今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「わが国でも昔は英雄色を好むといった。ついこの前まで政治家の政治家たるゆえんは、国事にあって婦人になかった。また当時の花柳界には男をだます商売女がいて、男はだまされたふりをしてストレスを散じたから、素人の女に手を出さないですんだ。出してもそれで失脚するようなことはなかった。伊藤博文がその代表である。
政治家にまた男に、身辺清潔を求めるのは偽善である。婦人に選挙権を与えればこうなる。婦人は落選させるぞとおどすから候補者は清潔のふりをしなければならない。
そこに赤新聞の出る幕がある。候補者の家にはりこんで、女性客の写真をとれば特だねになる。けれども表むきだけでも婦人が清潔だった時代は去った。今は清潔でないこと男子と同じだと自他ともに認めるようになった。身辺清潔なだけの男なんて、亭主にしても面白くもないといえば分るだろう。政治家に何より身辺清潔を求めてそれを得ると、ひとは他の多くを失う。
〔Ⅳ『身辺清潔な人』昭62・6・4〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「アルバイトの女子大生の電話の応対が珍しくいいので、その社の女子社員が聞き耳をたてやがてまねして全体が少しよくなったようだと聞いて、本当かとそのアルバイト嬢に確かめたらなに皆さん裏おもてがないだけ、あたしだって仲間同士なら学生ことばで何言うか知れやしません、ただ出るところへ出れば『よそいき』を使うだけですと笑ったので、裏おもてがないとは言い得て妙だと感心した。
やっぱり教育のせいである。先生と生徒は友のごとくあれ、相手によって言葉をかえるのは差別だと、小学校の先生は生徒と言葉を共にして四十年になる。
(略)テレビドラマの主人公は、私はこの男の上役である、または下役であると一々名乗って出て来やしない。茶の間の見物はそれを言葉によって区別して鑑賞しているのだから、聞きわけてはいるのである。ただ使うなと教えられて使わないでいるうち、使えなくなったのである。狼に育てられた子供に似て言葉はあとから教えても身につかない。
テレビドラマはさておき尋常の言葉が通じないで最も困るのは小説家のはずなのに、それがちっとも困らない。ご存じの通り文学雑誌には読者がない。その雑誌を檜舞台に同業者の言葉で同業者に訴えるのだから、その心配は無用なのである。小説の言葉が一国の言語の模範である時代は過ぎた。あるいはもともとなかったのではないか。せめて裏おもてあるべし。
〔Ⅶ『せめて裏おもてあるべし』平3・11・21〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「戦前大新聞はあのけし粒大のルビを廃したい意向で、医家の権威に意見を求めた。権威はルビは日本人の近眼の元凶だと口を揃えて言った。こうしてルビを廃して何十年、近眼はふえるばかりである。戦前は小学生にはなかった近眼が今はおびただしくある。
およそ権威の発言で迎合でないものはひとつもない。
中国、北朝鮮べったりの時の発言は同じくべったりだった。それでいて事ごとに言論の自由を言った、私はそれをべったりの自由と呼んでいる。
それならお前はどうだと言うなら、表むきは迎合に見せて、実は見る人が見れば分るように言いたいことを言うように心がけている。
今も昔もない、戦時下であれ平和裡であれ言論は常に二重であるべきだと思っている。」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「藤山愛一郎は藤山雷太の子で、雷太は大日本精糖を再建した人でその名はついこの間までとどろいていた。愛一郎は二代目だから若いときから誰にでもちやほやされた。下へもおかれなかったがそれは雷太の子だからで、そうでなければハナもひっかけまいと愛一郎は思わずにはいられなかった。
だから二代目には先代の名を言わないのが礼儀なのに、言うのが礼儀だと勘ちがいする者がどの席にもいて、三十四十になっても言うから聞えないふりをすると聞えるまで連呼してやまないのである。
いま雷太はさすがに忘れられたが、そうなるまでには三十年かかった。めでたく世間が忘れたころは、愛一郎は雷太の年齢に近づいていた。それでも雷太は忘れられたからいいが、漱石はいまだに忘れられない。
漱石の全集は繰返し何回も出て時々莫大な印税が舞込むから、遺族は忘れてなんぞいられない。喜んで待ちうけてそれでいてそれは死んだ人がもたらす定期的でない、しかも労せずして得る大金だから当然生きている人をスポイルする。他人はうらやむが実は子供たちを誤る。漱石の子は原稿を頼まれることがあっても、それは常に父の思い出で、子らは漱石の遺族であって他の何ものでもないのである。
〔Ⅲ『可哀想な二代目たち』昭59・3・8〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「管理職の一人とその前々日パーティで会ったが、常の如く談笑して毫も怪しいところがなかった。翌々日倒産するなんて思ってもいないようだった。
会社が苦しいのは薄々知っていた。けれどもそれは去年もおととしも苦しかった。それでいて給料も賞与も出ていた。経理だけは知っていたかというと、手形が不渡になるかもしれぬと担当の重役が狂奔することはすでに毎月のことで、そのつど何とか切りぬけてきたから今月もそうだろうとあてにしていたのである。
何をバカな、自分の会社がつぶれるのを知らぬ奴がいるものかと言えるのは他人のことだからで、自分を見るのは常にひいき目で、故に見れども見えないのである。してみればわが社の番の時もそうにちがいない。
〔Ⅲ『出社したらつぶれていた』昭59・3・22〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「このごろケンカは少くなったが、以前は多かった。見ると弱いほうがさきに手を出す。まっ青になってふるえている。強いほうは弱いほうが手を出すのを見守っている。ふるえるくらいなら逃げればいいというのは人情を知らないもので、弱いほうは恐怖にかられてほとんど倒れんばかりの姿勢でつかみかかる。
(略)
昭和十六年、だれが見ても勝ちみのない戦さをわが軍がはじめたのは恐怖心からだった。すでにゴムも鉄も石油もない。戦うなら今をおいてはない、あとになればなるほど勝てなくなるという理由ではじめるのは、はじめる理由が薄弱だと他人は思うが当人は思わない。
これまでもあったことである。これからもあるだろう。
〔Ⅲ『恐怖心のなせるわざか』昭59・11・29〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)