2月6日の午前中、大阪城公園の梅林の梅が見ごろだとテレビで放送されていたので、見に行ってきました。
全体的にはほとんど咲いておらず、まだ咲きはじめでした。梅林内の標準木もまだ咲いていませんでした。昨年の同時期に比べると少し遅めの咲き具合ですが、今週の暖かさでもっとたくさん咲いてくるのかもしれません。
緑顎
メジロ
ジョウビタキ(メス)
ツグミ
この日は、のどかで少し暖かい晴天のお天気で、梅林内で1時間くらいゆっくり過ごしました。梅林で梅の花々を眺めていたら癒された気分になりました。
2月6日の午前中、大阪城公園の梅林の梅が見ごろだとテレビで放送されていたので、見に行ってきました。
全体的にはほとんど咲いておらず、まだ咲きはじめでした。梅林内の標準木もまだ咲いていませんでした。昨年の同時期に比べると少し遅めの咲き具合ですが、今週の暖かさでもっとたくさん咲いてくるのかもしれません。
緑顎
メジロ
ジョウビタキ(メス)
ツグミ
この日は、のどかで少し暖かい晴天のお天気で、梅林内で1時間くらいゆっくり過ごしました。梅林で梅の花々を眺めていたら癒された気分になりました。
レンタル店で借りてきて観た映画『糸』の感想です。中島みゆきさんの楽曲『糸』から着想を得た物語。平成元年生まれで13歳のときに、花火大会の会場で偶然出会った、漣(菅田将将暉さん)と葵(小松菜奈さん)の平成から令和の幕開けした最初の令和元年までの30年間に渡る人生が描かれていました。漣と葵は、すれ違いながらも最初に出会った運命の糸を右往左往した後に手繰り寄せながらも仕合せに辿りつくといった楽曲の歌詞を想像できるような人間ドラマでした。北海道の美瑛や函館、沖縄、シンガポールなどを舞台に、主人公たちが係わるそれぞれの人々との繋がりと別れを織り交ぜながら、ストーリーは展開して行きました。最初と最後に出てきていた花火のシーンと主人公たちにとっての大切な響き合った「大丈夫」の言葉を掛け合うシーン、北海道の雄大で美しい景色がとても印象に残りました。『糸』の歌詞の一番最後にある、「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」という歌詞がジーンと心に刺さるように製作されていたなあと思った映画でもありました。また、葵がいろいろと大変な目にあったときに大きな口を開けながらもりもり食べているシーンや最後のほうの北海道で葵が世話になった子ども食堂でのごはんを美味しそうに食べているシーンは、葵の悲しさや辛さや嬉しさや懐かしさなどのその時々の諸々の微妙な感情や気持ちがひしひしと伝わってきました。言葉やセリフからだけでは表現が難しいような切ない気持ちや元気を取り戻していくような気持ちがこの食事のシーンだけで手に取るように上手く表現されていたのも印象に残りました。
あるところから不正アクセスで個人情報が漏れたのをお詫びしますというお詫びメールが先日届きました。そのメールには同じパスワードをほかで使っていたら変更するほうがよいと記載されていました。自分の場合、同じパスワードを結構あちらこちらで使い回ししていたのを反省し、今後こういうことが起こりうることを想定し、パスワードを入れないといけないサイトでは慎重に設定するようにして行かないといけないなあと思い、新しいパスワードを昨日1日考えていました。この前、観た映画『一度死んでみた』の中で、父親が付けていたパスワードが娘の名前の元素記号の番号だったシーンがありました。こういうパスワードの付けかたも見破られてしまうのかもしれないなあと思い、全く想像できなくて自分しかわからないパスワードにしたので、これから随時変更をして行こうと思っています。
レンタル店で借りてきた映画『記憶屋 あなたを忘れない』の感想です。
人の記憶を消せる記憶屋という人がいるらしいというという都市伝説が主題の映画でした。
主人公の遼一(山田涼介さん)は、恋人杏子(蓮佛美沙子さん)にプロポーズして返事をもらい有頂天だったあくる日に杏子が遼一の記憶を全く失っていたことで窮地に陥っていました。また、遼一は、幼少期幼馴染の真希(芳根京子さん)が誘拐未遂事件から自宅に戻ってきたときに真希が事件の記憶を失っていたことも以前から不思議に思ってきました。
そんなとき、弁護士高原(佐々木蔵乃介さん)の講義を大学で受講したのがきっかけで、記憶屋がこの世に存在しているかを探して行くことでストーリーは展開して行きます。
記憶を失うことで辛い気持ちや悲しい絶望から救われる人々もあり、映画では自分では解決できないような犯罪に遭遇して被害に遭った人々を中心に記憶を消して救済していく人助けとしての記憶屋の諸々の行いが描かれていました。最後で、記憶屋が誰だったのかがわかります。記憶を消して人助けになっていた記憶以外にも消さなくてもいい記憶を消していた理由は記憶屋の切なさを伴っていました。記憶にまつわるそれぞれの人々の秘めたる思いが絡み合うファンタジーぽい映画でした。
