さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹 ⑩ 『なぜかインド映画鑑賞』

2019-12-29 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております。

前回、ラームに誘われ買い物、支払いをインドルピーでしようとしたところ、これまで提示した金額は全部アメリカドルだと聞かされ、まさかの150,000円に意気消沈していた私…、ダッカで知り合ったK君も約束のSホテルにたどり着いておらず、私はその日の夜行で次の目的地プリーへ無理やり旅立つことに。

夜行列車の出発までの時間、ラームたちとともに映画を見ることに…

というところまででした

さて、つづきです


***********************


 今夜のプリー行の列車の予約に好青年が走り、おれとラームは近くの映画館へ。
 賑わう映画館の前で好青年を待つ。

 ちなみにこの時のおれの格好は、インド男の民族衣装、丈の長いシャツにズボン、ピチピチの偽カシミヤセーターを着て、腕にはCASIOと手書きで書かれたプラスチック製デジタル腕時計、背中には迷彩柄のエナメルリュック、のままである。

 インドは映画大国である。年間に800本以上もの映画が作られているそうだ。800本!と言えば一日に2本以上の映画が作られていることになる。どれだけ映画好きなんだ。

 ややもして好青年が戻ってきた。今夜のプリー行夜行列車のチケットが無事にとれたそうだ。これでおれは、何一つ自分で決めたわけでもないのに、否応なしに明日の朝には南の街、プリーにいることが決定的となった。

 チケットを買い、中へ入る。汚く騒々しい。
 満員と言うほどではないが、少々混雑した劇場内、おれたちは比較的後ろの方に並んで座り上映を待つ。

 おれがインドへ来る前に聞いていた、インドの黒ウワサがいくつかあった。その内の一つに

『ガンジス川には死体が流れている』

 というものがあったが、当初おれは、いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、川に死体が流れていたら、殺人事件かもしれないではないか、いやいや、いくらインドだからって、そんな奴おれへんやろ! と思っていたわけだが、今朝、ガンジスの支流、フーグリー川を見に行ったさい、それが事実であることをラームから聞いた。目の前の、川イルカすら住むという大河、その岸辺のゴミの山、沐浴の人々、確かに死体が流れていても何ら不思議はない、そう思わざるを得なかったのだ。
 その他に聞いていた黒ウワサ。

『インドの田舎の方では、お嫁さんが嫁入りしたとき、その嫁入り道具が少なかったり、みすぼらしかったりすると、姑が怒ってお嫁さんを焼き殺してしまう、といことがある』

 というものがあった。それを聞いたときのおれの感想はこうだ。

『いやいや、いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、いくらインドだからって、そんな奴おれへんやろ! 』(大木こだま・ひびき風)

 であった。さて、その件につき、おれはこの映画館で真実を知ることになる。

 館内が暗くなり、幕が上がる。まずは予告編のようなものが始まる。英語の字幕が下に出るので、どうにか内容を理解することができる。
 一通り予告編のような映像が流れ終わると、少し毛色の違う、何かの再現フィルムのようなものが流れ始める。

 あるどこかの家、若い女性が椅子に座り、編み物のようなことをしている。そこへ、高齢の女が入ってきて、鬼のような形相で若い女性に向かって怒鳴り散らしている、と言っても無声なので、あくまでも映像だけである。やがて怒り狂った高齢女が、何かの液体を若い女性に浴びせ、マッチに火をつけ、逃げ惑う若い女性めがけて火を放つ…。画面いっぱいに炎が広がり、映像は終了、最後に現地語と英語のテロップが流れる。要約すると

『お嫁さんを焼き殺すのはやめましょう。インド政府広報』

 といったものだった。

 おれは唖然とした…。『お嫁さんを焼き殺す』習慣がまだ残っている…、事実であったのだ。インド政府広報、というのが何とも生々しいショックを与えてくれる…。

 さて、肝心の映画は。

 とある高校、その裏庭の花畑、そこを、一体このカルカッタのどこにこんなインド女がいるのだ、と言いたくなるような美しい、おそらくは女子高生のヒロインと、これまた美しい仲間たちが歩いている。美しい女たちが、美しい花と戯れていた、かと思うと、突然不可思議なインド音階に乗り、女たちが艶めかしく踊り出す。

 と、それを校舎の方から見ていた、おそらくは、とてもそうは見えないが高校生の男、主人公とその仲間(子分)たち、彼らが女たちの踊りの輪に加わる、突然場面と音楽が変わり、今度は校舎内で男女が入り乱れ踊り出す、踊りが終わると、何がどうなればそうなるのかわからないが、主人公とヒロインがカップルとなる。

 その後二人は時に踊り、時に歌い、幸せな時間を過ごしていく。
 ある日のこと、高校の不良のボス、と手下たちが、この美しいヒロインに目をつける。一人で下校中のところを襲い、乱暴狼藉を働こうとしたところへ颯爽と主人公と子分たちが登場、瞬く間に不良グループをやっつける、覚えてやがれ!風に逃げていく不良たち。

 不良たちは一度アジトのような所に戻り、作戦を練り、復讐を誓う。『高校生』であるはずだったが、彼らは拳銃などの武器で武装し、ヒロイン宅を襲う。そしてヒロイン一家を惨殺し、ヒロインを拉致して去っていく。

 それを知った主人公、怒りに打ち震えながらも、子分たちを従え、『高校生』であるはずだが、拳銃、マシンガンなどで武装し、敵のアジトへと向かう。この時、主人公は子分のバイクの後部座席に乗って行くのであるが、どういうわけかバイクの後ろで立っているのである。座席をまたぎ立っているのではなく、座席の上に腕を組んで立っているのである、どうやったらあんな曲芸みたいなことができるのであろう…。

 敵のアジトの廃墟ビルに到着。もう最初の学園ものっぽい雰囲気は微塵もない。着くなりいきなりドンパチが始まる。凄まじい撃ち合い、彼らが高校生であることはもうこの際問わない。
 主人公たちは次々敵を撃破、遂に不良グループのボスを追い詰める。追い詰められたボスは、ヒロインの手を引き、上の階へと逃げる。後を追う主人公、と思ったら追わない…、いきなりその場でジャンプして、天井を突き破り上の階へ飛び上がる…。

 学園恋愛ものから、ギャングアクションもの、ついにスーパーマン系、アクションヒーローもの映画になってしまった。
 ボスを追い詰めた主人公、天井を突き破った瞬間に思わずボスがヒロインの手を放したことを見逃しはしない、その場でマシンガンでメッタ撃ち、ハチの巣となったボスはビルから転落、絶命…。勝利した仲間がまたしても最後に踊りだし映画終了…。

