国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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「マイ・フェイヴァリット・シングス」考 その1(中)

2009年06月24日 | マスターの独り言(曲のこと)
コルトレーンが「マイ・フェイヴァリット・シングス」を
初めてアルバムに吹き込んだのは1960年10月21日、
名も『マイ・フェイヴァリット・シングス』
というアトランティックから出されたアルバムである。

原曲はミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌である。
件のミュージカルが1959年にブロードウェイで初演である。
それから1年後には、
すでにコルトレーンが自分のアルバムに吹き込んでいる。
かなり早い段階から耳にしていたわけである。
「マイ・フェイバ」を知ったいきさつにも諸説あるようで、
興味を持ったら、ぜひ「一個人」(2009.1月号)の
原田和典氏の文を読んで欲しい。

1960年から1967年までの7年間、
コルトレーンは「マイ・フェイバ」を吹き続けている。
途中アトランティックからインパルスに移籍をしているため、
公式録音が5年間禁止されている時期もあるのだが、
ライブでは、よく取り上げていたようだ。

使う楽器で多いのはソプラノ・サックスであり、次にテナーである。
曲途中でテナーからソプラノへの持ち替えなどをしていることもある。
最晩年になってくるとフルートだったりと、
年代に応じて使う楽器も変わっている。

ライブでも曲として扱うよりも
ライブの演奏の一部として扱うことが多くなり、
「マイ・フェイバ」の前に、
ジミー・ギャリソンのベースソロという流れが多い。
(おそらく曲と曲のつなぎだろう)

さてこのコルトレーンが演奏する「マイ・フェイバ」は、
聴けば聴くほど困惑せざる得ない状況に陥る。
そこにあるのは、あの愛らしいメロディーでは無く、
破壊と暴動に満ちたコルトレーン流の
「マイ・フェイバリット・シングス」である。
では、なぜコルトレーンは必要以上にこの曲を取り上げたのか?