自分で
夏の一本を書こう、と決めたものの
よく考えれば、夏の一本の動機は、
大人な『あせり』なわけで、
『あせり』はよくないと思うけれども、
『あせらない』と、あと3年ぐらいは、
書かないままでいそうな自分もいるし、
書かなくても別に『さぼっている』わけでは
ないが、『目に見えない』強制力が働いているのも
事実のような気もするし。
寝ても覚めても考えている状態を
あと2か月弱続けるという、なんだろう
潜水状態で息継ぎなし、を続けることこそ
生みの苦しみなのだろう。
そういいながらも、夏の誘惑にちょいちょい負ける。