 以上のように内容は実に下らない、単純でハチャメチャなストーリー、これを休憩をはさみ3時間半も見せられたのだ。

 映画館を出ると、辺りは少し薄暗くなっていた。
 げんなりとしているおれとは逆に、ラームも好青年も興奮した面持ちである。

『面白かったろ!』

 とラーム。

『こんな映画、日本にはないだろ!』

 と好青年、

『ああ…、確かにこんな映画は日本にはないよ…。』

 ここでラームが突然おれに別れを告げる。

『コヘイジ、ボクもそろそろブッダガヤ―へ帰るよ、この2日間、とても楽しかった、おかげでいい買い物もできた、ブッダガヤ―へ帰ったら君に手紙を書くよ、インドを楽しんでくれ』

 後は夜行列車に乗るまで、好青年が面倒を見てくれると言う。

 この街に来て、人、犬、羊、牛、車、バイク、リクシャ、騒音とゴミ、その圧倒的なパワーに気圧され、何一つ自分の意志で行動できないまま、南の街、プリーへ向かうべく、おれは好青年に連れられ、大河、フーグリ川に架かる橋をタクシーで渡り、カルカッタのメインステイションへと向かうのであった。


************************

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年 今の自分自身の感想
インドの黒ウワサは、この他にもあと2つほど聞いていました。それらの真実をいずれまた知ることになります。いずれにしてもすごい国です、インド。




 
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インド放浪 本能の空腹 ⑨ 『ラームと買い物 衝撃的な結末』

2019-12-20 | インド放浪 本能の空腹


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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております。

前回は、カルカッタ到着早々知り合ったラームという男に連れられ買い物へ。

そこで家族や友人、知人、付き合っていた彼女へのお土産を買い、買い物のお礼にと、店が出してくれたインド料理とビールにすっかり機嫌をよくした私…。

調子に乗って森進一の『 襟裳岬 』まで歌ってしまった…、というところまででした。

では続きをどうぞ!


******************************

 おれが 『 襟裳岬 』 を、ワンコーラス歌い終えると、場は一息ついた雰囲気になり、そろそろこの宴も中締め、といった空気が流れていた。その空気を察し、おれは言った。

『ラーム、そろそろ、ボクはダッカで日本人の友人と待ち合わせの約束をしたSホテルへ行きたいんだけど…。』
『ああ、そうだね、そろそろ行こう、じゃあ、その前に買い物の支払いを済ませてしまおう』

 おれは、何かを買うたびに好青年から渡されていた値段の書いたメモ紙をもう一度確かめた。全部で合計1500、1500ルピー、日本円で約7500円、間違いない。昨日空港で両替したのが、2000ルピー、ラームに紹介されたホテルで支払ったのが150ルピー、残り1850ルピー、一応手持ちの現金で足りるが、残りが350ルピーでは心もとない、無事にK君と出会えたらすぐにまた両替が必要だ。
 そんなことを考えながら、おれは札入れから1500ルピーを取り出し、好青年の前に置いた。
 ところが、好青年もラームもキョトンとした顔をしている。おれは手のひらを金に向け、確かめてくれ、という風にうなずいた。だが、二人は相変わらずの表情だ。少し間をおき、ラームが首を振り苦笑いをしながら口を開く。

『コヘイジ、ナイス・ジョークだ』
『へ?ジョーク……?』

 おれの様子を見て、ラームが少し真剣な顔になり言う。 

『コヘイジ、本気でやっているのか?』
『へ?何が?1500ルピー、このメモ紙の合計、間違いないと思うけど…』
『おいおい、コヘイジ!何を言っているんだ、さっきの買い物、その紙に書いてあるのは全部アメリカドルの値段だぜ!』
 

 ああ!そうなんだ…、アメリカドル…、それなら最初からそう言えばいいのに…、紙には数字しか書いてないから…。

 ん!? 

 アメリカドル!?

 と言うことは…、1500ドル!? ん? ん? 1500ドルっていくらだ? 今…、レートが1ドル100円くらいか…、ということは…、 ん?  1万5千円? ん? いや、ちがう…、 え? え?

15万円!!!!! 

ええええええーーーーーーーーー!!!!!!

 この時のおれの狼狽ぶりっていったら、もう大変なものだった。そりゃそうだ。7500円だと思っていたのが20倍になってしまったのだから…。

『ラーム……、ええっと…、その…、』

 おれはどうにか今の買い物をなかったことにできないだろうか、くらくらする頭で必死に考えた。だが、おれの買ったシルクやらなんやらは、ハサミを入れられスカーフサイズに切られたりしているのだから、その時点で返品はアウトだろう。しかも、ご丁寧に包装され、すでにせむし男が日本へ送るべく郵便局へ走っている…。どう考えても手遅れだ…。

『ラーム…、でも…、ボクはこれを全部インドルピーだと思っていたから…』
『コヘイジ…、いくらなんでもそんなはずないだろう…、シルクだぜ』
『でも…、ボクは今、そんな大金持ち合わせていないよ…』

 それを聞いて、恰幅のいい店のオーナーが口を開く。

『トラベラーズチェックデOKネ!』

 え?こんな店でトラベラーズチェックで買い物ができる?

『サインダケデOKネ』

 こんな店で、トラベラーズチェックにサインするだけで買い物ができてしまうのでは、全くトラベラーズチェックの意味がない…、安全性もへったくれもない…、さすがインドだ…。

『でも、ラーム、今そんなにお金を使ってしまったら、ボクはこの先旅ができなくなるよ…』
『コヘイジ、何を言っているんだ、キミはこのインドで1か月過ごすのに、一体いくらかかると思ってるんだ、300ドルもあれば十分だよ、キミは昨晩、ボクに3000ドル以上持ってきていると言っていたじゃないか、ここで支払いをしても、十分ビザの期限いっぱい、好きなだけキミはインドを旅できるじゃないか』 

 ……、それは確かにラームの言う通りなのだが、ここはインド、この先何があるかわからない。おれが一番心配していたのは、万一、Biman Bangladesh Airlinesの1年オープンチケット、これを失くしたり、何かあって使えなくなったりした場合の帰りの航空機の手配のことだった。最悪新たにチケットを購入しなくてはならなくなった場合の最低の金だけは残しておきたかったのだ。
  Biman Bangladesh Airlinesのチケットを手配してくれたのは、旅行会社に勤めるおれの親友の彼女だった。彼女は言った。

