さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日航機事故と言論・情報統制

2023-12-25 | 日航機事故


こんにちは!

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は日航機事故のお話です

これまで、2回ほど、あの航空機事故史上最大の事故、日航123便の事故の記事を書いてきました

これまでは、簡単な概略と、陰謀論めいたお話をさせて頂きました


今回からは、そもそも、この事故の何が疑問視され、巷で陰謀論的な話が出ているのか、ということのまずは原点的な話をしたいと思います

小平次は、以前より、この事故について陰謀論的なことを言っている人たちがいたのは知っていました

小平次自身、そういうこの事故の陰謀論的な話には興味もなかったのですが、ワタナベケンタロウさんというyoutuberの方が、この事故の疑問についてかなり詳細に、当時の記事、海外のものまでも含めて検証している動画をたまたま見て興味をもったのです

それは、一番最初の記事で書きましたが、123便が離陸後、垂直尾翼にアクシデントが起こり、迷走しながらも米軍の横田基地に着陸を試みた、という話がどうも無かったことにされているようだ、というのを知ったからでした

123便が、横田基地に緊急着陸をしようとしていた話は、当時普通に多くの人が知っていましたし、コントロールが効かず断念したと、つい数か月前まで小平次の記憶にはそうあったのですが、横田着陸の試みが無かったことになっているとは夢にも思わなかったのです

もし、多少無理な形であっても、何とか着陸できていれば、あれほどの犠牲者は出ずに済んだのではないか、本当に悔しく残念な思いをしたことを鮮明に覚えています

『無かったこと』

とはどういうことなのでしょうか

まず、事故後の事故調査委員会が作成した123便の飛行ルートがそのようになっていないことが一つ

また、公開されたボイスレコーダーに、横田米軍管制からの打診に対し、高濱機長以下、コックピットからの応答が無く無言になっていて、不自然であることが一つ

さらに、実際、高濱機長が横田基地に対し着陸を試みると応答した、とする事故直後の海外の複数のメディアの記事も見つかっています

そうした状況から、ボイスレコーダーが『改竄されている』可能性を指摘している人もいますが、単に応答できる状況ではなかった、そもそも垂直尾翼が吹っ飛び、物理的に横田の着陸自体無理で、着陸を試みる自体が無かったという人もいます

ボイスレコーダーの改竄については、他にも、事故直後の取材で出た、高濱機長のいくつかの言葉が、公開されているボイスレコーダーから消えているものもあります

小平次が思うのは、確かに操縦が難しい状況で、付近に住宅街のある横田着陸は困難であったかもしれませんが、羽田管制から『名古屋空港』も緊急着陸の準備を整えている、と打診され『羽田に戻りたい』と高濱機長は応答しています

それは、おそらく現在地から考えて羽田の方が近かったことがあげられると思います

公開されたボイスレコーダーの必死のやりとりからは、高濱機長が自らを含め524人もの命を預かる状況で、無事にどこかへ着陸することを諦めていたとは到底思えません

であれば、横田着陸は難しい、と言っても、羽田よりは近い上空にいたのですから、まずは横田基地着陸を考えたのではないか、と思います

ここで、ちょっとウィキペディアでこの事故についての『報道』について見てみます

NHK総合テレビジョン・NHK衛星第1テレビジョンは19時26分、『7時のニュース』の終了直前に短く第一報を伝えた[186]。

wikiは、この事故の第一報はNHKの19時26分だとしています

wikiでは、第一報について、これ以前に出ていたものが書き替えられているのですが、wikiとはそういうものなのでしかたありません

また、事故後、この事故の特集番組や回顧録などで、複数のジャーナリストやテレビ関係者が、第一報はNHK7時のニュースの終わりころ、松平アナウンサーがニュースを読んだと言っていますので、公式にも事故の第一報はNHKの19時26分、とされています

ところが、ワタナベケンタロウさんの動画のコメント他、この19時26分よりもだいぶ前、19時以前にいくつかのテレビでニュース速報としてテロップが流れ、それを見た、という人たちが多数いるのです

『18時40分ころ、羽田発、大阪行きの日航機が消息を絶ちました(レーダーから消えました)』

123便の墜落時刻は18時56分です

これはゆるぎないもので確定しています

その上で18時40分というと、墜落前ということになります

墜落前にレーダーから一度消えた?

