動が大きくなった時点の報道では、引責 辞任必至の見方が示され、河村建夫や与党幹部の発言も辞任での決着を示唆していたが、蓋を開ければ、意外にもシラを切って開き直る強行策で突破してきた。 いつもながら国民無視の政権と政府の姿勢に唖然とする。この不敵な開き直りの方針を決めたのは麻生首相だろう。身内でなく他人である二階俊博の首は簡単に 差し出せるが、自分が抜擢した腹心の漆間巌は自分自身の分身であり、世論がどう反発しようが世論の言うとおりには従わないのだ。週末の段階の政府側の言い訳は、 「発言は一般論で、実際に捜査に影響を及ぼしていない」とするもので、発言そのものを否定してはいなかった。「自民党議員には捜査は及ばない」と記者団を 前にして述べた発言の事実は認めていたのである。おそらくこの釈明は、更迭も念頭に置いて名前を公表した河村建夫の収拾の線だろう。それが週末を挟んで覆 され、「記憶にない」の強行突破に一転した。

 

戦前型警察国家_2麻 生首相の性格による強引な方針転換としか考えられない。「テープレコーダーの録音の証拠を出せ」と開き直っているのである。「一般論だった」という言い訳 は、これが普通の自民党の政治家のケースなら聞き流せるが、官僚機構の頂点に立つ官房副長官の場合は問題なしには済まされない。政府の全ての情報が入る政 府責任者が「自民党議員には捜査は波及しない」と言明したのだから、当然、それは政府組織内部の判断と動向の示唆になる。オフレコであれ、20人の記者団 と3人の秘書官を前にして総理官邸で政府実務トップの官房副長官が発言したことであり、何も根拠のない憶測や妄言が口から出たということはないだろう。憶 測や妄言であったとすれば、立場からしてあまりに無責任で不心得な発言であり、即解任されるのが当然の処分となる。「一般論」の釈明では辞任の結論だった から、それを麻生首相がひっくり返して、「記憶にない」の線で発言の物理的抹殺に出たのである。いずれにしても、漆間巌が検察の捜査方針の情報を知ってい たのは間違いなく、それを堂々と記者団に開陳して得意になっていた事実は疑いようがない。

戦前型警察国家_3aこ の漆間巌について、人物の詳細情報がネットに出て物議が醸されている。国民が注視する中で飄々とシラを切る不敵な面構えを見て、これは並の官僚ではないな と誰もが推測するけれど、やはり経歴が不気味であり、それを見ると、いわゆる霞ヶ関の官僚の一般的な範疇の人物ではなく、諜報と謀略の工作畑を一貫して歩 いてきた恐るべき諜報官僚の実像が鮮明に浮かび上がる。亀井静香のような単なる警察官僚ではない。もっと自衛隊に近く、警察官と言うよりもグロテスクな軍 務官の実体である。経歴はこうなっている。1969年警察庁に入庁、1980年在ソ連日本大使館の一等書記官、1987年防衛庁陸幕調査部調査第2課調査 別室長、1989年奈良県警本部長、2001年警察庁警備局長、2004年警察庁長官。産経新聞に警察庁長官を退官した後の2007年に寄せた記事が あり、これは言わば日経の「私の履歴書」の右翼方面版のような回顧録のコラムだが、そこに警察庁に入庁した漆間巌がモスクワの日本大使館に赴任した当時の 経緯が書かれている。漆間巌は警察庁が初めて送り込んだソ連駐在官であり、この男は大学でロシア語を学んでいた。漆間巌が何の目的で警察庁からソ連の日本 大使館に派遣されたのか、後の経歴を見るだけでそれを想像するのに難くない。

戦前型警察国家_4スパイだったのだ。諜報工作のためにソ連に潜入した工作員だったのだ。ここ数日の新聞報道には、漆間巌の警察官僚としての経歴が賑々しく紹介されているが、防衛庁陸幕調査部第2課に所属していた過去に ついて触れている記事はない。昔で言えば、陸軍参謀本部謀略課である。要するに漆間巌は、(憲法9条下の戦後日本では消滅したはずの)「特務機関」の生粋 のエリートであり、その組織の最高幹部に登りつめた人間だった言うことができる。警察庁警備局長のときの2001年12月、漆間巌は東シナ海不審船事件の 処理で安倍晋三(当時の政務の官房副長官)に気に入られ、安倍晋三の政治力で警察庁長官に出世したと言われている。これは事実だろう。実は、この漆間巌と 非常によく似た経歴の人間が検察の最高幹部の中にいる。東京高検検事長の大林宏である。先週の3/6だったが、民放のテレビニュースの中で、小沢一郎本人 の事情聴取を検察が検討しているという情報が流れ、その検討メンバーの報道が、地検特捜部長と高検検事長と検事総長の3人を挙げていた。それを聞いて、私 はオヤと思ったのである。東京高検検事長は確かに検察のNo.2だが、わざわざ報道でそこまで言う必要があるかなと不審に感じたのだ。そこで調べてみた。