『小平次さんなら心配ないと思うんですけど、ビーマンは安いんですけど、すごくルーズな航空会社で、帰ろうと思ったら家族が死んだくらいのこと言わないとなかなか予約がとれないかもしれません』

 そんなことを聞かされていたものだから、いくらラームの言う通り、と言ってもおれは動揺をかくすことはできなかった。しかし、どう考えてももうここは支払うしかないようだった。おれは仕方なく鞄からトラベラーズチェックを取り出し、1枚切ってはサイン、1枚切ってはサインを繰り返し、1500ドル支払ったのだった。
 インドへやって来てまだたったの1日、おれは金持ちのラームに付き合い、高額な買い物をしてしまった自分を責めた。

『よし、じゃあコヘイジ、早速Sホテルへ行こう』

 意気消沈するおれは、ラームに励ましだか、慰めだかわからない言葉をいくつかかけられ、その店を後にした。
 外でタクシーを拾う。どういうわけか店の好青年もついて来る。すぐにサダルストリートに着く。
 昨夜の喧騒と混沌、すさまじいポン引きと物乞いの攻勢、明るい時間に来ると、さほどでもないような気がした。と言うより、15万使ってしまった衝撃の方があまりにも大きかったことでそう感じただけかもしれない。

 『 インド博物館 』がようやくどこにあったのかがわかった。博物館を右手に見ながらサダルストリートを歩く。中ほどで右に折れるとSホテルはすぐに見つかった。こうして落ち着いて歩くことができたなら、実にわかりやすい場所にSホテルはあった。
 決してきれいなホテルではないが、インドを安く旅しようと思えば、まあいい方のホテルだ。
 フロント、と言っても机があるだけだが、そこに座っていた髭づらの男に尋ねる。

『昨日、日本人の男がこのホテルにチェックインしたと思うんだけど…』

 髭づらの返事は…、

『昨日日本人は泊まっていない』

 え!そんなはずは…、もう一度尋ねるが返事は同じだ。
 K君!君もSホテルにたどり着けなかったのか!
 K君、一体どこに!
 
 自転車でインド半島最南端まで行こう、と言うのだから、近くにいれば目立つかもしれないが、人だらけのこの街で見つけるなんてことは不可能だろう。

『コヘイジ…、残念だったね…、でも、それならばコヘイジ、もうこのカルカッタに用はないだろう、キミは南のマドラスを目指し、次はプリーの街へ行くって言ってたね、それならば今晩の夜行列車に乗れば明日には美しい海のあるプリーだ』

 え?え? 今晩の夜行? そんな急に言われても…、おれは一応このカルカッタに一週間くらいはいるつもりだったのだ。まだ自分の力で何もしていない…、それをもう、いきなりこの街を出ろと?

『コヘイジ、カルカッタなんか買い物が終わったら、汚いだけで何も面白いことなんかない街だ、それに比べてプリーはとてもきれいだ、さっさと次の街へ行った方がいい』
 

 それを聞いて好青年が言う。

『だったらボクが今晩の列車のチケットを予約してきてあげるよ!』
『それはいい!よし、コヘイジ、出発までは時間がある、それまで映画でも見に行こう!』

 ラームが好青年に、どこどこの映画館だ、と言うことを伝え、チケットを持って好青年が後から合流することとなった。もう何がなんだかわからない、昨晩この街に着き、凄まじい喧騒と混沌、ポン引きと物乞いたちに圧倒され、ラームに助けられ、紹介されたホテルへ、そして今日、朝から連れられちょっと市街を眺めて買い物、酒を飲んで歌って、15万払って、これから映画を見て、それから夜行列車に乗って明日の朝には南の街、プリーにいる、何一つ自分で決めたわけではないのに…、本当にもうわけがわからない…。

 金持ちのラームに付き合い、15万も金を使ってしまったことに対する自己嫌悪にさいなまれ、眩暈すら感じながら、おれはラームとともに映画館へと向かった。


 おれは後に、この買い物の衝撃的な真実を、衝撃的な形で知ることになるが、当然、この時のおれはまだそれを知らない。




******************************* つづく

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年 今の自分自身の感想

この時はですね、本当にショックでした。たった1日のできごとですが、本当に何が何だか、ジェットコースターに乗って振り回されているかのようでした。




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インド放浪 本能の空腹 ⑧ 『ラームと買い物 2 』

2019-12-15 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の私のインド放浪

その時につけていた日記をもとにお送りしております


本日は

インド放浪 本能の空腹 ⑧ 『ラームと買い物 2 』

前回、ラームと簡単な市内観光のあと、一緒に買い物をすることになり、ある屋内商店街へ
日曜で全ての商店が閉まっている中、奥の方で一つだけ灯りの点いている店が…

つづきです




***********************************


 日曜日、ということでどの店も閉まっている薄暗い屋内商店街中で一つだけ開いていた店へラームと共に向かう。
 
 店に入ると、うつろな目をした小柄なせむしの男が無言で出迎えてくれた。ラームはベンガル語でその男に何か言っている。
 店の奥から、ピンクのシャツを着た、がっちりとした体格のさわやかそうな若い男が現れた。

 『Hello, welcome!』

 浅黒い顔から白い歯がこぼれる、いかにも『好青年』といった風な男だ。
 好青年はラームとおれに2階へ上がるように言う。
 2階は綺麗なカーペットが敷かれた座敷で、靴を脱いで上がるようになっていた。

 座敷へ上がり座ると、ラームはおもむろに鞄から分厚いインドルピーの札束を取り出し、数えるような仕草でぱらぱらと指ではじいた。
 やはりラームは金持ちの家の人間なのだ、同じようなペースで買い物をしたら大変なことになる、おれはラームの姿を見て気を引き締めた。

 『まずはシルクを持ってきてくれ』

 『OK』

 好青年がせむし男に目配せをする。せむし男はうつろな目のまま、返事をするでもなく階下へ降りて行き、ほどなくして数枚の綺麗に折りたたまれた布を持って上がってきた。ラームはその布の一枚を受け取り、手触りを確かめたり匂いを嗅いだりしてその品質を見極めようとしていた。

