さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

東京オリンピック・ロゴ白紙撤回と洋服の似合わない日本人

2015-09-09 | 社会・経済


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は巷で連日大騒ぎの「東京オリンピックエンブレムロゴ、盗用疑惑から白紙撤回」について、少々感じてみましょう

今回の経緯については今更説明の必要もないと思いますが、決定した2020年東京オリンピックのエンブレムロゴが、ヨーロッパはベルギーの劇場で使用していたものに酷似している、ってことから盗用疑惑が持ち上がり、デザイナーの佐野氏が取り下げ、白紙撤回となったってことですね

で、当のデザイナーの佐野氏は、疑惑が持ち上がった当初から一貫して「盗用」を否定してきております
また、一部のプロデザイナーの方々からも、「プロのデザイナーの目から見ればまったくの別物だ」と佐野氏を擁護する声も結構聞かれるわけです

そうなのかもしれませんね

実際テレビであの手のデザインがどのように作られるかをやっておりましたが、PC上で図形をくっつけたり切り離したり、回転させたり、そんな感じで組み合わせているようで

まあ、あんな感じなら似たようなものができるかもしれないとは思います

小平次としてはですね、オリンピックという大イベントのロゴを考えるにあたり、世界的な注目を浴びるであろうものにすぐバレるようなパクリは、よほどのバカでもない限りはしないだろうと思うわけです

で、実際の作り方を見ても、ああいうやり方ならプロのデザイナーの皆様が言うように、似たようなものに見えても、ちょっとした違いがあれば全くの別物、という風に見られる世界なのかもしれません

そういう意味では、一貫して盗用ではないとする佐野氏の主張も、まあそうなんだろうな、と思っているのです

ですがね~、あのロゴを見る人の大半は「素人」ですからね

その素人の一人である小平次は、最初にニュースでベルギーの劇場のロゴとの比較画像を見たとき

「ありゃりゃっ…」

ってのが素直な感想でしたね



多くの人はやっぱり

「あちゃ~」

とか

「やっちゃったか…」

ってな感じだったんじゃないですかね

どなたかが言ってましたが

「個性がない」

そうかもしれません

盗用であるとかないとか以前に、PCを駆使し図形の切り貼りでするデザインじゃそう言われても仕方ないかもしれませんし、「想い」も伝わらないですね

そもそもなんですが、あのデザインを見て

「日本」

を感じ取れる人がどれほどいたでしょうか

観光などで我が国を訪れた外国人も、その玄関口である空港にてあのロゴを見て

「ああ!日本にやって来たんだ!」

どれほどの人がそう思ったでしょうか

大体ベルギーの劇場のロゴに似てるってんですから、そもそもがヨーロッパ的なんでしょうよ

ですから、佐野氏のデザインも「そのようなヨーロッパ的な場」に於いてであれば、ひょっとすれば洗練されたデザインとして評価を受けたかもしれません



「日本でオリンピックを開催する」

って、これ大変なことですよね

自国での開催に賛否があったとしても、やると決まった以上普通の日本人であれば、世界中が大変な関心を持って注目するであろうこの大イベントの成功を願うはずでしょうし、みっともない真似はしたくないし、開催期間中もそれ以前も、日本を訪れる外国人に

「日本っていい国だな、来てよかった!」

と感じてもらいたい

これは日本人としての普通の感性でしょう

それが「オリンピック」という国家事業にまつわるのであればなおのこと

「国威発揚」

であるし

日本人としての

「自我の高揚」

にもかかわることでしょう

小平次が思うに、残念ながら佐野氏にもあれを選んだ人々にも、こんな単純な日本人としての「想い」が足らなかったのだろうと思うのですよ


さてちょっと話は変わります

イザベラ・バードさんってご存知の方も多いと思いますが

明治維新直後の日本、都市部においては「西洋的近代化」の波が激しくうねりながらも、地方の山村ではまだまだそれまでの「江戸時代的日本」の空気が大いに残っているような時代の日本を、一人の日本人従者とともに広範な地域に渡り旅をしたイギリス人女性ですね



小平次は、最近になってまたあらためてこのイザベラさんが書いた「日本紀行」を読んでみたのですが、ある程度歳を重ねてから読んでみると、また格別な味わいがありまして

なんと言うんですかね

幕末から明治にかけてのころのことについて、当時の「日本人の手」による記録などを見る時、その風景や文化、人々の振る舞いなどは、おそらくはその筆者にとって「日常」そのもののであり、そこには新鮮な驚きがないのであります


ですが、遠く離れた異国、イギリス人の目から見た「当時の日本」は新鮮な驚きの連続なわけです

イザベラさんは、横浜から上陸後、東京(江戸)で数日間過ごし、まず最初に蝦夷を目指し旅に出ます

非常に詳細にわたり、人物、風景、動植物、習俗などを記しており、そのころの日本の農村や山奥などの風景が鮮明に浮かび上がってきます

実のところ、当時の「日本人」が書いた「日常」は「日常」であるがゆえ、わざわざ記録することなどしない事が多々あるわけですが、そのような記録するほどのことではない「日常」も「外国人」から見れば大変な「非日常」であったりするわけで、ひょっとすれば「外国人」が見た「非日常」の方が、現代日本人の我々にはより近い目線に感じられるのだと思うのです

