「盲目のピアニスト辻井伸行さんが、
アメリカのバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝!」
と、昨日のトップニュースで流れた。
普段はジャズしか聴かないのだが、クラシックも嫌いなわけではない。
なにせ人生初めて買ったCDが、ビバルディの『四季』なのだ。
ニュース映像で辻井さんが演奏しているところが流れたが、
その力強さとよく切れる剃刀の刃のような鋭さは、やはり凄さを感じた。
演奏中よくあんなにも手が動くものだとも感心してしまう。
何はともあれ素晴らしいと思った。
でもやっぱりジャズのことを考えてしまった。
クラシックは、与えられた譜面を演奏する。
辻井さんの場合は、音楽を聴きながら覚えていくようだが、
クラシックであれば、やはり譜面は外せないものだ。
ベートーベンの音楽、リストの音楽、ラフマニノフの音楽と
作曲者の音楽を正確に演奏することが、クラシックでは求められる。
一方でジャズは譜面はない。
(一部にはあると思われるものもあるが)
マイルスは、コードのかかれた簡単なメモのようなものを渡して、
それを演奏したと自叙伝に書いてあった。
それにコルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」を聴けば
とても譜面通りに演奏しているとは思えない。
むしろある曲を解体して、再構築していくのがジャズであると言えよう。
今回、辻井さんの演奏を聴いて、
ジャズと違うけれども、その力強さは引かれた。
それはエヴァンスやペトルチアーニと違ってまたいいのだ。
どちらがいいの優劣論ではなく、いいものはいいのだ。
結局思うのが、
こんな音楽を創りたいという演奏者の心意気が大切なのだろう。
音を聴くだけではない。
音楽を生み出した人を見いだしていくことが、
「音楽を聴く」ってことなんだ!
と、生意気にも思った。
アメリカのバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝!」
と、昨日のトップニュースで流れた。
普段はジャズしか聴かないのだが、クラシックも嫌いなわけではない。
なにせ人生初めて買ったCDが、ビバルディの『四季』なのだ。
ニュース映像で辻井さんが演奏しているところが流れたが、
その力強さとよく切れる剃刀の刃のような鋭さは、やはり凄さを感じた。
演奏中よくあんなにも手が動くものだとも感心してしまう。
何はともあれ素晴らしいと思った。
でもやっぱりジャズのことを考えてしまった。
クラシックは、与えられた譜面を演奏する。
辻井さんの場合は、音楽を聴きながら覚えていくようだが、
クラシックであれば、やはり譜面は外せないものだ。
ベートーベンの音楽、リストの音楽、ラフマニノフの音楽と
作曲者の音楽を正確に演奏することが、クラシックでは求められる。
一方でジャズは譜面はない。
(一部にはあると思われるものもあるが)
マイルスは、コードのかかれた簡単なメモのようなものを渡して、
それを演奏したと自叙伝に書いてあった。
それにコルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」を聴けば
とても譜面通りに演奏しているとは思えない。
むしろある曲を解体して、再構築していくのがジャズであると言えよう。
今回、辻井さんの演奏を聴いて、
ジャズと違うけれども、その力強さは引かれた。
それはエヴァンスやペトルチアーニと違ってまたいいのだ。
どちらがいいの優劣論ではなく、いいものはいいのだ。
結局思うのが、
こんな音楽を創りたいという演奏者の心意気が大切なのだろう。
音を聴くだけではない。
音楽を生み出した人を見いだしていくことが、
「音楽を聴く」ってことなんだ!
と、生意気にも思った。