 『コヘイジ、ライターを貸してくれないか』
 『え?ライター?』

 いったい何をするのだろう、疑問に思いながらもおれはライターをラームに手渡した。するとラームは、なんと、そのライターでいきなり布の端の方をに火をつけた。

 『OH!NO! Stop!!Stop!!』

 好青年があわてて立ち上がる、ラームはそれを手で制し、もう片方の手で火をもみ消した。そしてその燃えたところに鼻を近づけ匂いを嗅ぐ、見る見るうちにラームの表情が険しくなる。

 『NO Silk!!』

 大声で怒鳴り、布をカーペットに叩きつける、あわてて好青年がそれを拾い上げ、手触りを確かめる。

 『Oh,I‘m sorry……、☆※◆✖▼△¥%★!』

 好青年はうろたえつつもせむし男を怒鳴りつけ、別のものを持って来い、というようなことを言っている。
 せむし男がまた別の品物を持って上がってくる、ラームは同じように一枚を手に取り、手触り、匂いを確かめた後、再び端に火をつけ指でもみ消し匂いを嗅ぐ、すると今度はニッコリと笑って言う。

 『Good silk』

おれにも見てみろ、と手に取っていた一枚を投げてよこす。
 おれが、大学4年の就職適正検査で『社会不適応型』と診断されたことについては以前述べた。そんなわけがない、と就職して3年間働いた会社は、元々京都の呉服問屋から始まった会社で、事業規模を大きくするのに合わせ、呉服の他、ファー、レザー、バッグ、ジュエリー等、女性にまつわる高級品を扱う会社だった。おれはその中の貿易・ファッション部に配属になり、主にファー、レザーバッグなどの輸入品のブランド物や、海外工場で作らせている自社ブランド商品の販売をしていた。3年間毎日そういう商品を扱っていたのでそれなりにいいものを見る目は養われていた。
 手に取ったシルクは、そんなおれが見てもなかなかのもののように見えた。つまりはそれなりの値段がするはず、ということだ。

 『コヘイジ、ボクはこの中のシルクで両親に服を作って上げることにするよ、キミはどうする?』
 『ラーム、見たところこれはとても良いシルクだ、そんなにたくさんはボクは買えないよ』
 『それならばスカーフにすればいい、切ってそのまま首に巻いて使えるよ』
 『スカーフか…、でもスカーフにするくらいの長さでいくらぐらいするんだろう…?』

 おれの言葉を聞いて、好青年が紙に数字を書いて俺によこした。100、と書かれている。100ルピー、日本円で約500円…、500円!?

 『そんなに安いの!?』
 『コヘイジ、これが日本に渡ればその10倍以上の値段になるだろう、でも、ここはインドだぜ』

 そんなことがあるのか…、確かに仕入れた品物を小売り店に売れば、こちらの売値の倍の値段がつけられる、そういう事情をよく知っていただけに、おれはそれ以上の疑問は持たなかった。

 両親、千葉の伯母、そしてK子、おれはスカーフ用に、色違い、物違いのシルクを何枚かを切ってもらう、さらに予備として数枚…、その度に好青年が値段の書いたメモをよこす。ある程度買ったところで、おれはバンドのドラマー、Y子のことを思い出す。

 『安いものでいいんだけど、サリーは買えるかい?』
 『もちろん!』

 好青年がせむし男に合図すると、何着かのサリーを持って来てくれた。何色かあったが、どうせ日常で着るなんてことがあるはずもなく、ステージ衣装にするくらいだろう、と、一番ド派手な真っ赤なサリーを買った。
 一通り、買い物が終わり、おれは好青年が書いてくれた値段のメモをもう一度確かめる、全部で1500、1500ルピー、日本円で約7500円、まあお土産としては安く済んだのだろう。
 
 階下からどこかの店の店員が料理とビールを持って上がって来た。

 『さあ、買い物も終わったことだし昼にしよう』

 好青年がおれにビールをつぐ、チキンチリ、べらぼうに辛いがべらぼうにうまい、その他、なかなか豪勢な料理に囲まれ、すぐにほろ酔いになる、そしてご機嫌になる、悪い癖だ。

 この店のオーナーだという恰幅のいい大柄のインド人が現れた。

 『ジャパニー、コンニチハ! タクサンカイモノアリガトウ!』

 片言の日本語で満面の笑みをおれに向ける。インド人は日本人のことを『Japanese』ではなく『ジャパニー』と言う。

 『カイモノノオレイニナニカプレゼントをスルヨ!ホシイモノハアルカイ?』
 
 おれは、インドに慣れてきたらぜひ買おうと思っていたものがあった。それはインド人の男が来ているような丈の長い麻のシャツとズボンだ。どこかの街に居ついたら、インド人と同じような格好で過ごしたい、と考えていたのだ。お礼にプレゼントをもらえるほどに買い物をしたつもりはなかったが、酒も回っていたおれは遠慮もせずに言った。

 『インド人の男が着るような、丈の長いシャツが欲しい』
 『お安いごようだ』

 オーナーがせむし男に合図すると、すぐにそれを持ってきた。



 『コヘイジ、さっそく着てみろよ』

 ラームにそう言われ着替えてみる。

 『おお、コヘイジ、とてもよく似合うよ!それならどこから見てもネパール人だ!』

 好青年も笑っている。せむし男までにやついている。

 『いいかいコヘイジ、この先、もし悪いインド人にお金をせびられたりしたら、こう言うんだ <マーイ、ネパリー、フォン>、そうしたらだれもキミからお金をもらおうなんて思わないから』
 『それはどういう意味だい?』
 『私は、ネパール人です』
 
 おれは言われたとおりにやってみる。

 『マーイ、ネパリー、フォン!』

 一同が笑う。そうか、インド人はネパール人を下に見ているのだ、貧乏なネパール人に金をくれ、と言っても仕方ない、きっとそういうことなのだ。

 ラームがまた口を開く。

 『なあコヘイジ、インドではこうやって友達になったら、その証にお互いの持ち物を交換する習慣があるんだ、そこで、あのキミのコートだけど…、ボクがカシミヤのいいセーターをプレゼントするから交換しないか』

 ラームの言うおれのコートとは、紺色のフード付き春物ハーフコートで、そういうデザインのものが欲しくて、散々探して、ようやく新宿の服屋で見つけたお気に入りのものだった。K子からもよく似合うと言われていた。