該当時刻、123便を補足していたレーダーは三箇所あったそうですが、そのうちの一つでレーダーから消え、羽田常駐の報道関係者が速報として局に報告したのかもしれません

18時40分から45分くらいには、123便は、神奈川県座間市から『北東約33Km』付近の上空にいた、と当時の夕刊フジの報道が見つかっています

しかし、事故調査委員会の事故報告による航跡では、この時刻、123便は座間市から『北西約33Km』大月から八王子付近、を飛んでいたことになっています

夕刊フジの報道による、座間市から北東約33Km付近は、まさに横田基地にほど近い場所になります

レーダー3基の内の一つ、箱根山のレーダーは、もし、123便が座間市から北東約33Km付近、高度を2000m以下くらいまで下げていた場合、その角度にある、箱根町白銀山が障害となり、123便を補足できなくなった可能性があるそうです

もし、123便が座間市から北東約33Km付近を飛行し、さらに高度を下げていたのであれば、それはまさに横田への着陸を試みようとしていたのかもしれません

さて、現時点でこれらはあくまでも推測でしかありません

しかし、wikiだけではなく、複数の報道関係者等が、事故の第一報はNHKの19時26分、としながら、19時前の速報を見た、という人が大勢いる、『38年前の記憶なんてあてにならない』と、この速報自体を『陰謀論』的に言う人もやはり大勢いるのですが、速報目撃者の中には、『当時19時閉店のデパートに勤務をしていて、閉店の前に速報を見た』というような、当時の仕事やルーティンに絡めて『19時前の速報』をリアルに記憶している人たちも多数います

事故から数年後、関係者の回顧録などにも、19時前に速報を見て慌てて対応準備に入った、といった証言も見つかっています

それでもこの速報は流れたことになっていないのです

箱根のレーダーから消えたとき、まさに高濱機長以下、クルーたちが決死のYokota landingに向けて高度を下げていたのかもしれません

もし、横田へ着陸しようとしていたことが事実であれば、なぜそれを無かったことにしようとしているのか

それを裏付けるかもしれない、墜落前の速報が無視され、第一報がNHKの19時26分と固定され、テレビ等に露出する関係者が一様に口を揃えるのはなぜか

38年前、インターネットも無く、今よりは情報の統制が容易だった時代のできごと、ネット時代になって明るみに出て来たいくつかの事実、真相の究明が待たれます

これらは、現時点では物証もなく、全ては推測であり、『陰謀論』と一蹴されることかもしれません

事故調査報告の通りだったら、それはそれでいいんです

しかし、そもそもボーイング747は、修理ミスどころか、設計ミスの欠陥機であった、との指摘も出てきています

日航のその杜撰な整備体制、ボーイング社の想定していた月間の飛行回数をはるかに上回って飛行させていた利益第一主義の姿勢などが、内部告発されていたこともわかってきました

航空機、鉄道、バス、といった公共の交通機関、これだけの大事故の原因、真相の解明は、ご遺族の方のみならず、日常で利用する私たちの生活にも直結することだと思います

何より、あったことがなかったことにされる、あったことがなかったことにされる、これほど残酷なことはありません

現在も、多くの情報が統制され、ネット時代になり、あからさまにおかしなことが起きていると多くの人が感じても、メディアはだんまり、もしくは一方的に誘導しようとしています

それが38年も前のことであれば、なおのことです

少しずつですが、この事故に対する疑問などを今後も書いて参りたいと思います






御免!


