さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

漠然と昔日本は悪いことをしたと思っている人たち

2015-03-15 21:54:09 | 歴史
小野派一刀流免許皆伝小平次です

さて、今回は少々この小平次の事についてお話したいと思います

実はこの小平次、今までも当ブログの中で何度か申し上げて参りましたが、20年ほど前までそれなりに熱心なキリスト教の信者だったのです
どれくらいそれなりに熱心だったかと申しますと、毎週日曜日には欠かさず礼拝に行き、割と大きな教会でしたので、学生の頃は日曜学校で小学生のクラスを一つ受け持ち、子供たちに聖書の言葉を教えたりもしておりました
またその他にも、例えば高校生会や学生会などの分会では役員をやり、伝道集会などのイベント事の企画を立てたりなど積極的に活動をしていたのでありました

こうしてみますと「それなりに」と言うよりは「結構熱心な」信者であったようです
日本におけるキリスト教の信者数は人口の1%にも満たないものでありますから、当時の小平次はまあ日本人としてはかなり特異な部類の人間であったわけでもあります

およそなにがしかの信仰を持つという事は、少なからず何かの使命を持つ事になるという事でもあります
例えばキリスト教であれば、イエスの愛を信じ、実践し、その愛を人々に伝える事、それは神から与えられた絶対的な使命であります
そのために自分は神から命を与えられ、生かされている、そう考えるわけであります
ですから信仰を持つという事は、まさにその者にとってライフワークそのものであり、自我、つまりアイデンティティそのものでもあるのです
当時の小平次もまさにそう感じて唯一絶対の神によって「生かされて」いたのであります


さて突然話は変わりますが、少し小平次の父についてお話します
父は戦前の生まれでありますが、あと少し戦争が長引けば予科練に入隊できる年齢、という頃に終戦を迎えました
まさに多感な思春期に終戦を迎え、いきなりそれまで信じていたことが「悪」だとされ、価値観をひっくり返されたわけであります
予科練に入隊できなかった負い目のような感情の影響もあったかも知れません。
父はそのひっくり返された価値観を受け入れるしか無かったのでありましょう

そんな父の元に生を授かった小平次でありました
小平次が生まれてから、一貫して我が家でとっていた新聞は朝日新聞、共産党の機関紙「赤旗」も届いておりました

「日本人は好戦的な民族なのだ」「日本は昔中国大陸で極悪非道な事をしたのだ」

小平次は幼い頃から父にそんな話を聞かされて育ったわけであります

学校の歴史教育においても、明治以前の日本は支配者による圧政のもと、民は搾取をされ続け、時に一揆を起こし抵抗する、そんな遅れた封建国家であった
江戸時代には「士農工商」の身分制度が確立し、時に支配者である武士は、刀の切れ味を試すだけのために町人を切り殺しても

「切り捨て御免」

で罪にも問われない酷い時代であった、そう教わっていたわけであります
小平次は子供ながらに思います

「ああ、江戸時代ってなんて恐ろしい時代だったのだろう、こんな時代に生まれなくて本当に良かった」と


「中国は素晴らしい国だ」


と言ってはばからない父のもと、学校でもそんな歴史教育を受けて育ち、なおかつキリスト教信者
小平次はいかなる人間に育っていったのでありましょうか

かつての日本軍の大陸での蛮行、それを日本人として真摯に見つめ後世に伝える、そしてイエスの愛によって真の平和を目指す
それは神から与えられた使命であり、まさにライフワークであり、自我そのもの、そんな青年に成長していったのでありました

いくつかのバンドに所属しギターを弾いていた小平次は、時折「反戦、反核」を訴える集会などにギターを持ち込み、「War is over~♪~」なんてみんなで合唱したりしていたのであります

時折政治家が「日本は侵略国家などではない!」などと不用意な発言をし、中国や韓国から猛烈な抗議を受けるなどということが当時はよくありましたが、その度に小平次は「なぜ、いまだにこうして歴史を捻じ曲げようとする人がいるのか」と悲しみ、中国や韓国の人たちに申し訳ない気持ちになり神に祈ったものでした

さて、それから二十数年、今の小平次はと申しますと

「日本人とは世界で最も争いごとが嫌いで、世界で最もそれを避けるための術を知っている民族である。そしてその術とは、天皇陛下を頂点に戴き、民が一つとなる、その国体こそが平和のための最善の形なのである」

「明治以前の日本は、決して暗黒国家などではなく素晴しい文化文明を育んだ国であり、それ以降は、白人の人種差別による支配と敢然と戦い、アジアの解放の一助をなし、自らの国体を守り切った」

「そして、そのような歴史を創りあげてきたわが先人たちは、まさに英霊であり、心から敬うべき存在である」

と、そんな風に思っている人間なのです


いやあ!
どうなんでしょうこの変わりよう!
なにがどうなればこんな正反対の変わり方をするのでしょうか

かつて日本は暗黒のような国であり、近代においては近隣諸国を侵略した極悪国家であった、という認識と、それを伝えるという事が小平次のライフワークでありアイデンティティであったわけですから、ある時、何かをきっかけに突然変われるようなものではもちろんなく、時間をかけ、まさに自我の崩壊を招きながら変質を遂げていったわけなのであります