 『ラーム…、これはボクのお気に入りなんだ、これは交換できない…』

 そう言うとラームは少し険しい顔になり言った。

 『コヘイジ、そのコートはインディアンスタイルじゃない、そんなのを着ていたらこの先、キミは金持ちに思われ、悪いインド人に狙われてしまうよ』
 
 『え?』

 昨夜のサダルストリートのすさまじい光景が脳裏によぎる…。このインディアンスタイルではない、という言葉は思いのほかこの時のおれには効果があった。

 『うーーん…、わかったよラーム…、交換しよう…』
 『そうか!コヘイジ、じゃあ代わりにカシミヤのセーターをプレゼントするよ!』

 そう言うやいなやもうおれのハーフコートを羽織り、せむし男を走らせる。せむし男がすぐに交換の品を持って上がって来る。

 『え?』

 黒とグレーのまだら模様のダサいセーター、カシミヤの商品も扱っていたおれには、それがカシミヤでないことはすぐにわかった。ナイロンもふんだんに使っている、デザインもダサダサ、着てみれば…、キツイ、小さいのだ、きつくてピチピチだ。

 『これは…、』
 『コヘイジ、よく似合うよ!インドは間もなくウインターシーズンだ、それがあれば安心だよ!』
 『……。』

 『コヘイジ、ところでキミのあの時計だけれど…』

 ラームが言うのは、おれの懐中時計だ。おれは普段、仕事でもプライベートでも、腕時計ではなく懐中時計をつけていた。それは決して高価なものではなかったが、やはりデザインなど、おれのお気に入りだった。

 『これも…、ボクのお気に入りなんだけど…』
 『コヘイジ…、それはもっとインディアンスタイルではない、そんなものをつけていると…』
 
 再びおれの脳裏に昨夜のサダルストリートの光景がよぎる。

 『わかったよラーム…、交換しよう…。』

 懐中時計の代わりにせむし男が持ってきたもの、それは、プラスチック製の黒いデジタル腕時計、表面に、白いペンか何かで、明らかに手書きで『 CASIO 』と書かれている。おれはもう思わず吹き出してしまった。

 『コヘイジ、キミのあのバッグだけど…』
 『わかったよ!インディアンスタイルじゃないんだろ!交換しよう!』

 おれのお気に入りのショルダーバッグは、今時遠足の小学生でも使わないような、迷彩柄のエナメルのリュックサックに変わり果てた。

 インド人男の民族衣装、ドゥーティーとかいう麻の丈の長いシャツにズボン、上にはピチピチのダサダサセーター、腕には手書きでCASIOと書かれたプラスチックのデジタル腕時計、背中には迷彩柄のエナメルリュック…。

 もうめちゃくちゃだ。それでもおれは、目の前のインド料理をつまみ、酒に酔い、なんだかご機嫌になっていた。そして、ずっと気になっていた、部屋の隅あるシタールを指さし、好青年に言った。

 『あれを触らせてくれないか』
 『弾けるのか?』
 『いや、ギターは弾けるけど、シタールは初めて触る』

 インドへやって来たビートルズ、あのジョージ・ハリスンのその後の音楽に多大な影響を与えた楽器、シタールを手にしておれはご満悦だ。
 そのおれの姿を見てラームが言う。

 『なあ、コヘイジ、何か日本の歌を歌ってくれよ』

 歌…、伴奏もなしでか…。
 おれは、接待などで、おれよりずっと年配の人とカラオケなどをすることがあったが、その相手の年齢に合わせ演歌などを歌うとこう言われるのだ。

 『若いのにつまらない歌を歌うねえ…』

 それで、次に若い流行り歌を歌うとまた言われるのだ。

 『若い人の歌はわからないねえ…』

 面倒なので、こういう時に必ず歌う歌をおれは決めていた。森進一の襟裳岬。
 
 酒も回り、ご機嫌なおれは歌い始める。

 『きたのーまちではーもぅをー♪』

 宴はつづく、宴はつづく

 『かなしぃみをー、だんろでえーー♬』

 この後、この買い物が衝撃的な結末を迎えるとも知らずに…。 

 『えりぃもぅのーー、はるぅはーーーーー♫』

 おれは歌う、おれは歌う

 宴はつづく、宴はつづく






***************つづく


※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです



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インド放浪 本能の空腹 ⑦  『ラームと買い物 1』

2019-12-11 | インド放浪 本能の空腹

<出典 Wowow Ralewaystory


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こんにちは
 

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回は、夜のカルカッタに到着、その喧騒と混沌、凄まじい勢いでせまるポン引きと物乞いに圧倒され、泣きそうになっていることろに現れた男、ラーム、そのラームに地獄から救い出されるように紹介されたホテルへ、と言うところまででした

実のところ、インド放浪と言っても、ある程度インドに慣れてくると、することもなくなり、毎日が退屈になります

特に私の場合、どこどこへ行きたい、有名な歴史建造物が見たい、などといった目的をほとんど持っておりませんでしたのでしばらくすると日記になにも書くことのないような日も多かったのです

しかし、この日1日は、私のインド放浪のハイライト、と呼べる出来事の一つが起こります

たった1日のことですが、かなり濃密な1日となりましたので、数回にわけてお送りいたします



*********************


 翌朝、ラームは8時きっかりにおれを迎えにきた。
 市内観光へ連れて行ってくれることになっていた。
 もちろん、ダッカで別れた日本人青年、K君の待つSホテルへも案内してもらう予定だ。

 まずは朝食を摂ろうと、ホテル近くの飲食店へ入った。ラームがチキンカリーを注文したので、おれも同じものを頼んだ。少し大きめの手羽の入ったカレーの皿に、ナン、それにカットされた生のレッドオニオンが付け合せに運ばれてきた。
 昨日の夜は、千葉の伯母からもらったピーナッツを少し食べただけで、インドへ来て初めてのまともな食事だ。

 インド人は基本的に手でメシを食う。外国人だとスプーンなども出してくれるが、ここはおれもラームにならい、手がカレーだらけになるのも気にせず、手羽に食らいつく、美味い、空腹であるのは間違いなかったが、そうでなくても十分に美味い、さすが本場のカレーだ。ラームは、肉を削ぎ取るように食い終えると、手羽の骨を折って中のエキスをチュウチュウと吸い始めた。

 『コヘイジ、ウマいから君も吸ってみろよ』

 鶏がらを煮込んでスープを作ったりするのだから、骨の髄もきっと美味いのだろう、だがおれは遠慮しておいた。

 朝飯を済ませ、おれたちはタクシーに乗り込んだ。こういった金は全部ラームが出してくれる。よほどの金持ちなんだろう。少し心苦しい思いはあったが、タダより高いものはない、なんて発想はこの時のおれにはまるでなかった。

