音からも色が「見える」時がある。
ものの例えでエリントンの楽団は「色々な色を混ぜたような」などと
表されたりもするが、音やアルバムにはそれ特有の色を備えたものもあるのだ。
今日の1枚、チャールズ・ロイドの『フォレスト・フラワー』からは
どんな色をあなたは想像するだろう。
僕はもう言わずもがな「黄色」である。
何故そう思うのか?
察しの良い方ならばすぐにジャケットの色に気付くだろう。
タイトル部分が黄色く染まっている。
加えて曲のタイトルである。
A面が「フォレスト・フラワー-サンライズ」と「フォレスト・フラワー-サンセット」
というようにどちらも太陽に関係のあるタイトルになっている。
僕はどうしてもこのタイトルから「向日葵」を想像してしまう。
このアルバムはリーダーはチャールズ・ロイドであるが、
それ以上にサイドが有名人で固められている。
ピアノがキース・ジャレット、ベースがセシル・マクビー、
そしてドラムがジャック・デジョネットと今ではそれぞれが大御所のメンバーだ。
冒頭に頼りなさそうなふわぁんとしたロイドのテナーが鳴る。
そこにキース・ジャレットのコッテリとした明るく南国風のピアノが入り込んでくる。
どうしてもキースはソロやトリオのイメージが強いのだが、
実際のところキースはかなり粘りの強い、腰のあるピアノを弾いていた時期があるのだ。
2人の対照的な演奏は螺旋を描くように宙に登りつめ、
やがては静かに終わっていく。
ロイドのブローは熱くなっていくのだが、聴いている印象はどことなくクールだ。
背後でバッキングをするキースの音はどこまでも陽気だ。
演奏がゆっくりと燃え上がり、温かな空気が広がっていく。
そう、様々な顔を見せ、人間に恩寵と苦難を与える太陽のように…
なーんて言ったらできすぎか?
録音された1966年ごろには「フラワー・ムーブメント」がアメリカで起こり始め、
ロック界にはその影響が出てくる。
一面に広がり続ける花の野は一体どのような光景であったのかは
僕には残念ながらその世代ではないため分からない。
しかし、ジャケットのチャールズ・ロイドのサングラスには
モントルーに集まった人々が映る。
その光景はまた、たくさん花が咲き誇るかのように希望と期待で広がっていたのだろう。
ものの例えでエリントンの楽団は「色々な色を混ぜたような」などと
表されたりもするが、音やアルバムにはそれ特有の色を備えたものもあるのだ。
今日の1枚、チャールズ・ロイドの『フォレスト・フラワー』からは
どんな色をあなたは想像するだろう。
僕はもう言わずもがな「黄色」である。
何故そう思うのか?
察しの良い方ならばすぐにジャケットの色に気付くだろう。
タイトル部分が黄色く染まっている。
加えて曲のタイトルである。
A面が「フォレスト・フラワー-サンライズ」と「フォレスト・フラワー-サンセット」
というようにどちらも太陽に関係のあるタイトルになっている。
僕はどうしてもこのタイトルから「向日葵」を想像してしまう。
このアルバムはリーダーはチャールズ・ロイドであるが、
それ以上にサイドが有名人で固められている。
ピアノがキース・ジャレット、ベースがセシル・マクビー、
そしてドラムがジャック・デジョネットと今ではそれぞれが大御所のメンバーだ。
冒頭に頼りなさそうなふわぁんとしたロイドのテナーが鳴る。
そこにキース・ジャレットのコッテリとした明るく南国風のピアノが入り込んでくる。
どうしてもキースはソロやトリオのイメージが強いのだが、
実際のところキースはかなり粘りの強い、腰のあるピアノを弾いていた時期があるのだ。
2人の対照的な演奏は螺旋を描くように宙に登りつめ、
やがては静かに終わっていく。
ロイドのブローは熱くなっていくのだが、聴いている印象はどことなくクールだ。
背後でバッキングをするキースの音はどこまでも陽気だ。
演奏がゆっくりと燃え上がり、温かな空気が広がっていく。
そう、様々な顔を見せ、人間に恩寵と苦難を与える太陽のように…
なーんて言ったらできすぎか?
録音された1966年ごろには「フラワー・ムーブメント」がアメリカで起こり始め、
ロック界にはその影響が出てくる。
一面に広がり続ける花の野は一体どのような光景であったのかは
僕には残念ながらその世代ではないため分からない。
しかし、ジャケットのチャールズ・ロイドのサングラスには
モントルーに集まった人々が映る。
その光景はまた、たくさん花が咲き誇るかのように希望と期待で広がっていたのだろう。
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