それでもきっかけがなかったわけではありません

「放送禁止用語」

こんな言葉をお聞きになったことがあるかと思います
古いテレビの再放送なんかを見ておりますと、突然台詞が「ブツッ!」と切れてしまう
その切られた所にまさに「放送禁止用語」が使われていたわけです

まあ最近は放送の前や終了後に「当時の時代背景や原作者の意図を考慮し当時のまま放送しております」などのテロップが流れ、そのまま放送される事も多くなりましたが、それこそ30年近く前ともなりますと、「おまえは…ブツッ!」「それは…ブツッ!」と台詞がブッタ切られ、もうストーリーを追うことすらままならないこともしばしばでありました

有名なところではあの「巨人の星」のワンシーン
主人公の星飛雄馬が高校入学の面接(だったかな?)で面接官から父親の職業を聞かれるシーン
星飛雄馬は、父、星一徹の職業が日雇い労働者であることに恥ずかしい思いもあり、答える事に少しばかり躊躇しますが、意を決して立ち上がり、胸を張って言います

「父は…、父は!…、父は日本一の(ブツッ!)です!」

その日の放送回で最も重要なシーンで容赦なく台詞がぶった切られています
原作では父は日本一の「日雇い人夫」です、という台詞であったそうですが、この「日雇い人夫」と言うのが差別的表現であると判断されたようなのでした

この「放送禁止用語」と言うのは、猥褻的な表現はもちろんですが、それ以外に差別的な表現というものが対象となっているようでして、そして、文字通りのテレビ、ラジオと言った放送媒体だけでなく、新聞、雑誌、小説、漫画、およそ人々に何かを伝えたり表現するもの全てで使ってはならない言葉がある、と言うことなのであります

二十数年前のある日、テレビのバラエティー番組を見ておりましたら、その終了後、局のアナウンサーが神妙な面持ちで画面に出てきて言うのであります

「ただいまの番組において、放送上不適切な表現があり、関係者の皆様を傷つけ、不快な思いをさせた事を深くお詫び申し上げます」

……、

いやあ何だかしっくりきません!

今の放送中、一体どんな言葉によって、どこの誰が「関係者」として傷ついたっていうのか
小平次には何が何だかさっぱりわかりません!

それがわからない事には、ひょっとすれば普段、何の意識も無くその言葉を使い、自分の預り知らぬところでその「関係者」の皆様を傷つけている事があるかもしれないではないか

それを明らかにしないで謝ったところで、意味などあるのだろうか
そもそもどんな言葉が「差別的である」として使ってはいけない言葉なのだろうか

また、もしそれを一般人が日常で使ってしまったらどうなるのか
法律上の罰則でもあるのだろうか

なんだかふつふつと興味が湧いてきたのでありました

「ちょっと調べてみよう!」

調べると言っても当時はインターネットなどありません
何かを調べるのであれば当然書物によります
しかしながら当時小平次が住んでいた田舎の書店にはそんな事についての専門書など置いておりませんでしたので、住んでいた町から一番近い都会であった横浜まで電車に乗って繰り出したのでありました
そこでお目当ての本を探し、分厚い本を何冊か買い求め、さらに図書館にも寄り、関係しそうなものを数冊借りて帰ったのであります

さて、一通りそれらの書物を読み終えた小平次は、この問題に隠されていた大変な事実を知る事になったのです
それについて詳しい事には今回は触れませんが、「差別用語」なるものを調べていく内、本来真実を伝えるべきメディアというものが、時に事なかれ主義によって真実を覆い隠し、時に意図的に真実をねじ曲げて伝えている、そんな事を知るに至り衝撃を受けたのでありました

「マスコミなんて嘘ばっかり言っている、信用なんかできない!」

今でこそそんな事は当たり前のように言われておりますが、インターネットなども無い時代、世の中の事を知るには新聞、雑誌、テレビにラジオ以外にはなかったわけで、ましてやクリスチャンで人を疑うような事もほとんど無かった小平次には、そのようなメディア、大手マスコミが嘘を言う事もあるのだという事を知ったのは、なかなかにショックな事だったわけであります

その頃小平次は「ボディースナッチャー」というB級アメリカ映画をたまたまビデオで見まして、それは、ある日突然宇宙から降ってきたヘチマのような植物型の宇宙生命体が、夜、人々が寝ている間に寄生しコピー人間を作り出してしまうという映画でした

コピーされた人間は消滅し、いつの間にか主人公の周りの人間が感情のないコピー人間に入れ替わってしまっている、一見いつもと同じような日常でありながら、何かが違う、何だかそんな感じに似た恐怖感、自分の知らぬところで巨大な力が蠢き、世の中を動かしている、人々を洗脳しようとしている、そんないやな違和感を覚えずにはいられなかったのであります



さて、時を同じくしてその頃、小平次はある日知人の女性にお誘いを受け、東京は東銀座、歌舞伎座まで歌舞伎を見に行く機会がありまして
好奇心は強い方でしたので「是非見てみたい!」と思ったのですが、なにせ上演時間が4時間以上、台詞すら理解できないかも知れないような芝居を、そんな長い時間見ていられるのだろうか、ちょっと不安な気持ちもあったのでした
しかし、いざ始まってみれば、そんな心配は一辺に吹き飛んでしまいます
多少物語を追えないところはあったものの、役者さんの圧倒的迫力の演技にもう釘づけ、あっという間に時間は過ぎてしまいました