だからこそ、今私たちがそれを読めば、当時の日本が実に新鮮で刺激的なものに映るのでしょう


イザベラさんは本の中で

「日本ほど女性がひとりで旅をしても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はない思う」

といったことや、いかに安全な国であるかについて何度か述べておられます

そして、大変に貧しい人たちであっても、例えば過分にチップなどを受け取ることもなく、どこへ行っても人々は親切で優しい、というようなことも述べられております

魏志倭人伝にある倭人の特徴

「風俗は淫らではない、盗みはせず争いや訴えごとは少ない」

といった日本人の性質が、脈々と受け継がれてきたことがほのぼのと感じられるわけです

このあたりのことをイザベラさんの「朝鮮紀行」と比較して読んでみると中々に興味深いものがありますね

さて、反面イザベラさんは、西洋的近代化の波に乗らんと、小柄な体格に似あわぬ「洋服」を来た日本人について

「まるで猿のようだ」

と言葉を選ばずに言ったりもしています(差別的感情ではなく)

それは日本の風景や文化にもマッチしていないように見えたのでしょう

同時に和服を着た日本人は実に

「威風堂々」

といしているとも述べています

まあこの時代、我が国は大変に緊迫した世界情勢の中で、急いで西洋的な近代化をはからなくてはならなかったわけです

しかし、英国人のイザベラさんから見れば、一部にいる「西洋のものは何でもススンデいる!」とばかりにそれまでの伝統や日本的なものを否定し、西洋的なものをなりふり構わず何でもかんでも「模倣」しようとしていた人々は、滑稽なものに見えたのでありましょう



ということでオリンピックのロゴの話に戻りましょう

「日本でオリンピックを開催する」

このことで私たち日本人が感じるつつましくささやかな「日本人としての自我」や「誇らしさ」ってどんな感情なんでしょう

小平次は神奈川県の藤沢の生まれ、藤沢の育ちであります

大人になるとですね

まあ「湘南」とか言われて

「いいとこに住んでますね」

とよく人から言われたもんであります

こんなことはまったくもって自慢するようなことでもなんでもないのですが、まあ悪い気はしないのであります

たまたまそこに生まれ育ち、住んでいただけなのにも関わらず、テレビなどで

「憧れの湘南」

なんて言われたりすると「ささやかな誇らしさ」みたいな感情も芽生えるのであります

これは「地元愛」「郷土愛」といった感情に関わることと思いますが

「日本でオリンピックを開催する」

というのは、そんな感情の延長であり、日本人としてのつつましくもささやかな「誇らしさ」や「自我」の高揚につながる感情なのであろうと思うのです

つまるところ、佐野氏にも選んだ人たちにも、その日本人としての「想い」が不足していたのであろうと…

イザベラさんが、どんな山奥の地に行っても

「皆親切で優しい」

と言っているのは、遠い異国から来た人が難儀するのを放っておけないという気持ちの他に、日本人として遠い異国から来た客人に、少しでも日本のことを「良い国だ」と思って欲しい、そんな日本人としてのささやかな「誇らしさ」や「自我」のなせることだったのであろうと思うのです

オリンピックという国家事業においてのそのエンブレムのロゴとは、まさに日本国民のそんなささやかな愛国心の象徴でもあろうと思うわけであります

一たびそれと決定すれば、その日から開催の日まで、空港などの玄関口に大きく掲げられたりと、観光客をはじめとした多くの外国人の目に触れるわけです

初めて日本にやってきた外国人の

「ああ、日本にやってきたんだ!」

というワクワクする気持ちをあのロゴが盛り上げられるのでしょうか

迎える日本人として、ささやかな「誇らしさ」がくすぐられるでしょうか

先にも述べたように、例のロゴはベルギーの劇場で使われていたものに酷似している、つまり実にヨーロッパ的なものなのでしょう


明治の初頭、日本を訪れたイザベラさんが最初に感じた

「洋服を着た日本人」

小柄な日本人が自分に似合っているか、とかも考えずに、ただそれがススンだ文明のものだからと洋服を着る、それは日本の風景にも文化にも調和しない「不自然さ」であったかもしれません

今、初めて日本を訪れた外国人が空港であのロゴを目にする

そのヨーロッパ的な香りがするロゴに、多くの外国人は、ひょっとすればイザベラさんが感じたような「洋服を着た日本人」を感じるかもしれません

少なくとも私たちがささやかに誇らしく思う日本的な「和の美しさ」は感じないでしょう



でもってこれ!



どうですかね

50年前の東京オリンピックの大会ロゴだそうです

最近多くの人がもう一度このロゴで行こう!

と言っているそうです

小平次は素晴らしいと思います

日本人としてのささやかな「誇らしさ」や「自我」もくすぐられますし、初めてきた外国の方も、空港でこれを目にしたならば

「ああ、日本にやってきたんだ!」

と好奇心がくすぐられるのではないでしょうか

50年前の先人たちの、祖国への「想い」が、十分にこめられていると思います

で、最後になりますが、今回のこの騒動、小平次は佐野氏は何にも悪くなかったと思っております
ただただ、自国でオリンピックを開催する、というまさに国家事業、日本人一人一人の「自我」の高揚を含めた「想い」に至ることができなかった、のでありましょう

そして、そんな想いの足りない作品を選んだ「選者」が悪いのです

この選者たちは

「自国でオリンピックを開催する」

という、事の重大性を感じ取る本能的な力が欠如していたのでありましょう

最近そんな本能や、日本人としての直感力が足りない人たちが、周りにも世の中をリードすべき人たちにも、まだまだたくさんいるように思えます

それでも今回の白紙撤回

佐野氏には申し訳ありませんが、多くの日本人の「良心」がもたらした結果である、そう思いたいものです


御免!



コメント (2)
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