「自分勝手な権力者だった」 マタイによる福音書 2章13~18節
ヘロデ大王は、エルサレム神殿を改築したり、カイサリアという町を建築しました。それは、ユダヤ人やローマ皇帝に自分のことを良く思われたいためでした。そのために使ったお金は、民から集めました。ヘロデ大王は、権力をもって民からお金を徴収し、そのお金を自分の権力維持のために用いたと言えるでしょう。このような仕組みは、2千年もの昔の話だけではなく、現代も似たようなものとしてあるのではないでしょうか。
権力者というものは、自分の権力を維持するために、持っている権力を行使するものです。また、民を二極化して富める者と貧しい者を作り出し、富める者をさらに富ませて自分の言うことを聞くように仕向けます。そうして、貧しい者はさらに貧しくなり、行き詰まって戦争へと駆り出されるようになります。戦争もまた、富める者がさらに富むようになるためのビジネスだからです。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」という聖書の言葉は、ヘロデ大王によって2歳以下の子どもが殺されたという出来事に呼応して記されたものです。権力者によって一方的に子どもの命を奪われた母親の無念と無力さが伝わって来るような言葉ではないでしょうか。それは、戦争に駆り出されてしまい、命を失ってしまった若者に対する、母親の悲しみや痛みと重なっているように思えてなりません。
現代において、聖書は私たちに何を語りかけているのかをよく考え、イエスさまの教えによって正しい道を歩む者でありたいと思います。