平和を創り出す宮古ネット通信

宮古島の平和を願う3人の市民が始めたブログ。平和を阻む政治状況とたたかう市民の行動を載せる。美しい自然、環境問題も。

そう言うのなら、お前ら、自分で学校を作れ

2012-07-18 12:04:03 | インポート

 先月23日の「慰霊の日」に、あるラジオ番組で復帰後何年後のことであろうか、日の丸掲揚、君が代斉唱を拒む生徒たちに「そう言うのならお前ら、自分で学校をつくれ」」と叫ぶ教師の言葉に衝撃を受けた。

 敗戦後、ヤマトゥでは、それまで信じ、教えてきたことが間違いであったと自ら気づき、教え子を戦場に送り出してしまったことを悔いて、教壇を去った教師も多い。山口県の教会にもそんな先輩信徒がいて、靖国神社問題など懸命に学ぼうとされていたが、戦場で帰らぬ人となった教え子たちに対しては、やはり理屈では割り切れない複雑な思いがあったようだ。

 ある集会で、戦前戦中の沖縄での皇民化教育について、受けている差別への裏返しの思い、自分も上等な「日本人」になりたいという思いがあったのではないか、という指摘がなされた。当時本土で沖縄出身と揶揄されたが、教育勅語を立て板に水で賛唱したら一目置かれるようになったという逸話はよく聞く。障害者でありながら健常者のように描きたい絵かきもいるから、わからなくもない。

 その後、ラジオ番組では、沖縄返還の年に生まれたいわゆる「復帰っ子」、一方はこの40年を肯定的に捉え、片や懐疑的にみる二人のインタビューがあった。それを聴きながら、最初の拒む生徒と強制する教師は、いまどんな生き方をしているのだろうと思った。

 戦後の廃墟の中から沖縄でもヤマトゥでも、多くの教師や保護者は子供たちのために教育現場の構築に努めてきた。しかし間違いを悔いた人と同時に、自分たちは間違っていないと思い続ける人もいて、政治や権力の中枢に連綿と続き、震災が起きても、原発の事故があっても、危険なオスプレイが来ようとしても、なにも変わらないいまの日本のありさまにつながっているのだ。

 そしてヤマトゥから押し付けられたものを、またそれを生徒に押し付ける最初の教師の話。これも今尚続いているようだ(普)


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