今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「母の聖地」より。
「トタンや木の時期もあったようだが、私が憶えている台所の流しは、白っぽい灰色の石だった。ところどころに亀裂があって、そこがセメントで補修されていた。流しの石は、いつも濡れていた。朝御飯の支度からはじまって、夕食の後片付けまで、乾く暇がないのである。その上、当時の水道はいつだってパッキングの具合が悪く、蛇口から軒の雨垂れみたいに水が流れていた。一人で留守番をしている夕暮れなんか、だいぶ離れているはずの台所の水の音が、ポツンポツンと茶の間まで聞こえてきて、しかもその音がだんだん大きくなるようで、いやに気になったのを思い出す。そんなときにかぎって、裏のお寺の森の方から、虚無僧の尺八が近づいてきたりする。あの音は怖かった。子供の魂を一つずつ吸い取ってしまうような怖い音色だった。そのころ、三歳か四歳だった私は、押入に忍んで耳を塞ぎ、母の帰りをひたすらに待つのだった。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 )
「トタンや木の時期もあったようだが、私が憶えている台所の流しは、白っぽい灰色の石だった。ところどころに亀裂があって、そこがセメントで補修されていた。流しの石は、いつも濡れていた。朝御飯の支度からはじまって、夕食の後片付けまで、乾く暇がないのである。その上、当時の水道はいつだってパッキングの具合が悪く、蛇口から軒の雨垂れみたいに水が流れていた。一人で留守番をしている夕暮れなんか、だいぶ離れているはずの台所の水の音が、ポツンポツンと茶の間まで聞こえてきて、しかもその音がだんだん大きくなるようで、いやに気になったのを思い出す。そんなときにかぎって、裏のお寺の森の方から、虚無僧の尺八が近づいてきたりする。あの音は怖かった。子供の魂を一つずつ吸い取ってしまうような怖い音色だった。そのころ、三歳か四歳だった私は、押入に忍んで耳を塞ぎ、母の帰りをひたすらに待つのだった。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 )