今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『島鵆』(明治十四年)は今も演じられるが、『風船乗評判高楼』(明治二十四年)は二度と演じられないから、ちと乱暴だがここでは島鵆までとしておく。
その時代を直ちに演じられなくなったのが歌舞伎が滅びた一因で、それにとってかわったのが新派である。新派は明治の人情風俗を歌舞伎より写したから、しばらくその時代は続いたがそれもつかのまで、昭和になってからはあれは明治の歌舞伎だといわれた。いかにもその通りである。
新派は洋装の女が出てきて滅びたと私はみている。新派は女優をつかわないで女形をつかうことを歌舞伎に学んだから、和服の女は演じられたが洋装の女には困った。花柳章太郎は最後の女形で花柳は洋装ができないから窮して女優を採用した。戦後その花柳が死んで、あとをつぐ女形がないのでやむなく水谷八重子を座頭にして、これで新派は終ったのである。
歌舞伎も新派も現代が演じられなくなったとき滅びたのである。洋服の男女を演じられなくなって滅びたと大ざっぱに言っていい。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「『島鵆』(明治十四年)は今も演じられるが、『風船乗評判高楼』(明治二十四年)は二度と演じられないから、ちと乱暴だがここでは島鵆までとしておく。
その時代を直ちに演じられなくなったのが歌舞伎が滅びた一因で、それにとってかわったのが新派である。新派は明治の人情風俗を歌舞伎より写したから、しばらくその時代は続いたがそれもつかのまで、昭和になってからはあれは明治の歌舞伎だといわれた。いかにもその通りである。
新派は洋装の女が出てきて滅びたと私はみている。新派は女優をつかわないで女形をつかうことを歌舞伎に学んだから、和服の女は演じられたが洋装の女には困った。花柳章太郎は最後の女形で花柳は洋装ができないから窮して女優を採用した。戦後その花柳が死んで、あとをつぐ女形がないのでやむなく水谷八重子を座頭にして、これで新派は終ったのである。
歌舞伎も新派も現代が演じられなくなったとき滅びたのである。洋服の男女を演じられなくなって滅びたと大ざっぱに言っていい。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)