「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

銀座線の暗闇体験 Long Good-bye 2024・07・16

2024-07-16 05:10:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」 。

 最近読んだ 村上春樹さんの随筆「 村上朝日堂 」の中に 、

 「 地下鉄銀座線の暗闇 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 東京に来ていちばん驚いたというか 、感動
  したのは地下鉄銀座線に乗った時だった 。
  乗ったことのある人はわかると思うけれど 、
  銀座線の列車は駅に到着する直前に一秒かニ
  秒電灯が消えて 、車内がまっ暗になる 。だ
  から逆にまっ暗になると『 ああ 、もう駅な
  んだな 』とわかる 。」

  昭和の時代の話しで 、今の東京メトロ銀座線に乗っても 、

 こんな暗闇体験はできないらしい 。知らんけど 。

  聞き方次第でなんでも答えてくれる  ChatGPT さん に聞い

 てみたら 、いろいろと教えてくれた 。

  お答えの当否は保証の限りではないが 、次のとおり 説得力

 のある 解説 。おぬし出来るな 。

 「 銀座線の車両にはパンタグラフがありません 。
  東京メトロ銀座線は 、第三軌条方式( サード
  レール方式 )を採用しており 、車両の側面に
  ある集電靴( シュー )で電力を供給していま
  す 。この方式では 、パンタグラフの代わりに
  車両の側面に取り付けられた集電装置が 、レ
  ールの横に設置された 第三軌条 から直接電力
  を取ります 。

   第三軌条方式は 、主に地下鉄で採用されるこ
  とが多く 、パンタグラフを使用する架線方式
  に比べて 、地下空間の高さ制限に対応しやす
  い利点があります 。銀座線は日本初の地下鉄
  路線として 、1927年に開業しましたが 、開業
  当初からこの方式が採用されています 。」

 「 日本国内には銀座線以外にも第三軌条方式を
  採用している鉄道路線があります 。代表的な
  路線をいくつか挙げますと:

  ・東京メトロ丸ノ内線 : 銀座線と同様に、第三
   軌条方式を採用しています 。

  ・東京メトロ日比谷線 : 同じく第三軌条方式で
   す。

  ・東京メトロ東西線 : 一部の区間で第三軌条
      方式を採用しています 。

  ・都営地下鉄三田線 : こちらも第三軌条方式を
   採用しています 。

  ・都営地下鉄浅草線 : 第三軌条方式を採用して
   いますが 、一部の区間で架線方式も併用して
   います 。

  ・横浜市営地下鉄ブルーライン : 全線で第三軌
   条方式を採用しています 。

   これらの路線では 、地下空間の制約や安全性 、
  メンテナンスの観点から第三軌条方式が採用され
  ています 。第三軌条方式は、地下鉄や都市近郊
  の路線で特に一般的です 。」

 「 銀座線で第三軌条方式の区間内において 、各
  駅の直前で車内の電灯が消える現象が起こって
  いたのは 、主に電力の切り替えや供給の一時的
  な途切れが原因でした 。これが改善され 、シー
  ムレスな設計に変わったのは 、技術の進歩と設
  備の更新が進んだからです 。

   具体的な改善時期としては 、以下の要因が関連
  しています:

  ・車両の更新 : 東京メトロ銀座線では 、1980年代
   から1990年代にかけて新しい車両の導入が進められ
   ました 。この時期に新しい車両は 電力供給の切り
   替え時の安定性が向上し 、電灯が消える現象が減
   少しました 。

  ・電力供給システムの改良 : 駅や線路の電力供給
   システムも同時期に改良されました 。これによ
   り 、第三軌条からの電力供給がより安定し 、
   切り替え部分でもシームレスな電力供給が可能に
   なりました 。

  ・技術の進歩 : 車両内の電力管理システムやバッテ
   リー技術が向上したことで 、一時的な電力供給
   の途切れが発生しても車内の電灯が消えないよう
   になりました 。」

   銀座線の暗闇体験があるなどと言えば 、あんたは古い 、

  昭和の人 、オワコンだ 、と言われそう 。

   Old soldiers never die ; they just fade away .

 

 

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MY FAVORITE THINGS 私のお気に入り Long Good-bye 2024・07・14

2024-07-14 05:24:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、リチャード・ロジャース作曲 、

 オスカー・ハマースタイン2世作詞 の 楽曲「 私のお気に入り 」

 ( 原題 : My Favorite Things )。

  映画は 、何度も見たので 、メロディーも 歌詞も 、とても馴染み

 深い 。   

 "  Raindrops on roses and whiskers on kittens (^^♪
  Bright copper kettles and warm woolen mittens
  Brown paper packages tied up with strings
  These are a few of my favorite things
  Cream-colored ponies and crisp apple strudels
  Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles
  Wild geese that fly with the moon on their wings
  These are a few of my favorite things
  Girls in white dresses with blue satin sashes
  Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
  Silver-white winters that melt into springs
  These are a few of my favorite things
  When the dog bites
  When the bee stings
  When I'm feeling sad
  I simply remember my favorite things
  And then I don't feel so bad  " 