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実在する? VIVANT 別班と日航機事故

2023-09-28 | 日航機事故


こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です


『VIVANT』(ヴィヴァン)

先日まで、TBSでやっていた日曜ドラマです

中々の高視聴率で、小平次も見ていましたが、大変面白かったと思います

ドラマの中で、国際テロ組織のメンバーが、『別班』と発音したのを、日本人である主役の堺雅人さん演じる別班隊員、乃木が『VIVANT』(ヴィヴァン)と聞こえたところからこのドラマのタイトルとなっているようです

では、『別班』とは何ぞや

政府もその存在を認めていない自衛隊の別組織の諜報機関で、実在するともしないとも、陰謀論を含め色々言われております

実際に、別班の存在を追ったジャーナリストさんが何人かいるようで、元別班隊員や、現役別班隊員への取材を、全ては語れない中で書籍などにして公開しています

それらや、その他の情報などを見ても、実在はするようですが、実態はあまりよくわかりません

朝鮮戦争から、東西冷戦の始まりに合わせ、自衛隊幹部が吉田茂にその創設を訴え許可されたとか、米軍の要請によるもので、CIAやアメリカ国防総省の情報機関からたびたび工作を依頼されてるだとか、その始まりから色々言われています

他にも自衛隊の各部門の首席クラスが選抜されたエリート集団であるとか、国外にもダミー会社などを利用し拠点を持っているとかいないとか、見た目はごく普通の人のようでも、人間とは思えないほどの冷徹な目をしているとか、家族にも嘘をついているとか、色々です

全体的にはドラマのような派手なことは任務ではないようですが、様々な情報は、真実をぼかすように仕組まれていることもありますので、その実態はやはりよくわかりませんが、実在はするようです

三島由紀夫がクーデターを起こそうとした際の『楯の会』のメンバーにも、元別班隊員がいたとかいないとか

安倍元首相は、その存在を全否定しておりましたが、石破茂さんは『あるともないとも言えない、しかし今後日本にもそういう組織は必要になるだろう』と、なんとも微妙な発言をされているようです

ドラマでは、別班隊員の選別の面接で、部屋に入るまでに通って来た廊下などに飾られたいたものだとかの色はなんであったか、などを質問されていましたが、これは実際にも、トイレのタイルの色などが問われ、観察力や記憶力などが試されるようです

陸軍中野学校の流れを継承し、小平駐屯地にある陸上自衛隊の教育機関で。情報、語学、警務、法務、会計、人事、システム・戦術心理戦防護課程を学ぶと言われてもいます

さて、その実態のよくわからない『別班』と日航機事故、どんな関係があるのか

正直、これは『妄想』の域を出ていないと思いますし、せっかく真実を追求していても、『妄想』めいたことを言って『陰謀論』扱いをされてしまうのもイヤですので、現時点でこの妄想に対しては、小平次は否定的であることをあらかじめ申し上げておきます

前の日航機事故の記事で、この事故にまつわる疑惑、の要約を書きましたが、そもそもの事故調査委員会発表の事故原因からして多くの疑問が指摘されています

これらの疑問は、専門家やパイロット、その他航空関係者から出ているもので、520人もの犠牲者が出た大参事ですので、場合によっては再調査、それに向けての議論があっても良さそうなものですが、されてはいません

そもそもの事故原因、ボーイング社の修理ミスにより、後部圧力隔壁が飛行中に疲労破断し、噴出した客室の空気差圧により垂直尾翼を完全に吹き飛ばした、とされていますが、その前提として、もしそれが起きたのであれば、客室内で急減圧が起きていたことになるそうですが、その場合、マイナス数十度の外気が一気に機内に入り、霧が立ち込め、機内の人は呼吸もままならず意識を失ってしまうそうです

ところが、実際の機内は、後に見つかったこの時の機内の様子を撮影した写真、最後まで遺書を書き、恐怖と戦っていた人たちがいたこと、生存者で非番で乗り合わせたCAの落合由美さんの証言でも減圧は無かったとされています

