今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「この世は、当人と他人から成っている。他人の目には、ありあり見えることが、当人には見えない。」
「当人というものは、思い知ることがない存在である。」
「日支事変はもとより、日清日露の戦役まで侵略戦争だと中国人が言うのは自然だが、日本人が言うのは不自然である。
それなら当人ではない、他人である。当人というものは、自分の利益とみれば、他人の島まで自分の島だと
いいはるものである。それが健康な個人であり、国家である。故に健康というものはいやなもの
である/strong>。けれども、おお、個人も法人も国家も、健康でなければならないのである。わが国の
当人ぶりは、他国の当人ぶりにくらべると著しく遜色がある。白を黒だと言いはること少ないのは良心的なのでは
ない。弱いのである。中国が言うべきことを、さき回りしてわが国が言うのは、知らないで
媚びるのである。かくの如く自分が言いはること少なく、他人の言いはることに迎合する国は、怪しいかな他国に
尊敬されないのである。」
「理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいい
と思いがちである。だから、手伝えないといわれるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉は耳にはいらない。」
「私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。
ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うものである。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
「良心的という言葉は良心そのものではないが、良心に似たもの、近いものというほどの意味に使われている。良心と
言いきるには勇気がいる、また恥ずかしい。だから良心的とだれが言いだしたか知らないが、うまいことを言ったもので、
たちまち世間に歓迎され流行するにいたった。こんなことを言うのは、私がこの言葉を憎んでいるからである。
もし私がこの語を字引にいれるとしたら、良心に似て非なるもの、良心に近いようで遠いもの、良心のにせもの、
良心だと思いこんでいるもの――というほどのことを、字引だから一字一字たしかめて、彫るように万感をこめていれるだろう。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文春文庫 所収)
「異端を述べる言論は、二重の構造になっていなければならない。すなわち、一見世論にしたがっている
ように見せて、読み終ると何やら妙で、あとで『ははあ』と分る人には分るように、正体をかくしていなければならない。
いなければ、第一載せてくれない。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)