  原詩の これだけ豊富な内容を 、すべて日本語の歌詞に詰め込

 んで 、メロディーに乗せるのは 、とても無理 。

  どなたかのブログに 、以下の訳詩も紹介されていました 。

  これからの若い世代は 、英語の歌詞は 、英語の歌詞として 、

 原語のまま 、耳で理解でき 、楽しめるといいですね 。

  引用はじめ 。

  Raindrops on roses and whiskers on kittens
  薔薇に落ちた雨の滴に 子猫のひげ
 
  Bright copper kettles and warm woolen mittens
  赤褐色のやかんに あったかい羊毛の手袋

  Brown paper packages tied up with strings
  紐で結ばれた茶色の紙包み

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  Cream colored ponies and crisp apple strudels
  クリーム色の子馬に サクサクしたりんごの焼き菓子

  Door bells and sleigh bells and schnitzel with noodles
  玄関の呼び鈴にソリの鈴 そして麺を添えた仔牛のカツレツ

  Wild geese that fly with the moon on their wings
  翼に月を乗せて羽ばたく野生の雁

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  Girls in white dresses with blue satin sashes
  白のドレスに青い繻子織りの帯をした女の子

  Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
  私の鼻とまつ毛に乗っかる雪のかけら

  Silver white winters that melt into springs
  春の中へと解けてゆく白銀の世界

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  When the dog bites
  犬に噛まれたとき

  When the bee stings
  蜂に刺されたとき

  When I'm feeling sad
  悲しい気分のとき

  I simply remember my favorite things
  私のお気に入りたちを ただ思い出すの

  And then I don't feel so bad.
  そうすると つらい気分もしなくなるわ

  (日本語訳:東エミ)

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`) 

  ( ついでながらの

    筆者註:「 ミュージカル 『 サウンド・オブ・ミュージック 』

       (1959年)のうちの1曲 。リチャード・ロジャース

        作曲 、オスカー・ハマースタイン2世作詞 。映画

        では 、雷を怖がる子供達がマリア先生( ジュリー・

        アンドリュース )の部屋にやってくる場面で歌われ

        る 。また 、マリア先生が トラップ家に帰ってきた

        ときにも歌われる 。 」

       「 シュニッツェル( ドイツ語: das Schnitzel
         バイエルン・オーストリア語: das Schnitzerl , 
         ヘブライ語: שניצל‎ )は 、オーストリアの肉料理 。( 日本の ビーフ・カツレツ 
         ドイツ 、オランダ、東欧からイスラエルやトルコ にも似た揚げ物 )
         にかけての西アジア圏でも盛んに食べられる 。

        概 略
         本来は 仔牛肉を用いて ミートハンマーで叩いて
        薄くし 、細かいパン粉を付けて揚げたものをいう 。
         パン粉を挽き立ての黒胡椒で味付けしておくこと
        もある 。やや多めのバターかラードで揚げ焼き
        したもので 、日本の豚カツのように多量の油を
        使用する揚げ物ではない

         実際には 豚肉や鶏肉も使われる 。イスラエル
        では 、当地の多くを占めるユダヤ教やイスラム
        教で豚肉を食べる事が禁じられているため 、鶏
        や七面鳥の胸肉で調理され 、豚肉で調理される
        ことはない 。」  

       「 イタリアのミラノには 、コトレッタ・アッラ・
        ミラネーゼ( ミラノ風カツレツ )というよく似
        た郷土料理がある 。こちらは骨つきの仔牛肉を
        用いる 。また 、格子状の切れ目をつけて揚げる 。  」

        以上ウィキ情報 。

        子どもの頃 、劇の途中で いきなり 唐突に歌いだす

        ミュージカル は 、いきなり踊り出すのが定番のイン

        ド映画くらい苦手だった 。でも 、サウンド・オブ・

        ミュージック あたりから 、だんだん抵抗感が減って

        いったような気がする 。映画「 ウエスト・サイド物

        語 ( West Side Story ) 」も 、公開後 何年も経って

        から 、渋谷にあった名画座あたりで 、初て観て 、

        いたく感動した記憶がある 。)

 

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あたりかスカか Long Good-bye 2024・07・12

2024-07-12 05:55:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 は 、ChatGPT さん が教えてくれた 、

 どなたかの お言葉 。

   " Time is short, love is long. "

  「 時は短く愛こそが人生だ 。 」

 ( ´_ゝ`)

  " Love is not something you need, 
      but something you choose. "

  「 愛は必要なものではなく 、選ぶものだ 。」

 ( ´_ゝ`)

  " If you can't save 100 people, save one. " 

  「 100人を救えないのなら 、一人を救いなさい 。」

   これは 、マザーテレサ でしょ 、ChatGPT さん 。

    自分を含めれば 、二人救われる 。

 

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抜け道の多い社会は良い社会 Long Good-bye 2024・07・10

2024-07-10 05:05:00 | Weblog

 