小平次はこの歌舞伎鑑賞をきっかけに「江戸文化」というものに大変興味を持つようになります
そして例よって横浜の大型書店に繰り出し、江戸文化にまつわる本や、他にも庶民の生活ぶりだの、蕎麦の歴史だの、果ては飯屋の品書きまで、まあ興味をそそられる本を買い求め、更に図書館でも借りて片っ端から読みまくったのでありました

特に小平次が興味をそそられたのが「黄表紙」と呼ばれる言わば江戸時代の漫画本でした
その内容は多岐にわたり、江戸庶民の日常、色恋もの、社会風刺、さらには現代の漫画「美味しんぼ」さながらの、料理人の料理対決の話まであります
また、黄表紙作家の代表格、山東京伝の作品等は実にシュール!
当時小平次が好きだった4コマ漫画家のいがらしみきおさんや、吉田戦車さんなどを彷彿させるのでした





「200年以上も前にこんなシュールで愉快な「漫画」があったなんて!」

小平次には驚きの連続だったのであります

そうして「江戸文化」をあらためて学んだ小平次の頭には、実に生き生きとした江戸時代の人々の姿がリアルに浮かんできます

江戸時代の日本人
粋で明るく、元気で、のんきで、基本的には争い事が嫌いで、決して裕福ではなくてもそれを悲観するでもなく、お金がないならないなりに、質素な弁当を持って郊外にピクニックに行ったりと前向きで、武士も安月給で生活は苦しくとも、凛として高潔な精神を失わない、そして何より感性豊かで、世界中で絶賛される素晴しい庶民の文化を創り上げた江戸時代人、尊敬すべき日本人がそこにいたのです

当時音楽をやっていた小平次は思います

「江戸時代ってなんてファンキーな時代だったんだ!」

「こんな時代に生まれて見たかった!」



……




「あれっ?」


……


まさにこの時

「あれっ?」

なのでした
子どもの頃、学校の歴史の授業で教わった江戸時代は、厳しい身分制度のもと、庶民は圧政による重税にあえぎ、時に切り捨て御免とやたらに切り殺されたりと、町も怖くて歩けないような、そんな暗黒のような時代であったはずではなかったか?

「こんな時代に生まれなくて本当によかった」

そう思ったのではなかったか?
しかし、これまで自分なりに学んだ江戸時代からは、そのような暗い殺伐とした暗黒時代のような様子は微塵も感じられない
その頃の、世界の文化は主に宮廷など高貴な人たち向けの文化が中心であったのに比べ、江戸の文化はまさしく生き生きとした明るい庶民の文化だ
なぜ殺伐とした暗黒時代にこんなにも明るく平和な文化が生まれているのだ

小平次は考えてみます

「あまりに過酷な生活であったがゆえに、せめて明るく夢と希望を見られるように…」

虐げられていた人たちがかえってそのような思いからこうした文化を作り上げたのかも知れない

「……!」

いやあ!あり得ない!あり得ない!
重税にあえぎながらいつ切り殺されるかもわからないような殺伐とした世の中に、こんなにも明るく陽気で、時にシュールで馬鹿げていて、時に繊細で芸術的で、、そんな庶民の文化、庶民の日常、いやああり得ない!
むしろ現代同様「平和ボケ」してる感すらある
どう考えてもこのような文化や営みを生んだ時代は、平和で、それなりに人々の心にゆとりがあった、そうとしか思えない!

では子供の頃に教わった歴史はウソなのか?

ひょっとすると小平次が子供の頃から十数年の間に、新たな歴史的発見があり、最近は江戸時代の見方も変わったのかも知れない
そんな風に考え、当時近くに住んでいた中学生の教科書を借り、江戸時代の章を見てみます

「立ち上がる農民」「一揆の時代」「身分制度の確立」

「士農工商、もっと低い身分の人たち」

……

小平次の子供の頃とまったく変わっていません
いやむしろもっと「暗黒国家」のよう書かれています

それは、明らかにあの華やかな江戸文化が花開いた時代を「意図的に」暗く遅れた封建国家であったかのようにしようとしている
そう感じずにはいられないのでした
小平次の心に、差別用語を調べていた時に感じたあのいやな違和感がよみがえります


さて、それでもその時は、さしてそれを深く気にすることもなく、自分なりに学びなおした日本の歴史に魅せられ、江戸以前の歴史からもっと知りたいと横浜に繰り出しては本を買い、図書館に行っては本を借り、読みあさったのでありました

そうして日本史を学びなおしてみると、小平次は実に当たり前の事に気付きます
それは、歴史とは、日本の歴史とは、太古の昔より、それこそ石器、縄文の昔より、同じこの日本で、同じ日本人が連綿と築き上げてきたその営みと結果である
という事だったのです

小平次が愛したファンキーな江戸人は、ある日突然宇宙から舞い降りたわけではなく、それまでの日本人の連続した営みから生まれてきた事に他ならないのです
そんな事は全く当たり前の事なのですが、これまで学校などで学んできた歴史は、実のところかなり断片的で連続性がない
「鎌倉時代」とか「室町時代」などという時代区分がより思考を断片的にさせてしまいます

