職場の展示棚の模様替えをするための春用の展示物を少しだけ新たに作り足しました。作り置きしたものと一緒に来週にでも展示替えしておこうと思っています。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー プレイディみかこ 著 新潮社
話題の本を図書館で借りて読んでみました。アイルランドの父と日本人の母とイギリスのブライトンに暮らす、名門のカトリックの小学校から元底辺中学校に通うことになった中学生の息子のぼくと作者の母の日常生活が描かれたノンフィクション。イギリスの今と現状を知るとともに、イギリスに暮らすぼくと作者が元底辺中学校に入学してから様々な体験を通して、人種や貧富の差、教育の実情に直面しながら、どのように感じ、どのように考えて行ったかが主に語られていました。多様な人種と多様な環境の下で、どこかに帰属しているという人間の帰属意識を深く掘り下げ、分断や対立や差別と関連付けながら、自ら何かを感じ、考え抜いて暮らしていくぼくの姿はまさしくグローバルでした。彼のグローバルな視点やものの見方は、母である作者の考え方やものの見方、鋭い指摘、いろいろなボランティア経験なども影響していたのかなあと想像しました。置かれている環境で11歳の子どもが、大人のような発想や考え方を育んで行ったということにところどころで驚きながら読みました。環境の変化に対処しながらもどのように逞しく切り抜いて行ったかを綴ったぼくの暮らしぶりを通して、島国の日本の価値観や視点だけからでは、想像できなかった、もっと考えて行かないといけないようなグローバルな問題意識を投げ掛けてくれた本でもありました。
昨日のお昼過ぎに、携帯に、先日、叔父の預金の書類を提出した銀行の方から連絡がありました。4回も出向いて、やっと受理していただいた書類だったので、後は証明書を送付いただくだけだと思っていました。連絡いただいたのは、10年以上前の預金のデータは保存していないので、証明書が出せないとのこと、証明書を出せないという文書も作成できないという連絡でした。じゃあ、あの4回も苦労して銀行に通ったのは何だったのとちょっと複雑な気分になりました。
昨日の仕事の最中で、若い同僚に、依頼されたことで、何気ない行いのひとつなんですが、同僚はたぶんなにも気にされなかった行動なのでしょうが、自分に取ったら、そのような存在だっただけだったんだなあと思った一件があって、ちょっと悲しい気分にもなってしまい、複雑な心境に陥りました。後1年だから、寛容になれるんだ~とこの前思ったけれど、まだまだ寛容になれなかった1件だったです。この歳になっても、こんなことで悲しい気分になってしまったので、まだまだ修行が足らなかっただけか~と思います。
昨日は、もう一人違う同僚と世間話をする機会がありました。話の中で、お母さんがうっとしいので早く死んでほしいわと言われていた内容の話にびっくりしました。「お母さんにもう会えないのとお母さんに会いに行けるということは大違いなんだよ。」と私はその人に言いました。そんなことを言えるのはまだ彼のお母さんが生きておられてお元気だからと違うのかなと思いました。その同僚は私よりも年下の男の人だったので、考え方がちょっと違うのかなとかいろいろ考えて複雑な心境になってしまいました。でも、彼が心を割って話してくれていたので、ホントはそんなことを思っていないのだろう、ポーズなんかもと思いました。