  76年余り生きてきて 、一体 何度 引越しを重ねてきたかと

 考えた 。三月の卒園を待たずに引越した幼稚園時代を含める

 と 、大学に入るまでに 、七回 引越した 。大体 親の自己都合

 による引越しである 。回数として多いのか少ないのかは 、

 わからないが 、転勤族の家庭なら 、ごく普通のことかも知れ

 ない 。社会人になってからは 、幼時の反動か 、50年間で

 たった四度しか引越していない 。サラリーマンなのに 、住

 居移転を伴う転勤すら経験していない 。

  そんなことを考えているときに 、思いだしたのが 、同世代

 の作家 、村上春樹さんの お若い頃の随筆 に出て来る 引越し

 の話 。

  今日の「 お気に入り 」は 、ふと 書き留めた いくつかの文章 。 

  引用はじめ 。

 「 引越しの良いところは 、何もかもを『 ちゃ
  ら 』にできることである 。近所づきあい 、
  人間関係 、その他もろもろの日常生活の雑事 、
  そういうのが全部一瞬にしてパッと消滅してし
  まうのである 。この快感はもう一度覚えると
  忘れることができない 。」         ( リセット症候群みたいなやつです )

 「 一九六九年の春のことである 。家具・荷物
  なんて殆どないから引越すのは実に楽だ 。
  布団と洋服と食器を車のトランクに放り込ん
  でしまえば 、それでもう準備完了である 。
  人生というのはすべからくこうありたい 。 」

 「 年をとってから思いかえしてみると自分がす
  ごくはりつめた青春時代を送ってきたような
  気がするものなのだが 、実際にはそんなこと
  はなくて 、みんな馬鹿なことを考えながらた
  らたらと生きてきたのである 。」

 「 現在の閉塞した社会状況はとても心配である 。
  抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い ( 閉塞した社会状況は 40年 、
  社会であると僕は思っている 。」        50年経った今も変わりはない )

  引用おわり 。

 「 当たり前の毎日は 、奇跡の積み重ねである 。」

   どこかで耳にして 、心に残った 、どなたかの言葉 。

   ひょっとして 、夢現の中で聞く 、朝のラジオ番組

  こころのともしび ?

   まさかとは思うが 、ありうる 。

 

 

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おからでシヤムパン Long Good-bye 2024・07・08

2024-07-08 05:39:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、また 内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 おからでシヤムパン 」と題

 した小文 の一節 。シヤムパン は 、シャンパン 

 のこと 。かつては シャンペン と呼ばれていた

 ような気もする 。漢字表記だと 三鞭酒 だとか 。

  引用はじめ 。

 「 お膳の上に 、小鉢に盛つたおからとシヤム
  パンが出てゐる 。
   シヤムパンはもう栓が抜いてある 。抜く時
  は例のピストルの様な音がして 、抜けた途
  端にキルクの胴がふくれるから 、もう一度
  壜の口へ差し込む事は出来ない 。だからあ
  らかじめ代りの栓を用意して 、杯と杯の間
  はその栓で気が抜けない様にする 。さう一
  どきに 、立て続けに飲んでしまふわけには
  行かない 。
   お勝手で家の者がごとごと何かやつてゐる
  が 、お膳の前は私一人である 。だれも相手
  はゐない 。猫もゐない 。尤も猫がゐたとし
  ても 、お膳の上がおからでは興味がないか
  ら 、どこかへ行つてしまふだらう 。
   相手がゐなくても 、酒興に事は欠かない 。
  コツプを二三度取り上げる内に 、すつかり
  面白くなつて来るから面白い 。頭の中がひ
  どく饒舌で 、次から次へといろんな事がつ
  ながつたり 、走つたり 、不意に今までの
  筋からそれたり 、それたなり元へ戻らなか
  つたり 、そこから又別の方へ辷つたり 、
  実に応接にいとま無しと云ふ情態になる 。
  傍にだれもゐない方が面白い 。
   シヤムパンの肴におからを食べる 。
   おからは豚の飼料である 。豚の上前をは
  ねてお膳の御馳走にするのだから 、いつ
  でも食べたい時に買ひに行けばあると云ふ
  物ではない 。少し遅くなると 、もうみん
  な豚の所へ持つて行つてしまつて 、豆腐
  屋の店にはなくなつてゐる 。その以前に
  馳けつけて 、少少お裾分けを願ふ 。
   おからは安い 。十円買ふと多過ぎて 、
  小人数の私の所では食べ切れないので 、
  この頃は五円づつ買つて来る 。
   五円のおからでも 、食べ切るには三晩か
  四晩かかる 。
   冷蔵庫から取り出したのを暖めなほした
  のよりは 、矢張り作り立ての方がうまい  。」

 「 盛つた小鉢から手許の小皿に取り分け 、
  匙の背中でぐいぐい押して押さへて 、固
  い小山に盛り上げる 。おからをこぼすと
  長者になれぬと云ふから 、気をつけてし
  やくるのだが 、どうしても少しはこぼれ
  る 。その所為か 、いまだにいろいろとお
  金に困る 。
   小皿のおからの山の上から 、レモンを搾
  てその汁を沁ませる 。おからは安いが 、
  レモンは高い 。この節は一つ九十円もす
  る 。尤も一どきに一顆まるごと搾つてし
  まふわけではない 。
   酢をかける所をレモンで贅沢する 。それ
  でおからの味は調つてゐるが 、醤油は初
  めから全く用ゐない 。だからおからの色
  は真白で 、見た目がすがすがしく 、美し
  い 。
   私は食べてよろこんで賞味する方の係で 、
  作る側の手間 、手順 、面倒は関知する所
  でないが 、大分骨が折れる様である  。」