さらには広がりもない
だからそれぞれの時代の世界情勢、世界の中の日本という観点が全く欠如している

たとえば江戸時代は「鎖国」をして門戸を閉ざし、世界の情報が入らなくなり遅れた国になっていったかのように思われがちですが、実際には渡航と貿易に制限をかけていただけであり、この時期海外との貿易量はそれまでよりも増えているのです
ではなぜ海外との交流を制限する必要があったのか
そういった事ついて多くの人は、おそらく学校の授業では学んでいないでしょう

歴史は連続している、そして、世界と繋がっている

この当たり前の事を感じる事ができなければ、本当の歴史の真実は見えてこない
小平次はそんな風に思ったのでありました


そんな中であらためて知った日本の歴史、そして日本人
それまで信じてきた歴史とはずいぶんと違うものに見えました

「日本人は好戦的な民族」

いやいや、まったくそんな事はない
むしろ逆で、争いを好まず、それを避けるためにはどうすれば良いかにいつの時代も腐心し、やがて世界に類を見ない天皇陛下を頂点とする君民一体の国体を築き上げる
それが平和のために最も優れた国体である
少なくとも江戸時代まではそうであったと、小平次は思わずにはいられないのでありました

では明治以降はどうであったか
この頃小平次は新渡戸稲造の「武士道」を読みます
五千円札の肖像になってから数年が経っていたかと思いますが、それまで何の関心も無くどんな人物であるかもよく知らなかったのです
ある時、新渡戸稲造がキリスト教信者であった事を知り、興味を持ったわけです
簡単に内容を申しますと、世界の多くの国々はおよそ何某かの宗教によって、神という外から与えられた観念によって秩序と道徳を作り上げているが、日本はその宗教がない
日本人は宗教ではなく長い歴史の中で育まれた「武士道」という、内からの、人間そのものの精神によって秩序と道徳を作り上げている
そしてその精神は決して博愛のキリスト教にもひけをとらない崇高な精神である
といった感じでしょうか

武士道とは、弱きを助け強きをくじく

「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に相応しき徳として…」

まあ詳しくは実際に読んでみて頂くのが一番でありますが、その精神は、時の世界の多くの国においても称賛されたのです
新渡戸稲造はその中で、明治以降、「それを生みかつ育てた社会状態は消えうせて既に久しい」と言いながらも「しかし今はなき遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている」とも述べています
そして、それは今後も日本人の心を照らしていくだろうとも述べています

明治に入り、いよいよ日本は世界との戦争に突入していきます
それでも、日露戦争などにおいて、敵兵の墓まで建てながら進軍した日本人に、それまで連綿と続いてきた同じ日本人の息吹を感じます

あの関東大震災直後、フランス駐日大使の言葉で、あれほどの大災害に見舞われながら、日本人は秩序を守り、助け合い、なおかつ「笑顔」であったとの記録があります
江戸時代、信じられないような大火事で町が壊滅状態になっても、人々はやはり「笑顔」で「燃えちまったならまた建てりゃあいいんだ」と前を向いて復興に力を注いだ姿と重なります

そして戦後、空襲によって焦土と化した日本は、すぐにまた復興を果たし、数年後には江戸時代の黄表紙さながらのナンセンスで馬鹿げた喜劇映画が何本も撮られています

決して悲しくなかったわけがありません
それでも皆後ろを向いていても仕方ない、前を見て進もう
そんな日本人の姿は現代にも通じています
この当時の事ではありませんが、あの3・11の大災害
やはり被災直後、家族を亡くしながらも秩序を守り、他の人の心配をしている人たちの姿は世界中から称賛されました
確実に、太古の昔からそんな日本と日本人の歴史が続いていると感じるのでした

しかし、このように感じるようになると、小平次はある大変な疑問にぶつからざるを得なくなります
そんな日本人と全く相いれない日本人が、連綿と続いていた歴史をぷっつりと切ってしまう日本人が、ほんの十数年間突如として現れているからです
それはまさにあの大東亜戦争時、大陸にて蛮行を働いた日本軍であります
小平次が幼いころから聞かされていた日本軍の蛮行とは


何の罪もない大陸の人々を、それこそ人間が到底し得る事のできないような残虐な方法で虐殺した
妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き刺し、高々と空に掲げ笑い合う日本兵
占領した町の人を布袋に詰め、ガソリンをかけ火をつけ、火だるまになり蠢く袋に手榴弾を入れ川に投げ込み、爆発させ水柱が上がるのを見て喜ぶ日本兵
川原に捕虜を並ばせ、次々に日本刀で首を刎ねる競争をした日本兵

そして、小平次が日本史を学びなおした数年前には、朝日新聞によるあの従軍慰安婦の強制連行の報道があったわけです
泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした



そんな話を数多く聞かされて小平次は育っていたのでありました
しかし、あらためて学んだ日本の歴史から、このような事をする日本人は長い数千年の、いや縄文時代まで遡ったとしても、この日本のどの時代にも地域にも見つける事はできません

戦後においてもやはり新渡戸稲造の言う「武士道」精神は少なからずこの国の人々の心にもはや本能のレベルで染み付いているように見えます

あの江戸文化を作り上げた日本人と、その過去における日本人は同じ日本人である

その後の明治、大正、そして現代の日本人も変質したところはあるかもしれませんが、その根っこにおいて同じ日本人であると感じる事ができます

ほんの十数年間、なぜ突如としてこのような、それまでの日本人ともその後の日本人とも全く一致しない日本人が登場したのでしょうか

冒頭で申し上げた通り、クリスチャンであった小平次にとっては、過去の日本の犯した戦争犯罪を日本人として真摯に受け止め、反省し、近隣諸国に謝罪し、その歴史を今の世に、後世に伝える
これはライフワークであり自我そのものであったわけです

