日曜日、梅田で映画『500ページの夢の中』を見てきました。21歳の女性ウェンディは、彼女が大好きなスタートレックの脚本コンテストに応募するために、ロサンゼルスのハリウッドまで一人で彼女が練ったシナリオを届けようと決意し、旅をすることになります。彼女は自閉症を抱えていて、人とのコミュニケーションが苦手な女性でした。そんな彼女がどうしてもこのシナリオを届けたいと決意したのには心の中に秘めている願いがあったからでした。未知なることに挑戦し続け、旅の途中でいろいろな困難にめげずにひたむきに前を向いて歩んで行こうとするウェンディにいつのまにか応援しているような気分になってくる映画でした。旅の途中で、お金を取られたり、お金がなくなったためバスに乗れなかったり、食べ物を買えなかったりと現実世界の厳しさを体験しながらも、食べ物を買うときにお金の勘定のしかたを知らなかったウェンディの味方になってくれた年配の女性や毛布を掛けてくれるバス会社の女性、スタートレックの映画の中で使われているクリンゴン語で優しく話しかける警官など、ウェンディを温かく包み込む人々が世の中には必ずいるという人間の善と悪がリアルに描かれていました。自らの願いを果たそうと頑張るウェンディの姿を通して、観客は、全ての人々に通じるような人生の機微と自らの解放を描いていることに気づく映画なのではないのかなあと思いながら見た映画でした。
映画館で観た2本目の映画は、『プーと大人になった僕』でした。くまのプーさんとその大親友で大人になったクリストファー・ロビンが再会し、毎日仕事漬けになっていたクリストファー・ロビンに本当に大切なものは何かに気づかせる奇跡を起こすといった内容の物語でした。文学的というよりは、哲学的な映画で、途中、眠ってしまうアクシデントもありましたが、最後まで見終えると、プーさんやイーヨーたちの何気ない言葉にはいつも人生訓が匂っていて、考えさせられることもありました。プーさんが大人になったクリストファー・ロビンに再会したときに、プーさんは彼がクリストファー・ロビンであることを一発で当てて見せました。クリストファー・ロビンはたずねます。「なぜ、すぐに僕がクリストファー・ロビンだってわかったの?」プーさんは彼に言います。「クリストファー・ロビンの目は子どものときも大人になった今でも同じ目なんだよ。」と。子供だったクリストファー・ロビンも大人になったクリストファー・ロビンも置かれている世界は違って見えていても見ているのはクリストファー・ロビンの目で見ているのには変わりはないんだよという深い言葉だと思いました。子供のときに見たことも大人になってから見たことも全部自分の目を通して見ている世界。子供のときの流れている何にもしない時の流れと忙しくて何もしないなんて無理と思いながらも大人になってからの時の流れとその意味を感じながら実行しているのは同じ自分。子どものころの何にも捉われていないときのようなのんびり、ゆったりしていて、ほんわかと心に響く自分の原点に戻ることの大切さをこの物語ではそっと教えてくれているような映画になっていたように思いました。プーさんのほんわかしたなんとも言えない表情を映画の中で何度も観ていたら、悲しいことも悔しいことも怒りたくなることもすべて忘れてしまいたくなるような気分になってしまったのは不思議です。そんな不思議な言葉にできないようなものがいっぱい詰まっていた映画でした。