もう70年が過ぎた。
焼野原の廃墟の中で始まった平和な日、空襲警報が鳴らなくなった日でもある。
しかし衣食住がほとんどが灰になった。
疎開先にそのまま住み続け、山野の雑草(ハコベ・アカザetc.)、農家が捨てた芋のツルで飢えをしのいだ。
わずかに残った着物は農家で米や大根やニンジンと変わった。
ガムシャラに働いた高度成長期、過労死なんて言葉は知らなかった。
そして今では家族の皆が自家用車をもつ時代になった。
タンスは洋服であふれそうなお宅も多いでしょう。
使えるものも不要とばかりゴミとしてどんどん廃棄、平和ボケともいえる贅沢な日本になった。
一方で心は荒廃、「殺してみたかった」という人間がうろうろする社会、どこかが狂いかけてないか?
多数与党に胡坐をかく政府、舵取り間違わないことを願う。
写真は散策路でminojiを導く?「ハンミョウ(別名ミチシルベ)」
頭に小さな小さな虫を載せてどこに連れていく・・・・?
オット「ハンミョウ」(2㎝ほど)にたかる虫が増えました。ハエのような虫、大きさは1~2mmほどと思う。
PCに取り込んで初めて気が付きました。周りを飛ぶのもいます。
撮影時は見えませんでした。
カバの皮膚の寄生虫を採る小鳥のごとく、これは虫の共生なのか?
口にはありを咥えてるようです。
こんな小さな虫のたかるとは、きっといいことがあるのでしょうね
昔カブトムシを飼ってた時、白い小さな虫が首周りについていたような・・・
ティッシュで拭いたら足で千切られ、紙だらけに(笑)
上手く共存してるんですかねぇ(^^♪
皆、戦後の何もないひもじい時代に戻ってみることですね。
我々の子どもの頃の食事の内容が言えますか?
なにしろ、ギヴミ-チョコレ-ト、ギヴミ-チュ-インガムの時代を味わった年齢ですから・・・。
通学もあの熱いアスファルトや砂利を素足だったのですよ。
あの時は、皆現実に耐えて、盗みも少なかったように思えました。
今だったらぜいたくな生活が忘れられず、
盗みも恐喝も強盗も殺人も何もかもわりになるでしょうね。
これって全て「政治」が悪いからです!
今の政治はまた地獄の底を見なければ気づかないようです。
見かけたことはないです
私もよくお袋に言われましたよ私の着物で育ったんだと
親父は着物を持って東京から静岡までコメを求めて
出かけたと聞いてます、芋の配給も覚えてます。
私も土曜休日も走り回って仕事仕事でした、あの頃は
辛かったなどと思ったことはないかったです。
顔つきは牙をもつ強面ですが、色はきれいな虫です。なかなか近寄れないすばしっこい虫です。
それもPCに取り込んで初めて昆虫と分かりました。
赤い大きな目の主です。「ヤマグロシマバエ」かなと思うのですが自信ありません。
何故、体にたかるのか不思議です。
見かけはそれ程汚れもなくいい光沢だったのですが・・・・。
勿論目当てはガムにチョコ投げよこすのを競争で拾いました。
その甘さにアメリカってすごい国だと思いました。
皆生きることに必死でしたね~。
男女共学と言ってもはっきり区別が有りました。
日当りのいい運動場側の席は男子、廊下側の薄暗いほうは女子と二分でした。
隣同士に座らせられたのは小6になってからだったかな?
並んで一緒に登下校なんて考えられませんでした。
文科省しっかりしないといけませんね。
オリンピックで振り回されてるような大臣では先が暗いです。
昔は砂糖も塩もコメにたばこまで配給でしたね。
おふくろも箪笥が空になったってよく言ってました。
そのおふくろの遺品始末に困るのが着物、高度成長に伴い着物好きの女房に親爺は買ったのだと思います。
廃棄するに忍びないminoji、処分するのに苦労する時代です。
高価な着物も処分する時は二束三文です。(笑)
まだ見たことありません・・・・
信州にはいないのかな~?
信州にもいると思います。
日当たりのいい地道を歩いていると2~3m前を先に先にと移動する面白い習性を持った「ハンミョウ」です。
あまり近づかせません。動きが早いので意外に写真が撮りにくいです。今回は400mレンズを使いました200~300㎜のレンズが欲しいですね。
3枚目は寝ころんで撮りましたが地面が焼けていて熱かったです。(笑)