日本史を自分なりに学び直し随分と認識は変わったものの、この大東亜戦争時の日本軍の蛮行については、それがまさか嘘だなどとは夢にも思っていなかったわけです
ですから、小平次の疑問というのは、本当にそんな事があったのか、と言うより、なぜ、あの江戸文化を作り上げたような日本人が、突然このように狂い豹変したのか、そういう疑問だったわけです

「戦争という狂気がそうさせたのだ」

などと考えてみました

いやいや、あの日露戦争時、凄惨を極めたであろう旅順の要塞戦などを経験しながらも日本人は決して狂う事などなく、むしろ武士道の精神を忘れたりはしませんでした

「日露戦争の時とは比べ物にならない高性能の近代兵器による戦闘の恐怖が、一層の狂気を生みだしたのだ」

いやいや、日本兵が蛮行を働いたとされる南京などは、占領後のことであって比較的落ち着いた状況ではなかったか、少女を誘拐拉致した朝鮮半島は日本の統治下にあったのだからもっと落ち着いた状況であったはずではないか
だとすれば、狂気により日本人が豹変したとは思えない

では、なぜ… 

「元々の日本人の根底にそのような残虐性があったのか」

いやいや、それこそ最もあり得ない
日本史を学びなおした小平次はそう思うのであります
もしそうだとしたら、それまでの長い歴史の中にもっとそうした事例が、残虐な文化が、数多く残っているはずです
しかし、見つけられるのはあの戦国の世においても、一般の民を巻きまないように配慮していた事や、できる限り田畑を荒らさないようにしていた、そんな記録ばかりです
このような事は世界史の中でもそうは見つけられません


小平次はこのような疑念を払拭すべく、またまた横浜の書店と図書館へ向かったのでありました


この頃になると、そもそも日本軍は大陸で蛮行など働いていない、などと主張するような本も目立つようになっておりました
あの「南京大虐殺」ですらなかったなどという主張まであり、小平次を驚かせます

それまでもそのような事をいう人はあったのでしょうが、小平次自身、そんな主張をするのは極端な国粋主義者であると思っておりましたので、手に取って見るような事はなかったわけであります
しかしながらそうは言っておられません


何せライフワークで、アイデンティティそのものの否定に関わる事なのですから


いくつかの、日本軍の蛮行などは「なかった」とする主張を読んでみます
全くそのような事に対する知識が無ければ、何の疑いも無くそれを信じてしまいそうなほどにそれらは理論的に、科学的に、物理的に良く書かれております
多少の知識を持っていた小平次でもうっかり信じてしまいそうなほどでありました

その後、このような日本軍の、南京大虐殺などに代表される蛮行につき「あった」「なかった」などと言うような事が、さらにもう少し時代を過ぎると、インターネットなども徐々に普及し始め、より大っぴらに、論争にまで発展していくようになります

「あった」と言う事に確信を持ちたい小平次はそのような論争にも目を向けます

日本軍の蛮行を世に、後世に伝えることこそ平和への道と信じていたがゆえに、その「あった」という事にいささかの曇りがあってはならなかったのです

本来小平次は「あった」派に肩入れをしたいわけですが、曇りがあってはならぬゆえ、逆に「あった」派の主張に厳しい目を向けていたかと思います
しかし、そのような事を差し引いても小平次から見てこれらの論争は「あった」派の方が不利なように思えました

それは、そもそもこのような論争においてどちらが正しいかという以前に、大体において「あった」派の方がヒステリックになりがちに見えた事が一つ

また、昨年朝日新聞が謝罪した「従軍慰安婦問題」などを見てもわかるように「なかった」派の反証に対し、説明がつかなくなると、少しずつ「あった」派の論点がズレて行くように感じたからです

「なかった」派の「これこれこういう理由でこのような事は無かった」という反証に対する回答は、数多の蛮行が事実であったと確信したい小平次としても何としても聞きたい事であったわけですが、納得いくような回答どころか、別な話にすり替わっていく感がどうしても否めなかったのであります




この写真は南京にて女性たちを性奴隷にするために連行しているところだとして割と大きく世に出回った写真でありますが、実は全く事実は違うもので、日本兵と地元住民が、ともに野良仕事をした帰りの写真なのだそうです
確かによく見てみれば笑顔の人もいます

日本軍の蛮行の証拠として出回った写真には、このような「実は違った」というものが数多く使われていたのですが、その事については「あった派」も認めており、認めた上で「一部の写真がニセモノだったからと言って日本軍の蛮行がなかったと言うことにはならない」と主張をしていたわけです

確かに写真がニセモノだったからと言って全てがウソと言うことにはならないでしょう
しかし、小平次はもっと根本的な疑問を抱かざるを得ません
それは、そもそも何故ニセモノの写真まで使って日本軍の蛮行を広めなくてはならなかった人たちがいるのでしょうか
その理由は何でしょうか

