こんにちは!
小野派一刀流免許皆伝小平次です
本日は日航機事故のお話です
これまで、2回ほど、あの航空機事故史上最大の事故、日航123便の事故の記事を書いてきました
これまでは、簡単な概略と、陰謀論めいたお話をさせて頂きました
今回からは、そもそも、この事故の何が疑問視され、巷で陰謀論的な話が出ているのか、ということのまずは原点的な話をしたいと思います
小平次は、以前より、この事故について陰謀論的なことを言っている人たちがいたのは知っていました
小平次自身、そういうこの事故の陰謀論的な話には興味もなかったのですが、
ワタナベケンタロウさんというyoutuberの方が、この事故の疑問についてかなり詳細に、当時の記事、海外のものまでも含めて検証している動画をたまたま見て興味をもったのです
それは、一番最初の記事で書きましたが、123便が離陸後、垂直尾翼にアクシデントが起こり、迷走しながらも米軍の横田基地に着陸を試みた、という話がどうも無かったことにされているようだ、というのを知ったからでした
123便が、横田基地に緊急着陸をしようとしていた話は、当時普通に多くの人が知っていましたし、コントロールが効かず断念したと、つい数か月前まで小平次の記憶にはそうあったのですが、横田着陸の試みが無かったことになっているとは夢にも思わなかったのです
もし、多少無理な形であっても、何とか着陸できていれば、あれほどの犠牲者は出ずに済んだのではないか、本当に悔しく残念な思いをしたことを鮮明に覚えています
『無かったこと』
とはどういうことなのでしょうか
まず、事故後の事故調査委員会が作成した123便の飛行ルートがそのようになっていないことが一つ
また、公開されたボイスレコーダーに、横田米軍管制からの打診に対し、高濱機長以下、コックピットからの応答が無く無言になっていて、不自然であることが一つ
さらに、実際、高濱機長が横田基地に対し着陸を試みると応答した、とする事故直後の海外の複数のメディアの記事も見つかっています
そうした状況から、ボイスレコーダーが『改竄されている』可能性を指摘している人もいますが、単に応答できる状況ではなかった、そもそも垂直尾翼が吹っ飛び、物理的に横田の着陸自体無理で、着陸を試みる自体が無かったという人もいます
ボイスレコーダーの改竄については、他にも、事故直後の取材で出た、高濱機長のいくつかの言葉が、公開されているボイスレコーダーから消えているものもあります
小平次が思うのは、確かに操縦が難しい状況で、付近に住宅街のある横田着陸は困難であったかもしれませんが、羽田管制から『名古屋空港』も緊急着陸の準備を整えている、と打診され『羽田に戻りたい』と高濱機長は応答しています
それは、おそらく現在地から考えて羽田の方が近かったことがあげられると思います
公開されたボイスレコーダーの必死のやりとりからは、高濱機長が自らを含め524人もの命を預かる状況で、無事にどこかへ着陸することを諦めていたとは到底思えません
であれば、横田着陸は難しい、と言っても、羽田よりは近い上空にいたのですから、まずは横田基地着陸を考えたのではないか、と思います
ここで、ちょっとウィキペディアでこの事故についての『報道』について見てみます
『
NHK総合テレビジョン・NHK衛星第1テレビジョンは19時26分、『7時のニュース』の終了直前に短く第一報を伝えた[186]。』
wikiは、この事故の第一報はNHKの19時26分だとしています
wikiでは、第一報について、これ以前に出ていたものが書き替えられているのですが、wikiとはそういうものなのでしかたありません
また、事故後、この事故の特集番組や回顧録などで、複数のジャーナリストやテレビ関係者が、第一報はNHK7時のニュースの終わりころ、松平アナウンサーがニュースを読んだと言っていますので、公式にも事故の第一報はNHKの19時26分、とされています
ところが、ワタナベケンタロウさんの動画のコメント他、この19時26分よりもだいぶ前、19時以前にいくつかのテレビでニュース速報としてテロップが流れ、それを見た、という人たちが多数いるのです
『18時40分ころ、羽田発、大阪行きの日航機が消息を絶ちました(レーダーから消えました)』
123便の墜落時刻は18時56分です
これはゆるぎないもので確定しています
その上で18時40分というと、墜落前ということになります
墜落前にレーダーから一度消えた?
