今日の「 お気に入り 」は 、民謡の 「 木曽節 」。
インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア( Wikipedia )」に 、解説記事が掲載されています 。
「 木曽節(きそぶし)は、長野県木曽地域の民謡である。
概要
木曽地域に近世から伝わる民謡で、木曽の材木を河川に流して運ぶ「川流し」を
モチーフに、木曽川や周囲の山々と人情を歌い上げている。
歌詞中の『 中乗りさん 』( なかのりさん )は諸説あるが 、材木を筏に組んで木曽川を
下り運搬する人たちで 、先頭を『 舳乗り 』( へのり )、後ろを『 艫乗り 』( とものり )、
真ん中を『 中乗り 』といったというのが一般的である 。また 、歌詞中に『 木曽五木 』
( 江戸時代に尾張藩から伐採が禁止された木曽谷の五木 、ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・
ネズコ( クロベ )・サワラの五種類の常緑針葉樹林 )が歌いこまれている 。
『 木曽の御岳さん 』は木曽地域の最高峰( 標高 3,067 メートル )である大きな山容の御嶽山である 。
木曽節と木曽踊りはいまでは日本全国に知られているが 、これには大正から昭和戦前にかけて
福島町( のち木曽福島町を経て現・木曽町 )の町長を務めた伊東淳( いとう すなお 、
1876 年 - 1942 年 )の尽力が大きかったといわれている 。伊東は木曽の旧・福島村生まれで 、
地元自治体吏員から後に福島町長に就任 、12年間在職した 。観光客誘致・地元振興の手段として
早くから木曽節に着目 、自ら歌い 、踊りも指導して 、木曽節と木曽踊りを広く紹介した 。
『 木曽のなかのりさん 』( 1917年 )という冊子も発行 、1925 年には地元酒蔵・中善酒造店に
薦めて酒の銘柄を『 中乗さん 』と改めさせるなどあらゆるPRに努め 、『 なかのりさん町長 』と呼ばれた 。
昭和に入ると 、木曽節はラジオやレコード等の新メディアで一般に普及するに至り 、全国的な知名度を得た。
木曽福島駅前には功績を称えて伊東の銅像が立っている 。
歌詞
民謡なのでさまざまな歌詞があるが 、次のものが一般的だといわれている 。
♬ 木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳( おんたけ )さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
袷ょ( あわしょ )ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
人はナー 中乗りさん
人は見目( みめ )より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイイ
笠にナー 中乗りさん
笠に木の葉が ナンジャラホーイ
舞いかかるよ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
ネズコにー 中乗りさん
ネズにアスヒに ナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ ♬
みんなのうた
NHKの『みんなのうた』で、1963年8月に紹介された 。編曲は宮川泰 、歌はザ・ピーナッツ 、
映像は横山隆一主催のアニメプロ『 おとぎプロダクション 』製作によるアニメだった 。
『みんなのうた』での放送後 、視聴者からの楽譜の希望が多かった曲の一つである 。 」
( 引用 、ここまで 。)
昔 、小学校の学芸会で、衣装と振りを付けて「 木曽節 」をいやいや歌わされた記憶があります 。
人前で歌うことが苦手になるきっかけとなった歌で 、長じて 、カラオケ嫌いになりました 。
歌詞を覚えているのは 、一番と二番のみ 、三番以降は教わっていません 。染みついた記憶 、60年以上
経っても消えません 。
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