「何かしらの意図を持って、何かしらの目的のためにあえてニセモノとわかって使用した」
「全くの誤用で使ってしまった」

意図的にニセモノとわかっていて、と言うのは話になりませんが、とりあえず未だに「あった派」の人たちが言うのは「誤用」であったと言う事です

しかしそれにしても南京事件などについては東京裁判において死刑判決まで出ているのです
そしてそれは執行されているのです

先の写真のように大っぴらに公開しておいて「間違いでした」とは全く持ってお粗末ですし、さらにはそれに対して大した反省もないと言うのは、死刑まで執行されている事を考えれば、人としてどうかを問われても仕方ないレベルです

また、自ら「意図的にやった」と言う人はもちろんいないでしょうが、その「誤用」の多さからしても「意図的」と考えてられても仕方ないほどです

小平次は何かまたいやな違和感を覚えざるを得ないのでありました

それでも小平次は、やはり簡単には日本軍の、人とは思えぬような蛮行が「なかった」などと言うことを認めることはできません
かつての戦争中に起きたことについて、それまで信じてきた事、平和のためにと語ってきた事、行動してきた事、それら全てが根底から覆ってしまうわけですから

引き続きそのような論争を注視しつつ、自分なりにも調べたりしていたわけでありました
しかし、結局のところ、自分なりに調べると言っても限度がありますし、また、大学教授やその道の研究者が「あった」「なかった」と正反対の事を言い合っているわけですから、小平次のような一般人にとって、それらの論争から真実を導き出すという事にも自ずと無理があるわけで、最終的にはどちらの言っている事が信じるに値するか、しっくりくるのか、自分なりに結論を出す以外にはないのであります


もっとも納得のいく、しっくりとくる結論…


しかしある日突然それは訪れます

南京事件、いわゆる南京大虐殺についての論争を見ていた時の事
この南京大虐殺についての「あった」「なかった」論争について、その論点として必ず上がるのが、その大虐殺の犠牲者の数はどれほどだったのか、というものがあります

当初その被害者は約30万人(一部では40万人等の主張あり)と言われていましたが、それに対して「なかった派」は「そもそも当時の南京の人口が約20万人だと言うのにどうやって30万人もの人を殺すのだ、また占領前、蒋介石国民党軍の非道な振る舞いによって乱れていた治安を、日本軍の占領によって治安が回復し、人口が25万人まで増えている」と反論するわけです

これに対しては「あった」派においても、比較的冷静に主張する学者さんたちは、実のところ30万人と言うのは信憑性がないだろうというのが割と多数を占め「数万人から10万人前後の規模であったろう、だが問題は数ではない、数万人でも虐殺は虐殺だ!残虐行為があったのは事実だ!」と言うわけです

「数の問題ではない」

その通りであります
しかし、やはり小平次はもっと根本的なところで大きな疑問、というか結論に達してしまったのであります

「10万人」

仮に南京での犠牲者の数が10万人といたします
この「10万人」という数、それは広島における原子爆弾投下による犠牲者の方々の数とほぼ同じです
また、東京におけるB29による計画的虐殺を目的とした空爆の犠牲者の数ともほぼ同じです
つまり、南京において

「核爆弾を投下した」

のと同じ規模の破壊力によって虐殺が行われたということになります

そもそも日本軍は慢性的に弾薬等が不足していたというのにそれを戦闘以外で無駄に使うなど考えられないし、当時の日本軍の武器によってこれほどの規模の虐殺をするなど物理的に不可能である
というのは一部なかった派の主張でありますが、小平次が感じたのはそれ以前の疑問であります

広島は一瞬にして、東京は一夜にして、南京は数週間から2か月くらいの間に渡って(この辺もあまりはっきりしていません)虐殺が行われた

時間をかけて虐殺したのだから、広島や東京と同等に扱うのはおかしく、物理的にも可能だった、とのあった派の主張もあるようですが、規模として10万人の虐殺という事に変わりはありません

想像してみてください

仮に10万人もの人が1ヶ月の間で虐殺されたとすれば、毎日3,000人以上の人たちが、嬉々とした日本兵に腹を銃剣で切り裂かれた上、赤ん坊を突き刺され、袋に詰められガソリンをかけられ火をつけられ爆殺され、並ばされて次々と刀で首を切り落とされ、その他、人が想像すらし得ないような残虐な方法で殺されたという事になります

1ヶ月もの間、このような阿鼻叫喚の地獄絵図が核爆弾並みの破壊力で繰り広げられたのです
明日は自分が、明日は自分が…、人々は恐怖のどん底であったでしょう

南京の人口が、なかった派の主張通りではないにしても、10万人の虐殺と言うのは、ほぼ首都としての南京の町が壊滅するまでそれは続いた事になりましょう


小平次はここではたと思ったのであります
もし、それが事実であるならば、もうそれが起きた時点で、広島や東京と同じく歴史に刻まれるのではないか


つまりそれは


「あった」とか「なかった」とか

写真が「ニセモノだ」とか「本物だ」とか

目撃者が「いた」とか「いない」とか

そんな次元で論じ合うようなレベルの話ではないのではないか
議論の余地すらないのではないか

一殺人事件の裁判映画のごとく、検察と弁護側がアリバイが「ある」とか「ない」だとかのレベルの話ではないのではないか

名探偵コナンの密室殺人事件の謎解きのごとく「可能だ」とか「不可能だ」とか、そんなレベルの話ではないのではないか

10万人規模の阿鼻叫喚の地獄絵図のような虐殺が事実であるならば、一切の「なかった」などと言う反論は、議論の対象にもなり得ないだろう

もっと言えば、ニセモノの写真などを使っている時点で、それを暴かれた時点で、あった派の主張の論点が少しずつズレていく時点で
新たな証拠などを次から次へと出さなければ反証に対する立証ができなくなっている時点で
そもそも「あった」「なかった」など、そんな議論が成立している時点で