 「 お膳の上のおからに戻り 、箸の先で山を
  崩して口に運ぶ 。山は固く押さへてある
  から 、箸の先に纏まつた侭で 、ぼろぼろ
  こぼれたりはしない 。又レモンの汁が沁
  みてゐるので 、おからの口ざはりもぱさ
  ぱさではないが 、その後をシヤムパンが
  追つ掛けて咽へ流れる具合は大変よろしい 。
   そろそろ頭の中が忙しくなるにつれ 、そ
  もそも豚は人の余り物を食ふ立ち場にゐる
  筈なのに 、今はかうしてそのお初穂を私
  のお膳に割愛してくれた 、と考へた 。更
  に溯れば 、おからは人間が食ふ豆腐のかす
  の余り物かも知れないが 、豚は豆腐とおか
  らとどつちを選ぶだらう 。私が豚だつたら 、
  おからの方をいただく 。さうだらう 、豚
  諸君 、おからの方がうまいね 。おからの
  成分は豆の皮であり 、何物によらず皮の
  すぐ裏側はうまいにきまつてゐる 。」

 「 郷里の町外れの土手道に 、五右衛門をゆ
  でる様な大きな釜を据ゑ 、しじみを一ぱ
  い入れてぐらぐら煮立てた 。
   いいにほひがするので起ち止まつて見て
  ゐると 、その内に釜の中へ棒を突つ込み 、
  煮上がつた蜆を引つ搔き廻して 、貝と中
  身を別別に離した 。
   同じ事を何度も繰り返してゐるのだらう 。
  すでに身と貝殻とを別別にしたのが道ばた
  に積んである 。
   それでどうするのかと思ふと 、うまさう
  な剥き身を空俵に詰め込み 、豚の飼料に
  するのだと云ふ 。
   勿体ないと思つたが 、中身は余り物であ
  つて 、いらないから豚にやる 。いるのは
  殻の方で 、近くに出来たセメント工場に
  殻を売るのが目的であつた 。豚のおから
  の上前をはねる様に 、しじみの剥き身の
  上前を失敬して来ればよかつたが 、昔の
  話で残念ながら間に合はない 。 」

  引用おわり 。

  セメントに蜆の貝殻を混ぜて 、石灰の嵩を増したんだろうか 。

  初耳だ 。

  昨晩は 、七夕の夕べ 。大河ドラマも中休みで 、テレビは開票

 速報などやっている 。人は やらなくてもいいことばかりやって 、

 やらなくちゃいけないことを 、どうしておろそかにするんだろ 。

  毎日通ってる高齢者施設の共有スペースの小さいセンター・テー

 ブルの上に 、小さなプラスティック水槽が置いてある 。その中に

 「 ツノガエル 」が鎮座ましましている 。めったなことでは び

 くとも動かない 不思議な小動物 。水とわずかな食べ物だけで 、

 じっと 静かに 忍耐強く 生きている 。見習いたいものだ 。

 「 ベルツノガエル 」という種類の 南米にルーツを持つ両生類で

 あるらしい 。たまに動き 、啼き声もあげるとか 。長く生きる

 と不思議なものを見ることができる 。二十分ばかり見つめてい

 たら 、何かの拍子に 一瞬 びくっと動いた 。施設の職員は啼き声

 を聞いたこともあるという 。なぜか「 エリザベス 」と名付けら

 れた この ツノガエル 、啼いたからには オス に違いない 。

  深夜の高齢者施設に響くメスを呼ぶオス蛙の啼き声 、思うだに

 孤独で シュールな風景 。夜勤の職員は さぞや 肝を潰したこと

 だろう 。

  南米 ベネズエラ の 首都カラカス の 夏の夕べ 、小鳥のように

 涼やか「 ピー 、ピー 」と啼く カエル の声を思い出した 。

  30年以上前の 音 の記憶 。 日本の河鹿蛙🐸とは違う 、もっ

 と高い 、澄んだ声だった 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 ベルツノガエル( Ceratophrys ornata )は 、

        両生綱無尾目 Ceratophryidae科 ツノガエル属

        に分類されるカエル 。 」

       「 エリサベト(ヘブライ語 : אֱלִישֶׁבַע / אֱלִישָׁבַע‎ /ギリシ

        ア語 : Ἐλισάβετ / ラテン語: Elisabeth / 英語 : Elizabeth ,

        Elisabeth /ドイツ語 : Elisabet, Elisabeth /ロシア語 :

        Елисавета)は 、新約聖書の登場人物で 、洗礼者ヨハネ

        の母 。名前は ヘブライ語名 エリシェバ (Elišéva)が

        ギリシア語に転訛したもので 、エリザベス(英語)、

        エリザベート、エリーザベト( 教会ラテン語 、フランス

        語 、ドイツ語など )といったキリスト教圏でポピュラー

        な女性名の由来である 。エリシェバのエリはヘブライ語

        で『 わが神 』、シェバ は『 誓い 』『 維持 』を意味し 、

        エリシェバとは『 わが神はわが誓い 』『 わが神はわが

        支え 』という意味になる 。」

       以上ウィキ情報 。) 