また、客室と操縦室に気圧差が生じると、操縦席のドアが自動的に開くそうですが、それもありませんでした

これらの疑問に対し、もちろん反論もあり、必ずしも減圧があったからと言って、上記のような状態になるとは限らず、当該機の場合あてはまらなかったことを論理的に説明しているものもありますが、最後の気圧差の件についての疑問には、事故調査委員会は『謎だ』と回答していますが、その犠牲者の数、事故の規模からしてもあまりにも無責任には感じます


救助開始の遅れについても、米軍がすぐに場所を特定し、救助ヘリを飛ばし、救助のためヘリから降下しようとしたところで帰還命令、当該機を2機の自衛隊ファントム機が追尾していたとの多数の目撃証言、その中には現場付近の子供が夏休みの絵日記に、大きな飛行機と小さな飛行機2機が追いかけっこをしている、と絵まで描いていますが、無かったことになっています

米軍が事故現場を特定していたこと、2機のファントム機の追尾、付近住民の通報などから、現場の特定が遅れたことは解せません(現場には当日20時42分に自衛隊救難ヘリが到着したものの、夜間のため地点が特定できなかった、炎による2次災害を避けるため救助できなかったと説明されています)

さらには、偶然近くにいた元自衛隊員や、野次馬根性で入山した複数名の人たちの証言では、早い時間からすでに自衛隊は事故現場そのものに到着していたとされています

もし、これが本当ならば、一体どういうことなのでしょうか

繰り返しますが、これは陰謀論、妄想の域は出るものではありません、その上で、上記のことから考えられること

事故の原因は他にあり、すでに判明していた(良く言われているのが訓練中の自衛隊無人標的機との衝突)、しかしそれを公にするわけには行かず、事故現場の特定が遅れたことにして、自衛隊は早い時間から現場に入り、事故原因が判明してしまう証拠品の回収を先に行った、これには信憑性について疑問はあるものの、回収現場の目撃証言もあり、また、生存者の有名な川上慶子さんは祖母に次のように証言しているそうです

『墜落した後、ふと気がついたら、周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると、前方から懐中電灯の光が近づいてきたので、助かったと思った。その後また意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが、救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた』

そこで『別班』ですが、もう一度繰り返しますがさらに『陰謀論』、『妄想』の域になります

事故当日、前回の記事では地方テレビ局、と申し上げましたが、良く調べたらNHKでした

NHKが緊急ニュースとして、『救助に向かった自衛隊員が、何者かに射殺されました』としてテロップを流し、その後誤報として何度も訂正をしています

『ただいま長野県警から入った情報です、現地に救助に向かった自衛隊員が、何者かに銃撃され死傷者が数名出ている模様です。続報が入り次第お伝えします。』

かなりショッキングな内容です

率直な感想として、誤報にもほどがあるだろっ、てほどの誤報のように思います

『そんなテロップは流れていない』

と言う人も数多くいますが、ネット検索だけでも、かなり多くの人がこの報道を覚えていて騒然となった、と証言をしています

現場に到着した自衛隊員、一刻も早く救助に向かいたい、ですが、先行部隊の証拠品回収が終わるまで待機命令、業を煮やした一部の隊員が命令を無視し入山、しかしそれを『別班』によって阻止された結果が、NHKのニュース速報の真相

何度も言いますが、これは『妄想』の域を出ませんし、小平次自身もこれについてはかなり懐疑的です

他にも、この事故について、追尾していたファントム機によって、最終的に証拠隠滅のために撃墜されたとか、先行部隊によって生存者が殺された、などの話がありますが、元自衛隊員のお話では、『一般の自衛隊員』は、同胞にそんな真似ができるメンタルはない、と言います

だから冷徹な『別班』説が出て来るのかもしれません

今回、日航機事故について、別班の話を持ち出したのは、少しでも多くの方にこの事故について関心を持って頂きたい、との思いからです

昨今の政治は、もはやあからさまに国民の生命などどうでもよい、と言う風に見えます

この事故が、事故調査委員会の発表通りだったなら、それはそれでいいんです

ですが、あまりにも多くの疑問が残っています

ボイスレコーダーのすべてが公開されればその多くは解決しますが、それもかないません

強権によって、真実が隠される、逆にでっち上げられる、520人もの人が一度に亡くなり、悲しみ、今も傷ついたままの家族、親族、友人、は数千人になるでしょう

明らかにすべき真実は確かにあるように思います

小平次ごときにできることは限られていますが、多くの人が関心を持てば、この事故だけだはなく、明らかにすべきものが明らかになるかもしれません

この事故の件は、今後カテゴリーを設け、できる限りフラットな公正な視点でご紹介して参りたいと思います


御免!