 『コヘイジ、まずはフーグリー川を見に行こう』

 『フーグリー川』

 とは、ガンジス川の支流で、ガンジス同様、聖なる川として人々の信仰の対象となっている大きな川だ。運が良ければ川イルカを見ることもできるそうだ。

 タクシーを降り、その場で待たせたまま、おれたちはなだらかな斜面を上る、上りきると雄大な川が眼前に広がる。ガンジスの支流、だということだが、これがガンジス川だ、と言われてもおそらくは何の疑問も抱かないだろう。岸辺の浅瀬で沐浴をしている人たちもいる。座礁しているのか係留しているのかよくわからないポンコツ船が船着き場に留まっている。

 おれは大体水辺というものが大好きなのだ。海、川、湖、ちょっとした池も好きだ。水辺を見つけると、つい何か生き物がいないか覗き込みたくなる。だが、このフーグリー川で、目の前のゆるやかな土手を下り、水辺まで行く気には到底なれなかった。おれの立っているところから水辺まで、地面を覆い尽くすようにゴミが敷き詰められていたからだ。
 カルカッタはインドでも最も汚い街だそうだ。インドで最も汚いと言うことは、下手をすれば世界で最も汚い街と言えるかもしれない。
 数羽のカラスがそのゴミをあさっている。日本のカラスより少し小ぶりだ。羽毛も少し藍がかって光沢がある。こういったささいなことが、自分が今外国にいる、ということをより実感させてくれる。

 『コヘイジ、キミも沐浴したらどうだ?』

 ラームがつまらないことを言う。さらにこんなことを言う

 
 『コヘイジ、このフーグリー川、ガンジス川では、時折人の遺体が流れてくるんだ、インドでは今でも誰かが死ぬと聖なる川へ流す風習が残っているところがあるんだ』

 『え…?』


出典 Never まとめ

 その話は日本にいる時に誰かから聞いていた。おれがインドへ行く前、幾つか聞いていたインドの黒ウワサの一つだ。だが、その話を聞いたその時のおれの感想はこうだ。

『いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、そんな奴はおれへんやろ! いくらインドだからって、川に死体が流れてたら、殺人事件かもしれないんだから、いやいや、そんな奴はおれへんやろ(大木こだま・ひびき風)』

 だがどうも本当のことらしい…、カルカッタの街並み、喧騒、混沌、目の前の雄大な川、濁った水、岸辺のゴミ、確かに死体が流れていてもさほど驚くことでもないかもしれない…

 待たせていたタクシーに再び乗り込み市街を走る、昨日の夜に衝撃を受けた喧騒と混沌とはまた違った昼間の風景…、無秩序に行き交う人、車、バイク、リクシャ、犬…、今にも分解しそうなオンボロバスに、人が詰め込められるだけ詰め込まれて、溢れて、しがみついて…、 斜めに傾きながら走るバス…、インドだ、ここはやっぱりインドだ。

 『あれがヴィクトリアメモリアルだよ』

 とラームが指をさす。



 イギリスの植民地時代だった頃の遺物だ。カルカッタには似つかわしくない。おれもまるで関心はない。
 おれは今回のインド旅行において、どこか特別に行きたいところとか、見たいもの、などはなかった。タージマハールくらいは余裕があれば見たいと思っていたが、どこか南、マドラス近郊の海が近い小さな町でしばらく過ごしたい、しばらく、その町で生活をしているかのように過ごしたい、漠然とそんなことを考えていただけで、それが具体的にどの町か、なんてことすら決めていなかったのだ。

 ざっと一回り、タクシーで市街を走った。ラームが口を開く。

 『コヘイジ、ボクはね、昨日話した通り、このカルカッタへは両親へのプレゼントを買いに来たんだ、これからマルキットへ買い物に行くつもりだけど、どうだい、キミも買い物に付き合わないかい?Sホテルへは買い物が終わったら案内してあげるよ』
 
 おれは買い物などする気は全くなかったが、こうしてタクシーでぐるぐる回って、ここがどこかもわからない、これからラームの助けなしでまたあのサダルストリートへ行ってSホテルを探す、というのはちょっと困難なことに思えた。

 『…、わかったよ、ラーム、キミに付き合うけど、ボクは買い物はしないよ?』
 

 そういうおれに、ラームはまるでおれを諭すように話を続ける。

 『コヘイジ、キミはこの先、だれにもお土産を買わないつもりかい、そんなことはないだろう?家族、恋人、友人、何か買って帰るつもりだろう?インドは悪いやつが多いんだ、騙されて安物を高く買わされるかもしれないよ…?それならば、ボクはこれからシルクを買うんだけど、ボクが安くて質の良いものをちゃんと教えてあげるから、安心して買い物をした方がいい、そして今日のうちに日本へ送ってしまえば、キミはこの先、もうお土産のことを気にせず旅ができるじゃないか』

 『………、』

 おれは少し考えた。確かにそれはその通りだ。千葉の伯母はピーナッツだけでなく、餞別までくれていた、親にもなんかしら買って帰らなきゃならないだろう、バンドの女ドラマー、Y子なんかは金もよこさないくせに『小平次さぁん、サリー買ってきてくださいね~』なんて図々しいことを言っていた。そして、彼女のK子…、。

 インドへ旅立つ前日、いつものように高円寺の居酒屋でK子とメシを食った。そのあと、いつものように夜の公園を歩いた。

 『…、いよいよ、明日…、行って来るよ、』

 『………、』

 K子はうつむいていた。

 『大丈夫だよ、インドはさ、伝染病とか狂犬病とかは怖いけど、殺されたりとかって、そんなことはアメリカ行くより心配はないから、テロとかある方は行かないし…、』

 
 『………、』

 『…、泣いてるの?…』

 『………、不覚にも………、』

 そう言ってK子は涙をぬぐった。

 あああああ!愛しい!愛しい!K子!

