国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
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名曲、名盤は簡単には生まれない! 僕らももっと聴き込まなくては!

2010年01月11日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ジャズを楽しむということは結構難しい。
今は巷でレストランでも居酒屋でもBGMとしてジャズがかかっている。
今日もテレ朝の「家政婦は見た」の再放送を見ていたら、
キャノンボール・アダレイの『サムシング・エルス』の曲がかかっていた。
何気ないところでもジャズはかかっているものだ。

僕らが聴いている音楽は印象に残りやすいメロディーのものが多い。
ジャズでも「枯葉」や「テイク・ファイブ」のようにテーマで
印象が深いものが人気が高い。
ところが「テイク・ファイブ」なんかはテーマの部分は分かっても
演奏自体はそれほど面白くないことはちゃんと聴いた人なら知っているだろう。
ジャズはテーマで全て分かったと判断することはできないのだ。

キース・ジャレットの名盤に『ケルン・コンサート』がある。
ソロで即興というのに流れるようなメロディーは、
耽美の極みといえるし、クラシック的な響きは誰が聴いても聴きやすい。
「パート1」の出だしの緊張感溢れる間を柔らかく突き破るピアノの音は、
これがジャズなのかという驚きと共に
まさにこれからの演奏が素晴らしいものになるという期待を抱かせてくれる。
「パート2C」などはこれが即興?というほどにしっかりとした演奏だ。

これがキースのちょっと聴きでも分かりやすいアルバムなのだが、
(実際に聴き込むとさらにその凄みが分かってくるのだが…)
一方で同じキースの『ステアケイス』も同じピアノソロアルバムである。
違うのはコンサートではないぐらいなのだが、
僕にはどうもこのアルバムが分からない。

結構早い時期に買ったアルバムで
最初の「ステアケイス パート1」を聴いたときは、
正直ちょっとがっかりした。
それから何度も聴いているのだが一向にピンとこなかった。
そこでこの3連休を使ってひたすら『ステアケイス』を聴き続けてみた。

キースのソロの特徴は何といってもそのピアノ音の美しさにあるだろう。
これは発売元のECMの録音方にもよるが、
キースの病的なまでの青白く燃え立つ炎のような音を
しっかりととらえ1音1音が透明な湖面に沈み込むような
そんな情景を抱かせる美しさで録音している。
これは『ステアケイス』でもいうまでもない。

では、分からないのか?
理由は『ケルン・コンサート』にあると思う。
あの出だしのキャッチーなメロディーを想像してしまい
それに匹敵するほどの演奏があるのではないかという過度な期待を
『ステアケイス』にもかけてしまっていたようだ。
このアルバムはキースがフランスでふとピアノを弾きたくなったという
全くの偶然で生まれたいきさつがある。
「ステアケイス」「砂どけい」「日どけい」「砂」という
4つのパートに別れて収録されているが、
実際は演奏が先で、後から名前が付けられたのだろう。
となるとタイトルはあくまで演奏から導き出されるイメージであり、
そのイメージが先行してしまうと、演奏の本質をとらえることができないのだ。

僕は実際にキースのソロピアノコンサートを聴いたことがある。
この時もあまり印象に残っていない。
それはやはり『ケルン・コンサート』の残像があり、
結局それを越える演奏がなかったことにあるのだろう。

「心を無にする」というのは口にするのは簡単なれど実際はかなり難しい。
音だけに集中してキースの演奏を聴き取ろうとしても
その本質は容易にはつかむことはできないのだろう。
でも今回『ステアケイス』と付き合い、ちょっとは面白味が分かってきた。
コンサートの時、キースは咳払い1つでも演奏を止めてしまった。
それだけ即興で音を紡ぎ出すのは大変なことなのだ。
名曲、名盤は簡単には生まれない。

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