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日航機墜落事故から38年

2023-08-09 | 日航機事故



こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


8月、になりますとあの日航機墜落事故のことがニュースなどで取り上げられます

まずは、事故で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします

1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が乗客乗員524名を乗せ、相模湾上空で垂直尾翼が何らかの理由で機体から外れ、その後迷走しながら御巣鷹山の尾根に墜落、520名の方々が亡くなった、航空機事故史上最悪の事故となりました

今回この事故について記事を書こうと思ったのは、先ごろ、某国会議員の妻、その妻の元夫さんの変死事件にいて、事件性はない、という警察発表を聞き、当初捜査にあたった警部補が、『断定する、あれは殺人事件だ』と、文春の取材で暴露したことが大きなニュースとして取り上げられていました

先日記事に書いた、伊藤詩織さんの件とか、その他警察関係だけではなく、色々な分野で揉み消しや捏造、おかしなプロパガンダが、最近は特に堂々と繰り広げられているように感じているからです

もはや隠すとか、のらりくらりかわす、とかではなく、ワクチンにしろなんにしろ、どれだけおかしいことが起きている、と多くの人が訴えても無視、もう堂々と、ことが強引にすすめられる風潮があるように思います

それと日航機事故とどういう関係があるのか



以前、小平次のブログ記事におかしなコメントが来たことがあります

記事の内容と全く関係の無い内容のコメント

『日航123便はソ連軍に撃墜された』

と言ってみたり

『日航機は自衛隊機にミサイルを撃たれた』

など、訳の分からない長文のコメントでした

墜落後、生存していた複数の乗客が埼玉県警によって焼き殺されたとして、焼死体の写真のリンクまで貼られていました

リンク先を調べて見ると、その死体の写真は袴田事件の被害者の名前が記されているとか、もう支離滅裂、しまいには昭和天皇が123便にご搭乗なさっていた、などというメチャクチャなものでした

小平次は返信として

『昭和天皇が一民間機に一般乗客と共に大阪までご搭乗になられるはずもなく、また、多くの一般公務員、民間人がこの事故の調査にかかわっており、鍛え抜かれた工作員でもなければすべての人の口を塞ぐのは難しいと思いますよ、何より遺族は今でも御巣鷹に登り、慰霊を行っています、こういうバカなことを書くのはおやめなさい』

といったようなことを返しました

ところがですね、この123便の事故原因については確かに疑惑、真実の隠蔽がされているのではないか、ということを考えている人が結構たくさんいるのです

先のコメントのような支離滅裂なものはともかく、真相を知ろうとする人たちの多くは、当時の報道や関係者の証言などを今でも集めながら調べているのです

先日、たまたま見かけたYoutubeチャンネル「ワタナベケンタロウ」さんもそのお一人です

そういう人たちがいるのは知っていましたが、以前の支離滅裂なコメントの印象が強く、123便の事故の疑惑などは、それこそ『陰謀論』だと思っていたのですが、小平次がこのチャンネルに興味を持ったのは、123便が米軍の横田基地に緊急着陸を試みようとしていたはずなのに、横田からの打診に対するコクピットの対応がボイスレコーダーに記録されていないということを知ったからでした

後の事故調査委員会や日航の発表でも、横田基地への緊急着陸の試みなど無かったことになっているようなのです

とても大きな、そして痛ましい事故でしたのでよく記憶しているのですが、当時、横田の米軍が着陸許可を出し、着陸しようとして横田へ向かったが、制御が効かず着陸ができなかったという話は、小平次の回りではみんな言っていましたし、まさか着陸をしようとしたことが無かったことになっているとは、ワタナベさんの動画を見るまで知りませんでした