戦前型警察国家_5調 べてみて愕然とした。今度の西松事件の捜査と小沢秘書逮捕の一件は、官邸の漆間巌と検察の大林宏の二人の連携作業なのではないか。その疑念を現在は濃くし ている。果たして、大林宏の経歴は次のようになっている。1970年司法修習生、法務省刑事局、(時期は明確でないが)在中華人民共和国日本大使館一等書 記官、1994年法務総合研究所教官、 1996年札幌地検次席検事、 1996年東京高検検事、1997年法務大臣官房審議官、1999年最高検検事、2002年法務省大臣官房長、2004年法務省刑事局長、2006年法務 事務次官、2008年東京検検事長。検察の組織の序列では、1.検事総長、2.東京高検検事長、3.大阪高検検事長、4.最高検次長、5.法務省事務次官 となっていて、法務省の事務次官などより東京高検の検事長がずっと上であり、通常、東京高検検事長が検事総長に就任する。漆間巌は国家公務員上級職から警 察官僚、大林宏は司法試験に合格して検察官僚と出身に若干の違いはあるが、二人の歩んだ人生と職業のコースはよく似ている。大林宏の最初の職歴である「在 中華人民共和国日本大使館一等書記官」、これは一体何だったのか。その真相を探る前に、まずわれわれが大林宏の名前を聞いて思い出すのは、3年前のあの共 謀罪騒動の一件である。2006年の春、共謀罪を新設する組織犯罪処罰法の改正案が国会で審議された経緯は誰でもよく覚えている。

戦前型警察国家_6その国会審議で、政府答弁の責任者として立ち、野党議員を相手に共謀罪導入の正当性を主張したのが法務省刑事局長の大林宏だった。その詳細はあらためて述べるまでもない。私が注目させられたのは、ネットの検索エンジンから出てきた一個の情報の切れ端で、そこには驚愕する内容が記されている。この大林宏は、在中国一等書記官だった若き日に、何とあの北京から帰国した伊藤律を尋問していたのだ。そこには伊藤律の回想録が引用されて以下の証言がある。「大 林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使う。少しで も多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだが、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時『外務省出仕』となっていたのである。つまり本 物の公安検察官だったのだ」。大林宏は、法務省刑事局から何かの怪しげな目的で中国の日本大使館に赴任し、帰国した伊藤律の取調を担当して いた。大林宏が単なる法務官僚ではない真相がよく分かる。この男は、漆間巌と同じく、(現憲法下の戦後日本では消滅させられたはずの)「内務省」の「特 高」であり、イデオロギー関係の任務すなわち思想警察の国策実務を担当する人生を歩んできた人間だ。日本の「思想警察」の長なのである。

戦前型警察国家_7こ の大林宏は1947年生まれの61歳。漆間巌は1945年生まれの63歳。年齢がとても近い。年齢が近く、二人に共通するのは、全共闘闘争の時代に学生生 活を送っていることである。団塊の世代だ。ほぼ同じ世代で同じ学生時代の経験を持っている政治家に、1944年生まれの町村信孝や1943年生まれの中山 成彬がいる。どちらも強烈な反共イデオロギーの闘士である点は同じで、生い立ちや学生時代の経験が政治思想に色濃く影響を及ぼしていることが推察される。 漆間巌と大林宏の大学時代はどのようなものだっただろう。この団塊の世代で、反日本国憲法のイデオロギー的国策実務に従事して権力の階梯を登りつめた人間 がもう一人いる。1948年生まれで61歳の田母神俊雄である。この男も安倍晋三に引き立てられ、航空自衛隊の幕僚長という最高権力者の立場だった。漆間 巌、大林宏、田母神俊雄。警察と検察と軍(自衛隊)の頂点の人間たち。こうして見ると、現在の日本がどういう国であるかがよく分かる。この現在の日本国と 日本国憲法がどのような関係であるかがよく分かる。今の日本は、外形は違うが中身は戦前の大日本帝国と同じになっていて、過激な右翼のイデオロギーを内面 化した人格が権力機構の頂点に立ち、彼らの理想と目標に従って統治が行われている国家である。そう言わざるを得ず、その恐怖の事実に震え上がらざるを得な い。こうしてネットで自由に言論できているのが不思議に感じられるほどだ。【転載終了】


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1 コメント

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gregory109chavez@gmail.com (destiny mastercard app)
2024-06-24 14:50:25
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