これは、南京大虐殺などは事実ではないのだ

小平次は何かが自分の中で崩れ落ち、頭が急速に冷めていくのを感じました

そうした冷めた頭でもう一度日本軍の蛮行なるものに目を向けてみます

妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き刺し高々と空に掲げ笑い合う日本兵
占領した町の人を布袋に詰め、ガソリンをかけ火をつけ、火だるまになり蠢く袋に手榴弾を入れ川に投げ込み、爆発させ水柱が上がるのを見て狂喜する日本兵
川原に捕虜を並ばせ次々に日本刀で首を刎ねる競争をした日本兵
泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした日本兵

…、

小平次の心の奥から何かがささやきかけます


「ああ、これは作り話だ…。」


なぜそう感じるのか
それはもう本能がそう感じるのだとしか言えません

さらに小平次は、それまで手にしながら一度も目を通す事のなかった、神風特攻隊の隊員が家族に宛てた最後の手紙、言わば「遺書」を読んでみます

その手紙の書き主は、まだ未婚の若き兵士たちが多かったようで、ほとんどが両親に宛てられたものでありました

自らの死が目前に迫りながらも、決して取り乱すような事も無く

「祖国のために、自分は喜んで出撃するのでありますから、決して悲しまないで下さい。何よりもろくに親孝行もできなかった事をお許しください」

そんな言葉でつづられておりました

決して死ぬことが怖くなかったわけではないでしょう

死にたかったわけではないでしょう

しかし、そう言ってしまえば

「本当は死にたくなんかないのだ」

そう言ってしまえば

その思いが届いてしまえば

遺された両親がどれだけ悲しむだろうか

だからこそ、遺された家族が少しでも悲しまないよう

「喜んで行く」

そう言ったのでしょう

そして、それを受け取った家族は、心の底でどれだけ悲しい気持ちがあったとしても、決して息子は犬死などしたわけではなく、この日本のために、日本の将来のために、その礎となったのだ
せめてそう思うしかなかったのでしょう

それらを読み進めるうち、小平次は高潔な若き兵士たちの言葉に、涙が止まらなくなりました

白人キリスト教国家の、人種差別を基盤とした帝国主義による横暴極まりない植民地支配が続く中、多くの兵士の心情はまさに

「家族を守るために」

その思いで戦場へ向かったのでありましょう

その精神は、ずっとこの日本において太古の昔から、連綿と育まれ受け継がれてきた武士道の高潔な精神そのものであります


日本史を学びなおし、その中で感じた日本人、卑怯を嫌い、争いごとを好まず、本来穏やかでのんきで、思いやりがあり、素晴らしい文化を作り上げてきた日本人
明治以降、不器用なまでに国際ルールを守りながら世界と必死に渡り合っていた日本と日本人の歴史を突然断ち切り、突然発狂したかのように現れた大東亜戦争時の残虐極まりない日本人
そして、国を挙げて残虐行為を指示していた日本


何故、そのような日本が、日本人が、突然現れたのか
その理由を知ろうと色々と調べてきました

そしてその結論は



そんな日本も、日本人も

存在していなかったのです


特攻隊員の遺書を読み、涙が止まらなくなった小平次の中で
ようやく長い日本の歴史の断ち切れた十数年が繋がったのでありました



さて、その後の小平次でありますが、自分がそれまでの生涯信じて、ライフワークとして、自我の一つとして、自身を形成していたものが徐々に崩壊していく事となります

自我が崩壊するという事はなかなかに大変な事でありまして
少しずつ自身の変質をもたらします


ほどなくして、小平次はそれまで自分の全てと言っても良かったキリスト教と決別いたします
その理由は、決してキリスト教の教義そのものを否定したものではありません
今でも新約聖書のイエスの言葉は素晴しいものであると思っております

しかしながら、「神の言葉」として書かれたと信じていた聖書は、まごうことなく人間の知恵によって、人間の手によって書かれたものである、と確信したからであります
そしてそれは、間違いなく西洋白人社会において、時の為政者、権力者によって修正されたものであると確信したからであります

キリスト教に限らず、宗教とは、神という外部の力によって自身を律し、世の中の秩序を作るものです
世界のほとんどの国が、この宗教、もしくは社会主義のような思想といった外部からの力によって秩序を作っております


しかし日本は、数千年、いや、数万年前からの長きにわたり育まれた武士道に代表される己の内から作り上げられた精神、道徳によって秩序を守ってきた国です
そしてその精神は決して争いごとを好まず、平和のためになすべき術を包含しています

日本という国が、外国との戦争や内戦の数が、同じ島国であるイギリスとは比べようもないくらい少ない事、犯罪の発生率が世界でもトップクラスに少ない事
これらはその精神に由来するものでありましょう

