「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

物質と記憶 Long Good-bye 2023・05・08

2023-05-08 05:08:00 | Weblog





  今日の「 お気に入り 」は 、NHK BSPのテレビドラマ「グレースの履歴 」の
  第6話 ( 記憶のかけら ) の一場面にひょっこり出てくる「 本 」のタイトル「 物質
  と記憶 」 。
   以下に引用するのは 、その本 、ベルクソンの「 物質と記憶 」、ではなく 、内田
  樹さんのブログ 「 内田樹の研究室 」( 2004-07-18 dimanche ) に掲載された「 物質
  と記憶 」と題した小文の一節 。

  「 ベルクソンの『 物質と記憶 』を読む 。
    たいへんに面白い 。
    ベルクソンという哲学者は 、若い人たちの間ではあまり人気がないけれど 、
   それは このおじさんが徹頭徹尾『 常識の人 』だからである 。
    まことに『 常識的 』なことを 、あきれるほどに精緻な学術的論証を積み重
   ねて検証するのである。」

  「 『 物質と記憶 』は 、観念論と実在論の極端な主張をおしとどめて 、『 ま 、
   そうそうつっぱらずに 、どうです ここはひとつ ナカとって 、表象よりは現実
   的で 、事物よりは幻想的な 、事物と表象の中間にあるものを『 イマージュ 』
   と呼ぶことにしては ・・・ 』という妥協を策したものである 。
    こういう『 ナカ取って 』というようなことを なかなかここまではっきりと
   口には出す哲学者はおらない 。
    そんなベルクソン先生の面目が躍如たるのは記憶の話 。
    どうして 、大人になるとこうも物忘れが激しくなるのか 、思い悩んでいたの
   であるが 、先生によれば 、これがまるで心配には及ばなかったのである 。
    先生のご意見はこうだ。

   『 たいていの児童に 、自発的記憶が異常に発達しているのは 、まさしく彼らが
    その記憶力を行動と連携させないところからくる 。彼らは その場その場の印象
    を追うのが常であって 、彼らにあっては 行動は記憶の指示に従わないから 、
    逆に彼らの記憶は行動に制約されない 。』(『 物質と記憶 』、田島節夫訳 、
    白水社 )

     私も覚えがあるが 、子どものころは有用性というようなことを考えずに 、なん
    でも記憶してしまう( 私はプロ野球に興味がなかったのに 、西鉄ライオンズの
    スターティングメンバーの打率を記憶していた )。
     私たちが ぜひとも記憶されるべきものと 、どうでもいいものを差異化するのは 、
    ある種の記憶を繰り返し甦らせることが 生存戦略上 有益であることが経験的に
    確証された『 後 』になってからのことである 。

   『 子どもの方が容易におぼえるように見えるのは 、彼らの想起がそれだけ弁別を
    伴わないからにすぎない 。知能が発達するにつれて 、一見 記憶力が減退する
    のは 、したがって 、記憶と行動の組織化が増大するところから来る 。そうい
    うわけで 、意識的記憶力は鋭さにおいて得るだけ 、広さにおいて失うのである 。』

    なるほど。」

  ( ついでながらの
    筆者註:「 アンリ=ルイ・ベルクソン( Henri-Louis Bergson 、1859年10月18日 -
         1941年1月4日 )は 、フランスの哲学者 。出身はパリ 。日本語では
        『 ベルグソン 』と表記されることも多いが 、近年では原語に近い
        『 ベルクソン 』の表記が主流となっている 。」
        以上ウィキ情報 。
        そう言えば 、哲学者と呼ばれる人の著作には 、若い頃から縁がないなあ 。
        関心 、興味は 、人 さまざま 。 )



  

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