だから、事故調査委員会の発表した123便の飛行経路も、横田への緊急着陸を試みていたような航跡になっていないようです

しかしながら、世界的にも衝撃的な大事故でしたので、多くの海外メディアが事故の報道をしており、その中に、複数、米軍から許可を得て高濱機長が横田基地への緊急着陸を試みていた、ということを報道しているものがあるのです

もし、それが事実であれば、なぜそれを隠す必要があるのか

小平次や周りの人がそれを知っていたということは、日本のメディアでも報道したものがあったのかもしれませんが、あるタイミングから情報統制でもあったかのように、当初の発表が替えられている、もしくはなかったことになっています

生存者の落合由美さん、この方はCAですが、当日はプライベートで搭乗していたそうです

落合さんの証言による窓の外に見えた富士山の位置、相模湖付近での複数の目撃証言、一度墜落前にレーダーから消えたことから推測される高度、などから飛行経路を割り出すと、やはり横田へ向かっていた可能性が高いようです(チェッカーズの西武球場ライブにも123便らしき?機影が映っている)

他にも疑問があります

墜落直後、米軍が現場を特定し、救助ヘリを現地に飛ばしましたが、日本側が向かっているという理由で現場上空で帰還命令が出て引き返しています

生存者の落合さんも、ヘリが来たのを見て、これで助かる、と思ったら引き返してしまった、と証言しています

この時点で、落合さんの周りには、まだ生存者がそれなりにいたらしく、うめき声や励まし合う声などが聞こえていたそうです

なぜ、米軍ヘリは引き返したのでしょう

また、米軍が墜落現場を特定できていたのであれば、日本側も情報を共有できたでしょうし、それよりも何よりも、現場付近の村の人などが大慌てで役所や警察へ連絡したにもかかわらず、やれ長野の方だとか、埼玉の方だとか、情報が錯綜しており、自衛隊の救助が始まったのは翌朝からとなったのです

なぜ、米軍や住民の通報が多数ありながら、自衛隊は場所を特定できず、救助が遅れたのでしょうか

『場所は特定していたが夜間のため、救助が困難だった』

という話もあるようですが、ワタナベさんへの情報提供者で、当時、若いころに自衛隊を退官したばかりの元自衛官の方が、その日ドライブで御巣鷹山付近にいたそうです

その方によれば、御巣鷹山付近で自衛隊が道路を封鎖しており、引き返すように言われ、また、ヘリポートを作るために河原を整備している自衛隊を目撃したそうです

その方は、あのくらいの山ならば、夜間であっても救助物資、道具などをかついで現場に向かうことくらい、自衛隊ならワケない、そうです

その上で、救助が翌朝からになったのは不思議だ、と言っています

また、ドイツ人特派員が後にヘリで現場付近を飛んだとき、現場から2、3キロのところに高い鉄塔が立っており、そこまでの道も舗装されいて車両ですぐ近くまで行けたのではないか、と疑問を呈しています

その鉄塔は自販機などもあり、見晴台のようにもなっており、村の人や警察なども知っていたと思われますし、自衛隊の詳細地図にもあったと推測できます

そんな重要なポイントがあったにもかかわらず、現場の特定が遅れ、入山経路も二転三転し、さらにその後の報道や証言などにもまったく取り上げられていないことも不自然なことです

日本の自衛隊がそこまで無能だとはとても思えません

他にも、当該機を誘導するように飛行していた2機のファントムの目撃証言が複数ありますが、無かったことになっている、NHKなどの第一報の時刻が後に改竄されている可能性がある、等々いくつもおかしなことがあります


そのような中、今年の6月にこんな裁判がありました

『日航機墜落記録の開示認めず 乗客遺族、再び敗訴』

真相を知りたいと、ご遺族の方が、ボイスレコーダーの公開を求め提訴したものですが、結果はタイトル通りです

横田基地への着陸の試みがボイスレコーダーにない、米軍ヘリの帰還、救助活動の遅れ、これらが致し方なかったことなのか、何かを隠そうとしているのか、隠そうとしているのであればその理由は?

