融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

農の神学

2015年01月06日 | 日記

 朝方、初夢を見ました。要約すると、両親が共働きの子どもがいて、独りの時間が多くて、親の愛情が注がれずに育ち、やがて戦争に行くようになったという内容でした。日本の将来について、最近そういう心配ばかりしているので、遂に夢にまで見るようになったのかもしれません。何だか気分の悪い夢でした。

 私も家が貧しく、両親は共働きでした。けれども、住んでいたところが田舎だったので、山学校や海学校で遊ぶことができ、植物や動物にたくさん触れることができ、いたずらもたくさんできました。昔はおおらかで、治安も良かったです。けれども、現代では、特に都市部では、そんなことを言ってられません。交通事故は日常茶飯事、犯罪も多いですし・・・。そんな中で、子どもはどのように過ごしているのでしょう。塾や習い事に行かせられるならまだマシで、共働きしているにも関わらず最低限の生活しかできないようなら、子どもたちの行き場はどこにあるのでしょうか。

 聖書は、その教えの「いろは」の「い」の部分で、神さまが『産めよ増えよ地に満ちよ』と言われたことを伝えています。これは、神さまが命を祝福し、繁栄することを願っている言葉です。つまり、後の次代を背負う、子どもたちを大切に育て、子どもたちがより良く住むことができる環境を残しなさいという教えではないかと思います。そのためには、継続的に食料を生産できる農地がセットでなければなりません。生きるためには、食べることが必要で、子孫繁栄と農地繁栄は一体でなければならないはずです。そういう意味でも、お金ばかりが論じられて、農業が軽んじられている現代の風潮は自滅的であるように思わされます。また、農については、命を保つための重要な問題として、聖書においても農の神学といったものが確立されるべきではないかと思っています。


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