該当時刻、123便を補足していたレーダーは三箇所あったそうですが、そのうちの一つでレーダーから消え、羽田常駐の報道関係者が速報として局に報告したのかもしれません
18時40分から45分くらいには、123便は、神奈川県座間市から『
北東約33Km』付近の上空にいた、と当時の夕刊フジの報道が見つかっています
しかし、事故調査委員会の事故報告による航跡では、この時刻、123便は座間市から『
北西約33Km』大月から八王子付近、を飛んでいたことになっています
夕刊フジの報道による、座間市から
北東約33Km付近は、まさに横田基地にほど近い場所になります
レーダー3基の内の一つ、箱根山のレーダーは、もし、123便が座間市から
北東約33Km付近、高度を2000m以下くらいまで下げていた場合、その角度にある、箱根町白銀山が障害となり、123便を補足できなくなった可能性があるそうです
もし、123便が座間市から
北東約33Km付近を飛行し、さらに高度を下げていたのであれば、それはまさに横田への着陸を試みようとしていたのかもしれません
さて、現時点でこれらはあくまでも推測でしかありません
しかし、wikiだけではなく、複数の報道関係者等が、事故の第一報はNHKの19時26分、としながら、19時前の速報を見た、という人が大勢いる、『38年前の記憶なんてあてにならない』と、この速報自体を『陰謀論』的に言う人もやはり大勢いるのですが、速報目撃者の中には、『当時19時閉店のデパートに勤務をしていて、閉店の前に速報を見た』というような、当時の仕事やルーティンに絡めて『19時前の速報』をリアルに記憶している人たちも多数います
事故から数年後、関係者の回顧録などにも、19時前に速報を見て慌てて対応準備に入った、といった証言も見つかっています
それでもこの速報は流れたことになっていないのです
箱根のレーダーから消えたとき、まさに高濱機長以下、クルーたちが決死のYokota landingに向けて高度を下げていたのかもしれません
もし、横田へ着陸しようとしていたことが事実であれば、なぜそれを無かったことにしようとしているのか
それを裏付けるかもしれない、墜落前の速報が無視され、第一報がNHKの19時26分と固定され、テレビ等に露出する関係者が一様に口を揃えるのはなぜか
38年前、インターネットも無く、今よりは情報の統制が容易だった時代のできごと、ネット時代になって明るみに出て来たいくつかの事実、真相の究明が待たれます
これらは、現時点では物証もなく、全ては推測であり、『陰謀論』と一蹴されることかもしれません
事故調査報告の通りだったら、それはそれでいいんです
しかし、そもそもボーイング747は、修理ミスどころか、設計ミスの欠陥機であった、との指摘も出てきています
日航のその杜撰な整備体制、ボーイング社の想定していた月間の飛行回数をはるかに上回って飛行させていた利益第一主義の姿勢などが、内部告発されていたこともわかってきました
航空機、鉄道、バス、といった公共の交通機関、これだけの大事故の原因、真相の解明は、ご遺族の方のみならず、日常で利用する私たちの生活にも直結することだと思います
何より、あったことがなかったことにされる、あったことがなかったことにされる、これほど残酷なことはありません
現在も、多くの情報が統制され、ネット時代になり、あからさまにおかしなことが起きていると多くの人が感じても、メディアはだんまり、もしくは一方的に誘導しようとしています
それが38年も前のことであれば、なおのことです
少しずつですが、この事故に対する疑問などを今後も書いて参りたいと思います
御免!