コルトレーンが「マイ・フェイヴァリット・シングス」を
初めてアルバムに吹き込んだのは1960年10月21日、
名も『マイ・フェイヴァリット・シングス』
というアトランティックから出されたアルバムである。
原曲はミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌である。
件のミュージカルが1959年にブロードウェイで初演である。
それから1年後には、
すでにコルトレーンが自分のアルバムに吹き込んでいる。
かなり早い段階から耳にしていたわけである。
「マイ・フェイバ」を知ったいきさつにも諸説あるようで、
興味を持ったら、ぜひ「一個人」(2009.1月号)の
原田和典氏の文を読んで欲しい。
1960年から1967年までの7年間、
コルトレーンは「マイ・フェイバ」を吹き続けている。
途中アトランティックからインパルスに移籍をしているため、
公式録音が5年間禁止されている時期もあるのだが、
ライブでは、よく取り上げていたようだ。
使う楽器で多いのはソプラノ・サックスであり、次にテナーである。
曲途中でテナーからソプラノへの持ち替えなどをしていることもある。
最晩年になってくるとフルートだったりと、
年代に応じて使う楽器も変わっている。
ライブでも曲として扱うよりも
ライブの演奏の一部として扱うことが多くなり、
「マイ・フェイバ」の前に、
ジミー・ギャリソンのベースソロという流れが多い。
(おそらく曲と曲のつなぎだろう)
さてこのコルトレーンが演奏する「マイ・フェイバ」は、
聴けば聴くほど困惑せざる得ない状況に陥る。
そこにあるのは、あの愛らしいメロディーでは無く、
破壊と暴動に満ちたコルトレーン流の
「マイ・フェイバリット・シングス」である。
では、なぜコルトレーンは必要以上にこの曲を取り上げたのか?
初めてアルバムに吹き込んだのは1960年10月21日、
名も『マイ・フェイヴァリット・シングス』
というアトランティックから出されたアルバムである。
原曲はミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌である。
件のミュージカルが1959年にブロードウェイで初演である。
それから1年後には、
すでにコルトレーンが自分のアルバムに吹き込んでいる。
かなり早い段階から耳にしていたわけである。
「マイ・フェイバ」を知ったいきさつにも諸説あるようで、
興味を持ったら、ぜひ「一個人」(2009.1月号)の
原田和典氏の文を読んで欲しい。
1960年から1967年までの7年間、
コルトレーンは「マイ・フェイバ」を吹き続けている。
途中アトランティックからインパルスに移籍をしているため、
公式録音が5年間禁止されている時期もあるのだが、
ライブでは、よく取り上げていたようだ。
使う楽器で多いのはソプラノ・サックスであり、次にテナーである。
曲途中でテナーからソプラノへの持ち替えなどをしていることもある。
最晩年になってくるとフルートだったりと、
年代に応じて使う楽器も変わっている。
ライブでも曲として扱うよりも
ライブの演奏の一部として扱うことが多くなり、
「マイ・フェイバ」の前に、
ジミー・ギャリソンのベースソロという流れが多い。
(おそらく曲と曲のつなぎだろう)
さてこのコルトレーンが演奏する「マイ・フェイバ」は、
聴けば聴くほど困惑せざる得ない状況に陥る。
そこにあるのは、あの愛らしいメロディーでは無く、
破壊と暴動に満ちたコルトレーン流の
「マイ・フェイバリット・シングス」である。
では、なぜコルトレーンは必要以上にこの曲を取り上げたのか?