 

 

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いつてみたいなよそのくに Long Good-bye 2024・07・06

2024-07-06 04:56:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、日本の夏の海の歌 二曲 。

   二曲とも童謡 。今年も梅雨明けなしで 、盛夏になりそ 。

   まずは 、作詞者・作曲者 不詳 の 「 海 」 ( 1913年の歌曲 )

  の歌詞 。

   同じ文部省唱歌でも 1941年(昭和16年)に発表された

  「 海は広いな 大きいな 」の歌い出しで始まる童謡「 海 」

  とは同名異曲 。そらで歌えるのは 、二曲とも一番のみ 。

 「 歌 詞 :

  一 、

  松原遠く 消ゆるところ 、
  白帆の影は浮かぶ 。
  干網 浜に高くして 、
  かもめは 低く波に飛ぶ 。
  見よ 、昼の海 。
  見よ 、昼の海 。 (^^♪

  二 、

  島山 闇に 著(しる)きあたり 、
  漁火 、光淡し 。
  寄る波 岸に緩くして 、
  浦風 輕く沙吹く 、
  見よ 、夜の海 。
  見よ 、夜の海 。」

  次は 、「 海は広いな 大きいな 」の歌い出しで始まる童謡

 「 海 」の歌詞 。作詞:林柳波 、作曲:井上武士 。

 「 一 、

  海は広いな 大きいな
  月がのぼるし 日が沈む  (^^♪

  二 、

  海は大波 青い波
  ゆれてどこまで続くやら

  三 、

  海にお舟を浮かばして
  行ってみたいな よその国  」。

  「 行ってみたいな 、海の向こう 」って歌詞も

 覚えているのは なんでだろ 

 

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列車食堂 Long Good-bye 2024・07・04

2024-07-04 04:51:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 列車食堂 」と題した小文 の

 一節 。

  引用はじめ 。

 「 つひこなひだ 、所用があつて 、と云ひ
  たい所だが 、用事はなかつたけれど 、大
  阪へ行つて来た 。用事のない者は汽車に
  乗せないとは云はない様だから 、忙しい
  人にまぎれて 、澄まして乗つて行つた 。
  用事はなくても 、お金を分別して 、支度
  をして出かけたのだから 、どう云ふわけ
  で行く気になつたかと云ふ事を考へつめる
  事は出来る 。それを強ひて云へば 、暫く
  振りで 、汽車ぽつぽに乗りに行つたので
  ある 。
   さう云ふわけで 、車中もひまで退屈だか
  ら 、頻りに食堂へ出入した 。汽車に揺ら
  れて腹がへつたわけではなく 、お酒や麦
  酒が飲みたいからなので 、だからきまつ
  た食堂の時間を避けて食堂車のお邪魔をし
  た 。   」

 「  初めて特別急行と云ふものが出来て 、一
  二等編成の『 富士 』が走り出したのは 、
  何年頃の事であつたか 、年代の記憶ははつ
  きりしないけれど 、当時の宣伝ポスタアに
  紅茶を注いだ紅茶茶碗の絵がかいてあつて 、
  特別急行は非常に速いけれど 、揺れないか
  らお茶も茶碗の縁をこぼれないと云ふ説明
  がついてゐた 。
   特別急行『 富士 』には医務室があつて列
  車医が乗つてゐるから 、進行中に気分が悪
  くなつた人は申し出てくれとか 、列車長と
  云ふのもゐると云ふ宣伝であつた 。列車長
  と云ふのは後で考へると 、専務車掌の事だ
  つた様に思はれる 。腕に列車長と書いたき
  れを巻いたのは後まで続いた様だが 、列車
  医の方はぢきに姿を消したのではないかと
  思ふ 。尤も私がその御厄介になつた事もな
  く 、何しろ部外の素人のうろ覚えだから余
  りあてにはならない 。
   『 富士 』は特別急行と云つても 、それ
  からずつと後に出来た超特急『 つばめ 』
  程速くはなかつた 。だから『 富士 』の
  食堂の紅茶がこぼれなくても当り前かも知
  れないが 、昔の『 つばめ 』は今の『 つ
  ばめ 』や『 はと 』と同じ速さで走つた
  けれど 、食堂車ではソツプを出した 。矢
  つ張り線路の所為ではないかと云ふ気がす
  る 。」

  引用おわり 。

 その昔 小学生だった頃 乗った 超特急「つばめ」 は 、大阪・東京間を 、

 8時間50分で 、飛ぶように 、走っていた記憶があります 。

  近時記憶が飛ぶ頻度が増えて来た 、ような気がする 、今日この頃 、

  気のせいばかりじゃないようで 。

 

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カツレツ ビフテキ Long Good-bye 2024・07・02