 K子にも当然何か買って帰らねば。

 『OKラーム、そんなに高い買い物はできないけど、キミの言うとおりにするよ』
 『コヘイジ!大丈夫!ボクにまかせて!』

 それからタクシーは少し走り、『〇✖MARKET』と刻まれた看板のある、屋内商店街のような薄暗い建物の前で止まった

 
 『MARKET… マルキット、ああそうか』

 さっきラームがマルキットで買い物、と言ったのはMARKETのことか!てっきり店の名前かと思っていた。
 イギリスの植民地であったこともあってか、インド人の多くは、英語を話すが、発音は悪い。特にRをそのまま発するので時折何を言っているのかわからないことがあった。だが、おれには白人の流暢な英語よりは却ってわかりやすかった。

 ラームと共に薄暗いマルキットの中へ入る。この日は日曜日、中の店はすべて閉まっているようだった。いや、奥の方に一件、ポツンと灯りをともしている店がある。

 『コヘイジ、あの店だよ』

 マルキットの外では、普通の店や露店がにぎやかに営業をしていたが、この中で営業していたのは、その奥の店だけであった。

 なぜ、その店だけが開いていたのか…、その理由に関する衝撃的な事実をおれが知ることになるのは、まだまだこの旅の先のことである。




**********つづく



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広島へ行って

2019-12-08 | 歴史


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こんにちは 少し長い投稿になるかもしれませんが、最後までお読みいただければ幸いに存じます


先日、仕事で広島へ行ってまいりました

ちょっと時間ができたので、平和記念公園、平和記念資料館に立ち寄りました

高校の修学旅行以来、随分と久しぶりに訪れました

心なしかその時より原爆ドームの壁が少しばかり色あせたよう見えます

資料館の展示を見学しますと、きっと高校生の時もそうだったと思いますが、やはり言葉を失います

そして思います

これは、人道上の、と言うより、人類に対する歴史上最大級の犯罪であると

いくら戦争だからと言っても、これはやりすぎです
人の所業ではありません

ところが、その犯罪を犯したアメリカを非難したり、裁こうと言った声はほとんど聞くことはありません

それどころか、むしろ被爆国であるはずの日本が悪かったから原爆を落とされたのだ

これ以上戦争が長引けばより多くの犠牲者が出るところだったのを原爆投下によって戦争終結を早めたのだ

などと言った声が主流のように思います

日本は戦争加害国なのだから仕方なかった…

などと言って、過去の残虐な日本軍の蛮行を訴え、日本を裁き続け、原爆を投下したアメリカの罪などに対しては全く声をあげてもいない主張を大変多く見かけます

『戦争加害国』

という言葉の意味はよくわかりませんが、もし、日本が戦争加害国であるならば、原爆を投下したアメリカはもちろん、世界中の国や地域を侵略し、支配し、時に虐殺などを繰り返していたイギリスを始めとする西洋諸国も戦争加害国でしょう

ソ連や中共も同罪であるはずですが、ドイツナチスを除き、彼らを非難したり裁こうという声はやはり聞こえてきません

そのようなことで、本当に世界に平和は訪れるのでしょうか

現に、他の戦争加害国、特にアメリカ、ロシア(ソ連)、中国共産党は核兵器を保有し、他国に干渉しいまだに自己都合による戦争や紛争、それに至る直前の緊張を生み出し続け、北朝鮮などが核兵器を持つに至るまで野放しにもしてきました

平和なんか訪れていないのです

こういうことを申しますと、決まって

『他国がやっていたからと言って、日本もやっていいと言うことにはならない』

などという反論を言う人がいます

私の父もそうでした

よしんばそれが正論であったとしても論点がずれており、他の戦争加害国が免罪になっていいということとは別問題です

例えて言うならば、ある村に10人組の犯罪集団がいて、多くの村人を殺したりしていた、やがてその集団は仲間割れを起こし、そのうちの一人を警察へ突出し、残りの9人は、さも自分たちが村を殺人鬼から救ったかのような主張をして、見事に罪を逃れ、その後も村でのうのうと暮らしている、そればかりか相変わらず殺人や殺人未遂を繰り返している…

この村が平和だと言えるでしょうか

ましてその捕まった一人は冤罪の可能性もあり、裁判においては残りの9人の息がかかった裁判官が裁判を進めている、唯一息のかかっていない中立な裁判官がその一人の無罪を主張していたとしたら、なおのこと、この村の平和は脅かされ続けるでしょう

日本戦争加害国論者の方々に聞きたいことがあります

もし日本が戦争加害国だったとして、ではなぜ日本は戦争加害国となったのか、というその理由です

当たり前のことですが、一殺人事件であっても、その動機の解明は重要です

動機がわからなければ裁きの下しようもなく、その後の犯罪抑止にもつなげられません

なぜ日本は戦争加害国となったのか

その動機について、日本戦争加害国論者の方々からの明確な論を聞いたことがありません

せいぜい

『明治以降、富国強兵を打ち出し、日清、日露戦争に勝利し、一流国になったと慢心し、領土的な野心をもって外国を侵略した』

などという、陳腐な理由にもならないことくらいしか聞きません

戦争をするためには莫大な費用がかかりますし、多数の犠牲もともないます、まして日本が戦った相手は強大な国々であり、戦争という選択をするのにはリスクが高すぎます

『一流国になったと慢心し…、』

一部にはそういう人もいたのかもしれませんが、そろいもそろって当時の軍人や政治家がそこまで愚か者ばかりであった、などとは到底考えられません

ポツダム宣言にこうあります

『日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ…』

本気で連合国側がそう考えていたかはわかりませんが、ポツダム宣言時において、少なくとも公式的には、日本が戦争にうって出た理由を『世界征服』のため、としています(なぜ世界征服を企んだかが抜けておりますが)

しかしながら、有名な1951年のアメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会において、かのマッカーサーが、日本の戦争目的について次のように証言しております

『Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.』

『by security.』

つまり安全保障上の要請、であると

このsecurityの訳については、いくつか議論があるようですが、少なくとも実際に日本軍と戦い、その後長年日本を占領していた敵国の総大将ですら『一流国になったと慢心し、領土的野心をもって侵略に及んだ』とは考えていないことがうかがえます
(このマッカーサーの公聴会での証言は、ネトウヨ連中によって意訳とも到底呼べない捏造訳が数多くネット上には出回っていますので注意が必要です)

あらためて、日本は戦争加害国である、として、多くの捏造証拠を含んでいることが明らかな過去の日本軍の蛮行を『平和のため』として主張し続ける方々に聞きたい

なぜ日本は戦争加害国となったのか

本気で平和を願うならば、その動機の解明は大変重要であると考えます

それを考えるためには、その時の事象だけ見ていてもわかるはずがありません

少なくともペリー来航、いや、大航海時代からその後、スペインとポルトガルが身勝手にも世界を二分割し、全てを領有すると、本気で世界侵略に乗り出した時代まで遡らなければ、日本が世界と戦争をした理由などわかるはずもありません、歴史は連続しているのですから

