今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「武林無想庵(明治十三年生)は死んだ父の親しい友で、したがって年は私とは親子ほどちがうが縁あって友になった。
武林は老荘の徒で老若に全くこだわらない。ほとんど認めていなかったのではないか。生きている人と死んだ人の区別もさだかでない。ながい海外生活から帰って父を訪ねたら父はすでに死んでいて、そこに中学二年になる少年の私がいて、見れば瓜二つだから同じようなものだとつれて歩いたのである。
私はその夏相州二宮(にのみや)で一カ月、やがてパリ近郊のメエゾン・ラフィットでほぼ一年起居を共にした。
武林の妻文子は情人の一人にピストルで撃たれ、幸い命はとりとめたが夫妻はそのスキャンダルで日本中に名を知られた。けれどもそんなこと、ものともするような二人ではない。
私は無想庵をまず希代の物識りとして知った。学の東西古今に及ぶこと、この人のごときをそのご見ない。露伴先生と徹宵語って尽きないといえば察しがつくだろう。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「武林無想庵(明治十三年生)は死んだ父の親しい友で、したがって年は私とは親子ほどちがうが縁あって友になった。
武林は老荘の徒で老若に全くこだわらない。ほとんど認めていなかったのではないか。生きている人と死んだ人の区別もさだかでない。ながい海外生活から帰って父を訪ねたら父はすでに死んでいて、そこに中学二年になる少年の私がいて、見れば瓜二つだから同じようなものだとつれて歩いたのである。
私はその夏相州二宮(にのみや)で一カ月、やがてパリ近郊のメエゾン・ラフィットでほぼ一年起居を共にした。
武林の妻文子は情人の一人にピストルで撃たれ、幸い命はとりとめたが夫妻はそのスキャンダルで日本中に名を知られた。けれどもそんなこと、ものともするような二人ではない。
私は無想庵をまず希代の物識りとして知った。学の東西古今に及ぶこと、この人のごときをそのご見ない。露伴先生と徹宵語って尽きないといえば察しがつくだろう。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)