2024-07-02 06:19:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 人垣 」とした小文

 一節 。家電の冷蔵庫などなかった 、われらの

 父祖が暮らした 、ほんの百年前の時代 の お話 。

  引用はじめ 。

 「 暫く牛肉のすき焼きをたべない 。鍋の手
  順を忘れた様である 。思ひ出すと食べたい 。
  しかし明け暮れすき焼の事を考へてゐるわ
  けではない 。鼻の先でいいにほひをさせら
  れては困るが 、辺りにその気配さへなけれ
  ば食はなくてもよろしい 。学生時分の事を
  思ひ出して見るに 、人人は近年程牛肉を食
  つてゐなかつた様である 。
   豚の肉が一般の台所へ入る様になつたのは
  もつと遅い 。漱石先生の学生時分には牛肉
  が一斤四銭か五銭とかであつたと云ふ話を
  聞いた様に思ふ 。そんな古い事は勿論知ら
  ないが 、私共が学校を出た当時 豚は極上の
  ロースが四十銭位であつた 。二三年前まで
  の馬肉の値段よりもまだ安かつた 。
   豚は牛肉よりきたならしい様に思はれた 。
  お膳のわきで経木や竹の皮の包みを開いて
  豚肉の生の肉を見るのは 余りいい気持でな
  かった 。学生達に取つては 豚鍋よりもカツ
  レツの方が先にお馴染になつた様である 。
  当時は ポークカツレツ と云つた 。別に英
  語を気取つたわけではなく 、場末の一品
  料理店の書出しにさう書いてあつた 。
  んカツと云ひ出したのは極く近年であつて
  甚だ下品な音(おん) である
   学生の時分には方方に一品料理の西洋料
  理屋があつてカツレツ 、ビフテキ 、オム
  レツ 、コロツケなど懐の小遣の都合に従
  つて簡単に食べる事が出来た 。ところが
  警保局の丸山保安課長と云つたと記憶する
  が 、その人の英断で以て浅草六区の私娼
  窟を取り潰した為に 、頸に白粉を塗った
  女が市中に散らかり 、それが方方の一品
  料理屋へ這入り込んで後の女給の先駆者
  の様な役目をし出した 。ナプキン紙でビ
  フテキのナイフを拭いたり 、カツレツを
  細かく切つてくれたり 、うるさい事にな
  つて 、学生が ただ下宿のお膳に不足して
  ゐる滋養分を摂取する為には手軽に立ち
  寄ると云ふわけに行かなくなつた
   牛肉のすき焼の方はもとの侭で 、行き
  にくいと云ふ事はない 。しかし 一寸腰
  掛けで一品料理を食べるのと違ってお金
  がかかる 。それはお代りお代りでいくら
  でも食べるから さう云ふ事になる 。安上
  りのつもりでクラス会を牛肉屋でやると 、
  きつと足が出て幹事が困るのであつた 。
   大正十二年の大地震の後は諸事軽便にな
  つてすき焼も腰掛けで食べられる様にな
  つた 。」

  引用おわり 。

  われわれが目にする 現代の風俗は 、大概 大正時代

 には 、その萌芽があつたようです 。ビフテキ なんて

 言葉 、すっかり 聞かなくなりましたね 。

  カツレツ は cutlet 、ビフテキ は beefsteak 。

  幼い頃 、牛肉は生焼けでもいいが 、豚肉は中まで焼き

 色がつかないと 、食べちゃ駄目と言われたものです 。

  百閒先生の随筆の中には 、牛カツ 、豚カツ について 、

 こんな文章もあります 。牛カツにせよ 豚カツにせよ 今

 日の隆盛をみるまで 高々 百年 、歴史は浅い 。

 「 カツレツと云ふのはビーフカツレツで 、
  当今の様なポークカツレツ 、豚(とん)
  カツではない 。大正初め頃の話で 、豚
  肉が一般の食用になつたのはその後の事
  である 。
   初めの頃 、御用聞きが来て註文を受け 、
  豚肉を誂へられると 、後で経木にくる
  んだ豚を届けて来る 。牛肉は従来通り
  竹の皮である 。白つぽい経木の包みを
  お勝手の板の間へ置くと 、ちょいと 、
  その辺へ 、少し離して置いて行つてく
  れと頼む 。そこいらの外の物に触れれ
  ば 、きたない様な気がした 。豚と云ふ
  物の不潔感 、けがれの聯想が 、どうせ
  すぐ後で口にするにしても 、何となく
  拭ひ切れなかつた様である 。
   そこへ行くと 、牛肉は清潔である 、
  などと云ふ理窟はない 。小学校の友達
  の近所の大工が普請の屋根から落ちて死
  んだ 。前の晩に牛肉を食つてゐたので 、
  そのけがれの為だと云ふ 。」

 

 

 

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丸の内界隈 Long Good-bye 2024・06・30

2024-06-30 05:09:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 腰弁の弁 」とした小文

