TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

杉本博司 ロスト・ヒューマン@東京都写真美術館

2016年10月01日 | ♪&アート、とか

恵比寿の写美の「杉本博司 ロスト・ヒューマン」に行ってきた。圧倒された。

展示は3階の<今日 世界は死んだ せしかすると昨日醸しれない>と2階の<廃墟劇場>および<仏の海>から成っている。前者は、「今日、世界は死んだ」から語り始められる世界(というか人類)滅亡の様子を述べた33の架空のシナリオと展示物により構成されている。そしてそのシナリオは、救いもないが同時にユーモラスでもある。「もし未来に絶望しかないとしたら、君はどの絶望がいい?」と言われているような、思いやりに溢れる死刑宣告というか。

ところで、この33のテキストはすべて手書き(一点、「コンピケーター修理会社社長」とされるものは、手書き風フォントのプリントアウトのようだが、これは間違いなく意図的)。リーフレットには、こういう一文がある。

肉筆は字面の姿の上に、その文意以外の読み得る徴を宿している。その筆者の性格、教養、嗜好、気力、文章を取り交わす相手との関係、つまりその書き手の全人格が体現される。人は人の核を隠す為に文字を電子化してしまったのだ。

そして展示されているテキストには、すべて代筆者(実際に書いた人間)がいて、このリストが凄い。浅田彰、渋谷慶一郎、宮島達夫、磯崎新、原研哉、平野啓一郎、川村元気、朝吹真理子、極楽とんぼ 加藤浩次……この企みというか試み、どこか黒澤明のように隙がない。


<廃墟劇場>は、廃墟となった劇場で実際に映画を上映し、その時間分の露出で撮影された写真作品。白く飛んだスクリーンには、約2時間分の残像が凝縮されている。このために選ばれた映画は、『渚にて』や『羅生門』、『異邦人』など、容赦なく象徴的だ。正直これ、そういった話を聞かないと、単に白いスクリーンが写った大判写真と見えなくもないが(少なくとも俺程度の鑑賞者には)、その文脈を知ることでイメージが一気に膨らみはじめた。

で、今回改めて感じたのが、現代美術に接する際の文脈や背景への理解の重要性。例えば<今日世界は>のブースに展示されていた、硫黄島で米兵が所持していた「日本兵狙撃許可証」の存在は、たまたま事前にNHKの「アートシーン」を見ていなければ、見落としていたかもしれない。表現が包み隠している物語を、ある知識が鍵となって開いていく。この左脳と右脳をぐるぐる駆り出される感覚は、エンターテイメント表現とは異なる楽しさだ(もちろん、どっちがどう、という話ではなくて)。


<仏の海>は、京都の蓮華王院本堂、通称三十三間堂と7年越しの交渉の結果、撮影を許可されての作品だが、三十三という数字は、上記<今日 世界は>の33のストーリーとつながっているのだろうか(既知の話だったらすみません)。リーフレットには『かつて平安末期の乱世を「末法」と嘆き、極楽浄土の道を模索しようとした後白河上皇が望んだ仏の姿』という一節があるが、滅びと極楽浄土は裏表の概念なのかもしれない。


密度の濃い展示を見終わると、結果的には杉本氏が丹念にこしらえた大きな物語のうねりに巻かれ、流されたような気がしている。どこか昔ベルリン・ユダヤ博物館(ダニエル・リベスキンド建築)を出たときの感覚を思い出した。辿り着いた3階出口前の海の写真は、「そういえば昔、この地球に人間っていう生物いたよね」と語りかけてくるようだ。いや何ていうか、それは清々しい絶望でありました。
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