ということでネグレクトした在庫からです。
小生は時々御嶽山に出かけます。その折立ち寄る町が木曽福島町です。
川沿いに細長く伸びる町です。
この町はその昔木曽義仲が巴御前とともに平家打倒に旗揚げしたところです。木曽一族の居城もありました。
武田信玄の三女真理姫が、戦国の習い政略で木曽義昌のもとに6歳で嫁いだのもこの町です。
数奇な運命をたどった姫は93歳の長寿を保ったとのことですがその供養塔があります。
この路地の最奥大通寺の境内です。
山門の扁額は江戸時代中期の書家、篆書篆刻を得意とした三井親和の作だそうです。、
真理姫の供養塔です。
上ノ段と呼ばれるところに町並みが保存されています。
ここでちょっと休憩、古民家を再生した和食処で・・・。
江戸時代は中山道の関所がおかれた場所でもあります。
東海道の関所が箱根、対してここは中山道の関所、
江戸の警護、入り鉄砲に出女を厳しく取り締まった所です。
木曽御嶽山と木曽駒ケ岳に挟まれた隘路、関所としては絶好の地だったのでしょう。
やあ、ええとこです!
写材が山ほどありそうですね。
関所の重要な役割だったのですね
山門の扁額も歴史を刻んでるんですね。
体力の伴う間に実行しなければと思いつつ馬齢重ねております。
新しいことはすぐ忘却古いことが記憶によみがえる・・・
危険信号でしょうか?(笑)
中山道(姫街道)巡りも悪くないかと季節がよくなれば歩いてみたいと考えてます。
年なんですかねぇ~興味が古いものへと向き始め、
新しい物に馴染めなくなって来ました。
昔は良かった、昭和は良かったと、夫婦でよく話しますね(笑)
良い雰囲気で残ってますね
夕刻の地震大丈夫でしたか?
お見舞い申し上げます。
最近はノスタルジーに浸ることが多くなってきたかな~(笑)
此方は江戸時代に整備された中山道が近くを通っています。
その宿場町の保存が各市町村ではやってるようです。
鳥追いの合間に、時には宿を歩くのもいいかななんて思ってます。
江戸時代の北海道はアイヌの地でしたよね!
松前藩の参勤交代も始点と終点ですものね。道が整備されることもなかったのでしょう。
近くに幕府が整備した街道が通っています。
東海道が有名ですが、もう一本山中を通る中山道が整備されていました。
木曽福島は江戸への出入りの箱根(東海道)と並ぶ関所の一つでした。