 一節 。

  引用はじめ 。

 「 私は永年の間 、朝飯も午飯もたべなかつ
  た 。しかしそれはお膳に坐らないと云ふ
  のであつて 、一日ぢゆう晩まで何もたべ
  なかつたわけではない 。朝はビスケツト
  に林檎 、午は蕎麦のもりかけを食つて 、
  身体の調子がすつかりそれに馴れてゐた 。
   今度日本郵船会社の嘱託になつて出掛け
  るに就き一番閉口したのは食べ物の事であ
  る 。丸ノ内にだつて蕎麦はありますよと
  軽く云ふ人があるが 、蕎麦屋はあつても 、
  毎日私の待つてゐる時刻に持つて来させる
  のは中中骨が折れる 。出前持ちはこちら
  の気のすむ様にばかりしてくれるものでは
  ない 。仮りにきまつた時刻に持つて来る
  様に馴らしたとしても私は毎日行つてゐる
  わけではないから始末がわるい 。何曜日
  にはいらない 、外の日には時間を間違へ
  ては困ると云ふ様な面倒な事は 、大勢を
  相手に商売してゐる者に云つても無理で
  ある 。」

 「 そんなに六づかしいなら御自分から食ひ
  に行けばいいではないかと 、その説をな
  す人が云ふのであるが 、これは大変な誤
  解であつて私がいつも家で蕎麦ばかり食つ
  たのは 、蕎麦が好きな為ではなく 、蕎麦
  で一時のおなかを押さへて我慢をしたに過
  ぎない 。若し自分から足を立てて食べに
  出掛けると云ふことになれば 、蕎麦屋で
  盛りやかけを食ふよりは 、西洋料理とか
  鰻の蒲焼などの方が好きである 。ただ昼
  間の内からさう云ふ物を食べ散らす様なお
  行儀のわるい事をすると 、自分の身体に
  いけないから蕎麦で養生してゐたのである 。
  食意地が張つてゐて自制心の弱い私の様な
  者は 、成る可くうまさうなにほひのする
  場所へ近づかないに限る
   色色考へをめぐらして見たが 、いい分別
  がないので面倒になつて 、結局なんにも
  食べないのが一番簡単であると思ひ出した 。
   さうきめたので気も軽く 、おなかの中も
  軽いなりに日本郵船へ出かけてゐたが 、
  家を出る時から既に腹がへつてゐるので 、
  向うにゐる何時間かの内には 、二三度 目
  の前がぐらぐらとして 、机の端につかまる
  事がある 。廊下を歩くと 、時化に遭つた
  甲板の様に 、急に向うの方が高くなつたり 、
  足もとが落ちて行つたりして 、あぶなくて
  仕様がない 。郵船会社は見掛けは立派だけ
  れども 、廊下が安定してゐない 。」

 「 そんな事を暫らく続けたが 、あんまり腹が
  へるので 、或る日 節を屈して 、丸ビルで
  蕎麦を食つて見た 。あつらへたお膳は目の
  前に来たけれども 、辺り一面が大変な混雑
  で 、私のすぐ右にも左にも 、鼻をつく程
  近い前にも知らない人が一ぱいゐて 、みん
  な大騒ぎをして何か食つてゐる 。腹のへつ
  た鶏群に餌を投げてやつた有様で 、こつち
  迄いらいらして 、自分の蕎麦を食ふ気がし
  なくなつたから 、半分でやめて 、外へ出
  てほつとした
   そんな所へ行くのは一度で懲りたが 、郵
  船会社の中で足もとがふらふらする事に変
  はりはない 。若し廊下で倒れてしまつたら 、
  死因は空腹であると云ふ事になると 、郵船
  会社が見つともないであらう 。
   大分長い間 瘦せ我慢を続けてゐたけれど 、
  到底長持ちのする事でないと見極めがつい
  たので 、アルミニユームの弁当函に麦飯を
  詰めて携行する事にした 。机の抽斗に入れ
  ておいて 、そろそろ廊下の浮き上がつて来
  る二時半か三時頃に食べる 。おかずがうま
  いと御飯が足りなくなるから 、塩鮭の切れ
  つ端か紫蘇巻に福神漬がほんの少し許リ入れ
  てある計りである 。持つて来る時には中が
  詰まつてゐるから音がしないが 、夕方帰る
  時は 、エレヹーターに乗つた拍子に 、袱紗
  包みの中がからんからんと鳴る事もある 。」

  引用おわり 。

  日本郵船や丸ビルが出てくるので 、いつの頃の話かと

 思ったら 、昭和十年代 、太平洋戦争が始まる前の日本

 の首都 東京 、丸の内界隈にお勤めの頃の日常らしい 。

  随筆の中に 、以下の記述があり 、嘱託勤めの裏事情が

 わかって面白い 。

 「 私は嘱託として会社に顔を出してゐたが 、
  その内に戦争が始まり 、外洋航路は丸で
  駄目になつた 。郵船としての活動は麻痺
  してしまつて 、内部には人べらしも行は
  れるし 、私の様な我侭な地位は邪魔にな
  るばかりであつた 。
   その時分私は一時 、無給嘱託と云ふ事に
  なつた 。無給なら止めてしまへばいいで
  はないかと云ふに 、さうは行かないわけ
  がある 。当時頻りに報道班員と云ふ名前
  で軍から指名されて 、文士が支那や南方
  へ行かされた 。私にも直接 、軍からで
  はないが 、一寸そんな話があつた事もあ
  る 。それがいやなので 、郵船の屋根の下
  から出てしまふ時期ではないと思つた 。
  何も郵船の庇護を受けると云ふのではなく 、
  郵船にそんな力がある筈もなかつたが 、
  ただ自分は会社勤めの身分である 。文士
  としてのお役には立たないと云ふ顔がして
  ゐたかつたからである 。
   その内に又もとの有給嘱託に戻して貰つ
  て 、敗戦により郵船ビルを接収された後
  まで会社にゐたが 、・・・  」

