さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

「日本書紀 神功皇后紀」を読んでみる プロローグ

2016-11-14 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

進めてまいりました「妄想的歴史探訪」でありますが、前回、古代日本は朝鮮半島の三国

「高句麗」 「百済」 「新羅」

に対し、時に軍事侵攻、大規模な戦争など、積極的に半島の国々への干渉をしていたようであることを述べました

特に「新羅」に対しては、朝鮮の史書「新羅本紀」に王都金城が八度も「倭軍」の侵攻を受け、包囲された等の記事を見つけることができます

「王都」まで外国の軍隊が侵攻してくる、尋常ならざる事態ではないでしょうか

例えば日本において、あの「元寇」のさい、元軍が京の御所の間近まで大群で押し寄せて来た、となっていたら我が国の歴史上、これまで以上に大変重大な事件として認識されることになっていたでしょう

というより、その後のわが国の歴史は一変していたかもしれません


金城までの侵攻に至らないものでも「倭軍が東海岸に侵入した」というような記事も数多あるわけです

こんなにも日本が新羅へ侵攻した理由はなんでしょうか

その妄想についてはいずれまたお話させて頂きたいと思っておりますが、最も単純な理由としては、新羅と隣接していた半島南部、南端部、この地域が元々は新羅や百済の建国前から

「日本領であった」

ことが関係しているのだろうと妄想できます

百済、新羅が建国される頃には、この地域はそれまでの「日本固有の領土」的なものではなく、任那と呼ばれるどちらかと言えば「植民地」に近いような国々の集合体のような地域になっていたかのようにも見えます

日本の「新羅」侵攻、それは単純にこの任那地域の権益を侵すような振る舞いを新羅が行ったのではないでしょうか

「任那地域の権益」

を侵す、といっても、それは単なる「国益」への侵犯、ということだけではなく、太古の昔から連綿と続いてきたこの地域に対する日本人の、なにか根源的な思い入れのようなものがあったのではないかと小平次は妄想しております

もちろん、高句麗などに対する本土防衛上の重要な軍事的要衝でもあったでしょうし


さて、この大和の新羅侵攻

ハイライトはやはり

「神功皇后の三韓征討」

でありましょう

戦前まで神功皇后は、日本史上の重要な実在の人物の一人として教育の場にも当然出てきましたし、お札の肖像にもなっておりました



しかし戦後、GHQの占領政策により日本の歴史教育、日本人の歴史感が一変させられると、神功皇后はあくまでも神話上の人物としてその実在性を否定されてしまったわけです

その上、歴史教育の場のみならず、日本人の生活そのものから「神話」を教える、語る、ということが消えていき、まさに歴史から抹殺されたがごとく今日にいたっております

そういうことから、日本人でありながら「神功皇后知らない」と言う人も大勢いるのです

小平次の知人でも、東京の六大学を出たような人が「知らない」と言います

小平次自身も、家がクリスチャンでしたし、大学受験は世界史を選択、大学で経営学部ながら取ったゼミが「日本の古典を読む」というものであったので、ようやくそこで「お名前だけ」は知るようになったくらいです
(そんなゼミをとっていましたが、漢文の古典なんてもはや読めませんが…)

学校の教科書にも出てこない、神話も教えられない

「神功皇后を知らない」

無理からぬことです

それでも最近になって、心ある研究者の方々の努力によって、その実在の論証が試みられるようになってきているのは喜ばしい限りであります

小平次としては、尊敬する大平裕さんの論証もさることながら、もっと単純に考え感じるままにその実在を確信しているのであります

それはまず、西日本を中心に残る、神功皇后にまつわるその伝承、伝承地(およそ三千とも)の多さがハンパないということが一つ

また、神功皇后を祭神として祀っている神社の数は、やはり西日本を中心に900を超え、歴代天皇、皇后の中でも群を抜いてダントツの一位であるということが一つ

神話上の伝説の人とするにはあまりに伝承、神社の数が多すぎるのではないかと思うのです

小平次としては、神功皇后の実在の証明は、これらの事実だけで十分であると感じております

また、後世につけられたものではありますが、そのお名前に「神」という字が使われていること、天皇、皇后のお名前として「神」の字が充てられているのは

「初代神武天皇」「十代崇神天皇」「十五代応神天皇(母君が神功皇后)」

そして

「神功皇后」

だけであります

こんなこともまた、妄想をたくましくさせてくれると思います

「神功皇后」

知れば知るほどとても魅力的なお方でいらっしゃいまして、色んな妄想も膨らむのですが、それはそれでお話させて頂くとして、今シリーズは、新たにカテゴリーを設け

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

と題しまして、原文をご紹介し、その上で様々な訳文を参照にしながら(くどいようですが小平次は漢文なんぞ読めませんので)、あまり学術的視点にとらわれずにフラットな目線で、日本史の超スーパースターにして「英雄」でいらっしゃる「神功皇后」をともに感じていくことができればと思っております

自身もあらためて勉強しながらゆっくりやっていければと思っております

よろしくお願い申し上げます







御免!
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