職場で仲良くしていただいてる同僚の皆さんとお話しをしていると、退職で、自分が今いる職場内から後2月ほどで消えるので「寂しいわ~。」と言って下さる方が何人かいます。自分が今いる場所から消えることで寂しいと言っていただく方が少しでもいて下さったことに大げさなんですけれど仕事をし続けてきてよかったなあと思えるような嬉しい気分になりました。引退して仕事をしない自分を真剣に想像したことが今までありませんでした。4月1日になってもう電車に乗って通勤しなくてもいいんだよねとやれやれと思う反面、仕事をしなくていい立場に立つ状況に慣れるまではやっぱり寂しいと思うのだろうと想像します。仕事をしない状況になる4月以降、早速やらなければならないことは結構多かったです。父が釣りのために借りている串本の部屋を片付けること、誰も住んでいない叔父宅の更地化を早く終えるようにすることは早めに取り掛からないといけません。それと家の中のいろいろなものを整理、片付けて、いらないものは捨てて行くようにこれから頑張らないといけないと思っています。片付けばかりだとしんどいので、何かしたいことを今から考えておかないといけないのでしょうが、まだそこまで何も考えていなかったです。若い世代の同僚から仕事をしなくなるとやることがなくなってしまって暇になってしまうのではないですかと時々投げ掛けられたのですが、仕事を辞めても結構忙しいのですと心の中で受け答えしていた自分がいました。
仏教ではどんなときでも誰もが「寂しさ」を抱えていると説かれているそうです。人は家族に囲まれていても友達に囲まれてもいても寂しい存在なのであって、仕事をしているときは「寂しい気持ち」を忘れてしまっているだけなのかもしれないですね。「寂しい気持ち」は大切な人に会いたくても会えなくなってしまった永遠の別れを経験したときや会おうと思えば会えるけれど会うことがままならない状況のときなど、そして、自分の思いとは違う思いを相手側が受け取ってしまったときなどに感じる感情なのかな?(まだほかにもいっぱいあるかもしれないけれど・・・・・。)
時間は止まってくれないので、この寂しさと共存しつつ、元気に変えてくれるような何か生きがいになるようなものがいつもあったり、またそれとは違ったものがどんどん見つかれば生きているということを実感できる瞬間がどれだけ年を重ねてもきっとあるのではないのだろうかと思っています。
仕事で忙しいときに忘れていたかもしれないこの「寂しい気持ち」に気付くこと自体が人生において意味があるのかもしれないですね。
昨日は、節分でした。例年どおりに巻き寿司といわしを晩ご飯にいただきました。
職場の近所のスーパーで買って帰ったハーフサイズの海鮮巻き寿司
98円のいわし
晩御飯をいただいた後、豆まきをしました。豆まきは父がいつもしてくれていますが、最近元気がなくなっていた父は久しぶりに元気を取り戻して楽しそうに豆まきをしていました。豆まきが今年もできてよかったと言ってました。
今日は立春ですが、朝から少し寒いです。風もちょっと強いです。
昨日、乗車した大阪環状線の車両がマリオのラッピング車両でした。USJで開業が非常事態宣言解除後に延期されている「スーパー・ニンテンドー・ワールド」のキャラクターたちでいっぱいのラッピング電車でした。
1月30日、晴天に恵まれました。自宅の近所にある大阪城公園を散歩してきました。
先週の土日は2日とも終日連日の雨でほとんど訪れていた方々を見かけなかったのですが、この日は晴天だったので、公園内はいつもの晴天時よりも人出が多かった気がしました。先週あまり咲いていなかった梅林の梅は少しずつ咲き出してきた木もあちらこちらで見かけるようになりました。今年は、昨年よりも少しだけ早く見ごろになるかもしれないように感じました。毎年開催されている大阪国際女子マラソンは、今年はコロナ感染対策として、長居公園周回コースになりました。マラソンの観戦もテレビ観戦に限られていたという例年とは全く違った大阪国際女子マラソンでした。大阪城公園内のコースもなくなったので、いつもならマラソンの準備を前の日からされていますが、今年はその準備もなく、3月の大阪場所も東京開催が決まりと、コロナがいろいろなところに影響を及ぼしている大阪です。
コロナ禍でも梅の花だけは例年のように咲いてくれているのを見ると少し嬉しい気分になります。
ジョウビタキ(メス)
ジョウビタキ(オス)
梅林の木の高いところに止まっていたツグミ
2年ほど前の2018年の9月初旬に大阪を通って行った台風で職場にあった松の木が倒れてしまい、現在はもうその松の木の姿はありませんが、2年前までおられた先輩にいただいたその松の大きな松笠をいつもいる職場の部屋に飾っていました。本当にこんな大きな松笠にお目に掛かることがないくらい何年もこの地で生きてきた大木の松笠でした。3月末で私もこの職場を去ることになるので、飾っていたこの大きな松笠を同僚が欲しいということでこの松笠をお譲りすることにしたので記念に写真だけ撮影しておきました。転勤する度にいつもいた職場内の部屋の写真も撮影していたので、ついでに、部屋の写真も撮影しておきました。転勤する度に常駐していたその部屋の写真を撮っていたときに感じた寂しさとは少し違うような独特の寂しさを感じました。今いる最後の職場は、空調もなく、夏は暑すぎて冬は底冷えするという、過去にいた職場よりは待遇も環境も一番最悪だった職場でした。そんな最悪の職場であっても、もう次の職場での仕事が待っていないという特別の孤独感だったのかな~。過去にいた職場では、自分に取ったら居心地がよかった本に囲まれていた部屋だったのですが、最後の職場の部屋は、これとは全く違う殺風景で空気もよくない部屋でした。そのような良くない環境の部屋に7年間よく耐えました。後2か月でその嫌な部屋ともお別れなのは嬉しいけれど、後2か月か~と思うと感慨深く感じてしまったから独特の寂しいなあ~という感情が降って沸いてきたのかもしれないです。
今日から2月です。先月末には、最後の仕事である、消毒当番の仕事やいつもと違う仕事もしながら、ある物品の外部調査の点検作業も無事に済ませることができました。最後の仕事の引き継ぎ資料や最終の部屋の片付けなどや必要がなくなった職場内の自分用のパソコンのデータの消去などをこれから済ませて行きながら、終盤に向けてのラストスパートの作業が日に日に加速してきたのを実感しています。