事故調査委員会の報告による事故原因は、当該機が事故以前に尻もち事故を起こし、その際のボーイング社の修理ミスにより飛行中圧力外壁が外れ、垂直尾翼が落下、以後制御不能となり墜落とのこと

事故より前、当該機に乗ったパイロット数名の方が、『操縦桿を微調整しながら飛ばないと真っすぐ飛ばない』とか、『最後方の化粧室の扉が開かなくなることがある』との報告をしています

化粧室の扉が開かない、というのは、尻もち事故の時の修理の不備と、勤続疲労により後方部に亀裂等が入り、圧がかかり扉が開かなくなっていた、という見解もあるようです

そうだとすると、そのような報告があったのであれば、運行を中断し、原因の究明、調査、整備をすべきだったと思いますが、JR福知山線の事故の時のように『安全輸送』よりも『利益追求』が優先し、当該機を飛ばし続けていたことになります

『安全輸送』よりも『利益追求』したことで叩かれることを恐れたのでしょうか

アメリカのボーイング社が自らの整備ミスを素直に認めたこともなにか違和感があります

『陰謀論的』事故原因として、事故当日、相模湾沖で無人標的機に向けて追尾ミサイルの発射訓練をしていた自衛隊が、誤射をした、というものがかなり多く語られています

確かに、それであれば、横田への着陸をさせなかった、そして着陸を試みていたことを隠蔽、米軍に救助され、事故原因が発覚されることを恐れ救助を断った、生存者が極力少なくなるまで救助活動を遅らせた、辻褄は合うように思えます

当日、地方テレビ局で、夜間『救助に向かった自衛隊員が射殺された』とテロップが流れ、多くの人がそれを見て騒然としたそうですが、すぐに誤報だったとお詫びが入りました

時の中曽根首相が、レーガン大統領に、『日本はアメリカの不沈空母だ』と言って世論から非難を浴びた矢先、自衛隊のミスなどあってはならなかった



『これはダメかもわからんね』

とは、一部公開されたボイスレコーダーの高濱機長の言葉です

これは当時、高濱機長が飛行を諦め、墜落したと非難がありましたが、ワタナベさんの検証では、時間的に横田への着陸を試みていたときではないか、と推測しています

舵の効かない機体を、両翼のエンジンの出力の調整でどうにかバランスを保ち、横田への着陸を試みた、しかし、場所は住宅街、もし失敗すれば多くの基地周辺の住民を巻き込むかもしれない、高濱機長はその時の機体の状況も考え、横田への着陸について『これはダメかもわからんね』と言った可能性が高いようです

当時公開されたボイスレコーダー、コクピットの必死のやりとり、今思い出しても涙が出そうになります

墜落直前、必死に家族に手紙を書いた人もいらっしゃいました

自衛隊のミスが原因だった、とは小平次としては考えたくもないですが、どのようなことが事故の原因であったにせよ、38年経っても、多くの疑問が残されていることは間違いありません

520名もの人が亡くなり、それを悲しみ、心の傷を負った数千人のそのご家族、今なお真相が知りたいと裁判まで起きている

コロナ騒動やワクチン、強権と洗脳で自由のみならず命まで奪われている、殺人事件が、強制性交が、もしかしたら隠されようとしている

なかったことをあったことにされる、あったことをなかったことにされる、白いものを赤だと言わされる、これほど無念で残酷なことはありません

ご遺族にとってはまだ何も終わっていないのかもしれません

冒頭で申し上げた通り、全ての人の口を塞ぐことはできません、少しずつ少しずつ、新たな証言などが出てきています

真相の究明がなされることを願います

日航機事故の疑問について、ほんのさわりだけのつもりが長くなりました、最後までお付き合いいただき有難うございました






御免!











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