哲学の科学

science of philosophy

現代を生きる人々(13)

2020-12-12 | yy75現代を生きる人々


鎖国で閉鎖された江戸期の日本で興隆した趣味芸術は世界最高の域に達した、といわれます。
歌舞伎、人形浄瑠璃、三味線、俳諧、浮世絵、庭園、盆栽、書道、どれも奥が深い。明治を経て現代に続くこれらの趣味人口は多い。これらもまた、いかにも現代的といえるようになったわけです。
スマホの時代になってまた次々と新たな趣味人たち、つまり多種多様なオタクのカテゴリーが立ち上がってきました。古くからある小説や漫画のフアンは想像力の拡張を求めてアニメとゲームの多様なジャンルに細分化されていく(二〇一九年パトリック・ガルブレイス「オタクと想像力の追求Otaku and the Struggle for Imagination in Japan」)。各ジャンルはSNSのコミュニティとして数百、数千の極小細胞に分かれていきます。

趣味も極めればプロの域に達する。
現代日本語でプロとは、趣味をつきつめて職業にまで達した人のことです。
スポーツや芸能界のスターのように憧憬と尊敬を集めてカリスマのように君臨することに優越願望を求めるべきなのか?
イチローやマイケルジャクソンは神である。半分ジョークであると同時に半分は真実でしょう。

スポーツや音楽にはカタルシスがあります。ゲーム・パフォーマンスにすべてを注ぎ込むことができます。
「今日までのハレとケの往来に/蓄えた財産をさあ使うとき(二〇一四年 椎名林檎『NIPPON  サッカーW杯NHK放送テーマソング』)」好不況に一喜一憂する毎日の退屈が戦争によって吹き払われるように、国際イベントは盛り上がります。
 現代の戦争は悲惨な結果を招く大失政となりますからそれはやめて、オリンピックなどスポーツの大国際ゲームを次々に開催するのはどうでしょうか?退屈を克服できるでしょうか?それとも戦争のような大事件が起こらないと日常からの脱却は無理なのか?格差を解決するためには革命が必要なのでしょうか?







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