その精神と道徳こそが、キリスト教を始めとして宗教では成しえなかった真の平和をもたらすものだ
そう確信したからです


とは言うものの、そういう自身の変質は、小平次から様々なもの奪っていく事となります


友人、知人、家族、その他大切なものを失い、故郷を失い、やがてはその変質に耐えられなくなり精神的に失調をきたし、精神科に通い、時に自身をコントロールできなくなり、それでも人を傷つけるわけにもいかず、自分の左腕を切り落とさんとして包丁で何度もたたきつけ、血まみれになった事もありました
それでも死ぬまでは考えなかったのは、やはりキリスト教の教えがどこかに染みついていたからかもしれません

自我の崩壊とはそんな事なのであります


それでもその後、今の妻と出会い、救われ、娘を授かり何とかささやかながら幸せに暮らしております

そして今思う事
冒頭に述べた通り


「日本人とは世界で最も争いごとが嫌いで、世界で最もそれを避けるための術を知っている民族である。そしてその術とは、天皇陛下を頂点に戴き、民が一つとなる、その国体こそが平和のための最善の形なのである」

「明治以前の日本は、決して暗黒国家などではなく素晴しい文化文明を育んだ国であり、それ以降は、白人の人種差別による支配と敢然と戦い、アジアの解放の一助をなし、自らの国体を守り切った」

「そのような歴史を創りあげてきたわが先人たちは、まさに英霊であり、心から敬うべき存在である」

と言う事です

そして、家族を守るため、そのゆえに国を守るため、日本の、子孫の、その平和のための礎とならんと戦地に赴いた先人たちにきせられた汚名を晴らさんと願うばかりであります

さて、小平次が真実を感じ取ってから約二十年、いまだに南京虐殺を始め「あった」「なかった」の論争は続いております
ネットの普及により素人も参戦して舌戦を繰り広げております

真実を知ろうとそのような論争に目を向けている方がおられましたら、ぜひ小平次から申し上げておきたい事があります

学者さんや専門家の人にすらそういう人がいますが、主にネットなどで「あった」「なかった」と論じ合っているその論調、口調ををよく見て下さい
まるで罵り合いです

とくに「あった」派の主張を気をつけてみてください

もし、自分の父や祖父、または知人が、過去の大戦中先に上げた例のような蛮行に加わっていたとしたら、身内でなくても、その世代の同じ日本人がそのような蛮行に加わっていたとしたら、自分が日本人としてどんな気持ちになるでしょうか
その真実を知ったら、蛮行の証拠を自ら掴んでしまったとしたら、どんな気持ちになるでしょうか

たとえようもなく辛く、悲しい気持ちになるのではないでしょうか
それでも平和のために真実を伝えようと、その蛮行について語るとしたら、それはとても悲しく辛い行為になるでしょう

かつての日本軍の蛮行を「あった」と言う人たちの口調を見てください

「ほうら見ろ!これが証拠だ!やっぱり日本人は極悪なのだ!ざまあみろネトウヨ!」

嬉々として蛮行が「あった」事、日本軍の「残虐性」を主張しているものが非常に多くあります
口調は穏やかなものでも、同じ日本人の行為として、とても悲しく辛い気持ちを抑えてでも伝えようと言うよりも、まるで他人事のように語っているものばかりです

小平次は思います
この人たちは日本人ではないのです
もし、日本人だとしたら、何かの思想に偏り、そうする事で利益を得ている人たちか、以前の小平次のように無知であるが故、エセな平和主義に酔っているだけでしょう


漠然と「昔日本は悪い事をした」と
そう思っていながら少しでも真実に近づこうという方がおられましたら、どうか学んで下さい
様々な主張が出回っておりますが、それを自らの感性で感じ取ってみてください

それでも真実について迷うのであれば
小平次はぜひとも靖国神社に参拝する事をお勧めします

そして、靖国神社の「遊就館」を訪ねてみてください
かつて戦地に散った英霊たちのたくさんの遺書、最後の手紙を読む事ができます

「あった」「なかった」などとネットの罵り合いを聞いているよりも、それこそ、その道の専門家同士の言い合いをいつまでも聞いているよりも、その直前においてのご本人の、英霊の皆様の声を聞いてみたら良いと思います

そして、その声を聞いて、素直に感じるままに受け止めれば良いのです



歴史とは決して断片でも平面でもありません

特に我が国日本は、三万年前の古代日本人から縄文時代の遺伝子をいまだ多く引き継いでいます
これは世界でも珍しい事です

今の日本、日本人、そして私たちは、その長きの歴史の中で育まれた文化文明の国に生まれてきたのです
その文化文明を、必要以上に誇る必要もなければ必要以上に卑下する事もありません

それでも先人たちの振る舞いをみて「誇らしく」思う気持ちを抑える必要もないでしょう
そして、その振る舞いから多くの事を学ぶ事ができるでしょう

かつて小平次は、何かの試練に直面し、勇気を奮い立たせねばならぬような時

「神様が、イエス様が守って下さっている!」

そう心に言い聞かせました

今は
これから敵艦に自ら体当たりをするという直前にもかかわらず、凛とした高潔な先人たちの振る舞いを思い

「これくらいの事で挫けてどうする!」

先人たちの「その時」の心に思いを馳せれば、何と自分は恵まれている事か、そしてそれはまさにその先人たちの辛くも悲しい、それでもなお高潔な生き様があってこそなのだ
そう思わずにはいられないのであります



御免!

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