「一念の念仏」、これを一回唱えるだけで、浄土に往生できるそうです。
仏教の目指すところは、如何にして仏のおわす浄土に行けるか、近づけるかです。その意味で、修行と念仏は目標が同じでも、異なった手段といえます。仏教における修行は、精神鍛錬によってすべての人間的な欲望から解放されることです。欲さえなければ、人は生きていることだけに幸せを感じることができる。つまり、生きたまま極楽浄土に行った気分に成れるのです。ただ、その境地に至る修行は厳しく、誰にでもできることではありません。一方、念仏は誰にでも唱えられます。念仏を唱えさえすれば極楽浄土に行ける。厳しい修行をしなくても、念仏さえ唱えていれば良いのです。つまり、念仏を一心不乱に唱えて、他のことは何も考えるなということでしょう。欲にも良い欲と悪い欲、あるいは、過度な欲と適度な欲があると思います。その欲から、完全に解放されたら、端目にはどう見えるでしょうか。腑抜けになってしまったとか、聖人君主になったとか。マインドコントロールという言葉が、オカルト宗教ではよく聞かれますが、人の心をみんな同じ方に向けることの恐ろしさを感じます。
ここに登場する安楽は、法然上人が流罪させられる原因となった黒谷事件の首謀者の一人です。上皇の女官を唆した罪で死罪になったのですが、本当のところ、どんな裏話あるいは真実があったかは分かりません。女官を連れ出したのは、安楽の欲だったのでしょうか。それとも、女官を欲の世界から解放したいとの思ったのでしょうか。いずれにしてもすごい話です。欲も怖いものです。