 

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古き良き時代 Long Good-bye 2024・06・28

2024-06-28 06:03:00 | Weblog

 

 今日の「お気に入り」は 、また 内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 下宿屋の正月 」とした

 文の一節 。季節外れの話柄ながら 、明治と昭

 和にはさまれた 大正時代 の のんびりした社会

 の雰囲気 、代の雰囲気みたなものが 感じ

 られる 賄い付きの 下宿屋 の 正月風景  。

  引用はじめ 。

 「 学生時代に下宿屋でお正月を迎へた事は
  ない 。いつでも冬休みになる早早 郷里へ
  帰つて自分の家で年を越した 。
   それから十何年の後 、一旦 世間に地位
  を獲た後で失脚して 、私一人 場末の安下
  宿に引篭もり 、そこで 何度かのお正月を
  迎へる様な事になつた 。
   初めの内はそれ程でもなかったが 、次
  第に下宿料もたまり 、その侭 大晦日にな
  ると 、お神さんが 中中 八釜しく云つた 。
  向うも 余り成績のいい商売をしてゐる様で
  はないので 、困つてゐる事は解つてゐた
  が 、私の方でも当時は何の分別もなかつ
  た 。しかし 逃げ出す事も出来ないので 、
  障子を閉めた部屋の中に じつとしてゐると 、
  除夜の鐘が鳴つて お正月になつた 。
   元旦の朝は 目出度く おせつち物を盛つた
  お膳に お雑煮を添へて持つて来る 。また
  帳場からの心尽しで お燗が一本ついてゐる 。
  それで一ぱいやつてゐると 、廊下に著物
  のすれる音がして 、主人が 這入つて来る 。
  いつも洋服を著て どこか出歩いてゐるの
  だが 、今日は 紋付きを著用してゐる 。お
  まけに金縁眼鏡をかけてゐる 。平生 も眼
  鏡は掛けてゐる様だが 、銀かニツケルの
  曖昧な縁であつて 、気に掛けて見た事も
  ない 。しかし今日は 鼻の上に燦然と光つ
  てゐる 。更まつた時とか お目出度い時と
  かに佩用する金縁眼鏡は ふだんから蔵つ
  てあるらしい 。
   閾の所から坐った侭で這入つて来て 、お
  目出うを云つてくれる 。私の前身を知つ
  てゐる為か 、年輩の所為か知らないが 人
  の事を先生先生と呼び 、お金の事は兎に
  角として 少少尊敬してゐる様でもある 。
  一つお盃を頂戴致しませうと云ふから さ
  してお酌はしたけれど 、ここの主人は一
  滴も飲めない事を知つてゐるので 、どう
  するのかと思つてゐると 、一口に きゆつ
  と飲み干してしまふ 。何か取りとめもな
  い事を二言三言話し合つてゐる内に 、忽
  ち相手の顔が真赤になつた 。まだ外の部
  屋を廻らなければならないからと云つて出
  て行つたが 、二十何番迄ある内の 半分位
  しか人はゐないにしても 、一一 障子を開
  けて 、自分の家の中を 年賀をして廻るの
  は大変であらうと思つた 。私の所へは帳
  場からの通り路で 、最初に来てくれた様
  であつた 。
   午後になつて 、表へ出て見ようと思つて
  玄関に下りたら 、帳場の炬燵に 主人が金
  縁眼鏡をかけた侭 真赤な顔をして眠つてゐ
  るのが 障子の腰硝子 から見えた 。
   下宿屋にゐても お正月は矢つ張り静かで
  あつた 。下女と早稲田の学生とが 裏庭で
  羽をついてゐる音が 聞こえたりした 。」

   引用おわり 。

   昨今の物価の高騰 、巷に怨嗟の声が満ちている 。

  どこへ行っても 高齢者 。街中だけでなく 、ネッ

 トの交流サイトにさえ 高齢者が大勢たむろしている 。

  とくに 、収入は年金のみの高齢者の、シャキッと

 しない 長期ダラカン政権に対する 恨み は 深い 。

 物価高騰に定額の年金は目減りする一方 。先立つ

 ものに事欠いては 、買いたい物に伸ばす手が鈍る 。 

 年は取っても 、働けなくても 、情けなくても 、

 多数派有権者 。 

  ケチョンになると深海魚を決めこむ、茶の間の

 和服姿がとてもよくお似合いの 、増税メガネ に

 瓢箪から駒 が出かねない 解散総選挙なんぞ こわ

 くて こわくて 打てやしない 。

  来年まで 、がまん がまん 、深海魚路線で行くだ

 ろう 。

  人口に占める高齢者の割合は 30% に なんなん

 とす

  明治 、大正 言うまでもなく 、昭和 も 遠くなりに

 けり 。今日の天気は 、雨 ときどき 已む 。

 

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