そもそも、日本はその歴史を縄文時代まで遡り、現代までの1万数千年間のうち、

『外国と戦争をする』 『外国を侵略する』 『外国を支配する』

などということにかかわっていた歴史的な時間はほんの数十年間です

1万数千年にも渡り、外国とのかかわりで言えば、ほぼ『平和を常態』としていた国であると言えます

こう申しますと

『それは日本が島国であったからだ』

ということを言う人が数多くいますが、同じ島国であるイギリスは、その年表を見れば、その歴史全体を通し絶えず外国と戦争をし、外国を侵略、支配し、時に虐殺などを繰り返しており、ほぼ『戦争と侵略を常態』としていたことからも、島国であることが、日本が概ね平和を常態としていた理由にはなりません

なぜ日本は戦争加害国となったのか

世界の歴史を遡るばかりではなく、日本がどのような歴史を刻み、日本人の感性がどのように育まれ、その上でなぜ外国との戦争に踏み切ったのかを考える必要があると思います


縄文時代と呼ばれる時代、道具や武器、受傷人骨などの研究から、この時代は一対一、もしくは一対複数の戦闘行為の痕跡はあるものの、集団対集団の戦闘、戦争行為の痕跡をほぼ見つけることができません

これは、1万年以上に渡り、平和な世界を築き上げていたことを意味します

戦争に至るほどの文化や文明が発達していなかった、などという人もいるようですが、大規模な集落跡、高度な土器、ヒスイの加工や漆塗りの技術、それなりの文化文明が発達していたことは明らかであり、また、より動物的な本能の方が、縄張り争いなど、戦闘行為に及ぶ可能性が高いことからも、縄文時代は奇跡の時代、と言って過言ではないと思います

時代を下り、弥生時代

魏志倭人伝に、日本人の特徴が次のように書かれております

『其風俗不淫』

その風俗は淫らではない

『不盗竊少諍訟』

窃盗をせず、争い事は少ない

ささいなことですが、大陸からの移住者も増え、直前には『倭国大乱』などがありながらも、縄文のときより1万年以上の時間を経ながらもなお、その平和に対する感性が引き継がれているように思えます

少し時代を下り、歴史上、数少ない日本の外国への出兵の一つ、神功皇后の三韓征討

神功皇后は新羅出兵の直前、大勢の兵士たちを前にして檄をとばされています

『其敵少而勿輕 敵強而無屈 則姧暴勿聽 自服勿殺』

『敵が少なくとも侮ってはならぬ!、敵が多くてもくじけてはならぬ!暴力を振るい婦女を犯すようなことを許してはならぬ!自分から降伏する者を殺してはならぬ!…』

たとえ戦時であろうとも、このような道徳観、倫理観を持ち、戦に臨んでいたことがわかります

これは神話だから、という人もいますが、たとえ神話であろうとも、日本の正史にこのような言葉が記録されている意味は重いと思います(私は西暦364年(363年?)の『倭軍が大挙してやってきた』という朝鮮の史書、新羅本紀に記されるこの事件こそが神功皇后の新羅出兵であると確信しております)

そして、このような道徳観、倫理観はずっと後の世まで受け継がれていたように思います

江戸時代、農村などでも、相互扶助がすすみ、みなが助け合い平和を護っていたことが様々な資料からうかがえます

明治初頭、まだ徳川時代の名残を残す日本を旅したイギリス人女性、イザベラ・バードは、その日本紀行の中で、時に日本人をさげすむような物言いも見られますが、日本ほど女性が一人で旅をしても、侮辱されることもなく、安全で、安心できる国はない、と言ったようなことを述べています

少なくともこのころまでは縄文時代から続く、平和的な日本と日本人の営みが連綿と続いていたことを感じることができます

戦後においても、先進国の中では犯罪も少なく、一昔前までは、夜、鍵をかけずに寝ても、さほどの心配もない国でした


東日本震災、あれほどの大災害に見舞われながらも、被災者の方々は譲り合い、助け合われていました

やはり、縄文の時代からの日本人の感性が受け継がれているように思います

で、あらためて日本戦争加害国を言い続ける人たちに問いたい

おおむねその全歴史を通じ、平和を常態とし、戦時においても、道徳と倫理を保ってきた日本と日本人が、なぜ、大東亜戦争の一時期のみ、突然発狂したかのように

妊婦の腹を裂き、銃剣で胎児を突き刺し狂喜したり、布袋に人を詰め、手榴弾を詰め込み川へ投げ込み、水柱が上がるのを見て笑いあったり、背中の皮を剥ぎ天日で干したり、人を殺して脳みそを食べたり、泣き叫ぶ少女を誘拐し性奴隷にしたり、そのようなおよそ人が想像すらしえない行為をする日本軍と日本人が現れたのでしょうか

それまでの日本の歴史にはほぼ見つけることのできない狂ったような日本人が、大陸において数十万人もの人々を上記のような残虐な方法で殺した、と言われております

なぜ、どうして、そのような日本人が突然歴史の1ページに現れたのでしょう

この疑問にぜひ答えて頂きたい

『戦争という狂気がそうさせたのだ』

などという人がいます

一部にはその狂気に飲み込まれた人もいたかもしれません

ですが、そのような狂気に飲み込まれるような精神力で、特攻機に乗るなんてことができるはずもありません


私は、戦時において、局地的に理不尽にも日本軍の軍事行動によって犠牲になった民間人がいたことまでを否定するものではありません

作戦遂行上、不幸にも巻き込まれた民間人もいたでしょう

上記のように狂気に飲み込まれ、暴走した兵士もいたでしょう

それはそれで歴史として受け止めなくてはならないでしょう

しかしながら、日本が戦争加害国というのならばなぜそうなったのか

概ね平和を常態としていた日本が、なぜ戦争に加わったのかを考えずに、その時代の空気も緊張感もわからぬ現代人が、まるで他人事のように平和のためにと、物言えぬ過去の人に代わって謝罪だ、反省だなどと言い続けたとしても、本当の平和など訪れるはずもない、と考えております


資料館の展示のような光景が、この世界のどこにおいても二度と起きることのないように

そのために、一方で本当にあったかもわからないような日本軍の蛮行を他人事のように言い続け、一方で核爆弾を投下するといった蛮行を放置しているのではなく


なぜ、日本は先の大戦争に加わったのか

その理由を学び、考え、問い、自分の身の丈でかまわないから、行動していかなければならない、そう思っております











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